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暁を行く鷗
20.
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「ただいま帰りました」
「おかえりなさい」
帰宅すると神獣達は碧龍の傍に集まってぐでっと寝転がっており、幸福を顔に浮かべながら掛長はその中に埋もれていた。
(あれ、牡丹?)
愛らしい姿が見えず、部屋をぐるりと見回しながら外套を脱ぐ。一先ずそれを掛けようと壁の方を向けば、
トスッ!
と背中に小さな衝撃があった。
腹に回った白い手が華奢で、自分の手を重ねたくなるのを我慢して、先に外套を掛けてしまう。
「牡丹……。びっくりした。ただいま」
髪を梳くように頭を撫で、その流れで頬を包んだ。目が合うようにクッと顔を上げさせれば、牡丹は嬉しそうに笑って顔を俺の胸に擦りつける。純粋なその仕草が堪らなく可愛くて暫くギュッと抱きしめていたが、不意に牡丹は俺のもとを離れ、何を思ったか橘の前へ向かうと、薄く唇を噛みながら微笑んで腕を広げた。
「いい、いい。牡丹、そういうことは桔梗にだけだ」
伸ばされた腕を橘は首を横に振りながら丁寧に下ろさせて、牡丹を俺の隣に連れてくるついでに、これまで預けていた今日買った品を俺に渡した。橘はそして掛長に声をかける。
「では、掛長。本当にまだ泊まって行かれるのですね?」
「ええ。橘君はもう帰られるのですか? もう少しゆっくりしていけばよろしいのに」
「仕事がありますからお先に失礼しますよ。五日後にもう一度来ますが、その時に一緒に帰りますか? それ以上に此処へ留まるつもりなら仕事を持って来て差し上げますが」
「えぇー。いい、いいです。こんなのどかな場所で書類仕事なんて、とてもできませんよ。ねぇ?」
未だ埋もれたままの掛長は、松虎のふわふわの毛に頬擦りしながら言った。まったりとした空気に気が緩む。
「では、五日後には引きずってでも連れ帰りますから、そのつもりでお過ごしくださいね」
橘が溜め息混じりに言うとようやく掛長は体を起こして、
「はあい。……気をつけてお帰りなさいね」
と橘に手を振った。
橘が帰っていくのを牡丹と二人で見送ってから、牡丹を鏡台の前に座らせ、その目の前に先程渡された品を広げた。
「これ、買ってきたんだ。似合うかと思って。……洋服と袴も選んできた。出来上がるまで少しかかるらしいから、先にこれだけ渡しておくよ」
櫛は鼈甲のものと硝子のものの二つを、簪は珊瑚のものを買ってきたが、牡丹は特に珊瑚の玉簪が気になるようだった。新しく買った櫛で髪を梳かしても良かったが、なんとなく勿体ない気もして、今まで使っていた柘植の櫛で髪を梳かしてやってから簪をさしてやることにした。
「あ、これ、難しいな。えっと、どうやったらいいのかな……」
自分では使ったことがなかったし、そもそもそれを着けている人間をほとんど見たことがなかったせいか上手に髪を纏めてやれない。何度やってもハラリハラリと落ちてしまう髪の毛に牡丹は面白がって笑っているが、俺はあまりの難しさに買ったことを少しばかり後悔した。
「お手伝いしても?」
いつの間に寄ってきたのか掛長に声を掛けられたから、簪を渡してその場を譲る。掛長はキョロキョロと落ち着きの無い牡丹に「目を閉じていなさい」と指示をして、それからササッと、いとも簡単に牡丹の髪を纏めあげてしまった。
「よし、出来ました。ごらんなさい。可愛らしいですね。よく似合ってる」
トン、と牡丹の両肩に手を置いて掛長は合図する。徐に目を開けた牡丹はそれからまじまじと鏡を見、大きく息を吸った。
パチパチパチ、と手を叩いて、牡丹は目を輝かせて俺と掛長に交互に目を遣った。ワクワクと喜びを隠さず、何度も何度も鏡を見ている。
「喜んでもらえて、良かった」
そう俺が言うと牡丹は満面の笑みで立ち上がり、強く抱きついたかと思うと、背伸びして何度も頬に口づけてきた。柔らかく、擽ったい感触が照れくさい。
「分かった。分かったから、牡丹。もうおしまい。せっかくの髪が崩れちゃうだろ」
そう牡丹を押し戻すと、牡丹は次にその頭を神獣達に見せびらかしに走っていく。松虎に見せ、飴狼に見せ、どうしてか碧龍には特によくよく見せている。最後に菫烏の傍に寄ると、菫烏は簪がよほど珍しく見えるのかグイと顔を近づけ、嘴で突こうとしたところを松虎に窘められていた。
日だまりのような温もりある光景に体の力が抜けていく。
「あの、髪の結い方、牡丹に教えてやってくれますか」
目は合わせられずに頼む俺に、
「ええ、それはもちろん! その間は私が牡丹を独占していて良いということですよね?」
と掛長はやけに明るい表情をしてこちらを覗き込んだ。
「ぅ、ん、はい、まあ。俺には碧龍も松虎も飴狼も菫烏も居ますから」
やはり目は合わせたくなくて逃げるようにじわじわとその場で回っていると、やがて腹立たしいほど満足げに笑みを浮かべてから掛長は姿勢を戻した。
「それでは牡丹。鏡台の前へ戻っておいで。私がいなくても毎日それを付けていられるように特訓しましょう」
掛長の声に牡丹は小走りで向かう。嬉しそうにする二人を見ていられなくて、俺は隠れるように松虎の豊かな毛並みに埋もれた。
「おかえりなさい」
帰宅すると神獣達は碧龍の傍に集まってぐでっと寝転がっており、幸福を顔に浮かべながら掛長はその中に埋もれていた。
(あれ、牡丹?)
愛らしい姿が見えず、部屋をぐるりと見回しながら外套を脱ぐ。一先ずそれを掛けようと壁の方を向けば、
トスッ!
と背中に小さな衝撃があった。
腹に回った白い手が華奢で、自分の手を重ねたくなるのを我慢して、先に外套を掛けてしまう。
「牡丹……。びっくりした。ただいま」
髪を梳くように頭を撫で、その流れで頬を包んだ。目が合うようにクッと顔を上げさせれば、牡丹は嬉しそうに笑って顔を俺の胸に擦りつける。純粋なその仕草が堪らなく可愛くて暫くギュッと抱きしめていたが、不意に牡丹は俺のもとを離れ、何を思ったか橘の前へ向かうと、薄く唇を噛みながら微笑んで腕を広げた。
「いい、いい。牡丹、そういうことは桔梗にだけだ」
伸ばされた腕を橘は首を横に振りながら丁寧に下ろさせて、牡丹を俺の隣に連れてくるついでに、これまで預けていた今日買った品を俺に渡した。橘はそして掛長に声をかける。
「では、掛長。本当にまだ泊まって行かれるのですね?」
「ええ。橘君はもう帰られるのですか? もう少しゆっくりしていけばよろしいのに」
「仕事がありますからお先に失礼しますよ。五日後にもう一度来ますが、その時に一緒に帰りますか? それ以上に此処へ留まるつもりなら仕事を持って来て差し上げますが」
「えぇー。いい、いいです。こんなのどかな場所で書類仕事なんて、とてもできませんよ。ねぇ?」
未だ埋もれたままの掛長は、松虎のふわふわの毛に頬擦りしながら言った。まったりとした空気に気が緩む。
「では、五日後には引きずってでも連れ帰りますから、そのつもりでお過ごしくださいね」
橘が溜め息混じりに言うとようやく掛長は体を起こして、
「はあい。……気をつけてお帰りなさいね」
と橘に手を振った。
橘が帰っていくのを牡丹と二人で見送ってから、牡丹を鏡台の前に座らせ、その目の前に先程渡された品を広げた。
「これ、買ってきたんだ。似合うかと思って。……洋服と袴も選んできた。出来上がるまで少しかかるらしいから、先にこれだけ渡しておくよ」
櫛は鼈甲のものと硝子のものの二つを、簪は珊瑚のものを買ってきたが、牡丹は特に珊瑚の玉簪が気になるようだった。新しく買った櫛で髪を梳かしても良かったが、なんとなく勿体ない気もして、今まで使っていた柘植の櫛で髪を梳かしてやってから簪をさしてやることにした。
「あ、これ、難しいな。えっと、どうやったらいいのかな……」
自分では使ったことがなかったし、そもそもそれを着けている人間をほとんど見たことがなかったせいか上手に髪を纏めてやれない。何度やってもハラリハラリと落ちてしまう髪の毛に牡丹は面白がって笑っているが、俺はあまりの難しさに買ったことを少しばかり後悔した。
「お手伝いしても?」
いつの間に寄ってきたのか掛長に声を掛けられたから、簪を渡してその場を譲る。掛長はキョロキョロと落ち着きの無い牡丹に「目を閉じていなさい」と指示をして、それからササッと、いとも簡単に牡丹の髪を纏めあげてしまった。
「よし、出来ました。ごらんなさい。可愛らしいですね。よく似合ってる」
トン、と牡丹の両肩に手を置いて掛長は合図する。徐に目を開けた牡丹はそれからまじまじと鏡を見、大きく息を吸った。
パチパチパチ、と手を叩いて、牡丹は目を輝かせて俺と掛長に交互に目を遣った。ワクワクと喜びを隠さず、何度も何度も鏡を見ている。
「喜んでもらえて、良かった」
そう俺が言うと牡丹は満面の笑みで立ち上がり、強く抱きついたかと思うと、背伸びして何度も頬に口づけてきた。柔らかく、擽ったい感触が照れくさい。
「分かった。分かったから、牡丹。もうおしまい。せっかくの髪が崩れちゃうだろ」
そう牡丹を押し戻すと、牡丹は次にその頭を神獣達に見せびらかしに走っていく。松虎に見せ、飴狼に見せ、どうしてか碧龍には特によくよく見せている。最後に菫烏の傍に寄ると、菫烏は簪がよほど珍しく見えるのかグイと顔を近づけ、嘴で突こうとしたところを松虎に窘められていた。
日だまりのような温もりある光景に体の力が抜けていく。
「あの、髪の結い方、牡丹に教えてやってくれますか」
目は合わせられずに頼む俺に、
「ええ、それはもちろん! その間は私が牡丹を独占していて良いということですよね?」
と掛長はやけに明るい表情をしてこちらを覗き込んだ。
「ぅ、ん、はい、まあ。俺には碧龍も松虎も飴狼も菫烏も居ますから」
やはり目は合わせたくなくて逃げるようにじわじわとその場で回っていると、やがて腹立たしいほど満足げに笑みを浮かべてから掛長は姿勢を戻した。
「それでは牡丹。鏡台の前へ戻っておいで。私がいなくても毎日それを付けていられるように特訓しましょう」
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