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 一人でアトラクションの列に並ぶのも気が引けて、陽希はとにかく歩いていた。建造物や道行く人の楽しげな雰囲気を見ているだけでも、十分に物珍しく、楽しかった。
 色んなものに目移りしているうちに、視界は見慣れた景色になって、そこでやっと自分が園内を一周してしまったのだと気づいた。
(どうしよう……なにをして過ごせばいいんだろう……)
 急にすることがなくなっておろおろと動揺したが、戻ってきてしまったメインエントランスの広場には、ちょうどいくつもベンチが置かれていたのでそこに座って落ち着いた。
 どうしようかな。悩みつつ、陽希はぼんやりと周囲に眼を配った。
 広場の中央には円形状の花壇があって、その真ん中には、この遊園地のマスコットキャラクターが花によって描かれていた。
 入場してきたお客さんは、まずそこで写真を撮っていく人が多いみたいだ。
(そっか、写真か……)
 そこでふと気づいた。そうだ。ただ歩くよりも、思い出として残るし、よりこの時間を楽しめそうだ。
 制服のポケットにしまいっぱなしだった携帯を手に取り、カメラを起動した。まずは、と他の人に倣ってメインエントランスの写真から――そう思って、カメラを向けたとき。不意に低い声で名前を呼ばれた。
「あれ、稲葉? お前一人なのか?」
 突然のことに驚いて振り返る。すると、そこには同じクラスの飯山がドリンク片手に、彼も驚いた様子でこちらを見ていた。
 多田のように短く揃えた髪が活発そうな印象を与える男子生徒だ。けれど、すっきりと規定の制服を着こなす多田とは違い、飯山はシャツは全開で、その中からは柄物のカラフルなTシャツが見えていた。遊園地だからと羽目を外しているわけではなく、彼はこれが日常だ。
 ダボついたスラックスの裾を折りたたんで捲っていて、いかにもチャラチャラした様子の彼だが、授業中の居眠りと掃除当番のサボり以外は真面目な生徒である。
 陽希と同じ掃除当番で、そして今まで一度も顔を出したことがないサボりの常習犯でもあり、担任である太田からは意図的に存在をしれっと忘れられている生徒だ。
「飯山くんは休憩中?」
 カラフルなドリンクを飲む様子にそう訊いてみると、飯山はちゃっかり隣に座ってくると、ストローを咥えたまま「いや」と首を振った。
「俺こういうとこ初めてで、どうやって過ごしたらいいかわかんねーんだよな。とりあえず飲み物でも買って座ってっかなーと思って」
 俺と一緒だ。そう思うと、この賑やかな園内でどこか感じていた切ない疎外感が和らいだ。表情を緩めて陽希は頷いた。
「そっかあ。俺も一緒だよ。こういうとこ初めてで、どうしたらいいか分かんなくて……」
 やることもなく歩いていたら、一周して戻ってきてしまった。そう言うと、飯山はおかしそうに口角を上げて「マジ?」と言った。そうして、背もたれに寄りかかって空を見上げると意外そうに息をついた。
「なんか意外だなあ。稲葉って、一人っ子っぽいじゃん? 真面目でいい子なお坊ちゃんて感じするから、家族でこういうとこよく来てそうなイメージ」
「……そんなふうに見える?」
 自分でも意外なくらい静かな声だった。べつに勝手なイメージを抱かれて怒ったわけでも、気分を害したわけでもない。むしろ、どこか安心した思いだった。
 現実は飯山のイメージとは正反対だ。家族での外出なんて、母の実家に顔を出すぐらいしかない。それもみんなで楽しくお出かけ、なんて温かいものでもない。
 だが、そんな内情を知らない飯山からみれば、陽希はそういった当たり前の愛情がある家族の元で過ごしてきたように見えているのだ。ということは、少なくとも彼にとって陽希は、愛がないような冷たい人間には見えていないということ。
 それは嬉しかった。けれど、そんなこと言えるわけもないから、嬉しがって訝しくされるわけにもいかない。
 そのために感情を押し殺したみたいな静かな声が出てしまって、飯山はそれを陽希が戸惑っていると思ったようだ。
「いや、お前のことよく知らねーのに変なこと言って悪い。これ、俺の勝手な想像な。気悪くさせたらごめん」
「ううん。大丈夫だよ」
 大袈裟に謝るわけでもなく。かといって心がこもってないわけじゃない。自然な様子でさらりと流すように謝罪の言葉を言われて、なんだか気が抜けた。
 飯山は人の機微に聡い。今だって、陽希のちょっとした様子から察して言葉を撤回して見せた。
 彼を見た目の派手さから粗暴な問題児だと噂される生徒からすれば、青天の霹靂だろう。だが、陽希は飯山が周囲で噂されるような男ではないと知っているので、さほど意外でもなかった。
 彼は授業は寝ているくせに、ノートは綺麗すぎるぐらいに整っているし、宿題だって忘れたことはなかった。普段、委員長としてよく回収役をさせらているので、間違いはない。
 陽希からすれば、なぜ彼が居眠りと掃除当番のサボりの常習犯なのかが不思議だった。
「俺が友達いねーのは自業自得だけど、稲葉がこういうときに一人ってなんか意外だな」
 ドリンクに口をつけ、飯山は陽希を横目に捉えた。それに首を傾げて返す。意外、なことだろうか? 陽希自身からすると、一人ぼっちなのは当たり前のようなものだが。
 困惑した陽希に、だってよ、と飯山が続けた。
「学級委員やってて、いつもみんなに頼りにされてるしよ……俺とは違ってみんなと仲いいだろ?」
 当たり前みたいな口調でさらりと言われて、陽希はさらに困ってしまった。
 嘘を言うのも違う気がして、頷けない。
 確かに陽希を頼ってくれるが、それは仲がいいからではない。委員長という――ただそういう役割に置かれているから、誰でも気兼ねなく話しかけてくれるだけなのだ。
 班行動などで気まずい思いをすることもなく、誰とでも満遍なく話せる。かといって、こういう学校行事の時に一緒にいてくれる友人はいない。
 ただのクラスメイトで、なにかあったときに頼れる委員長。それが、みんなからみた陽希の立ち位置だ。
 飯山の言葉に、頷くことも否定することも出来ず、陽希はそっと眼を伏せてふと湧いた淋しさを押し込めた。
 淋しいと思う資格は、自分にはない。陽希自身が、他人と深く関わることを避けている。それもこの状況を招いている原因の一つだからだ。
(だって……誰かとの距離が近くなればなるほど、俺が愛のない人間だって、気づく人がいるかもしれない……)
 それは陽希にとってなにより恐ろしいことだ。困っている人に声をかけるのも、頼られたときに返す優しさも、すべて空っぽだと知られてしまう。
「俺は、そんな大した人間じゃないよ?」
 否定も肯定もしない。謙遜にも聞こえるようにと、控えめに笑って言った。だが、飯山はストローを噛みながら訝しくするように片眉を上げた。
 その仕草が、まるで陽希の内心を見透かそうとしているようで、心臓がきゅっと縮み上がる気がした。
 ビクビクとした心境でいると、急に飯山は探るような緊迫感を消してけろりとした顔で笑う。
「まあ、さっきも言ったけど、俺ら大して喋んねーし全部俺の勝手な想像だしな。……稲葉はこのあとも一人で回んのか?」
 独り言みたいに言った後、飲み終わったドリンクをカラカラ振っていたが、チラリとその瞳が陽希を見た。問いかけに、頷いて肯定した。
「うん、そのつもりだけど……?」
 一緒に回る人もいないし、そうするしかない。
 どうしてそんなことを訊くのだろうか。首を捻った陽希をよそに、飯山はよしと意気込んでベンチから立ち上がった。
 飯山の手から、ひょいと投げられた空のドリンクが、近くにあったゴミ箱に綺麗に放りこまれる。それを眼で追いかけていた陽希は、内心で感心した。
 視線を戻せば、飯山の瞳とかち合った。パチリと一度瞬いた彼の瞳は、弧を描く。
 ニッと深く口角を上げた彼の表情は、悪戯心を感じた。だが、夏の太陽のようなカラリとした眩しい笑顔にも見えた。
 はっと、陽希が一瞬眼を奪われているうちに、飯山は背後のアトラクションエリアを親指で示して言い放った。
「じゃあ、一緒に行こうぜ!」


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