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後談 夢の跡の後始末
二、天津隼人という男
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天津家の当主、天津隼人という男に関して、藤花はあまり知らない。
本邸では『術者としては優秀だが、妻子を持つ男としては・・・・・・』という評価であった。
藤花自身も、撫子が産まれてからすぐに姿を消し、十年近く音信不通となっていた事実しか知らないので、ただの甲斐性なしとしか思っていなかった。
下世話な見方をすれば、産まれた時に式神を奪われて『無能』にされていた撫子が自分の娘ではないと思い、傷心から出奔したとも予想される。
・・・・・・実際には、撫子の姉である芙蓉が、当主の血を引いていないらしいのだが。
そんな彼が不在の中でも、大概の問題は解決してしまったので、いてもいなくても、藤花自身は何とも思わない。
天津家としては、不貞や諸々を起こした当主夫人の処遇を決めるために、必死の捜索をしていたらしい。
そんな彼が此処に来たということは、天津家本邸での問題は全て解決したということか――と、目の前の光景を眺めながら藤花は思う。
「それで、父上」
天津良夜が、父の傍らに立ちながら問う。
門を飛び越え扉をこじ開けようとした天津隼人は、現在、門の外で正座している。
彼が自分の父と知った撫子は、低い声で一言、『出て行って』と告げたのだ。
隼人はそれでもなお追いすがろうとしたが、撫子は玄関に置いてあった塩の袋を投げつけたのだ。
塩塗れになりながら呆然と佇む父の姿に思う所があったのか、良夜が取り成して今に至る。
撫子の意向を汲んで、隼人は敷地外に正座することにはなったが。
そんな撫子は、玄関口で藤花の背後に隠れている。
さして広くない邸宅なので、父子の距離はそう離れていないのだが、心の距離は何十倍、何百倍と遠そうだ。
「どうして此方に来たのです?」
「本邸の者より連絡を受けた」
息子の問いに対して、当主は簡潔に答える。
「撫子が術を取り戻したと。だから戻った」
そう述べながらも、当主の視線はずっと撫子に注がれている。
対して撫子の方は、藤花の背に顔を埋めており、視線に気付かない様子。
両手でぎゅっと藤花の袴を握っており、その仕草はまだ子どもっぽくて、ついつい微笑ましい気持ちで見てしまう。
ふと、視線を感じると、何故か当主は此方を見ていた。
顔立ちこそよく見れば桐矢や撫子に似ているが、いつも眉間に皺を寄せている桐矢とは違い、当主の顔は平静を保っているように見える。
しかし、その目の奥に見えるのは、怒りのような感情で・・・・・・。
「本邸には行かれましたか?」
良夜の問いを受け、視線が藤花から逸れる。
無意識の圧を感じていた藤花は、そっと胸を撫で下ろした。
「母上のことは聞いておられますよね? 芙蓉のことも」
「ああ聞いた。それはどうでもいい」
(何ですって?)
妻の不貞や不義の子を、あっさりと捨て置く姿は、とてつもなく情が薄いように見えて――
当主夫人である雛菊の『天津の術者を産むだけの奴隷にされた』という言葉も、今なら頷ける。
・・・・・・だからと言って、彼女の所業が許されるわけではないが。
彼の言葉を聞いて、撫子がさらに手に力を込めたように感じた。
「大事なのは撫子の体だ。早く本邸に――」
「帰って!!」
父の言葉を遮り、撫子が叫ぶ。
「あんたなんて大嫌い! 顔も見たくない!」
藤花の背から少しだけ顔を出して、そう叫ぶと、撫子は身を翻した。
小走りに廊下を進み、襖を勢いよく閉める音――おそらく、自室に籠ったのだろう。
顔も見たくない――は藤花も同意する所。
なおも追いすがろうとする当主の目線すら気持ち悪く感じたので、遮るように扉を閉めた。
「何故だ・・・・・・」
当の本人は、分かっていない様子であり、呆然とした表情をしている。
「父上・・・・・・貴方という人は・・・・・・」
良夜は頭を抱えて、大きく溜め息。
「まずは本邸で話をしましょう。撫子のことはそれからです」
「ああ、人を呼ぼう」
先程まで近くの壁に凭れて静観していた葵が、足を動かす。
付き人である高遠達の名を呼ぶと、屈強な男達が現れて、当主は神輿のように担がれてしまった。
ちなみに、葵は天津隼人と面識がなかったらしい。
良夜達の婚約自体は、撫子が産まれる前に纏められたものだが、天津家での対応は全て雛菊が取り仕切り、当主は顔も口も出さなかったとのこと。
その話を聞くだけでも、天津家当主が優秀な術者を産むことしか興味ないと言われても納得できる。
「じゃあ、藤花さん、失礼します」
「撫子を頼むぞ」
挨拶もそこそこに、良夜達は門扉の外へ。
「本当に、困った人が来たわねぇ」
一行を見送りながら、藤花は紅鏡を抱き上げた。
何か心が乱される事柄があると、飼い猫を堪能して癒される習慣が身に着いてしまった。
「あのような奴はまた来るのではないか?」
二本の尻尾を揺らしながら、紅鏡は呟く。
それは多分そう、と藤花も思うし、今から非常に憂鬱である。
「まあ、取りあえずは」
紅鏡を抱きしめながら、玄関の扉を再び開ける。
「お嬢様に、新しいお茶を淹れましょうか」
良夜達を招いての、楽しいお茶が台無しである。
心が傷付いたお嬢様にも、いい物をお出ししなければ。
「練り切りと羊羹が残っちゃったから、私達も頂いちゃいましょ」
「成程、それはいいな」
藤花も何だか気疲れしたので、甘いお菓子が欲しい。
親指より、もう少し厚めに切っても罰は当たらないかと、台所へと向かった。
本邸では『術者としては優秀だが、妻子を持つ男としては・・・・・・』という評価であった。
藤花自身も、撫子が産まれてからすぐに姿を消し、十年近く音信不通となっていた事実しか知らないので、ただの甲斐性なしとしか思っていなかった。
下世話な見方をすれば、産まれた時に式神を奪われて『無能』にされていた撫子が自分の娘ではないと思い、傷心から出奔したとも予想される。
・・・・・・実際には、撫子の姉である芙蓉が、当主の血を引いていないらしいのだが。
そんな彼が不在の中でも、大概の問題は解決してしまったので、いてもいなくても、藤花自身は何とも思わない。
天津家としては、不貞や諸々を起こした当主夫人の処遇を決めるために、必死の捜索をしていたらしい。
そんな彼が此処に来たということは、天津家本邸での問題は全て解決したということか――と、目の前の光景を眺めながら藤花は思う。
「それで、父上」
天津良夜が、父の傍らに立ちながら問う。
門を飛び越え扉をこじ開けようとした天津隼人は、現在、門の外で正座している。
彼が自分の父と知った撫子は、低い声で一言、『出て行って』と告げたのだ。
隼人はそれでもなお追いすがろうとしたが、撫子は玄関に置いてあった塩の袋を投げつけたのだ。
塩塗れになりながら呆然と佇む父の姿に思う所があったのか、良夜が取り成して今に至る。
撫子の意向を汲んで、隼人は敷地外に正座することにはなったが。
そんな撫子は、玄関口で藤花の背後に隠れている。
さして広くない邸宅なので、父子の距離はそう離れていないのだが、心の距離は何十倍、何百倍と遠そうだ。
「どうして此方に来たのです?」
「本邸の者より連絡を受けた」
息子の問いに対して、当主は簡潔に答える。
「撫子が術を取り戻したと。だから戻った」
そう述べながらも、当主の視線はずっと撫子に注がれている。
対して撫子の方は、藤花の背に顔を埋めており、視線に気付かない様子。
両手でぎゅっと藤花の袴を握っており、その仕草はまだ子どもっぽくて、ついつい微笑ましい気持ちで見てしまう。
ふと、視線を感じると、何故か当主は此方を見ていた。
顔立ちこそよく見れば桐矢や撫子に似ているが、いつも眉間に皺を寄せている桐矢とは違い、当主の顔は平静を保っているように見える。
しかし、その目の奥に見えるのは、怒りのような感情で・・・・・・。
「本邸には行かれましたか?」
良夜の問いを受け、視線が藤花から逸れる。
無意識の圧を感じていた藤花は、そっと胸を撫で下ろした。
「母上のことは聞いておられますよね? 芙蓉のことも」
「ああ聞いた。それはどうでもいい」
(何ですって?)
妻の不貞や不義の子を、あっさりと捨て置く姿は、とてつもなく情が薄いように見えて――
当主夫人である雛菊の『天津の術者を産むだけの奴隷にされた』という言葉も、今なら頷ける。
・・・・・・だからと言って、彼女の所業が許されるわけではないが。
彼の言葉を聞いて、撫子がさらに手に力を込めたように感じた。
「大事なのは撫子の体だ。早く本邸に――」
「帰って!!」
父の言葉を遮り、撫子が叫ぶ。
「あんたなんて大嫌い! 顔も見たくない!」
藤花の背から少しだけ顔を出して、そう叫ぶと、撫子は身を翻した。
小走りに廊下を進み、襖を勢いよく閉める音――おそらく、自室に籠ったのだろう。
顔も見たくない――は藤花も同意する所。
なおも追いすがろうとする当主の目線すら気持ち悪く感じたので、遮るように扉を閉めた。
「何故だ・・・・・・」
当の本人は、分かっていない様子であり、呆然とした表情をしている。
「父上・・・・・・貴方という人は・・・・・・」
良夜は頭を抱えて、大きく溜め息。
「まずは本邸で話をしましょう。撫子のことはそれからです」
「ああ、人を呼ぼう」
先程まで近くの壁に凭れて静観していた葵が、足を動かす。
付き人である高遠達の名を呼ぶと、屈強な男達が現れて、当主は神輿のように担がれてしまった。
ちなみに、葵は天津隼人と面識がなかったらしい。
良夜達の婚約自体は、撫子が産まれる前に纏められたものだが、天津家での対応は全て雛菊が取り仕切り、当主は顔も口も出さなかったとのこと。
その話を聞くだけでも、天津家当主が優秀な術者を産むことしか興味ないと言われても納得できる。
「じゃあ、藤花さん、失礼します」
「撫子を頼むぞ」
挨拶もそこそこに、良夜達は門扉の外へ。
「本当に、困った人が来たわねぇ」
一行を見送りながら、藤花は紅鏡を抱き上げた。
何か心が乱される事柄があると、飼い猫を堪能して癒される習慣が身に着いてしまった。
「あのような奴はまた来るのではないか?」
二本の尻尾を揺らしながら、紅鏡は呟く。
それは多分そう、と藤花も思うし、今から非常に憂鬱である。
「まあ、取りあえずは」
紅鏡を抱きしめながら、玄関の扉を再び開ける。
「お嬢様に、新しいお茶を淹れましょうか」
良夜達を招いての、楽しいお茶が台無しである。
心が傷付いたお嬢様にも、いい物をお出ししなければ。
「練り切りと羊羹が残っちゃったから、私達も頂いちゃいましょ」
「成程、それはいいな」
藤花も何だか気疲れしたので、甘いお菓子が欲しい。
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