黒しっぽ様のお導き

宮藤寧々

文字の大きさ
上 下
11 / 30

11、猫の手ならあるのですが

しおりを挟む
 この時、私は黒一色の尼僧服を纏っておりました。
 ベールを外していた姿は、『庭園を見に来たお嬢さん』ではなく、『下働きの女』に見えてもおかしくなかったのでしょう。


 私を宮殿近くに引っ張ってきた女の人――ハンナさんに、私は自分の事情を説明しました。
 怯えや驚きで声がうまく出ず、『頼まれた書類を届けに来た』ということしか伝わりませんでしたが・・・・・・。

 そんな私の申し開きを聞いたハンナさんは――

「何だい、あんたは今日からの新人かい!? じゃあ、これを付けておきな!」
 と、私に白いエプロンとブローチを渡してくれました。
 ブローチには国の象徴である鷲が彫られていて・・・・・・これは、王宮に勤める庶民が付ける物だそうです。
 これを付けていると、宮殿にも入ることができるそうですが・・・・・・そんな大事なものを、素性の知らない女に渡しても大丈夫でしょうか?


「どいつもこいつも、すーぐ男ひっかけてやめやがって!」
 私は、ハンナさんの言葉を聞きながら、干されているシーツを取り込んでいました。

「王様が若い女に入れ込んだせいで、この国は駄目になっちまった」
 宮殿から少し離れているとはいえ、同じ敷地内・・・・・・このようなことを大声で言っていて、大丈夫なのでしょうか?

「あの王妃様は、贅沢と男侍らすことしかできない愚かな女だよ・・・・・・使用人達の質も、すっかり下がっちゃってさぁ」

 ハンナさんは、王宮で長きに渡って洗濯番を務めてきたそうです。
 でも、近年の王宮騎士は、見た目を第一に採用されることが多く、洗濯係の女中達も騎士達に夢中になって仕事を放棄することが多いと嘆いておられました。
 そんな事情もあって、誰でもいいから新しい女中を募集していたようです。


「おや、もう終わったのかい? 人手があると助かるねぇ」
 かなりの量のシーツでしたが、ハンナさんと二人で取り込み、仕分けることができました。
 やはり、洗濯番として経験を積まれてきた方・・・・・・口の何倍も手が早いです。
 このような方が屋敷の使用人にいてくれたら、心強いのでしょうね。

「じゃあ、これを運んでくれ」
「は、はい・・・・・・?」
 私は宮殿を歩いたことが無いのですが・・・・・・『歩いて覚えてこい』と、背中を叩かれてしまいました。


 ・・・・・・どうして、私は、このようなことになったのでしょう?
 ただ旦那様に書類を届けに来ただけなのに、何故か洗濯女中となって宮殿を歩いています。
 シーツの籠を抱えて、ハンナさんが書いてくれた地図を見ながら目的地を探します。
 泊まり込みで務める使用人達の宿舎と、警備の騎士隊の詰所・・・・・・そんなに複雑な経路では無いようで、安心しました。

 宮殿の内部は、外壁に負けずぴかぴかと輝いていて。
 精巧な細工が施された壁や柱に、高級そうな調度品・・・・・・貴族の邸宅よりも、遙かに豪華な内装に圧倒されそうです。

 そんな宮殿内を歩いている方々も、眩しく見えてしまいます。
 貴族や騎士、正装した御令嬢・・・・・・私と同じようなエプロンを身に着けた使用人も、皆が凛々しい佇まいで・・・・・・。
 そんな中で、ただ一人、潜り込んだ私は、自分がとてもみっともなく思えて・・・・・・洗濯籠で顔を隠しながら歩くことしかできませんでした。
 幸いなことに、隅を歩く女中など、誰も気に留めることはありません。

「あ、あの、シーツを届けに・・・・・・」
「そこに置いて」
 目的地に着いた時、どう声を掛けたものか緊張しましたが、向こうにとってはいつものことだったのでしょう。
 示された場所にシーツの束を置き、私は足早に去りました。


「ああ、終わった・・・・・・」
 予定通りにシーツを運ぶことができて、些か私の気分も明るくなっていました。
 空になった籠は、私の心も体も軽くしてくれて――

「まあ」
 少し弾んだ足取りでハンナさんの元へ帰ろうとしていた私は、見覚えのある後ろ姿を見つけて足を止めました。
 ふわふわした金茶色の髪と、黒い騎士服――あれは、私の旦那様ではないでしょうか・・・・・・?
 見つからないように、私は、咄嗟に柱の陰に隠れました。

 旦那様は、封筒を小脇に抱えながら廊下を歩いておられて・・・・・・あれは、私が託した書類でしょうか?
 無事に届いたようで安心いたしました。

 今日の旦那様の後ろ姿は、以前のような危うさは無く、しっかりとした足取りで。
 以前見た時には、お疲れが溜まっていたのでしょうか・・・・・・?

 そのように、旦那様の後ろ姿をまじまじと見ていると、前方から飛び込んでくる影がありました。
「あ、危ない!」
 私は思わず声を上げてしまいましたが、旦那様は後ろを振り向くことなく、その影を片手で受け止めました。
 まったく揺らぐことのない後ろ姿・・・・・・さすが強い騎士様です。

 旦那様に倒れてきた影は、ふんわりとしたドレスを着た、若いお嬢さんのようでした。
「大丈夫か?」
「あ、あの、気分が悪くなってしまって・・・・・・」
 旦那様の問いに、女性は上擦った声で答えています。
 遠目から分かる程に上気した頬に、荒い息・・・・・・大層お加減が悪いのでしょう。
「どこか、休憩できる場所に・・・・・・」
 女性の頼みに、旦那様は、困ったように周囲を見渡します。
 私達がいる廊下では、幾人かの人々が行き交っているのですが、皆様お忙しいのか、そそくさと立ち去って行きます。

 旦那様一人で、女性の介抱は難しいのでしょう。
 ああ、私が手助けせねば・・・・・・と思っても、足が竦んで動くことができません。
 私は、何て不甲斐ない妻なんでしょうか・・・・・・。

「にゃぁ」
 そんな私の目の前で、白い塊が動きました。
 天啓のように、空から降るその塊は――旦那様の肩へと降り立ちました。
 白くて小柄な猫・・・・・・私の知り合いの『ほうき星』です。

 高い所から飛び降りるのが好きな猫で、幼い頃からその姿をよく見かけておりました。
 今も、宮殿の柱に上って遊んでいたのでしょう。

「ああ、また猫か」
 そんな『ほうき星』が肩に乗ろうとも、旦那様は平然としておられます。
 対して、旦那様に掴まっていた女性の方は――

「ひぃやぁぁぁぁっ!」
 とてつもなく大きな悲鳴を上げて、走って行かれてしまいました・・・・・・。
 ドレスの裾を翻して疾走する姿を、皆様が目を丸くして見ています。
 ああ・・・・・・猫が驚かせてしまって、申し訳ありません・・・・・・。
 でも、走る元気が出たようで安心しました。

「お前、すごいな」
 旦那様の方は、『ほうき星』の喉を撫でておられます。
 固く結ばれた口元を開いて笑う姿――
 ちらりと見えた横顔に、胸がきゅっとなって、私は柱の陰で蹲りました。

 旦那様・・・・・・猫にも、あんなお優しいなんて・・・・・・。
 私は、愚かにも、あの方なら私の体質も受け入れてくれるかもしれないと、浅ましい希望を抱いてしまったのです。
 でも、こんな、醜い女が、お飾り妻以上の立場を望んではいけないのです・・・・・・。

 柱の陰で思い悩む姿は、大層怪しく見えたのでしょう。
「君、何を・・・・・・」
「ひ、ご、ごめんなさぁい!」
 知らない人に声を掛けられて、私はその場から逃げ出しました。


「おや、随分迷ったんだねぇ!」
 帰って来た私を見て、ハンナさんは大きく口を開けて笑っていました。
 申し訳ありません・・・・・・旦那様と猫を見ていました・・・・・・。

「まあ、あんたはよく働いてくれそうだし。明日からも頼むよ!」
「は、はい・・・・・・え?」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ご令嬢は異世界のPCライフを楽しみたい為に、辺境伯爵のお飾り妻になります。

花かつお
恋愛
異世界のご令嬢ルイナアリアテーゼ・バスダビルは、召喚の魔方陣で地球の時代遅れの廃棄処分予定のパソコンを召喚してしまう。異世界に来たパソコンのヘルプ機能は喋りだし、ご令嬢の楽しいPCライフが始まるのだった。ある日、ネットの検索機能で自分の名前を検索したら乙女ゲームをモチーフにしたネット小説の悪役令嬢に勘違いされた不幸なキャラクターと同姓同名、そして5人に1人はいる自称ヒロイン達に断罪されそうになるが周りに助けられて、何故か第4王子と婚約する未来だとヘルプ機能に予測された主人公はそんな未来を回避するために仕事人間の辺境伯爵に嫁いで“お飾り妻”になると決心する! そして、旦那様がいない間に妻が好き放題に領地を現代知識と魔術でチートしちゃう物語(短編)です。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

【完結】お見合いに現れたのは、昨日一緒に食事をした上司でした

楠結衣
恋愛
王立医務局の調剤師として働くローズ。自分の仕事にやりがいを持っているが、行き遅れになることを家族から心配されて休日はお見合いする日々を過ごしている。 仕事量が多い連休明けは、なぜか上司のレオナルド様と二人きりで仕事をすることを不思議に思ったローズはレオナルドに質問しようとするとはぐらかされてしまう。さらに夕食を一緒にしようと誘われて……。 ◇表紙のイラストは、ありま氷炎さまに描いていただきました♪ ◇全三話予約投稿済みです

王太子殿下が好きすぎてつきまとっていたら嫌われてしまったようなので、聖女もいることだし悪役令嬢の私は退散することにしました。

みゅー
恋愛
 王太子殿下が好きすぎるキャロライン。好きだけど嫌われたくはない。そんな彼女の日課は、王太子殿下を見つめること。  いつも王太子殿下の行く先々に出没して王太子殿下を見つめていたが、ついにそんな生活が終わるときが来る。  聖女が現れたのだ。そして、さらにショックなことに、自分が乙女ゲームの世界に転生していてそこで悪役令嬢だったことを思い出す。  王太子殿下に嫌われたくはないキャロラインは、王太子殿下の前から姿を消すことにした。そんなお話です。  ちょっと切ないお話です。

【完結】傷物令嬢は近衛騎士団長に同情されて……溺愛されすぎです。

早稲 アカ
恋愛
王太子殿下との婚約から洩れてしまった伯爵令嬢のセーリーヌ。 宮廷の大広間で突然現れた賊に襲われた彼女は、殿下をかばって大けがを負ってしまう。 彼女に同情した近衛騎士団長のアドニス侯爵は熱心にお見舞いをしてくれるのだが、その熱意がセーリーヌの折れそうな心まで癒していく。 加えて、セーリーヌを振ったはずの王太子殿下が、親密な二人に絡んできて、ややこしい展開になり……。 果たして、セーリーヌとアドニス侯爵の関係はどうなるのでしょう?

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

お飾り妻は離縁されたい。※シルフィーナの一人称バージョンです

友坂 悠
恋愛
同名のタイトル作品、「お飾り妻は離縁されたい」の主人公、シルフィーナの一人称バージョンになります。 読み比べて下さった方、ありがとうございます。 ######################### 「君を愛する事はできない」 新婚初夜に旦那様から聞かされたのはこんな台詞でした。 貴族同士の婚姻です。愛情も何もありませんでしたけれどそれでも結婚し妻となったからにはそれなりに責務を果たすつもりでした。 元々貧乏男爵家の次女のわたくしには良縁など望むべくもないとは理解しておりました。 まさかの侯爵家、それも騎士団総長を務めるサイラス様の伴侶として望んで頂けたと知った時には父も母も手放しで喜んで。 決定的だったのが、スタンフォード侯爵家から提示された結納金の金額でした。 それもあってわたくしの希望であるとかそういったものは全く考慮されることなく、年齢が倍以上も違うことにも目を瞑り、それこそ父と同年代のサイラス様のもとに嫁ぐこととなったのです。  何かを期待をしていた訳では無いのです。 幸せとか、そんなものは二の次であったはずだったのです。 わたくしの人生など、嫁ぎ先の為に使う物だと割り切っていたはずでした。 女が魔法など覚えなくともいい それが父の口癖でした。 洗礼式での魔力測定ではそれなりに高い数値が出たわたくし。 わたくしにこうした縁談の話があったのも、ひとえにこの魔力量を買われたのだと思っておりました。 魔力的に優秀な子を望まれているとばかり。 だから。 「三年でいい。今から話す条件を守ってくれさえすれば、あとは君の好きにすればいい」 とこんなことを言われるとは思ってもいなくて。 新婚初夜です。 本当に、わたくしが何かを期待していた訳ではないのです。 それでも、ですよ? 妻として侯爵家に嫁いできた身としてまさか世継ぎを残す義務をも課されないとは思わないじゃ無いですか。 もちろんわたくしにそんな経験があるわけではありません。 それでもです。 こんなふうに嫁ぐ事になって、乳母のミーシャから色々教えて貰って。 初夜におこなわれる事についてはレクチャーを受けて、覚悟してきたのです。 自由な恋愛など許される立場ではなかったわたくしです。 自分の結婚相手など、お父様が決めてくる物だとそう言い含められてきたのです。 男性とそんな行為に及ぶ事も、想像したこともありませんでした。 それでもです。 いくらなんでもあんまりじゃないでしょうか。 わたくしの覚悟は、どうすればいいというのでしょう?

忌むべき番

藍田ひびき
恋愛
「メルヴィ・ハハリ。お前との婚姻は無効とし、国外追放に処す。その忌まわしい姿を、二度と俺に見せるな」 メルヴィはザブァヒワ皇国の皇太子ヴァルラムの番だと告げられ、強引に彼の後宮へ入れられた。しかしヴァルラムは他の妃のもとへ通うばかり。さらに、真の番が見つかったからとメルヴィへ追放を言い渡す。 彼は知らなかった。それこそがメルヴィの望みだということを――。 ※ 8/4 誤字修正しました。 ※ なろうにも投稿しています。

処理中です...