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後談 夢の跡の後始末

四、将を射んとする者は

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 天津隼人が初めてこの邸宅を訪れて以降、彼が撫子の前に顔を現すことはなかった。
 その代わり、手紙は頻繁に届く。

『体はどうだ』
『術は使えるのか』
『いつ戻るのか』

 そんな簡単な手紙が、ほぼ毎日。
 どうやら、夜の間に訪れて、門扉に挟んでいるらしい。
 そのため、藤花の日課が増えた。

 朝に外の掃除をしている時に門扉を確認し、手紙を回収する。
 そして、起床した撫子に手紙を読み上げるのだ。

 手紙が初めて届いた時、『読みたくない。捨てておいて』と、撫子は顔を逸らしたのだ。
 しかし、当主の手紙を完全に無視するわけにもいかず、代わりに藤花が目を通すこととなった。

 そして、撫子に一応伝えるまでが仕事――この時ばかりは、彼女も藤花に嫌悪の表情を見せる。
 可愛いお嬢様に、そのような顔をされて藤花も辛いし、心苦しい。

(まあ、撫子様からすれば、たまったものじゃないわよねぇ)
 自分が産まれてから姿を消し、術が使えるようになってから現れる父――家族ではなく、ただの一術者・・・・・・もしくは家の道具としか見ていないと言っているようなもの。
 彼が残っていれば、天津家本邸の混乱ももう少し抑えられて、夫人の所業も早く発覚したかもしれないのだ。

 しかも、彼自身は妻に何の罰も架していないらしい。
 当主として、娘を持つ父として、それはどうなのか――と、天津家内でも意見が出ているそうな。
『使える』なら手元に置く、という気持ちの表れなのかもしれない。


 そんなこんなで、藤花自身は、撫子と当主の関係には静観を決めた。
 当主を応援することも、撫子に何か促すこともしない。
 天津家の使用人となった以上、最低限の義務は果たすが、あくまで撫子の心身を守るのが第一である。


「まあ、おんしも自らの父君を敬遠してた時期があったろう? 父親というのは誤解されやすい存在なのではないか?」
「まあ、それはそうなんだけど・・・・・・」
 飼い猫に説かれながら歩く、湿った道。
 梅雨明けが近いらしく、晴れの日も増えてきた。


 天津本邸では、当主が『夕刻には戻る』と出掛けたらしい。
 父が不在ならばと、良夜の気遣いにより撫子は使用人の千代の所へ遊びに行った。

 藤花も誘っていただいたが、それを断り、撫子を乗せた自動車を見送った。
 良夜や葵がいるなら、撫子は安全だろうと信じて。


 梅雨の所為でもあるし、撫子にちょっかいを掛ける輩たちの所為でもあったが――
 ここ暫くは、邸宅に籠る日が続いていた。
 天津家や霜凪家が食料や日用品等を届けてくれるから生活には困らないが、たまには自分で買い物したい・・・・・・すっかり庶民の感覚が身に着いたらしい。

 そんなわけで、気軽に外出できる貴重な日を得た藤花は、両親への墓参りを済ませた後に商店街へと赴いていた。
 遊山の客や学生とすれ違いながら、商店を次々と。
 甘味に、着物や装飾品・・・・・・そろそろ化粧も必要か・・・・・・新しい本も欲しそうだし・・・・・・と、撫子の姿を思い浮かべながら、見て回るのは楽しい。
(これ、お土産に買って帰ろうかしら)
 簪を手に取り、傍らの猫に意見を求めようと――

 紅鏡は、別の方角を見つめながら不審げに首を傾げている。
「紅鏡?」
 飼い猫のただならぬ様子に、思わず声を上げて、慌てて周囲を見た。
 この化け猫、大概の人に見えないらしい。
 ともすれば、何もない空間に話し掛けたり撫でたりする変な人になりかねない。

 幸いなことに、誰も藤花を見ていない。
 客も店主も皆が紅鏡のように一点を凝視していた。
(何かいるの?)
 藤花もそれに倣って、そちらに視線を――

「え?」
 その存在に気付き、思わず声を上げてしまった。

 それは、道の真ん中を占拠するように聳え立っていた。
 細身だが手足は鍛えられており、威圧感を放っている。
 腕を組み、此方を睨む様は、決闘を申し込むかのようで。
 行き交う人々は、彼から距離を取るように足を速めていた。

 その顔は、勿論見たことがある。
 渦中の存在、天津家の当主、隼人であった。
(私に用事? どうして?)
 まさか藤花の前に現れるとは思っていなかった。

「ほう、やる気か?」
 何故か興奮している紅鏡は立ち上がっており、いつぞやの拳闘の構え。
 しかし、当主は真っ直ぐに此方を見ている。

(え、ど、どうしよ)
 撫子を連れ戻すために、藤花の排除に動いたのか・・・・・・紅鏡が守ってくれるだろうが、仮にも『四大名家』の当主が見えない何かと取っ組み合う様を、世間様に晒すのは――突然の事態に、藤花は些か混乱していた。

「高鴨藤花殿」
「は、はい」
 思っていたよりは、当主の声が落ち着いていたが、まだ安心できない。

「話がしたい」
「はい?」
「食事でもどうだ? 店を予約した」
「はい?」

 決闘ではなく、食事のお誘い――まさかの展開である。
 撫子と不仲にある父親と食事、というのは気が乗らないのだが。

 周囲をちらりと見れば、店主の『早くアレを引き取ってくれ』という視線を感じてしまう。
 あんな不審人物と関わりがあるなど、年頃の娘としては誠に遺憾。
(ああ、この店には暫く入れないわね・・・・・・)
 あの簪が残っていることを祈りつつ、藤花は当主の方へと歩み寄る。
 それを了承と捉えたのか、当主は振り向いて歩き出した。

(一体、何の話があるのかしら・・・・・・)
 単純に考えれば、撫子を連れ戻すために使用人から懐柔しようと判断したか。
 しかし、当主の力で排除される危険性も忘れてはいけない。

「もしかすると」
 四つ足に戻った紅鏡が呟く。
「ちび姫の説得を諦めて、次の子をこさえようとしたのかもな」
「へ?」
「長兄殿が言っていたな・・・・・・『天津家は優秀な術者を産むことに見境がない』と・・・・・・あの妻を捨て置き、『護りの力』を持つおんしに目を付けたのかもしれんぞ」
「えぇ・・・・・・」

 過去の経緯があり、高鴨藤花は、些か潔癖で過敏なきらいがあった。
 脳内では、後添えか妾になるよう命令する当主の姿が形成されて――

「・・・・・・不潔だわ」
 思わず、嫌悪の声が漏れた。

 藤花の呟きが聞こえたのだろう、先を歩いていた当主の動きが止まる。
 くるりと振り向いた彼の顔は、何故か耳まで真っ赤で。
「ごごご誤解するな。わ私にはひひ雛菊という妻がっ」
 震えた声で言うと、先程よりも早足になって歩き始めた。

「ん?」
「おやおや?」
 当主の反応に、飼い猫と顔を見合わせてしまう。

 まさか、年頃の娘より、壮年近い男性の方が潔癖で過敏とは――
(この人、思っていたより面倒臭いかも・・・・・・)
 藤花は、食事の誘いを受けたことを、本気で後悔していた。
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