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後談 夢の跡の後始末
十七、終わりよければ?(終)
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頬を挟む力は弱く、柔らかい肉球とふわふわの毛が心地よい。
しかし、毎日のように繰り返されては、些か辟易するというもの。
「我は怒っているぞ」
「ふぁい」
天津家の取り計らいで、藤花は一週間近く入院していた。
撫子を庇って使用人が刺された――『四大名家』にあってはならない醜聞であるし、天津家と水無月家の取り決めで緘口令が敷かれている。
代わりに負傷したのは天津家当主なのだが、皆の当主への扱いは酷なもので、『黙っていた方が悪いし、命に別状ないなら問題ない』という総意の元、雛菊に押し付けられた。
むしろ、傷一つない藤花の方を、皆が心配してくれて申し訳ない限り。
医者に検分されて、『傷一つない』と診断書まで出してくれたのは、藤花の今後を考えてかと思う。
・・・・・・まあ、藤花の方はどこかに嫁ぐ予定もないので、傷の一つや二つ大したことないのだが。
そんな経緯もあり、藤花は病院で安静を命じられている。
撫子は天津家本邸で過ごしているし、使用人としての仕事はお休み中。
寝台の上で過ごしつつ、読書や針仕事に手を出し・・・・・・事ある毎に、紅鏡が頬を挟んでくる。
『お嬢様の様子を見て来て』と頼んでも、飼い猫はぷいと顔を背けるばかり。
しきりに前脚や尻尾で藤花にちょっかいを出してくる姿は、猫そのものである。
「どうして、我より前に出た。我ならあれぐらいの刃物、どうってことないのに」
「だって・・・・・・」
水無月朱代との一件を、紅鏡はまだ怒っているらしい。
狭い廊下で対峙したため、桐矢や水無月家当主には朱代の様子が見えず、状況を説明する時間は無かった。
紅鏡が朱代を止めても、藤花には火の手を防ぐ手段が無い。
撫子に火傷一つ追わせず、朱代の凶刃を防ぐには、藤花が盾になるのが最善だったのだ。
「それでも、それでもだ」
むにむに。
「我の主人はおんしであるぞ。それを忘れるな」
「んー」
(でも、お嬢様を守るのが、私の使命であるわけだし・・・・・・)
次、同じようなことが起きたら・・・・・・と考えると、難しい。
藤花が入院中、撫子の面会は無かった。
少し寂しいが、主人に面会を強請る使用人というのも、変な話であるし。
「あいつ、何か、すっごいやる気になっちゃってるわ」
撫子は今、何かに取りつかれた様に修行に勤しんでいるらしい・・・・・・そんな近況を教えてくれたのは、何故か天津芙蓉であった。
霜凪葵に連れられた芙蓉は、質素な紺の道着を着ており、以前の華美な装いとは真逆の恰好。
緩く波打つ髪も一つに括っており、『次男様みたい』と呟くと、もの凄く嫌そうな顔をしていた。
聞けば、今回、天津隼人の意識を改革した立役者に当たるらしい。
巡り合わせ、というのは何とも不思議なものである。
「お母様とか、おっさんにも術の使い方を学びに行っているらしいわよ・・・・・・あいつ、もっと意地張るかと思ってたわ」
芙蓉の言う所の『おっさん』――天津隼人の元へ、撫子自ら・・・・・・その事実に藤花は内心驚いていた。
撫子は両親と顔を合わせたくない程忌み嫌っていたが、色々な事件を経て、彼女の意識も変わったということか。
「まあ、最後は私が勝つのよ」
芙蓉は以前のような笑みを浮かべ、胸を張る。
「あいつより偉い術者になったら、あんたを家来にしてあげるわ。だからせいぜい長生きしなさい」
そう言うと、菓子の箱を机に置く。
最初から置かれていた一輪挿しは、隅に追いやられた。
彼女なりの励ましなのか、ただただ撫子への嫌がらせか――
取りあえず、撫子が大成するまでは早死にできないと、藤花は内心思う。
芙蓉が病室を出るが、葵はその場に立ち止まっていた。
「藤花さん」
「・・・・・・はい」
いつもの豪快な口調とは違う、神妙な物言いに、藤花は思わず背筋を伸ばした。
「撫子を守ってくれて感謝している・・・・・・だけど、私は、貴女にこのようなことをしてほしくなかった」
葵の悔やむような表情は、藤花に向けてか、それとも自らに向けてのものか――
藤花の返事も聞かず、葵は足早に去ってしまった。
一人残されて、思わず飼い猫を抱きしめる。
「葵様もお優しいから、複雑ねぇ・・・・・・」
「おんしは単純に考え過ぎだ」
藤花を責めるように、二本の尻尾が頬を襲った。
「・・・・・・無事か?」
「無事です」
夕食を終えた後、病室に入って来たのは桐矢であった。
藤花の様子を一瞥し、傍の机に小箱を一つ。
「明日の朝、迎えを寄越す」
そう言うと、足早に出て行った。
「・・・・・・あら、金平糖ね」
彼の置いた箱を開けると、色とりどりの可愛らしい飴が目に飛び込む。
「こんなに持って来てくださらなくてもいいのに・・・・・・」
藤花が入院してから、桐矢は毎日のように病室を訪れていた。
時間は定まらないが、藤花の顔を見て、見舞いの品を渡して直ぐ帰る――大抵は切り花やお菓子なのだが。
そんな姿を見て、『あいつは猫か』と紅鏡が呟いたことも。
撫子が来ないので、彼の来訪は少し楽しみだったりもする。
それも、どうやら、今日で終わるらしい。
「撫子様・・・・・・どうしているかしら」
思い浮かべるのは主人の顔。
最近は泣くか怒っている姿しか記憶にないので、明日、どのような表情をしているか心配。
早く会いたいような、会いたくないような・・・・・・そんな思いを抱えながら眠りに就いた。
「藤花!」
鞄を抱えながら病院を出た藤花を迎えたのは、天津家の自動車。
そして、梅雨明けの空のような、撫子の晴れやかな笑顔であった。
最近見せていた物憂げな表情は影もなく、瞳を輝かせる彼女はとても愛らしい。
いつものように、抱き着いてくるか――鞄を置いて受け止める姿勢を取るが。
「退院おめでとう。早く帰りましょう」
撫子の態度はあっさりしたもので、藤花の手を引き車へと導く。
鞄は、天津家の運転手が運んでくれた。
「私、色々考えていたの」
帰りの道中、隣に座る撫子が呟く。
「ずっと、私、藤花に甘えていて、子どもだったんだって」
「お嬢様は、まだ、子どもなのですから」
撫子は、まだ十歳・・・・・・もう十歳ともいえる。
華族令嬢としては幼い面があるかもしれないが、撫子は、ずっと天津家で冷遇されていた身。
これから成長していけばいいのだ、と藤花は思う。
しかし、藤花の返事に、撫子は不服そうな表情を見せる。
きりっと口元を結んだ顔つきは、いつもより大人びて見えて。
「それじゃ駄目なの。守られるだけじゃ、駄目なの」
はっきりとそう告げた彼女は、今まで仕えていた撫子とは違っているように感じて・・・・・・藤花は落ち着かなかった。
「お兄様達や・・・・・・あのお姉様ですら、私と同じ年の頃には、術者には危険が伴うって分かっていたのに・・・・・・私、甘えたままだったから、藤花を・・・・・・」
何かを思い出したのか、撫子は今にも泣きそうな表情を見せる。
しかし、涙が零れることはない。
「お母様に言われたわ。力が無いなら、使用人を切り捨てることのできる心の強さを持てって・・・・・・私、そんな人間になりたくない」
どうやら、彼女に発破をかけたのは、あの雛菊らしい。
撫子を忌み嫌っていたはずの彼女の思いは計り知れぬが。
「私、強くなって、みんなを守ることのできる術者になるから・・・・・・藤花、傍にいてね?」
「はい」
縋るように此方を見上げる撫子に、即答した。
守り育てる存在のはずだったお嬢様が、少し逞しくなって――
自分の役目が少し失われたようで、寂しいが。
主人の成長を見守ることも、使用人の喜びなのだろう。
「おんしには、ちび姫を見守るという大役があるんじゃ。長生きするんだぞ?」
膝の上で丸まる紅鏡も、優しく笑う。
高鴨藤花は天涯孤独であったが、今はもう一人では無い。
これからも続く、お嬢様と飼い猫との生活に思いを馳せ、幸せを噛み締めた。
しかし、毎日のように繰り返されては、些か辟易するというもの。
「我は怒っているぞ」
「ふぁい」
天津家の取り計らいで、藤花は一週間近く入院していた。
撫子を庇って使用人が刺された――『四大名家』にあってはならない醜聞であるし、天津家と水無月家の取り決めで緘口令が敷かれている。
代わりに負傷したのは天津家当主なのだが、皆の当主への扱いは酷なもので、『黙っていた方が悪いし、命に別状ないなら問題ない』という総意の元、雛菊に押し付けられた。
むしろ、傷一つない藤花の方を、皆が心配してくれて申し訳ない限り。
医者に検分されて、『傷一つない』と診断書まで出してくれたのは、藤花の今後を考えてかと思う。
・・・・・・まあ、藤花の方はどこかに嫁ぐ予定もないので、傷の一つや二つ大したことないのだが。
そんな経緯もあり、藤花は病院で安静を命じられている。
撫子は天津家本邸で過ごしているし、使用人としての仕事はお休み中。
寝台の上で過ごしつつ、読書や針仕事に手を出し・・・・・・事ある毎に、紅鏡が頬を挟んでくる。
『お嬢様の様子を見て来て』と頼んでも、飼い猫はぷいと顔を背けるばかり。
しきりに前脚や尻尾で藤花にちょっかいを出してくる姿は、猫そのものである。
「どうして、我より前に出た。我ならあれぐらいの刃物、どうってことないのに」
「だって・・・・・・」
水無月朱代との一件を、紅鏡はまだ怒っているらしい。
狭い廊下で対峙したため、桐矢や水無月家当主には朱代の様子が見えず、状況を説明する時間は無かった。
紅鏡が朱代を止めても、藤花には火の手を防ぐ手段が無い。
撫子に火傷一つ追わせず、朱代の凶刃を防ぐには、藤花が盾になるのが最善だったのだ。
「それでも、それでもだ」
むにむに。
「我の主人はおんしであるぞ。それを忘れるな」
「んー」
(でも、お嬢様を守るのが、私の使命であるわけだし・・・・・・)
次、同じようなことが起きたら・・・・・・と考えると、難しい。
藤花が入院中、撫子の面会は無かった。
少し寂しいが、主人に面会を強請る使用人というのも、変な話であるし。
「あいつ、何か、すっごいやる気になっちゃってるわ」
撫子は今、何かに取りつかれた様に修行に勤しんでいるらしい・・・・・・そんな近況を教えてくれたのは、何故か天津芙蓉であった。
霜凪葵に連れられた芙蓉は、質素な紺の道着を着ており、以前の華美な装いとは真逆の恰好。
緩く波打つ髪も一つに括っており、『次男様みたい』と呟くと、もの凄く嫌そうな顔をしていた。
聞けば、今回、天津隼人の意識を改革した立役者に当たるらしい。
巡り合わせ、というのは何とも不思議なものである。
「お母様とか、おっさんにも術の使い方を学びに行っているらしいわよ・・・・・・あいつ、もっと意地張るかと思ってたわ」
芙蓉の言う所の『おっさん』――天津隼人の元へ、撫子自ら・・・・・・その事実に藤花は内心驚いていた。
撫子は両親と顔を合わせたくない程忌み嫌っていたが、色々な事件を経て、彼女の意識も変わったということか。
「まあ、最後は私が勝つのよ」
芙蓉は以前のような笑みを浮かべ、胸を張る。
「あいつより偉い術者になったら、あんたを家来にしてあげるわ。だからせいぜい長生きしなさい」
そう言うと、菓子の箱を机に置く。
最初から置かれていた一輪挿しは、隅に追いやられた。
彼女なりの励ましなのか、ただただ撫子への嫌がらせか――
取りあえず、撫子が大成するまでは早死にできないと、藤花は内心思う。
芙蓉が病室を出るが、葵はその場に立ち止まっていた。
「藤花さん」
「・・・・・・はい」
いつもの豪快な口調とは違う、神妙な物言いに、藤花は思わず背筋を伸ばした。
「撫子を守ってくれて感謝している・・・・・・だけど、私は、貴女にこのようなことをしてほしくなかった」
葵の悔やむような表情は、藤花に向けてか、それとも自らに向けてのものか――
藤花の返事も聞かず、葵は足早に去ってしまった。
一人残されて、思わず飼い猫を抱きしめる。
「葵様もお優しいから、複雑ねぇ・・・・・・」
「おんしは単純に考え過ぎだ」
藤花を責めるように、二本の尻尾が頬を襲った。
「・・・・・・無事か?」
「無事です」
夕食を終えた後、病室に入って来たのは桐矢であった。
藤花の様子を一瞥し、傍の机に小箱を一つ。
「明日の朝、迎えを寄越す」
そう言うと、足早に出て行った。
「・・・・・・あら、金平糖ね」
彼の置いた箱を開けると、色とりどりの可愛らしい飴が目に飛び込む。
「こんなに持って来てくださらなくてもいいのに・・・・・・」
藤花が入院してから、桐矢は毎日のように病室を訪れていた。
時間は定まらないが、藤花の顔を見て、見舞いの品を渡して直ぐ帰る――大抵は切り花やお菓子なのだが。
そんな姿を見て、『あいつは猫か』と紅鏡が呟いたことも。
撫子が来ないので、彼の来訪は少し楽しみだったりもする。
それも、どうやら、今日で終わるらしい。
「撫子様・・・・・・どうしているかしら」
思い浮かべるのは主人の顔。
最近は泣くか怒っている姿しか記憶にないので、明日、どのような表情をしているか心配。
早く会いたいような、会いたくないような・・・・・・そんな思いを抱えながら眠りに就いた。
「藤花!」
鞄を抱えながら病院を出た藤花を迎えたのは、天津家の自動車。
そして、梅雨明けの空のような、撫子の晴れやかな笑顔であった。
最近見せていた物憂げな表情は影もなく、瞳を輝かせる彼女はとても愛らしい。
いつものように、抱き着いてくるか――鞄を置いて受け止める姿勢を取るが。
「退院おめでとう。早く帰りましょう」
撫子の態度はあっさりしたもので、藤花の手を引き車へと導く。
鞄は、天津家の運転手が運んでくれた。
「私、色々考えていたの」
帰りの道中、隣に座る撫子が呟く。
「ずっと、私、藤花に甘えていて、子どもだったんだって」
「お嬢様は、まだ、子どもなのですから」
撫子は、まだ十歳・・・・・・もう十歳ともいえる。
華族令嬢としては幼い面があるかもしれないが、撫子は、ずっと天津家で冷遇されていた身。
これから成長していけばいいのだ、と藤花は思う。
しかし、藤花の返事に、撫子は不服そうな表情を見せる。
きりっと口元を結んだ顔つきは、いつもより大人びて見えて。
「それじゃ駄目なの。守られるだけじゃ、駄目なの」
はっきりとそう告げた彼女は、今まで仕えていた撫子とは違っているように感じて・・・・・・藤花は落ち着かなかった。
「お兄様達や・・・・・・あのお姉様ですら、私と同じ年の頃には、術者には危険が伴うって分かっていたのに・・・・・・私、甘えたままだったから、藤花を・・・・・・」
何かを思い出したのか、撫子は今にも泣きそうな表情を見せる。
しかし、涙が零れることはない。
「お母様に言われたわ。力が無いなら、使用人を切り捨てることのできる心の強さを持てって・・・・・・私、そんな人間になりたくない」
どうやら、彼女に発破をかけたのは、あの雛菊らしい。
撫子を忌み嫌っていたはずの彼女の思いは計り知れぬが。
「私、強くなって、みんなを守ることのできる術者になるから・・・・・・藤花、傍にいてね?」
「はい」
縋るように此方を見上げる撫子に、即答した。
守り育てる存在のはずだったお嬢様が、少し逞しくなって――
自分の役目が少し失われたようで、寂しいが。
主人の成長を見守ることも、使用人の喜びなのだろう。
「おんしには、ちび姫を見守るという大役があるんじゃ。長生きするんだぞ?」
膝の上で丸まる紅鏡も、優しく笑う。
高鴨藤花は天涯孤独であったが、今はもう一人では無い。
これからも続く、お嬢様と飼い猫との生活に思いを馳せ、幸せを噛み締めた。
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