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小鳥は初恋の熱に殉じる
2、地獄に一番近い場所で
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ぷらり、ぷらりと、吊り縄が揺れる。
窓から見える場所に設けられた絞首台は、自分を縊り殺してやりたいという、公王の心の表れで。
そんな憎しみに溢れた光景を眺めながら日々を過ごし――気付けば、十日以上が過ぎている。
鉄格子がはまる窓に肘をつき、マドレーヌはふうと溜め息を吐いた。
『思っていたのと違う』
彼女の内心は、戸惑いと疑問に満ちていた。
およそ一年前――
公王の最愛、アレクシア・アズールを害した罪で、マドレーヌは公都の貴族牢に収監された。
国を統べる三公爵家と、諸国同盟から派遣された審問官の協議は長きに渡り、その間もマドレーヌは牢の中で過ごしていた。
厳しい尋問と審問を受ける間、マドレーヌの心にあった願いは、『罪人として処刑される』ことだけ。
無論、マドレーヌは只の非力で小心者な伯爵令嬢で。
アレクシア公爵令嬢を害そうなどと、大それたことを思ってはいない。
ただ、アレクシアが姿を消した状況から、一番疑わしい存在はマドレーヌだけだったのだ。
この国の要である公王陛下の心を守るため、自分が処刑されるのが、一番丸く収まる・・・・・・マドレーヌはそう思っていたし、他の者も同様だろう。
マドレーヌを愛してくれる両親だけは、娘の無罪を固く信じ、審問の場でも訴え続けたが、ただの虚言と相手にされなかった。
政敵にあたるアズール公爵家の娘が公妃になることをよく思わず、寄親のフラウム公爵家と共に小賢しい妨害を続けていたのだ。
その娘が悪事を働いても不思議ではないだろう――マドレーヌが収監された当初より、皆が納得していた。
マドレーヌの父親であるランジュ伯爵も、まさか自分が企んだ嫌がらせが、ここまで大事になるとは思っていなかったのだろう。
(なぜ陛下の憎しみを受けることを覚悟せずに、あのようなことが出来るのでしょう・・・・・・)
審問の場で父の憔悴しきった容貌を盗み見ながら、マドレーヌは内心呆れたものだ。
きっかけは、小さな悪意からだった。
マドレーヌを含む幾人かの貴族令嬢達が、隣国へ向かう使節団に参加する機会があったのだ。
隣国の姫と歳が近いマドレーヌ達が対話し、互いの言語や文化を学ぶ・・・・・・そんなささやかな交流の場に、急遽アレクシア・アズールの参加が決まった。
マドレーヌ達とは五歳以上も離れた公爵令嬢、そして当時から公王の最愛と大事にされている彼女への対応に、令嬢達は難儀した。
そして、令嬢達よりも不快に思っていたのが、使節団を取りまとめていたランジュ伯爵達であった。
普段より気を遣わされている女に煩わされた伯爵は、アズール公爵への意趣返しも込めて、アレクシアへささやかな嫌がらせをした。
使節団が宿泊所として借りたのは、隣国の貴族が所有していたタウンハウスであった。
しかし、『急な参加で部屋が無い』と嘯き、アレクシアを安宿へ放り込んだのだ。
ランジュ伯爵としては、使用人もいない粗末な部屋で、一晩惨めに過ごせばいい――その程度の思いだったのだろう。
マドレーヌは父の行いに動揺し、気付けばタウンハウスを飛び出していた。
少し離れた安宿に駆け込み、悠然と腰掛けていたアレクシアに頭を下げたのだ。
しかし、そんなマドレーヌを見ても、アレクシアはにっこりと微笑んでいて。
『お茶でもいかが?』と来客に振る舞う余裕さえ見せてのけたのだ。
アレクシア・アズールは、ふわふわとした柔らかく波打つ赤毛と、大きな紫紺の瞳を持つ、愛らしい女性だった。
二十を越え、とうにデビュタントを済ませた女性であったが、リボンとフリルを多用したドレスは小柄な彼女によく似合っていた。
マドレーヌよりも背は低いのに、体の線はマドレーヌよりもはっきりとしており、少女の可憐さと大人の妖艶さを醸し出した姿は、蠱惑的で。
公王陛下が一目見た時から『最愛』と囲い込むのがよく分かる魅力を、同性のマドレーヌも感じていた。
アレクシアは見た目だけではなく、内面も優れた女性であった。
公爵令嬢として高い水準の作法や教養を身に着け、公王と出会うまでは、いつも人の輪の中心にいた。
公王に見初められ、行動を共にするようになってからは、誰もが遠巻きにその姿を見ることしか出来なくなったが。
独占欲に近い公王の愛情、最愛という立場や公妃の位を狙う女性達からの嫉妬、政敵達の悪意・・・・・・あらゆる感情に晒されながらも、アレクシアは花のような笑顔を崩さす、常に美しく可憐であり続けた。
強き王に真摯に愛される、ただ一人の女性――まるで物語の主人公かのようなアレクシアに憧れる少女も多数いて、マドレーヌもその一人だった。
政敵という関係にあるため、デビュタントを済ませていないマドレーヌでは近付くことも許されなかったが、彼女が書かれた公布や大衆紙を集め、ひっそりと二人の恋物語を想像したものだ。
一年ほど前、使節団にアレクシアが参加すると決まった時、実は内心喜んでいたのだ。
食事の場で愚痴を零す父を横目に、彼女のドレスや彼女との会話をあれこれ想像して思いを馳せていた。
しかし、現実は残酷なもので――
父がアレクシアに仕出かした無礼の所為で、彼女との関係は破綻し、父の罪を背負う形で収監された。
あの日のことを、マドレーヌは鮮明に覚えている。
椅子や机すらない、狭い安宿の一室で、マドレーヌとアレクシアは茶会を開いたのだ。
狭い寝台で横並びに座り、ひびの入ったカップ片手に言葉を交わし・・・・・・彼女の言葉を、マドレーヌは今でも思い出せる。
茶を零して胸元が濡れたマドレーヌに、アレクシアは自分のドレスを貸してくれたのだ。
彼女が予備に持参していた、一人でも着られる簡素なドレス――それでも、華美な装飾が施されたドレスを着るのに難儀した。
マドレーヌが着替えを終えた頃、気付けばアレクシアの姿が消えていて、安宿は炎に包まれていた。
周囲の人々によって消火活動が為されたが、古い建物はあっというまに燃え尽きてしまった。
生き残った客の中にアレクシアは確認できず、遺体も見つからなかった。
残っていたのは、アレクシアのドレスを着た別人だけ――
公王がその報せを聞き、激昂するまでに、そう時間は掛からなかった。
窓から見える場所に設けられた絞首台は、自分を縊り殺してやりたいという、公王の心の表れで。
そんな憎しみに溢れた光景を眺めながら日々を過ごし――気付けば、十日以上が過ぎている。
鉄格子がはまる窓に肘をつき、マドレーヌはふうと溜め息を吐いた。
『思っていたのと違う』
彼女の内心は、戸惑いと疑問に満ちていた。
およそ一年前――
公王の最愛、アレクシア・アズールを害した罪で、マドレーヌは公都の貴族牢に収監された。
国を統べる三公爵家と、諸国同盟から派遣された審問官の協議は長きに渡り、その間もマドレーヌは牢の中で過ごしていた。
厳しい尋問と審問を受ける間、マドレーヌの心にあった願いは、『罪人として処刑される』ことだけ。
無論、マドレーヌは只の非力で小心者な伯爵令嬢で。
アレクシア公爵令嬢を害そうなどと、大それたことを思ってはいない。
ただ、アレクシアが姿を消した状況から、一番疑わしい存在はマドレーヌだけだったのだ。
この国の要である公王陛下の心を守るため、自分が処刑されるのが、一番丸く収まる・・・・・・マドレーヌはそう思っていたし、他の者も同様だろう。
マドレーヌを愛してくれる両親だけは、娘の無罪を固く信じ、審問の場でも訴え続けたが、ただの虚言と相手にされなかった。
政敵にあたるアズール公爵家の娘が公妃になることをよく思わず、寄親のフラウム公爵家と共に小賢しい妨害を続けていたのだ。
その娘が悪事を働いても不思議ではないだろう――マドレーヌが収監された当初より、皆が納得していた。
マドレーヌの父親であるランジュ伯爵も、まさか自分が企んだ嫌がらせが、ここまで大事になるとは思っていなかったのだろう。
(なぜ陛下の憎しみを受けることを覚悟せずに、あのようなことが出来るのでしょう・・・・・・)
審問の場で父の憔悴しきった容貌を盗み見ながら、マドレーヌは内心呆れたものだ。
きっかけは、小さな悪意からだった。
マドレーヌを含む幾人かの貴族令嬢達が、隣国へ向かう使節団に参加する機会があったのだ。
隣国の姫と歳が近いマドレーヌ達が対話し、互いの言語や文化を学ぶ・・・・・・そんなささやかな交流の場に、急遽アレクシア・アズールの参加が決まった。
マドレーヌ達とは五歳以上も離れた公爵令嬢、そして当時から公王の最愛と大事にされている彼女への対応に、令嬢達は難儀した。
そして、令嬢達よりも不快に思っていたのが、使節団を取りまとめていたランジュ伯爵達であった。
普段より気を遣わされている女に煩わされた伯爵は、アズール公爵への意趣返しも込めて、アレクシアへささやかな嫌がらせをした。
使節団が宿泊所として借りたのは、隣国の貴族が所有していたタウンハウスであった。
しかし、『急な参加で部屋が無い』と嘯き、アレクシアを安宿へ放り込んだのだ。
ランジュ伯爵としては、使用人もいない粗末な部屋で、一晩惨めに過ごせばいい――その程度の思いだったのだろう。
マドレーヌは父の行いに動揺し、気付けばタウンハウスを飛び出していた。
少し離れた安宿に駆け込み、悠然と腰掛けていたアレクシアに頭を下げたのだ。
しかし、そんなマドレーヌを見ても、アレクシアはにっこりと微笑んでいて。
『お茶でもいかが?』と来客に振る舞う余裕さえ見せてのけたのだ。
アレクシア・アズールは、ふわふわとした柔らかく波打つ赤毛と、大きな紫紺の瞳を持つ、愛らしい女性だった。
二十を越え、とうにデビュタントを済ませた女性であったが、リボンとフリルを多用したドレスは小柄な彼女によく似合っていた。
マドレーヌよりも背は低いのに、体の線はマドレーヌよりもはっきりとしており、少女の可憐さと大人の妖艶さを醸し出した姿は、蠱惑的で。
公王陛下が一目見た時から『最愛』と囲い込むのがよく分かる魅力を、同性のマドレーヌも感じていた。
アレクシアは見た目だけではなく、内面も優れた女性であった。
公爵令嬢として高い水準の作法や教養を身に着け、公王と出会うまでは、いつも人の輪の中心にいた。
公王に見初められ、行動を共にするようになってからは、誰もが遠巻きにその姿を見ることしか出来なくなったが。
独占欲に近い公王の愛情、最愛という立場や公妃の位を狙う女性達からの嫉妬、政敵達の悪意・・・・・・あらゆる感情に晒されながらも、アレクシアは花のような笑顔を崩さす、常に美しく可憐であり続けた。
強き王に真摯に愛される、ただ一人の女性――まるで物語の主人公かのようなアレクシアに憧れる少女も多数いて、マドレーヌもその一人だった。
政敵という関係にあるため、デビュタントを済ませていないマドレーヌでは近付くことも許されなかったが、彼女が書かれた公布や大衆紙を集め、ひっそりと二人の恋物語を想像したものだ。
一年ほど前、使節団にアレクシアが参加すると決まった時、実は内心喜んでいたのだ。
食事の場で愚痴を零す父を横目に、彼女のドレスや彼女との会話をあれこれ想像して思いを馳せていた。
しかし、現実は残酷なもので――
父がアレクシアに仕出かした無礼の所為で、彼女との関係は破綻し、父の罪を背負う形で収監された。
あの日のことを、マドレーヌは鮮明に覚えている。
椅子や机すらない、狭い安宿の一室で、マドレーヌとアレクシアは茶会を開いたのだ。
狭い寝台で横並びに座り、ひびの入ったカップ片手に言葉を交わし・・・・・・彼女の言葉を、マドレーヌは今でも思い出せる。
茶を零して胸元が濡れたマドレーヌに、アレクシアは自分のドレスを貸してくれたのだ。
彼女が予備に持参していた、一人でも着られる簡素なドレス――それでも、華美な装飾が施されたドレスを着るのに難儀した。
マドレーヌが着替えを終えた頃、気付けばアレクシアの姿が消えていて、安宿は炎に包まれていた。
周囲の人々によって消火活動が為されたが、古い建物はあっというまに燃え尽きてしまった。
生き残った客の中にアレクシアは確認できず、遺体も見つからなかった。
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公王がその報せを聞き、激昂するまでに、そう時間は掛からなかった。
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