清く、正しく、たくましく~没落令嬢、出涸らしの姫をお守りします~

宮藤寧々

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第一章 或る令嬢の没落

九、お釣りは大事なので

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 御笠ホテルは、広大な庭園を有している。
 かつて栄えた門跡寺院を整えた名勝を望む喫茶室で、藤花は優雅に茶を楽しんでいた。
「はぁ・・・・・・」
 苦みだけでなく、舌で感じる仄かな甘さ。
 高いお茶はいい。

 霜凪葵の手配により、大輔とひばりの『不貞』を披露された後、錯乱した藤花は休憩を取るよう勧められた。
 代金は気にしなくていい――と頭を掻く葵の好意に甘え、高いお茶と贅沢な甘味の数々を味わっていた。

 藤花の婚約は、氷室家有責で破棄することが確定。
 賠償等の諸々は弁護士間で話し合うことになり、氷室夫妻も早々に退散した。

 大輔とひばりは、まだ二人で包まれたまま。
 氷室家と鹿島家の関係者に説明が必要だろうと、あのままの状態で連れていかれたのだ。
 再び男達に担ぎ上げられる際、大輔は藤花に縋るような視線を向けていた――と紅鏡は言っているが、藤花としては視線も合わせたくない。
 むしろ同じ空気を吸いたくない。

 そういう訳であり、不埒な神輿の記憶を忘れるように、茶と菓子を煽っていた。
「ほんに厚かましいな、おんしは」
 藤花の隣で寝転ぶ紅鏡は、呆れたような目つきをしていた。
「食べられるときに食べないと」
 やはり紅鏡の姿は、藤花以外に見えていないらしい。
 部屋の隅に控える給仕に聞かれぬよう小声で答えた。
 最中に団子、焼き菓子、果物――全てが美味しすぎる。
 今まで女給として勤めてきた藤花にとって、憧れの贅沢であった。
「まあ、今までが清貧すぎたんだ。これぐらい食べても罰は当たらんか」
 紅鏡はそう呟くと、焼き菓子の一つに前脚を伸ばす。
 器用に掴むと、一口で頬張った。

「・・・・・・猫って、人間の食べ物いいの?」
「我をただの猫扱いするな。何でも食べられるいい子だぞ?」
「じゃあ、御夕飯はだしがらでいいわね」
「出汁の方を寄越せ」

 ひと段落付いた気の緩みもあり、紅鏡と軽口を交わしながら茶を堪能すること暫し――

「藤花さん」
 弁護士を連れた葵が、喫茶室に入って来た。
「葵様、それに先生も」
 立ち上がり、頭を下げようとする藤花を、葵が制する。
「いやぁ、先程は申し訳なかった。若いお嬢さんには刺激が強すぎたな」
「貴女はもう少し慎みを持ってください」
 妙齢の女性に見える葵は豪快に笑い、それを横目に弁護士が溜め息を吐いていた。
「・・・・・・でも、葵様のおかげで、向こうも言い訳できなかったし・・・・・・先生も、本当にありがとうございました」
 藤花は、改めて頭を下げた。


『婚約を破棄したい』
 墓地で自分の事情を説明し、大輔の手紙を見せた時、葵は身内のように怒ってくれた。
 藤花が握りつぶした手紙を更に握りつぶし、『私が力になろう』と言ってくれた彼女のおかげで、此度の話が纏まった。
 霜凪家所以の弁護士を呼び、更には氷室家の不義理の証拠の数々を集める手伝いをしてもらい、本当に感謝しかない。


「では、今日はこれで。また連絡しますので」
「はい、ありがとうございました」
 弁護士の乗った自動車が見えなくなるまで頭を下げる。
 そして、晴れ晴れとした気持ちで顔を上げた。
(次は廃爵と、屋敷の売却の手続きね・・・・・・弁護士の先生が引き受けてくださるらしいから、私は家の片付けと・・・・・・)
 やることは多いが、未来が、少し明るくなった気がする。

「藤花さん、少しいいだろうか」
 帰り支度を始めた藤花に声を掛けたのは、葵であった。
「少し、頼みがあるんだがいいだろうか」
「頼み? 喜んで!」
 命を助けたお礼にしては、十分すぎる程良くしていただいている葵の頼みである。
 内容を聞かずとも承諾するしかない。
「・・・・・・そう言ってもらえると助かるよ」
 藤花の勢いに驚いたのか、葵は苦笑する。
 次いで、頬を少し染めた。
「私の・・・・・・婚約者に会ってほしい」
「・・・・・・まぁぁぁぁ!」
 格式高いホテルにいることも忘れて、思わず声を上げていた。


「彼は体が少し弱くてね、申し訳ないが部屋まで来てほしい」
 葵の後に続き、緊張しながらも奥へと進む。
 眩い大理石の壁に、舶来物の分厚い絨毯――今までお目にかかったことのない、贅を尽くした内装に、いかにもお金をかけてそうな家具や調度品。
 貧乏令嬢にとっては、歩くだけで肩の凝りそうな空気。

「婚約を破棄したばかりの藤花さんに失礼かと思ったのだが・・・・・・時間がなくて」
「いえいえ、どうか気になさらないでください」
 先程の照れた表情は、まさに乙女そのもの。
 詰襟を着こなして凛々しい振る舞いをする彼女に、そんな表情をさせる婚約者とは、どんな人間なのか――藤花の心は好奇心に満ちていた。
(普段は格好いい葵様の婚約者だもの、もっと勇ましい方なのかしら・・・・・・)
 彼女が普段引き連れている男達を合体させたような姿を想像しながら歩いていると、葵の足が止まる。

「此処だよ」
 葵が扉を叩く。
「良夜さん、入っていいか」
「どうぞ」
 葵の呼び掛けに答える声は、想像よりも柔らかかった。

「し、失礼します」
 恐る恐る足を踏み入れた藤花の目に飛び込むのは、やはり豪華な内装と家具。
 そして、部屋の奥にある大きな寝台に腰掛ける人物があった。
 少し垂れ気味の大きな瞳に、細い鼻筋。
 肩まで伸ばしている濃茶の髪が、さらさらと揺れる。
「貴女が藤花さんですか?」
 薄い唇から紡がれる声は、か細くて儚い。
「私は天津良夜といいます。そちらの、葵さんの婚約者にあたります」

「あ、天津家の御方でござりましたかっ」
「落ち着いて、藤花さん」
 四大名家の名を聞き、体が勝手に反応する。
 慌てて寝台の前で平伏しそうになった藤花を止めたのは葵であった。
「・・・・・・本当に溌剌としたお嬢さんだ」
 手を口元に宛てて微笑む良夜の姿は、深層の令嬢のようにたおやかで。
 血色の悪い肌や、着物や毛布を何層も纏って寝台にいる姿を見るに、『少し』体が弱いどころではなさそうであった。

(こんな方が、私なんかに何の用かしら?)
 葵の『命の恩人』ではあるが、本来なら縁もゆかりもない子爵令嬢。
 疑問に思う藤花を、良夜はまじまじと見つめている。
「確かに、葵さんの言う通りのようだ・・・・・・微かだけど、霊力を感じる・・・・・・それに、何か、大きな力も・・・・・・」
 誰に向けたものでもない呟きに、紅鏡の尻尾がぴくりと揺れる。

 暫し藤花を見た後、良夜は葵に向かって軽く頷く。
「彼女に決めた」
「ああ」
(何を?)
 婚約者同士が会話する姿を見て、藤花は内心首を傾げる。
「藤花さん、頼みがあります」
「は、はい」
 名を呼ばれて、慌てて背筋を伸ばす。
 高貴な方からの頼み――恐ろしいが、興味もある。
「貴女に・・・・・・」
 良夜は少し躊躇う様子を見せたが、意を決したように、大きく息を吐く。

「貴女に、妹の世話をしていただきたいのです」
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