17 / 38
16
しおりを挟む場所を変え、貴族街にほど近いアンティークな雰囲気のカフェの個室で、リシャーナはザインロイツ夫人と向かい合っていた。
丸テーブルの上には、夫人のおすすめだという紅茶と焼き菓子が並んでいる。
店の者が使用人然とした落ち着いた所作で品物を置いて行ってから、二人の間には居心地の悪い沈黙が横たわっていた。
(いや、居心地悪いと思ってるのは私だけかな……)
温かな紅茶に口をつけ、リシャーナは思った。
店員に気さくに話していた夫人は、リシャーナにも「温かいうちに食べて」と笑顔を向けた。
しかし、そのあとからは考え込むように難しい顔をしている。
(あ、美味しい……)
伯爵夫人が勧めるだけあり、たしかに紅茶は美味しかった。茶葉のほのかな渋みが口に広がるが、決してくどくなくてさらりとした口当たりだ。
手持ち無沙汰を誤魔化すためだったが、あまりに美味しかったのでまた一口飲み込む。
再び口に広がる紅茶を堪能していると、不意に部屋の隅に控えた護衛のロレンと目が合った。
微笑ましそうに笑みを向けられ、慌てて表情を引き締めた。
(いけない……最近ユーリスとばかり接していたから気が緩んでるのかな……)
彼には感情を露わにした姿を幾度も見せてしまっている。そのせいか、ユーリスといるときはリシャーナはほんの少し心が軽かった。
すでにみっともない姿を見せているから、どこか開き直っていたのだ。
(この方は伯爵夫人なんだから……しっかりしないと)
同じ伯爵家といえどリシャーナは子女であり、かたや当主を支え家のことを取り仕切る夫人である。
なにか無作法があれば、リシャーナだけではなくハルゼラインの家族に迷惑をかけることになる。
本来であれば、家を追い出されたユーリスについて話題に出すべきではない。彼のことは、ザインロイツにとっての逆鱗であるかもしれないのだから。
(でも、あそこに夫人がいたということはユーリスに関係があるはず)
リシャーナは彼が人の視線を怖がる理由を知っている。苦しんだ時間を知っている。もし、ザインロイツが再びユーリスにその頃の傷を思い出させるのだとしたら……。
(見て見ぬふりなんて出来ない……)
音もなくカップをソーサーに戻したリシャーナは、そっと深呼吸をして怯える心を静めた。
「ユーリスはすでにザインロイツから排斥されたと伺っています。そのザインロイツの夫人が、彼にどういったご用件なのでしょう」
正面から切り出したリシャーナは、夫人の怒りを受け止める覚悟でいた。しかし、護衛のものは驚きつつも剣呑さはみせないし、それどころか夫人は、顔を赤くして怒るどころか青ざめてしまった。
思わぬ反応に、リシャーナのほうが拍子抜けしてしまった。
おろおろと動揺している夫人に、なんだかこちらが責めているような気分になってくる。
やがて、夫人は諦念を匂わせるように微笑んだ。
「そう……あなたはもう知っているのね」
――それでも、あの子のそばにいるのね。
そう独りごちた彼女の笑みには、どこかリシャーナを羨むようなそんな淋しさが見えた。
「ハルゼライン家に理由も告げず婚約を破棄したこと、本当に申し訳なく思っているわ」
恭しく頭を下げられ、リシャーナは焦って顔を上げるように促す。
夫人は顔を上げても視線は俯きがちだった。それはハルゼラインへの後ろめたさからだろうか。
なんとなく、それは違うような気がした。
「知っての通り、ユーリスが貴族籍から排斥され、我がザインロイツとも縁を切ることとなったの……あのころは私たちも動揺していて、自分たちの口から嫡男が排斥されるからなどとてもじゃないけれど言えなかったわ」
沈んだ様子で言われ、リシャーナは内心で同情を示した。
そりゃあれだけ完璧で優秀な嫡男が、突如問題を――それも他家の男爵令嬢相手に起こしたなどと信じられなかっただろう。
(あの医師からは、事情知った両親が縁を切ったと聞いたけれど……)
どうやらリシャーナが想像していたように、冷たくあしらって追い出した……というふうでもないらしい。
むしろ、そんな息子の姿を信じたくなくて距離を取ったというように見える。
「あの子は今、元気でやっているのかしら……」
ぽつりと落ちた声はあまりに小さくて、一瞬リシャーナは反応が遅れた。
「ユーリス様は私の見る限り、楽しそうに過ごしていらっしゃいます」
そこまで言って、赤くのぼせたユーリスの様子が思い出されて「あっ」と声が出た。
(そうだ。私ユーリスのご飯買いに来たのに……!)
あれからどれぐらい時間が経っただろう。
ユーリスの家からこの店までそう長い時間はかからない。けれど、ここで話していた時間と今から買い物をして帰る時間とを考えると、それなりに待たせてしまうことになる。
急に慌てだしたリシャーナに、夫人とロレンは顔を見合わせた。
「リシャーナ伯爵令嬢……? なにかありましたの?」
「あ、いえ、その……」
ここでユーリスのことを話してよいものか。だが、リシャーナが迷ったのは一瞬のことだった。
――元気でやっているかしら
あの弱った声の中に、夫人がユーリスへ向ける愛情を感じたからだ。
「申し訳ありません。今、ユーリス様が熱を出して伏せっておりまして……私ユーリス様のお食事の買い出しに行かねばならないのです」
そう言って退席の許可を申し出たのだが、夫人は難しい顔で黙り込んだと思えば、意を決したように顔を上げた。
「あの、リシャーナ伯爵令嬢」
「はい」
「私も……ご一緒してもよろしいかしら」
ユーリスと同じ若緑色の瞳に縋るように見られ、リシャーナは思わず了承してしまった。
12
お気に入りに追加
46
あなたにおすすめの小説
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
悪役令嬢は永眠しました
詩海猫
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」
長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。
だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。
ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」
*思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

死ぬはずだった令嬢が乙女ゲームの舞台に突然参加するお話
みっしー
恋愛
病弱な公爵令嬢のフィリアはある日今までにないほどの高熱にうなされて自分の前世を思い出す。そして今自分がいるのは大好きだった乙女ゲームの世界だと気づく。しかし…「藍色の髪、空色の瞳、真っ白な肌……まさかっ……!」なんと彼女が転生したのはヒロインでも悪役令嬢でもない、ゲーム開始前に死んでしまう攻略対象の王子の婚約者だったのだ。でも前世で長生きできなかった分今世では長生きしたい!そんな彼女が長生きを目指して乙女ゲームの舞台に突然参加するお話です。
*番外編も含め完結いたしました!感想はいつでもありがたく読ませていただきますのでお気軽に!
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。

【完結】引きこもり令嬢は迷い込んできた猫達を愛でることにしました
かな
恋愛
乙女ゲームのモブですらない公爵令嬢に転生してしまった主人公は訳あって絶賛引きこもり中!
そんな主人公の生活はとある2匹の猫を保護したことによって一変してしまい……?
可愛い猫達を可愛がっていたら、とんでもないことに巻き込まれてしまった主人公の無自覚無双の幕開けです!
そしていつのまにか溺愛ルートにまで突入していて……!?
イケメンからの溺愛なんて、元引きこもりの私には刺激が強すぎます!!
毎日17時と19時に更新します。
全12話完結+番外編
「小説家になろう」でも掲載しています。
離婚した彼女は死ぬことにした
まとば 蒼
恋愛
2日に1回更新(希望)です。
-----------------
事故で命を落とす瞬間、政略結婚で結ばれた夫のアルバートを愛していたことに気づいたエレノア。
もう一度彼との結婚生活をやり直したいと願うと、四年前に巻き戻っていた。
今度こそ彼に相応しい妻になりたいと、これまでの臆病な自分を脱ぎ捨て奮闘するエレノア。しかし、
「前にも言ったけど、君は妻としての役目を果たさなくていいんだよ」
返ってくるのは拒絶を含んだ鉄壁の笑みと、表面的で義務的な優しさ。
それでも夫に想いを捧げ続けていたある日のこと、アルバートの大事にしている弟妹が原因不明の体調不良に襲われた。
神官から、二人の体調不良はエレノアの体内に宿る瘴気が原因だと告げられる。
大切な人を守るために離婚して彼らから離れることをエレノアは決意するが──。
-----------------
とあるコンテストに応募するためにひっそり書いていた作品ですが、最近ダレてきたので公開してみることにしました。
まだまだ荒くて調整が必要な話ですが、どんなに些細な内容でも反応を頂けると大変励みになります。
書きながら色々修正していくので、読み返したら若干展開が変わってたりするかもしれません。
作風が好みじゃない場合は回れ右をして自衛をお願いいたします。
十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!
翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。
「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。
そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。
死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。
どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。
その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない!
そして死なない!!
そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、
何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?!
「殿下!私、死にたくありません!」
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
※他サイトより転載した作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる