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第二章 花散る所の出涸らし姫
八、お世話係の本領
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『風林火山』
藤花の父が、よく書にしたためていた言葉である。
そのような人間であろうと、父は己を戒めていた。
そんな姿を見て育った藤花は――
「風林火山。疾きこと風の如し、よ」
思い立ったら即日即断、行動力にあふれた娘であった。
『それだけでは無かろう』と呆れた様子の紅鏡を余所に、早朝からお世話係として腕を揮っていた。
予定通り芋の粥を炊き、邸宅の掃除を済ませ、紅鏡に留守を任せて家を出る。
食料の調達と、霜凪葵への連絡のためである。
御笠のお山近くの参道を抜け、商店街の方へ――
鹿と緑あふれる地は、朝早くから、遊山の客や学生達が行き交っていた。
途中にある郵便局へ駆け込み、教えられていた連絡先に電報を頼む。
(『早急に相談したし』・・・・・・でいいかしら?)
彼女は多忙のようであるし、その内返事があればいい――そんな気持ちで郵便局を後にした。
(まあ、数日は持つように買い込んで・・・・・・)
馴染みある商店の主達からは、『前よりも元気そうでよかった』と優しい声を掛けられて、幾つかおまけもしてもらった。
本当に感謝しかない。
二人と一匹だけの生活ではあるが、そこそこの荷物を抱えて藤花が戻ったのは、お昼前。
撫子が腹を空かせていたら、と心配したが――
藤花が帰宅した時も、彼女は夢の中であった。
「疲れが溜まっていたのであろう」
「そうね」
お嬢様には、充分に体を休めて欲しい――
そのような気持ちもあり、あえて起こすことはしなかった。
(課業とやらは、私がやっておけばいいのだし)
そう思い、撫子の部屋から台座を持ち運ぶべく腰を上げた。
「きゃあああ」
か細い声が聞こえたのは、日が少し傾いた頃。
忌々しい閂付きの扉は明けていたので、撫子の声はよく聞こえた。
何事か、と藤花達が駆け付けると、撫子は布団の上で震えていた。
「私、寝過ごしちゃった! 何もしていないのに!」
「大丈夫ですよ、お嬢様」
涙や汗を滲ませる撫子の手を握る。
「お嬢様は、体を休めるのが仕事なのですから」
「藤花・・・・・・?」
撫子は、呆けたような目で藤花を見上げる。
次いで紅鏡をちらりと。
両者を交互に見ながら、撫子は涙を流していた。
「夢じゃないんだ・・・・・・藤花も、猫ちゃんもいる・・・・・・美味しいご飯を食べて・・・・・・全部夢だと思ってた・・・・・・」
「・・・・・・大丈夫ですよ、私達は傍にいますから」
「応とも。かわいい猫ちゃんと暮らせば幸せになれるぞ?」
紅鏡の言葉に、撫子が僅かに微笑む。
そして、撫子が泣き止むまで、藤花と紅鏡は寄り添っていた。
幸いなことに、日が落ちても姦しい使用人達は来なかった。
昨日の件で、恐れを為したのかもしれない。
撫子の精神衛生上、二度と来てほしくない所存。
あれから、泣き止んだ撫子は芋粥を美味しそうに食べて、組紐編みに取り掛かった。
藤花に任せてゆっくりしていればいいのに――と思うが、今まで続けていた習慣を止めるのは、気が引けたのだろう。
その代わり、彼女が編むのは三本だけ。
彼女の健康が損なわれない程度に――紅鏡の助言に従った形である。
『それに、全ておんしが編めば、天津の輩共が霊力の違いで文句を言うかもしれぬ。ちび姫のを混ぜてごまかしておけ』
聞けば、昨日来た青柳は、組紐に込められた霊力を探っていたのだろうとのこと。
だから藤花の方を見ていたのかと察した。
紅鏡の見立てでは、撫子には霊力が無い――のではなく、何らかの原因によって、生み出した霊力が体に蓄積せずに消えているとのこと。
『体質か、呪術の類かは分からぬがな』
そうぼやいた猫曰く、まずは気力や生命力を充実させることが先決らしい。
即ち、健康だと藤花は理解した。
健康な体には、食事、睡眠、そして運動。
「わ、私・・・・・・穢れから身を守るために、あまり外へ出てはいけないと言われて・・・・・・」
「なに、世界は不浄に満ちているのだ。触れずに生活していると、本当に抵抗する力がなくなるぞ」
紅鏡に促され、おそるおそる庭に出た撫子は、夕日を見上げて眩しそうに眼を細めていた。
藤花が女学校でしていた簡単な体操を一緒に行い――途中で撫子の腹が可愛い音を鳴らしたので、頬を染めた彼女のために夕飯の支度をした。
干物を混ぜ込んだ小さなおにぎり二つと、大根の味噌汁。
あまり贅沢な食卓ではないが、撫子はそれを喜んで食べて、温かい風呂に入って床に就いた。
さて自分も風呂に入ろうか、と藤花が考えていた時――
「ごめんください」
という聞き慣れた声が外からする。
(あら、昨日の人かしら)
また撫子に用なのか・・・・・・来るならもっと早い時間に来たらいいのに・・・・・・と重い腰を上げる。
気配を察していたらしく、紅鏡は既に外へと出ていた。
門扉の上から外を覗き、何故かにやにやと笑っている。
「面白いことになっているぞ」
「・・・・・・え?」
何か面倒なことが、と恐る恐る門扉を空ける。
「・・・・・・また夜分に申し訳ありません」
そこには、昨日見た青柳の姿。
今日は些か困惑している様子が見受けられた。
彼の後ろには、複数の男達の姿。
すわ増援か、と警戒したが――
「藤花嬢、久し振りですなぁ」
男の一人が言うように、筋骨隆々の逞しい姿には、見覚えがある。
(この人達って、もしかして・・・・・・)
男達が左右に分かれると、奥には待ち望んでいた御方。
薄墨色の詰襟を纏う、その凛々しい立ち姿は――
「待たせて申し訳ないな、藤花さん」
「葵様!」
朝に電報を出して、『その内返事をいただけたらいい』と気長に待つ予定であった、霜凪葵の姿であった。
藤花の父が、よく書にしたためていた言葉である。
そのような人間であろうと、父は己を戒めていた。
そんな姿を見て育った藤花は――
「風林火山。疾きこと風の如し、よ」
思い立ったら即日即断、行動力にあふれた娘であった。
『それだけでは無かろう』と呆れた様子の紅鏡を余所に、早朝からお世話係として腕を揮っていた。
予定通り芋の粥を炊き、邸宅の掃除を済ませ、紅鏡に留守を任せて家を出る。
食料の調達と、霜凪葵への連絡のためである。
御笠のお山近くの参道を抜け、商店街の方へ――
鹿と緑あふれる地は、朝早くから、遊山の客や学生達が行き交っていた。
途中にある郵便局へ駆け込み、教えられていた連絡先に電報を頼む。
(『早急に相談したし』・・・・・・でいいかしら?)
彼女は多忙のようであるし、その内返事があればいい――そんな気持ちで郵便局を後にした。
(まあ、数日は持つように買い込んで・・・・・・)
馴染みある商店の主達からは、『前よりも元気そうでよかった』と優しい声を掛けられて、幾つかおまけもしてもらった。
本当に感謝しかない。
二人と一匹だけの生活ではあるが、そこそこの荷物を抱えて藤花が戻ったのは、お昼前。
撫子が腹を空かせていたら、と心配したが――
藤花が帰宅した時も、彼女は夢の中であった。
「疲れが溜まっていたのであろう」
「そうね」
お嬢様には、充分に体を休めて欲しい――
そのような気持ちもあり、あえて起こすことはしなかった。
(課業とやらは、私がやっておけばいいのだし)
そう思い、撫子の部屋から台座を持ち運ぶべく腰を上げた。
「きゃあああ」
か細い声が聞こえたのは、日が少し傾いた頃。
忌々しい閂付きの扉は明けていたので、撫子の声はよく聞こえた。
何事か、と藤花達が駆け付けると、撫子は布団の上で震えていた。
「私、寝過ごしちゃった! 何もしていないのに!」
「大丈夫ですよ、お嬢様」
涙や汗を滲ませる撫子の手を握る。
「お嬢様は、体を休めるのが仕事なのですから」
「藤花・・・・・・?」
撫子は、呆けたような目で藤花を見上げる。
次いで紅鏡をちらりと。
両者を交互に見ながら、撫子は涙を流していた。
「夢じゃないんだ・・・・・・藤花も、猫ちゃんもいる・・・・・・美味しいご飯を食べて・・・・・・全部夢だと思ってた・・・・・・」
「・・・・・・大丈夫ですよ、私達は傍にいますから」
「応とも。かわいい猫ちゃんと暮らせば幸せになれるぞ?」
紅鏡の言葉に、撫子が僅かに微笑む。
そして、撫子が泣き止むまで、藤花と紅鏡は寄り添っていた。
幸いなことに、日が落ちても姦しい使用人達は来なかった。
昨日の件で、恐れを為したのかもしれない。
撫子の精神衛生上、二度と来てほしくない所存。
あれから、泣き止んだ撫子は芋粥を美味しそうに食べて、組紐編みに取り掛かった。
藤花に任せてゆっくりしていればいいのに――と思うが、今まで続けていた習慣を止めるのは、気が引けたのだろう。
その代わり、彼女が編むのは三本だけ。
彼女の健康が損なわれない程度に――紅鏡の助言に従った形である。
『それに、全ておんしが編めば、天津の輩共が霊力の違いで文句を言うかもしれぬ。ちび姫のを混ぜてごまかしておけ』
聞けば、昨日来た青柳は、組紐に込められた霊力を探っていたのだろうとのこと。
だから藤花の方を見ていたのかと察した。
紅鏡の見立てでは、撫子には霊力が無い――のではなく、何らかの原因によって、生み出した霊力が体に蓄積せずに消えているとのこと。
『体質か、呪術の類かは分からぬがな』
そうぼやいた猫曰く、まずは気力や生命力を充実させることが先決らしい。
即ち、健康だと藤花は理解した。
健康な体には、食事、睡眠、そして運動。
「わ、私・・・・・・穢れから身を守るために、あまり外へ出てはいけないと言われて・・・・・・」
「なに、世界は不浄に満ちているのだ。触れずに生活していると、本当に抵抗する力がなくなるぞ」
紅鏡に促され、おそるおそる庭に出た撫子は、夕日を見上げて眩しそうに眼を細めていた。
藤花が女学校でしていた簡単な体操を一緒に行い――途中で撫子の腹が可愛い音を鳴らしたので、頬を染めた彼女のために夕飯の支度をした。
干物を混ぜ込んだ小さなおにぎり二つと、大根の味噌汁。
あまり贅沢な食卓ではないが、撫子はそれを喜んで食べて、温かい風呂に入って床に就いた。
さて自分も風呂に入ろうか、と藤花が考えていた時――
「ごめんください」
という聞き慣れた声が外からする。
(あら、昨日の人かしら)
また撫子に用なのか・・・・・・来るならもっと早い時間に来たらいいのに・・・・・・と重い腰を上げる。
気配を察していたらしく、紅鏡は既に外へと出ていた。
門扉の上から外を覗き、何故かにやにやと笑っている。
「面白いことになっているぞ」
「・・・・・・え?」
何か面倒なことが、と恐る恐る門扉を空ける。
「・・・・・・また夜分に申し訳ありません」
そこには、昨日見た青柳の姿。
今日は些か困惑している様子が見受けられた。
彼の後ろには、複数の男達の姿。
すわ増援か、と警戒したが――
「藤花嬢、久し振りですなぁ」
男の一人が言うように、筋骨隆々の逞しい姿には、見覚えがある。
(この人達って、もしかして・・・・・・)
男達が左右に分かれると、奥には待ち望んでいた御方。
薄墨色の詰襟を纏う、その凛々しい立ち姿は――
「待たせて申し訳ないな、藤花さん」
「葵様!」
朝に電報を出して、『その内返事をいただけたらいい』と気長に待つ予定であった、霜凪葵の姿であった。
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