【完結】花は一人で咲いているか

瀬川香夜子

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 十一月に入ってから、急激に気温は落ちて寒さも厳しくなった。
 撫子はバス通学なので、自転車や歩きの生徒に比べればまだマシだろう。それでも停留所から学校までの数分でも指先が冷えるので、撫子はニットカーディガンの袖を伸ばして手を覆った。
 出欠確認の時間が迫っているからか、パタパタと駆け足で階段を上る生徒に撫子も続いた。教室につくと、ちょうど四条が撫子のクラスから出てきた。
 撫子を認めた彼は、「おっ」と眼を開き、屈託なく笑う。
「今日はいつもよりギリギリだったな。残念だけど、俺はクラスにもどるわ」
 去りゆき際、言い忘れたとばかりに「おはよ」と短い挨拶が交わされ、撫子も彼の背中に同じ言葉を返した。
 かじかんで赤くなっていた頬が、今度は内側から熱を持つ。
 ほくほくした気持ちで席に向かう途中で、どこからか女子生徒の声が届いた。
 ――ねえ、四条くんって急に明るくなったよね。前はムスッとしてて怖かったけど、意外と優しいし。
 ――サッカー部は辞めちゃったらしいけど背高いし、頭もいいじゃん? 最近結構みんな噂してるよお。
 途端に、朝のふわふわしていた気持ちが急激にしおれていった。
 ちょうど席についたタイミングで教師がやって来たので、咲恵や美南には軽く手を振って朝の挨拶を交わす。
 教師が読み上げる連絡事項を、聞くともなしに聞きながらふとさっきの女子生徒たちの会話を思い出す。
 最近になって、ときどき四条の噂話を聞くようになった。
 もしかして四条丞はかっこいいのではないか、という色めきだった噂だ。
 撫子なんかは彼の良さに前から気づいてはいたけれど、接触する機会のない他の生徒は最近になってから四条のかっこよさに気づき始めていた。
 彼の雰囲気が以前より柔らかくなったというのもそうだが、なにより四条が長かった前髪をさっぱりと短く整え、外見から変わったからだろう。
 撫子が駐輪場で盗み聞きしていた数日後のことだ。
 ふらりと撫子たちの教室にやってきた四条はすでに髪を切っていた。隠れていた切れ長の瞳や通った鼻筋など、精悍な整った容姿を満遍なく晒し、しかし本人は大して気にもせず平気な顔でやって来た。
 ビックリした撫子たち三人は、眼をしばたたいて言葉をなくしたものだ。
 しまいには、部活やめてきたからとすっきりした顔で言い、それ以来、昼休みや放課後はしょっちゅう撫子のクラスまでやって来る。
 宇崎のことが吹っ切れたからなのか、以前よりも雰囲気や口調が明るくなった四条は、持ち前の正義感を駆使して困っている生徒は男女問わず助けるので、ときどき口調がきついなんて声も聞くが、周囲の評価はうなぎ登りだ。
 今じゃクラスに現れると、女子生徒たちがどこかソワソワと浮き足立つのが分かるほどだ。
 咲恵と美南も最初は不思議そうだったが、今じゃすっかり受け入れて四人で過ごすことが多くなった。
(いまだに戸惑ってるのは俺だけみたい……)
 今の四条が受け入れられないわけじゃない。一人で陰鬱な雰囲気を放っていたあの頃よりは、今のほうがうんと健やかだろう。それでも、心の中のどこかで女子生徒の黄色い声を耳にする度に、自分だけが知っていたあの頃に戻りたいと思ってしまうことがある。
 ――いや。俺だけが知ってたなんて、そんなことないか。
 自分の傲慢さに、ひっそりとため息が出た。詩織がずっと好意を向けていたように、撫子が気づいたように。きっと今までにも彼の良さに気づいた人間はいただろう。ただ、少し前までの彼はガチガチに固めた鎧を武装していたから、傍にいつかなかっただけで。
 それも今まではの話だ。これからはどうだか分からない。
 現に、一ヶ月と経たずにこうして女子生徒の間で度々話題になるほど彼は変わった。
 宇崎への想いはなくなったと……初めから恋じゃなかったと言っていた。
 つまり彼の心には今、空席があるということだ。はじめから男が好きだと言うわけではないから、本来の性的嗜好は女性に向けられるはずだ。
 授業が始まって、心あらずのままノートや教材を開いた。
(……この中に、四条くんの恋人になる人がいるのかな)
 ノートに落とした視線を、そろりと教室内に巡らせた。最後に、さっき四条の話をしていた女子生徒に行きつき、つきんと胸が痛んだ。
 女子生徒と並んで歩く四条の姿を浮かんで、薄ぼんやりとしていた恋人のイメージが少しずつ明瞭になっていって最後に詩織の顔が現れた。
 途端にぐっと心臓が動きを止めたような、そんな引き絞られるような痛みが全身に走った。
 最初に話を聞いてしまった手前、詩織とはあれからも定期的に会っていた。
 相談に乗る、というよりも、彼女がずっと一人で溜め込んでいた四条への想いや過去の後悔を、ただ聞いているだけだ。
 そのせいだろうか。彼女がどれだけ四条のことを想っているか知れば知るほど、彼にお似合いな気がして、今さら相談を受けられないとは言えなくなった。
 けど、積極的に応援するようなことも出来ずにいる。
 とりあえず四条にもしたように、まず認知してもらおうなんて言って挨拶から始めてもらった。
 詩織は引っ込み思案な性格ながら頑張っているらしく、毎日必ず四条に声をかけていた。
 そのおかげか、最初は不思議がっていた四条も、今じゃなんてことない顔で挨拶を交わせるほどにはお互い馴染んでいた。
 自分で言ったことなのに、結果として進展しているさまを見てしまうと、体が軋むようだった。
 救いなのは、咲恵や美南がアシストに積極的ではない点だろうか。
 あれだけ意気揚々と恋バナに眼を輝かせていたが、その相手が四条だと分かるとどこか勢いをなくした。彼が撫子に相談をもちかけていると知っているので、さすがに玉砕の可能性が高い詩織に発破をかけることは出来ないのかもしれない。
 二人は、四条の恋が終わりを迎えたことを知らない。
(教えてあげないなんて、ずるいよね……)
 四条のことを勝手に話せない。なんて建前を掲げているが、本当は二人が意気揚々と詩織の背中を押すのが怖いのだ。
 無心でペンを走らせる撫子は、どこかから流れてきた冷えた風に手を止めた。横目に見ると、窓の一つが換気のためにか少しだけ開いていた。
 寒い……。
 そう思ったのは窓際の生徒も同じなのか、板書をする片手間に静かに窓は閉められた。それなのに、冷気が触れた撫子の手元から寒気が消えない。
 手の甲を、もう一方の指でさする。しばらくそうしていると肌の表面が一時的に赤くなった。それなのに、寒さが消えない。
 もうすぐ本格的な冬がやってくる。
 心に忍び寄る冷たい過去の気配に、むせ返るように胸の内の黒いもやが大きくなった気がした。

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