【完結】『ルカ』

瀬川香夜子

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二章

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 暖かな湯に浸した身体から力が抜ける。最後に浴室から帰ってきたハリスを迎えて三人でベッドに腰掛ける。
 普段はハリスとリアの二人だけだが今はそこに小さな影が加わる。
 リアとハリスはそれぞれのベッドに、そして少年はリアの隣に座っていた。
 ずっと俯いたままの少年に、ハリスと一度目を合わせる。ジトッとした赤い瞳は「どうにかしろ」と伝えて来る。

「名前、聞いてもいい?」

 リアの声に、少年の丸い瞳がこちらを向いた。一瞬戸惑うように眼を伏せ、小さく口を開く。

「アリタイツキ……イツキが名前……」
「イツキくん」

 ありたいつき……不思議な発音だなぁと思いながら繰り返す。

「追われていたこととか……事情は聴いても大丈夫?」

 ハリスは黙って聞いている。この件に関して口を挟んで来るつもりはないらしい。むしろ、少年について何か見当がついているような節もある。

「俺、なんか神子ってやつらしくて……一ヶ月ぐらい前に急にこの世界に来ちゃったんだ」

 肘の上で拳を作りながら早口で言葉を重ねていく。

「神子とかよくわかんないし、神子はみんな力があるはずなのに俺にはないらしくて、それでお城の人に色々言われて、嫌になっちゃって……」
「それで、逃げてきたの?」

 力が強く小刻みに震える拳を手で覆う。反射的に強張ったイツキの体はすぐに脱力してその丸い頭が小さく揺れた。

「力が使えるようになるまでは王宮から出れないって言われてて……なのに急にお披露目をやらなきゃいけなくて、顔が知られたらもう終わりだって思って……」

 ぐずっと鼻を啜って、イツキの黒い瞳が潤みを増していく。そのうち目尻に溜まった滴が瞬きと同時に弾けてリアの手に落ちる。
 異世界から来る神子。どこか本の中のように遠く思っていた。慈愛を浮かべた笑みで人々に尽くすようなものだと勝手に想像していたが……。
(こんな子供が来るなんて……)
 リアが知らないだけでこれは当たり前のことなのか?まだ幼いこの子は、この世界のことも何も知らず、突然この世界に招かれた?
 そして、見知らぬ街で一人で逃げ出すほどに追い詰められている。
(ひどい……)
 なぜ、この子が泣かなければならない。責められねばならない。
 怒りを示したいのはイツキの方だというのに。

「俺のこと、連れて行く?」

 諦めた様に笑いながら瞳の奥はなおも悲しく揺らぐ。そんな子供を前に、誰が無慈悲に連れていくものか。

「ううん……大丈夫。俺たちはイツキくんのこと傷つけたりしないよ」
「リア」
「ハリス」

 慰めの言葉に鋭くハリスの横やりが入るが、同様に名前を呼んでお互いに黙殺する。

「神子をいつまでも匿えるわけがない。やめろ。今すぐ外に放り出すんだ」
「そんなこと出来ません。この子泣いてるんですよ?」
「泣いているからなんだ。神子としてこの世界に呼ばれたらそいつが出来るのは力を使って民に尽くす代わりに居場所を貰う。それだけだ」

 いつになく冷たい声でハリスがそう吐き捨てる。ハリスの言葉に少しずつ体を固くしていくイツキが見ていられず抱き寄せて耳をふさぐ。

「それはこの子が望んだわけじゃない!急にこっちに来て戸惑ってるんですよ!」
「だからと言って泣いても帰れないよ。今まで帰った神子はいない」
「そんな……」

 それじゃあイツキに逃げ場なんてないじゃないか。
 神子は、神の使いだというからその役目を命じられた上でここに来るのだと思っていた。本人もそれに納得しているのだと……。
 それなのに、本当は何も知らない子供が自分とは関係ない世界の為に生き方を強制されていた?それをこの国は良しとして今まで成立していたのか?
 神様とやらは何を考えているんだ。
 ぐつぐつと煮えるような怒りが湧き上がる。

「知らないよ……俺は力なんて持ってないし……なんで使えないのかだってわかんない……ただ、帰りたい……帰りたいよ」

 リアの胸に縋って泣くイツキは「おかあさん」と控えめな声で請う。
―――お母さん、お母さん
 子供の泣く声がする。
―――うるさいわね。静かにしてよ
 それはすぐに冷めた女の声でかき消され、小さな両手を握った子供だけが取り残される。
 一度伸ばそうとした手は、諦めた様に落ちて自分の肌に触れた。
(イツキくんのお母さんは、きっと優しい人なんだろうね……)
 一人で心細い時、そうやって呼べるほど母を信じているのだろう。縋って名前を呼べるほど、母の存在が大きいのだろう。
(だって振り返ってくれるってわかってないと呼べないもの……)
 孤児だというリアはきっと母に捨てられたのだ。
 ズキンと痛む胸がそれを肯定している。リア自身は母のことが好きだったのだろうか。それとも嫌いだった?
 考えてもわからず、ただ腕の中の子供を抱きしめる。少しでも心が安らげばいいと思った。
 何の戸惑いもなく母を呼ぶ少年の姿に更に自分の中の怒りが深くなる。家族と幸せに暮らしていたはずの子供に強いているこの国が、とても腹立たしい。
 サラサラと流れる髪に指を通していれば、こちらを見つめるハリスと目が合う。
 赤い瞳は何を考えているのかわからない。抱き合う二人を見て、何を思っているのか。
 怒っている?呆れている?
 軽く唇を噛んで下を向いた口角。目尻がきゅっと細くなって一瞬ハリスまで泣きだしたのかと思った。
 瞼に隠されて再び赤い色が覗く頃には普段のハリスに戻っていて、額に片手を置きながら長く息を吐いて音を載せた。

「力が使えないって言ったね」

 イツキを見下ろせば、黒い頭が上下に動く。

「何か原因などの話はされたか?」

 今度は左右に振られて毛先がリアの首筋を掠めた。

「はあ……少し気になることがある……君の普段の様子を見たい」

 服を握るイツキの指が強くなる。リアも無意識に抱き締める腕を固くしていた。
―――つまり、それって……

「一緒にいてもいいんですか?」
「少しの間だけだ。そう長い間は匿えないしお披露目までには絶対に警備隊の元に返す」

 期待したリアに釘を刺す声を聞きつつもイツキに笑みを向ける。

「すぐ帰らなくていいの……?」

 ポカンと口も瞳も丸く開いたその顔が、少しずつ歪んで行って最後にリアの胸に埋まる。
 リアが笑って受け止めれば、ハリスはフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。

「あ、ベッドどうしましょう……元々二人部屋ですし……」
「三人で入れる部屋は空いてない。お披露目前で人が増えてきているからな」

 どうしようかと頭を悩ませれば、イツキが「あの」と声を上げた。

「お、俺リアと一緒でいい。一緒がいい」

 引き離されることを恐れるようにリアの体に回った腕が強まる。怖がりながらもハリスを見上げて発した声に、ハリスは何か言おうとはしたもののすぐに閉じて「好きにしろ」とあしらった。



 ハリスが宿の人に話しを通してくれていたおかげか、夕飯は部屋に三人分届けられた。本来二人用の机にぎゅうっと三人分の食事を並べる。椅子は宿の人が追加で持って来てくれた。

「ご飯食べられそう?向こうと食事はそんなに変わらない?」
「うん……美味しい……」

 頷きながら小さな口に運ぶ姿は可愛らしい。

「イツキくん、年はいくつ?」
「十四……」
「十四歳……」

 はっきりとした数字にされると改めて突きつけられる。この子はまだ子供なんだと。

「リアはいくつなの?」
「え?」

 年齢……?今まで聞かれる機会も考えたこともなかった。それなりに体は成長しているがまだ若いと称される頃合いではあると思う。

「リア……?」

 答えないリアを不思議そうに黒い瞳が見つめる。丸いそれに見られると期待に応えられない自分が申し訳なくなる。

「十八だ。俺も、リアも」

 答えあぐねていれば、事情を察しているハリスが口を挟んで助けを寄越してくれた。

「じゃあ俺と四つ違いだ」
「そうみたい」

 自分でも初耳だ。ハリスとはそう変わらないだろうと思っていたが同じ年だったのか。

「そうみたいって……自分のことなのに?」
「あ~……実は記憶がなくてね……あんまり自分のことは覚えてないんだ」
「そうなの……?」

 リアを見つめていたイツキはふいっとハリスの方に視線を向ける。

「ハリスは……」
「ん?」
「ハリスとはいつから一緒にいるの?」

 どうしてそんなこと聞くんだろうと思いつつも「二週間ぐらい前かな?」と口に出す。まだ、ソニーの家を出てからそれだけしか経っていないんだ。
 イツキは既に興味を無くしたのか「ふーん」なんて気のない返事をして食事に戻ってしまった。


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