清く、正しく、たくましく~没落令嬢、出涸らしの姫をお守りします~

宮藤寧々

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第四章 闇を祓う輝き

二、いざ伏魔殿へ

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 青柳からの報せを聞いて、一週間ほどが経った頃――

 藤花は、撫子と共に、青柳の運転する車に乗っていた。
 勿論、膝に飼い猫を乗せて。
 以前、芙蓉に呼び出された時とは違い、本日の目的地は天津家の本邸。
 撫子の住む邸宅からもさして遠くない場所らしい。

 撫子は起きてから緊張した面持ちのまま過ごしており、本邸へと近付くほどに表情が強張っていく様子。
 紅鏡が和ませようと尻尾を振っているが、それにも気付かず、ただ握りしめた扇子を見つめているだけだった。
 そんなお嬢様に、藤花はなんと声を掛けていいか分からず、ただ見守ることしかできない。
 そして藤花自身もすごく緊張していた。
 初めて訪れる本邸・・・・・・しかも、本邸から来る人間は芙蓉や『甲乙』など、撫子を甚振ることに心血を注いでいるような人間ばかり。
 桐矢は良心的なのだろうが、普段の振る舞いは粗野で野蛮な盗賊にしか見えないし、雛菊や青柳は何を考えているのか分からない。
 そんな人間達が住まう場所など、伏魔殿としか思えない。

「はぁ・・・・・・」
 到着した場所は大社の近く、周囲の寺社や名所に負けぬ広大な場所に、天津家の本邸はあった。
 自動車など容易に潜れそうな広さをもつ門扉を見上げて、藤花は大きく口を開いていた。
「そんな間抜けな顔をするな」
 紅鏡に囁かれ、慌てて口元を引き締める。
 ころころと表情を変える藤花を、門扉の前で控えていた男達は不審げに見つめていた。

「うわ・・・・・・すごい」
 門扉を開ければ、二十人程の人間が左右に分かれてずらりと並んでいた。
 紺色の着物や袴姿・・・・・・様々いるが、全て天津家の使用人のようだ。
 遠くで忙しなく走り回っている者達も見えるので、これ以上の数の使用人を抱えているらしい。
(はあ、さすが名門華族・・・・・・お金があるのねぇ)
 通いのお手伝いさん数人で遣り繰りできていた高鴨家と比べてしまう。

 無表情で並ぶ使用人達は、撫子の姿を見ると、揃って頭を下げた。
「え、えっと・・・・・・」
 今まで、このような扱いを受けたことが無いらしく、撫子は戸惑うように傍の青柳を見上げている。
 しかし、青柳に無言で肯定され、おずおずと一歩を踏み出した。
 その後を、鞄を持った藤花も続く。
(うーん・・・・・・あまり、歓迎されていないような・・・・・・)
 無論、撫子ではなく藤花のことである。
 お嬢様の後を追う、女学生風の姿をした小娘は、大層怪しく見えたのだろう。
 ちらりちらりと様子を窺うような視線を感じる。

「おう来たか」
 遠目にも分かる大きな屋敷の方角からやって来たのは桐矢であった。
 今日も黒の袴姿だが、上には紋付の羽織を纏っている。
 いつもはただ括っただけの長い髪も、今日は丁寧に撫でつけられていた。
(こうしていると、お坊ちゃんに見えるのよね)
 良夜の弟なだけあって、顔はいい。顔は。
 だが、普段の態度を知っていると、正装で取り繕っても胡散臭さが漂う。
「・・・・・・おい仔馬」
 そんな藤花の視線に気付いたのか、桐矢が近付く。
「余計なこと考えてねぇだろうな」
「別に」
 耳元で囁かれたので、つんと顔を背けた。
「・・・・・・まあいい。お前らの部屋は兄貴達の所に頼んだんだ。ついてこい」
 そう言いながら、藤花の荷物をひったくるようにして抱え、歩き出した。

「何よあの小娘」
「どこの馬の骨なの・・・・・・」
 使用人達の間から、囁く声が漏れる。
 何故か、女性達の視線が厳しくなったような気がした。
「醜い女の嫉妬だな、いいぞぉ」
 ぎすぎすした空気を喜んでいるのは、下世話な猫ちゃんだけであった。


 天津家の本邸は、母屋の他に離れが幾つか建てられているようだ。
 普段は本邸とは別の場所に住んでいる良夜や桐矢は、自分の離れを所有しているらしい。
 藤花達は、良夜達のいる離れへとへと案内された。
「お兄様、葵様、お久し振りです」
「撫子、元気そうで安心しましたよ」
「ああ、見違えたな」
 長兄達と対面している撫子は満面の笑みを見せている。
 撫子を見つめる良夜の眼差しも、穏やかで優しい。
 そんな兄妹の交流を見ていると、藤花の心も温かくなった。

「藤花さんも、本当にありがとうございます」
「いえいえ、どうかお構いなく・・・・・・」
 良夜は隅に控えていた藤花に向き直り、深々と頭を下げる。
 そこまでしていただくと、非常に心苦しいので、負けない位に平伏した。
「撫子が己の術を会得したと聞きました。芙蓉のことも・・・・・・藤花さんが撫子を支えてくれたおかげです」
「藤花は凄いのよ」
「私の勘は正しかったな」
 撫子と良夜と葵――三者に熱い眼差しで見つめられ、否応なく心拍が上がった。
 紋付き袴の正装を纏う良夜は、いつもより凛々しい雰囲気を醸し出して、美しさより格好良さが増している。
 葵も藍色の振袖姿が美しさを際立たせており、婚約者同士で並ぶと、本当に目が眩む神々しさを感じる。
 撫子も、今日の為に白地に季節の花を散らした振袖で正装しているので、いつもの儚げな美少女から人目を惹く美少女へと変わっている。
 こんな顔の良い面々に囲まれて、浮足立たない方がおかしい。
 よくよく考えれば・・・・・・考えなくても、一介の没落令嬢が、名門華族の方々に囲まれることなど、普通経験しないのだ。

「おい、呼ばれたぞ」
 そんな空気を吹き飛ばしてくれたのは、天津桐矢だった。
 彼は藤花達を離れへ案内すると、直ぐに席を外していたのだ。
「取りあえず、本家の奴らで食事にするってよ。姐さんも来てくれて構わないが・・・・・・」
 そこで、気まずそうに藤花の方を一瞥した。
「仔馬、お前は残ってくれ」
(まあ、そうよね)
「どうして?」
 抗議の声を上げたのは、撫子だった。
 藤花としては納得しかないが。
(こんな余所者、家庭の食卓に呼びたくないわよねぇ)
 そんなこともあるだろうとは想定していたし、もしもの時は紅鏡に撫子を守ってもらうか・・・・・・と気軽に考えていたぐらいだ。
「まあ、俺だって・・・・・・言いたいことはあるんだが・・・・・・」
 詰め寄られた桐矢も、不本意な様子で、視線を彷徨わせている。
「あの連中、仔馬に何言い出すか分かんねぇし・・・・・・飯が不味いだけかもしれねぇし・・・・・・」
 彼なりに、藤花のことを慮ってくれているようだ。
 その気持ちはありがたいが、藤花の懸念は一つ。
「・・・・・・芙蓉様は?」
 また、あの姉が撫子に悪さしようと企んでないかということだけだ。
「あいつは出ねえよ。謹慎を解いてない」
 桐矢は、その疑問に即答する。
「母君は煩かったが・・・・・・霜凪家の人間も来るんだ。あの馬鹿を他家に見せるなんてできないからな。さすがに古株共が説得したよ」
「それなら、いいです・・・・・・撫子様、私のことは気になさらないで下さい」
 懸念材料も無いので、安心して撫子を送り出せる。
「悪いな。千代の手が空いたら、飯を持ってこさせる」
 そう言うと、桐矢は室外へと出て行った。
「さあ、撫子。私達も」
「・・・・・・うん」
 渋々、といった様子で、撫子は歩き出す。
 その背中を葵が優しく支え、良夜が後に続く。
 全員が部屋を出た――と思いきや、良夜が身を翻して障子扉を閉めた。
 藤花と良夜、ついでに紅鏡だけの空間となる。
「良夜様、どうかされましたか?」
 もしかして、体調が――と心配するが、彼の表情を見る限り、苦痛のようなものは感じ取れない。
「藤花さん」
「はい」
 いつもの穏やかな口調とは違い、どこか鋭さを感じられる声に、思わず背筋が伸びる。
「撫子には、桐矢も、葵さんもいます。だから、心配しないで下さい・・・・・・私が、と言えないのは心苦しいですが」
 少し、自嘲気味に笑う――彼なりに、内心思う所があるのだろう。
「貴女を守る大きな力・・・・・・まずは、自分を守ることを考えてください」
「は、はい・・・・・・?」
『大きな力』とは、紅鏡のことか。
 今しがた、『撫子様の傍についていて』と飼い猫に頼もうとしていた藤花にとっては、戸惑うしかない。
「この屋敷には悪意が満ちている・・・・・・撫子にも、貴女にも害を及ぼしそうな、強い、何かが・・・・・・それでも、貴女が無事なら、何とかなる・・・・・・そんな気がしているんです」
 そう言うと、いつものように穏やかな笑みを浮かべて去って行った。

「・・・・・・どういうことかしら・・・・・・」
 今度こそ、藤花と紅鏡だけが残された部屋で、ぽつりと呟く。
 良夜は、やはり紅鏡のことを察している様子。
 しかし、妹ではなく、藤花自身を守れとは――
「まあ、ここは敵地だ。兄君の言葉に従ってもよかろう」
 そう言うと、紅鏡は伸びをして敵地とは思えぬ姿勢で寛ぎ始めた。
「まあ、それは、そうなんだけど・・・・・・」
 撫子には兄二人と葵もついているから心配ない――と思うことしかできない。

「高鴨藤花殿」
 どうにも落ち着かない気持ちで座していると、外から呼び掛ける声があった。
 千代ではなく、年老いた男の声である。
 それは此方の返事も待たず障子扉を開けた。
 少し腰は曲がっているものの、目に力強さを感じる老人であった。
「私は天津家の執務を担っている田村と申します」
 彼はそう言いながら、真っ直ぐに藤花を見据えている。
「水無月の当主殿との協議、其方にも立ち会っていただきたい」
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