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第一章 或る令嬢の没落

五、そして運命が動く

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「お父様、お母様、お許し下さい」

 藤花が向かった先は、両親の眠る高鴨家の墓であった。
 跪き、目を閉じて語るのは、謝罪の言葉。

「お父様達が纏めてくださった縁談ですが、私には受け入れる事ができそうにありません」
 両親の遺言を糧に生きてきたが、流石に、藤花には我慢がならなかった。
 家の存続の為に婿と妾を迎え、妾の子を後継に据えるなど――

「高鴨の名をこれ以上汚さないために、私の代で終わりにします」

 さっさと廃爵しよう――藤花の思いはそれだけであった。
 大輔の思う通りにさせてなるものかと、躍起になっていた。

「責任を取って、私は腹を切ります」
 両親もいないし、婚約者にも裏切られた。
 学校を辞めてから、頼れる友人もいない。
 もはや、この世に未練はなかった。

「お父様、お母様、どうか私の覚悟を見守って――」
「おんし、そう早まるでないぞ」
 聞き覚えのある声に、思わず目を開ける。

「その才、失うには惜しい」
 男とも女ともつかない、しわがれた声――その持ち主は、藤花の眼前にいた。
 高鴨の名と、下り藤を取り入れた家紋が刻まれた墓石。
 それに寄りかかるようにして、立っている存在があった。

「えっ」

 柔らかい、短めの黒い体毛。
 後ろ脚を真っすぐ伸ばして立ち、二本の前脚は胸の前で組んでいて。
 爛々と此方を見つめる瞳は、夕日のように赤い。
 藤花の目に映るそれは、紛れもなく――

「ね、猫ぉ!?」
 衝撃的な光景に、思わず叫び声を上げていた。


「ああ、そうとも。吾輩は――」
「うそぉ、幻覚かしら」
 藤花は始め、自分の目か頭を疑った。
 最近、まともな食事をとれていなかったので、栄養不足の類かと。

「あら、柔らかい」
 触ってみれば煙のように掻き消えるのでないか――そう思い手を伸ばすが、もふりとした感触が残るのみ。
「いいもの食べてるのねぇ・・・・・・」
 脚も、胴体も、耳も、ふわふわで触り心地がいい。
 自分の髪よりも艶やかで柔らかで、ちょっと羨ましい。
「肉球は大きめなのね」
 両の前脚を握手するように掴んでみれば、ふにふにとした感触が気持ちいい。
「やだかわいい・・・・・・どうしよう・・・・・・かわいい・・・・・・」
 先程までの怒りや悲しみを忘れ、猫の温もりを堪能していたが――
「話を聞け」
「うぅ」
 しびれを切らしたらしい猫に、両頬を叩かれた。
 しかも、二本の尻尾を器用に操って。

(尻尾・・・・・・尻尾が二本?)
 猫が二匹も――と思ったが、どうやら二本の尻尾が生えている様子。
「あれかしら・・・・・・猫又とか、火車とか・・・・・・」
 藤花の知る猫とは違う出で立ちを見て、知っている妖怪の名を列挙する。
 そのような類は、藤花も伝奇や言い伝えでしか知らないが。
(これは悪い妖怪なのかしら?)
 しかし、相手は藤花の呟きを聞いても、軽く鼻を鳴らすだけであった。
「人間はすぐ分類したがる・・・・・・」
「う、うん」
 猫にしろ犬にしろ、あれこれと品種を名付けても、当人(?)達にとっては、関係ないのだろう。
「そちらの括りに合わせるつもりは無い。吾輩は猫である。ただ長生きしただけの猫だ」
 そう言うと、黒猫は身を屈めて四本脚となった。
(立ちっぱなしは疲れるのかしら)
 そんな余計な事を考えつつも。
「その・・・・・・それで、そのご長寿さんが、うちのお墓でどうしたの?」
 自分の決意を引き留めた猫に、目的を尋ねてみた。

「おんしに、いい話をしてやろうと思ってな」
「え、いい話? 儲かるの?」
 貧乏令嬢は、お金の話に弱い。
 思わず猫の両肩を掴むも。
「落ち着け」
「うぅ」
 再び、両頬を叩かれた。


「ある所に女がいた」
 両親の墓の前で正座し、猫の語りを聞く――正気を疑われそうな体験である。
「美しい女だ。神職の家系に生まれ、ある華族の家に嫁いだ」
(・・・・・・お母様みたい)
 藤花の脳裏に浮かぶのは、亡き母の姿。
 嫁いできた経緯も似ているし、そして、近所でも評判の美人であった。
「生まれつき体が弱くてな、それでも子を望み、一人娘を産んだ」
(お母様も、よく体調を崩されていたわ・・・・・・)
「女は幸せであった。夫となる者も大層喜んで、家の象徴となる花の名を授けた」
 藤花の目に、墓に刻まれた家紋――下り藤が映る。
「藤は災いを払い、幸福を呼ぶ花。願いが込められた名だ」

(お父様・・・・・・)
 父は口数の少ない人だった。
 大輔との婚約が決まってからは、『大輔君がいれば安心だ』『彼を頼りなさい』としか言わなかったため、距離を置いていた。
 高鴨家の存続にしか興味が無く、娘の藤花より婿の大輔の方が大事なんだ――幼い時からそう思っていたけれど。
 藤棚が見頃の季節になると、必ず近所の大社へお参りに連れて行ってくれた。
 花が良く見えるようにと、小さい藤花を抱き上げていた父は、優しい笑顔をしていたのに・・・・・・。
 今まで、そんな大事な思い出を、忘れてしまっていた。

「ある時、夫が死に、女は悲しんだ」
 猫が語るのは、やはり母の生涯。
 藤花の父も事故で急逝してしまった。
「さらに女の体調は悪化し、後を追うように死んだ。娘を残していくことを悔いながらな」

『大輔さんのいう事を聞いて――』
 母の今際の言葉を思い出す。
 自分は、母の遺志をちゃんと受け取っていなかったのだろうか。
 もし、続きを聞く事ができていたら、藤花はどのように生きていただろうか。

「女は死した後も嘆き続けた。日に日にやせ細る娘を憂い、娘の婚約者を恨み――」

 そこで、猫がにやりと笑う。
 目を細め、牙を剥き出しにする姿は、災いを招く妖怪のようであった。
「その嘆きは、良くないものを呼んだ」
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