東雲に風が消える

園下三雲

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希望に光る蝶

33.

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 家に帰った頃には随分と時間が経ってしまっていて、目玉焼きは飴狼の腹の中に、ご飯は牡丹がにぎり飯にしてくれた。正直なところ何か食べたいと思える心境ではなかったが、牡丹には「隙を見て食べるよ」と言ってにぎり飯を受け取った。もう、心配をかけたくはなかった。

 いつものように、碧龍から一体ずつ順番に身体に異常がないか確認していく。戦争中のような苦しみ方はもうしてはいないが、しかし皆まだ万全の状態とは言えない。菫烏の膨れた体は元には戻らなかったが、激しく揺れる感情との付き合いは慣れてきたらしく、癇癪を起こすことは殆ど無くなった。

 観察記録をつけた後は、鱗を磨いたり毛並みを整えたりしてやる。戦前は碧龍を牡丹が、松虎と飴狼、菫烏を俺が世話していたが、今は菫烏が牡丹の傍にいる方が落ち着くようなので役割を交換している。

 碧龍の鱗は固い。ゴツゴツとして岩のようで、強くその身を守っているようで格好良い。

 まもる、とは、何なのだろう。

 碧龍の背に寝転がるように頬を寄せる。頬を押すのか押されているのか、逞しい鱗に心が揺れた。きっと同じだと思った。守るとか守られるとか、それは漢字が違っても、潰れる頬と鱗のように表も裏もどちらも無い。どちらでもあってどちらでもないから、きっとそれは些末な事で、そんなことに拘るのは人間の傲慢なのかもしれなかった。

 虚しさばかりがあった。橘は死んだ。神獣を護る為に戦い、神獣を護る為に死んだ。名誉ある、誇り高い死だと言われるのだろう。しかし俺は、その理屈を受け入れられるほど賢くはなかった。もはや悲しみさえ薄く、ただ橘が残していった物を見る度に、重たいだけで形を持たない何かが心に湧いて、胃を押し潰すように沈んでいった。

 神獣はそれぞれ、この国の何かを守護する為に人間の前に現れる。ならば戦争などしなくても、神獣は外つ国になど行かなかったのではないだろうか。もしも外つ国が強引に神獣を連れていこうとしたのなら、あちらには神が罰を当てたのではないか。わざわざ人間が戦争など、する必要があったのだろうか。

 藍栗鼠も死んでしまった。橘が死んだから、死んでしまった。橘の言う「護る」が、例えば今までのようにこの国の神獣がこの国で生きていくことなのだとしたら、橘は、碧龍や松虎、飴狼や菫烏は護ったのかもしれないが、最も大切にしていた藍栗鼠を護ることは出来なかった。

 本当は、本当はただ、戦争がしたかっただけなんじゃないか? 神獣を護るという大義名分を掲げて、正義だなんて二文字で疚しい心を覆い隠して、殴り合いがしたかった。殺しあいがしたかった。それだけじゃないのか?

 そもそも、神獣は、本当に守護してくれているのだろうか。確かに彼らは超自然的な能力を持っているけれど、それがそのまま守護の裏付けになる訳じゃない。碧龍のおかげで河川の氾濫が無いなんて証拠はないし、それは松虎や飴狼にも言えることだ。ただの偶然かもしれない。小型の神獣だって、心を落ち着ける為だなんてそんなの、神獣じゃない普通の小動物を手元に置いておいても大差ないかもしれない。だって俺は今、牡丹の優しさが眩しすぎて辛い。

 そもそも、神が本当にいるのなら、戦争になどなる前にその火種を消してくれたら良かったのだ。橘も藍栗鼠も生かしておいてくれたら良かったし、枳殻も死なせないでほしかったし、俺のことも、腕の一本、付け忘れないでほしかった。

 風の無い夏は蒸し暑い。冷をとることさえ煩わしく、仕事をしようにも体力が追いつかないから、下らない考えばかりが頭を巡った。
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