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拾ってきたあの夜、トカゲはフィンに「魔法使い」と呟いてからうんともすんとも言わなかった。
怪我のせいで夢うつつだったのか、すぐに眠ってしまったようだ。しかし、翌日はハッキリと目を開けていたのに、リンやフィンがいくら声をかけても目を向けるだけで答えてはくれなかった。
知らない人間に怖がっている、とも違う。トカゲの目に恐怖はなく警戒して見極めていると言うよりも、そんな段階を飛ばしてリンのことを明確な敵意をもって見ている目だった。
けれど、強張った体ではあったが、傷の手当てだけはしっかりさせてくれた。
そのおかげか拾ってから一週間が経つ頃には、トカゲの傷は綺麗に治った。
そしてトカゲが再び喋りかけてきたのは、その日の夜のことだ。
「……おやすみ、フィン」
フィンを寝かしつけ、リンはそろりと寝室から出た。
机の上には途中になっていた編み物があり、リンはそれを手に取って続きを始めた。
(冬の時期は編み物が売れるから助かるわ……)
とくに冬は頼みの薬草も少なく、金銭を得る手段が少なくなる。
(明日は一週間ぶりに街に行くから、出来るだけ多く売りたいな)
小さい頃から手先は器用だったし、フィンが生まれてからは自分たちの防寒具なども全て母と二人で編んで用意していたから、その経験が役に立っている。
一人で粛々と手を動かすリンをじっと見ていたトカゲが、ふと呟いた。
「どうして魔法使いの子どもを育てる」
「……あら。やっぱりあの日聞いたのは夢じゃなかったのね」
驚いて手を止めたリンは、顔を上げてしげしげとトカゲを見つめ返した。
若い男の声だ。声だけを聞くと、リンとそう変わらない年頃の青年のように思える。
リンの軽口に、トカゲは苛立ったように目許に力を込めた。
「なぜ、あの子どもを育てるのかと聞いてる」
ある程度育てて国に売るつもりか。と、トカゲは唸るように言った。とんでもないとリンは必死に首を振る。
「そんなことするわけないでしょう!?」
思わず声が大きくなってハッと口を閉ざす。寝室から物音はしないのでフィンが起きることはなかったらしい。ほっとしつつ、リンは今度は声をひそめて答えた。
「なぜって家族なんだから当たり前でしょ」
「普通の人であればそうだろうが、あれは魔法使いだろう。魔法使いの大半はその力を現すとすぐに親から捨てられる。育てるのは貴族ぐらいだろう。それだって魔法の力を得るためだけで、自分たちとは離れた所に幽閉しておく」
まあ、魔法使いが大きくなれば人の手で閉じ込められるなどあり得ないがな。
トカゲは、まるでリンを脅すようにジロリと瞳を向けた。しかし、リンは鋭い眼光よりも聞いた言葉のほうが恐ろしく、頭から血の気が下がっていくのを感じた。
改めて直面した、世間から弟――魔法使いに向かう厳しさに目眩を覚えた。くらりとして、肘をつくように額を支えて項垂れた。
「家族なのに、そんなことが出来るの……? 魔法使いってだけで?」
「人間は、化け物を家族とは呼ばないだろ」
「っ! ……フィンは、化け物じゃないわ」
絞り出すようにリンは反論したが、魔法使いの力が絶大であることは事実だ。
「……魔法使いはとくに子どものうちは制御できずに力を暴走させることが多い。その傷だってあの子どものせいで出来たものだろう」
トカゲが不意にリンの腕に目を落とした。夜着からかすかに見えていた腕の傷を隠してリンは息を呑んだ。
化け物化け物と、馬鹿の一つ覚えのように繰り返された叫びが――あの日の村民の叫びが耳の奥に蘇る。
フィンが生まれてから、リンたち一家は家からほとんど出ることも出来ず、自給自足の生活に追い込まれた。しかし、金銭を持たずに生きていけるわけではない。
父はとっくの昔に病気で亡くなっていたし、母は弟の噂が届かない離れた街まで毎日徒歩で働きに出ているうちに体を壊して亡くなった。
リンがすでに十代の半ばであったこともあり、二人きりでもなんとか生活は出来ていたが、やはり庇護者である母がいなくなったことは、リンたちにも村人にもさまざまな影響を与えた。
リンが少し目を離したときだ。若い男たちがフィンを囲い、ひどい言葉や暴力を投げかけた。リンが騒ぎに気づいて駆けつけたときには、リンの声も届かないほどに取り乱して泣き叫ぶフィンを中心に、立っていられないような強風が吹き荒れ、その風は細かい刃となって人々を斬りつけていた。
辺りには怪我をした村人の血の匂いと悲鳴が溢れ、農具や武器を抱えた男たちが集まりだしてやっと立ち尽くしていたリンの足は動いた。
いくら呼びかけてもリンに気づかないフィンをその腕に抱え、身を斬られながらリンは命からがら村を飛び出た。
両腕だけではない。この傷跡は身体中に広がっている。
治るまでには随分時間がかかったし、今もときおり引き攣れたように痛む。
――化け物を殺せ!
耳に木霊する叫びを封じるように目を閉じ、リンはそっと指先で傷跡を撫でた。
「たしかにこれはフィンの魔法で出来た傷よ。でも、それだけであの子を手放すことなんてしないわ」
「なぜだ」
「なぜって……」
さっき家族だからって言ったのに。そう思ったけれど、その言葉では通じなかったのだと思い返し、リンは言葉を変えた。
「フィンを愛してるからよ」
刹那、リンは部屋の時間が止まったように感じた。
そう感じるほどに、トカゲが目を瞠って動きを止めたのだ。ピクリともせず、弟を想って微笑むリンに瞠目していた。
「たしかにどうして私がって思ったことなら何度もあるわ。あの子が魔法使いじゃなければ故郷の村を出ることも、母を亡くすこともなかったかもって」
決して憎いわけじゃないし、フィンには直接言ったこともない。だが、どうしてと答えのない問題に悩まされるもやもやした感情や、歯がみするようなもどかしさに頭が狂いそうになったこともある。
「でもね、これから途方もない長い時間を一人で過ごしていくかもしれないフィンを思うと、どうしてって喚く気持ちがちっぽけに感じられるほど悲しくなって、泣きたくなるの。傷のある私よりも、あの子のほうが可哀想でしょうがない」
村を出たあの日。血を失って意識が朦朧としながらも決してフィンを離さずに走り続けるなか、リンは決意を強固にしたのだ。
「私だけはあの子を一人にしない。私が生きていられる時間なんてあの子にとったら短いだろうけど、その間にたくさん愛してあげるって決めてるの。そのあといくら一人でいたって淋しいなんて思う暇もないぐらい愛してあげたい。……きっと、誰かに愛されたっていう記憶は、いつかあの子を支えてくれると思うから」
リンが母に愛された温かな日々を思い返して歯を食いしばれるように、いつか自分の愛がフィンの強さになってくれればいいと、リンはそう願っている。
「そんなもの、ただの同情だろう。憐れみでしかない」
地を這うようだった低い男の声は、今は呆然と立ち尽くすように無防備だった。
「そうね。でも、私はフィンが呼んでくれれば刃の嵐の中にだって飛びこんでいけるわ。……なにより、あの子のことが愛おしくてしょうがないの。あなたが言った同情や憐れみも、私がフィンに向ける愛の一つよ」
男の声に怒ることも不快に思うこともなく、むしろ胸を張るように堂々とリンは言い切った。
揺らめく蝋燭の明かりで、リンの橙の瞳がさらに温かく煌めいた。その瞳に真っ直ぐに見つめられ、トカゲは声をなくしていた。
圧倒されたように硬直しているが、その瞳は理解できないものを前にしたときの気味の悪さが滲む。
しばし二人の間に沈黙が横たわった。居心地悪そうにトカゲが簡易ベッドの中で身じろいだ。
「お前は――」
言いかけたそのとき、不意に寝室の扉が小さな音とともに開く。
「お姉ちゃん……トイレ行きたいから着いてきて」
目をこすって起きてきたフィンに、リンは微苦笑して自分のガウンでフィンを包んだ。すると、フィンがリンの腰にぎゅっと抱きつく。
「……お姉ちゃん、大好き」
「私も大好きよ、フィン。ほら寒いから早くお手洗いに行っちゃいましょう」
小さな体を抱きしめ返してから、優しく弟の背中を押して促すリンの姿を、トカゲは眼に焼き付けるようにじっと眺めていた。
怪我のせいで夢うつつだったのか、すぐに眠ってしまったようだ。しかし、翌日はハッキリと目を開けていたのに、リンやフィンがいくら声をかけても目を向けるだけで答えてはくれなかった。
知らない人間に怖がっている、とも違う。トカゲの目に恐怖はなく警戒して見極めていると言うよりも、そんな段階を飛ばしてリンのことを明確な敵意をもって見ている目だった。
けれど、強張った体ではあったが、傷の手当てだけはしっかりさせてくれた。
そのおかげか拾ってから一週間が経つ頃には、トカゲの傷は綺麗に治った。
そしてトカゲが再び喋りかけてきたのは、その日の夜のことだ。
「……おやすみ、フィン」
フィンを寝かしつけ、リンはそろりと寝室から出た。
机の上には途中になっていた編み物があり、リンはそれを手に取って続きを始めた。
(冬の時期は編み物が売れるから助かるわ……)
とくに冬は頼みの薬草も少なく、金銭を得る手段が少なくなる。
(明日は一週間ぶりに街に行くから、出来るだけ多く売りたいな)
小さい頃から手先は器用だったし、フィンが生まれてからは自分たちの防寒具なども全て母と二人で編んで用意していたから、その経験が役に立っている。
一人で粛々と手を動かすリンをじっと見ていたトカゲが、ふと呟いた。
「どうして魔法使いの子どもを育てる」
「……あら。やっぱりあの日聞いたのは夢じゃなかったのね」
驚いて手を止めたリンは、顔を上げてしげしげとトカゲを見つめ返した。
若い男の声だ。声だけを聞くと、リンとそう変わらない年頃の青年のように思える。
リンの軽口に、トカゲは苛立ったように目許に力を込めた。
「なぜ、あの子どもを育てるのかと聞いてる」
ある程度育てて国に売るつもりか。と、トカゲは唸るように言った。とんでもないとリンは必死に首を振る。
「そんなことするわけないでしょう!?」
思わず声が大きくなってハッと口を閉ざす。寝室から物音はしないのでフィンが起きることはなかったらしい。ほっとしつつ、リンは今度は声をひそめて答えた。
「なぜって家族なんだから当たり前でしょ」
「普通の人であればそうだろうが、あれは魔法使いだろう。魔法使いの大半はその力を現すとすぐに親から捨てられる。育てるのは貴族ぐらいだろう。それだって魔法の力を得るためだけで、自分たちとは離れた所に幽閉しておく」
まあ、魔法使いが大きくなれば人の手で閉じ込められるなどあり得ないがな。
トカゲは、まるでリンを脅すようにジロリと瞳を向けた。しかし、リンは鋭い眼光よりも聞いた言葉のほうが恐ろしく、頭から血の気が下がっていくのを感じた。
改めて直面した、世間から弟――魔法使いに向かう厳しさに目眩を覚えた。くらりとして、肘をつくように額を支えて項垂れた。
「家族なのに、そんなことが出来るの……? 魔法使いってだけで?」
「人間は、化け物を家族とは呼ばないだろ」
「っ! ……フィンは、化け物じゃないわ」
絞り出すようにリンは反論したが、魔法使いの力が絶大であることは事実だ。
「……魔法使いはとくに子どものうちは制御できずに力を暴走させることが多い。その傷だってあの子どものせいで出来たものだろう」
トカゲが不意にリンの腕に目を落とした。夜着からかすかに見えていた腕の傷を隠してリンは息を呑んだ。
化け物化け物と、馬鹿の一つ覚えのように繰り返された叫びが――あの日の村民の叫びが耳の奥に蘇る。
フィンが生まれてから、リンたち一家は家からほとんど出ることも出来ず、自給自足の生活に追い込まれた。しかし、金銭を持たずに生きていけるわけではない。
父はとっくの昔に病気で亡くなっていたし、母は弟の噂が届かない離れた街まで毎日徒歩で働きに出ているうちに体を壊して亡くなった。
リンがすでに十代の半ばであったこともあり、二人きりでもなんとか生活は出来ていたが、やはり庇護者である母がいなくなったことは、リンたちにも村人にもさまざまな影響を与えた。
リンが少し目を離したときだ。若い男たちがフィンを囲い、ひどい言葉や暴力を投げかけた。リンが騒ぎに気づいて駆けつけたときには、リンの声も届かないほどに取り乱して泣き叫ぶフィンを中心に、立っていられないような強風が吹き荒れ、その風は細かい刃となって人々を斬りつけていた。
辺りには怪我をした村人の血の匂いと悲鳴が溢れ、農具や武器を抱えた男たちが集まりだしてやっと立ち尽くしていたリンの足は動いた。
いくら呼びかけてもリンに気づかないフィンをその腕に抱え、身を斬られながらリンは命からがら村を飛び出た。
両腕だけではない。この傷跡は身体中に広がっている。
治るまでには随分時間がかかったし、今もときおり引き攣れたように痛む。
――化け物を殺せ!
耳に木霊する叫びを封じるように目を閉じ、リンはそっと指先で傷跡を撫でた。
「たしかにこれはフィンの魔法で出来た傷よ。でも、それだけであの子を手放すことなんてしないわ」
「なぜだ」
「なぜって……」
さっき家族だからって言ったのに。そう思ったけれど、その言葉では通じなかったのだと思い返し、リンは言葉を変えた。
「フィンを愛してるからよ」
刹那、リンは部屋の時間が止まったように感じた。
そう感じるほどに、トカゲが目を瞠って動きを止めたのだ。ピクリともせず、弟を想って微笑むリンに瞠目していた。
「たしかにどうして私がって思ったことなら何度もあるわ。あの子が魔法使いじゃなければ故郷の村を出ることも、母を亡くすこともなかったかもって」
決して憎いわけじゃないし、フィンには直接言ったこともない。だが、どうしてと答えのない問題に悩まされるもやもやした感情や、歯がみするようなもどかしさに頭が狂いそうになったこともある。
「でもね、これから途方もない長い時間を一人で過ごしていくかもしれないフィンを思うと、どうしてって喚く気持ちがちっぽけに感じられるほど悲しくなって、泣きたくなるの。傷のある私よりも、あの子のほうが可哀想でしょうがない」
村を出たあの日。血を失って意識が朦朧としながらも決してフィンを離さずに走り続けるなか、リンは決意を強固にしたのだ。
「私だけはあの子を一人にしない。私が生きていられる時間なんてあの子にとったら短いだろうけど、その間にたくさん愛してあげるって決めてるの。そのあといくら一人でいたって淋しいなんて思う暇もないぐらい愛してあげたい。……きっと、誰かに愛されたっていう記憶は、いつかあの子を支えてくれると思うから」
リンが母に愛された温かな日々を思い返して歯を食いしばれるように、いつか自分の愛がフィンの強さになってくれればいいと、リンはそう願っている。
「そんなもの、ただの同情だろう。憐れみでしかない」
地を這うようだった低い男の声は、今は呆然と立ち尽くすように無防備だった。
「そうね。でも、私はフィンが呼んでくれれば刃の嵐の中にだって飛びこんでいけるわ。……なにより、あの子のことが愛おしくてしょうがないの。あなたが言った同情や憐れみも、私がフィンに向ける愛の一つよ」
男の声に怒ることも不快に思うこともなく、むしろ胸を張るように堂々とリンは言い切った。
揺らめく蝋燭の明かりで、リンの橙の瞳がさらに温かく煌めいた。その瞳に真っ直ぐに見つめられ、トカゲは声をなくしていた。
圧倒されたように硬直しているが、その瞳は理解できないものを前にしたときの気味の悪さが滲む。
しばし二人の間に沈黙が横たわった。居心地悪そうにトカゲが簡易ベッドの中で身じろいだ。
「お前は――」
言いかけたそのとき、不意に寝室の扉が小さな音とともに開く。
「お姉ちゃん……トイレ行きたいから着いてきて」
目をこすって起きてきたフィンに、リンは微苦笑して自分のガウンでフィンを包んだ。すると、フィンがリンの腰にぎゅっと抱きつく。
「……お姉ちゃん、大好き」
「私も大好きよ、フィン。ほら寒いから早くお手洗いに行っちゃいましょう」
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