3 / 10
03
しおりを挟む「フィン、帰ったわよ!」
辿り着いた小屋でノックとともに声を張る。すると、かちゃりと鍵の開く音がしてゆっくりと扉が開いた。
「ただいまフィン。いい子でお留守番してた?」
そろそろと扉の影から顔を出した黒髪の少年――フィンににっこりと笑えば、フィンもほっとしたように笑ってこくりと頷いた。
「お姉ちゃんおかえり。曇ってきたから、さっき洗濯物取り込んだんだ」
「本当? ありがとうフィン! 今日はフィンの好きなオレンジを買ってきたから夕飯の後で食べようね」
「お姉ちゃんの分も買ってきた?」
「今日は最後の一個だったの。だから半分こして食べましょう」
本当は露店には山盛りのオレンジがあったが、日々の食事さえいっぱいいっぱいのリンたちでは、オグウェスにまわってくる質の良い果物を何個も買えるほど金銭に余裕はない。
けれど、それでは幼い弟にはあまりに可哀想で、こうして時々だが余裕のあるときに一つだけ買ってくるのだ。本当は一個丸々フィンにあげたいところだけれど、それをするとリンの分がないと気に病むのだ。
(ああ、本当に優しい子に育ってくれて良かった)
村での辛かった日々を思い返し、フィンが真っ直ぐに育ってくれていることをリンは喜んだ。
今だって半分こと聞いて、嬉しそうににへらと笑っている。思わずリンの口許も緩むものだ。
「そうだ。フィン、救急箱を持ってきてくれる?」
小屋の中は大きく二つの部屋で構成されている。入ってすぐにある簡易キッチン兼ダイニングと、隣接する寝室。そしてちょこんと隅にある小さなお風呂とトイレだ。
玄関を入って数歩もないダイニングテーブルにバスケットを置いたリンが頼むと、そこでフィンは姉の腕に抱かれた生き物に気づいた。
「……お姉ちゃん、それどうしたの?」
「帰ってくる途中の森で見かけたの。怪我をしてるみたいだから手当てをしてあげようと思って」
この森には大型の獣はいないが、リスやうさぎなど小動物はよく見かける。動物の怪我の手当てをするのも初めてじゃない。
いつもならいの一番に救急箱を取りに走るのに、今日のフィンはどこか訝るようにリンの腕の中のトカゲをじっと見ていた。まるで警戒しているようだ。
「どうしたの、フィン。鱗があるから怖い?」
それなら私が行ってくるよ。
言うと、フィンはハッとして少し躊躇うようにリンと揃いの橙の瞳を揺らしたが、「すぐ取ってくる」と奥の寝室に走った。
トカゲの手当てを終えるとすでに日が暮れていたので、リンたちは夕飯をすませた。
食べやすいように小さく切り分けたオレンジをデザートに出すと、フィンは喜んで食べていた。
食べ終えた皿を片付けようとリンが立ち上がると、「僕がやる!」とフィンも椅子から下りた。
「大丈夫? 落とさないように気をつけてね」
心配になったリンが声をかける。だが、洗濯物のときに上手く使えたから練習したいのだろうと察して、見守る姿勢を取る。
ダイニングテーブルの空になった食器たちに向かって、フィンはその小さな両手をかざした。
集中するようにじっと一点を見つめてそう経たずに、カタカタと震えた食器たちが独りでに浮き上がった。
「出来た! 見て、お姉ちゃん! ちゃんと出来てるでしょ?」
わっと喜色満面になったフィンに、リンは微笑みつつ「よそ見すると危ないよ」と声をかける。
宙に浮いた食器たちは、そのままフィンの動きに合わせてキッチンの流しにゆっくりと置かれた。
ほっと人心地ついたフィンは小走りでリンの元に来ると「上手く出来てたでしょう?」と得意げだ。
「すっかり魔法も上手になったね~、フィン!」
サラサラの黒髪をかき混ぜるように撫でると、へらりとフィンが笑う。
(このまま魔法の扱いが上手くなれば、そのうち街中で暮らすことも出来るようになるかも)
そのことを喜ばしく思うと同時に、例え街中で暮らすとしても魔法の一切を隠して過ごしていかなくてはならない弟に同情を覚えた。
魔法とは、人知を超えた不可思議な力だ。物を浮かせるようなものから、雷を降らせることも、洪水を起こすようなことも出来る。魔法は万人が使えるものではなく、ごく一部の人類だけが持つ力であり、誰にその力が宿るのかは全くの未知数だ。
現にリンや死んだ母は魔法を使えなかったが、フィンは生まれつきこうだった。
そして、ときには多くの人間を一度に殺してしまえるその神のような力は、人々の間では恐れられ、迫害されている。
魔法使いだとバレれば、故郷の村の人々のように害そうとしてくるだろう。
だから魔法使いは力を隠し、普通の人々に溶け込んで生活している。フィンもそうして生きていかねばならないが、魔法というのは制御も難しいらしい。ふとしたときに使ってしまうので、今はこうして他人と離れたところで二人暮らしをするしかない。
魔法使いは長命なのだ。この先の長い人生を一人ではなく、せめて人の輪の中で生きて欲しいとリンは願っている。
そのためには魔法の扱いを心得るしかないのだが、生憎とリンが教えてあげられることはない。
弟の力になれないことを心苦しく思っていると、ふと低い男の声が響いた。
「まさか、魔法使いなのか……」
苦痛に耐えるような息の荒い声だった。ここにはリンと幼いフィンしかない。
「誰ですか!?」
咄嗟にフィンを抱きしめ、警戒しつつ辺りを見渡すがそれらしき人影はない。恐怖で心臓がバクバクしている。
目を凝らして狭い室内を見渡す中で、リンは赤い輝きに目をとめた。
小さな籠に布を敷いて寝かせていたあのトカゲだ。どうやら目を覚ましたらしいが、赤い瞳はどこか虚ろだ。蝋燭の明かりに照らされながら、その口許が微かに動く。
「……お前たちは、一体……」
トカゲの動きとともに、さっきの男の声が響いた。驚いたリンは「えっ」と驚きの声を上げてそのまま腰を抜かしてしまった。
31
お気に入りに追加
63
あなたにおすすめの小説
片想いの相手と二人、深夜、狭い部屋。何も起きないはずはなく
おりの まるる
恋愛
ユディットは片想いしている室長が、再婚すると言う噂を聞いて、情緒不安定な日々を過ごしていた。
そんなある日、怖い噂話が尽きない古い教会を改装して使っている書庫で、仕事を終えるとすっかり夜になっていた。
夕方からの大雨で研究棟へ帰れなくなり、途方に暮れていた。
そんな彼女を室長が迎えに来てくれたのだが、トラブルに見舞われ、二人っきりで夜を過ごすことになる。
全4話です。


果たされなかった約束
家紋武範
恋愛
子爵家の次男と伯爵の妾の娘の恋。貴族の血筋と言えども不遇な二人は将来を誓い合う。
しかし、ヒロインの妹は伯爵の正妻の子であり、伯爵のご令嗣さま。その妹は優しき主人公に密かに心奪われており、結婚したいと思っていた。
このままでは結婚させられてしまうと主人公はヒロインに他領に逃げようと言うのだが、ヒロインは妹を裏切れないから妹と結婚して欲しいと身を引く。
怒った主人公は、この姉妹に復讐を誓うのであった。
※サディスティックな内容が含まれます。苦手なかたはご注意ください。

【完結】悪役令嬢の反撃の日々
くも
恋愛
「ロゼリア、お茶会の準備はできていますか?」侍女のクラリスが部屋に入ってくる。
「ええ、ありがとう。今日も大勢の方々がいらっしゃるわね。」ロゼリアは微笑みながら答える。その微笑みは氷のように冷たく見えたが、心の中では別の計画を巡らせていた。
お茶会の席で、ロゼリアはいつものように優雅に振る舞い、貴族たちの陰口に耳を傾けた。その時、一人の男性が現れた。彼は王国の第一王子であり、ロゼリアの婚約者でもあるレオンハルトだった。
「ロゼリア、君の美しさは今日も輝いているね。」レオンハルトは優雅に頭を下げる。
傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。
石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。
そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。
新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。
初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、別サイトにも投稿しております。
表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

最後の思い出に、魅了魔法をかけました
ツルカ
恋愛
幼い時からの婚約者が、聖女と婚約を結びなおすことが内定してしまった。
愛も恋もなく政略的な結びつきしかない婚約だったけれど、婚約解消の手続きの前、ほんの短い時間に、クレアは拙い恋心を叶えたいと願ってしまう。
氷の王子と呼ばれる彼から、一度でいいから、燃えるような眼差しで見つめられてみたいと。
「魅了魔法をかけました」
「……は?」
「十分ほどで解けます」
「短すぎるだろう」

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
【短編】旦那様、2年後に消えますので、その日まで恩返しをさせてください
あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
「二年後には消えますので、ベネディック様。どうかその日まで、いつかの恩返しをさせてください」
「恩? 私と君は初対面だったはず」
「そうかもしれませんが、そうではないのかもしれません」
「意味がわからない──が、これでアルフの、弟の奇病も治るのならいいだろう」
奇病を癒すため魔法都市、最後の薬師フェリーネはベネディック・バルテルスと契約結婚を持ちかける。
彼女の目的は遺産目当てや、玉の輿ではなく──?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる