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しおりを挟むフードコートを出て、最後の三階を見て回る。最上階であるこのフロアには、映画館やゲームセンターなどの娯楽施設が多い。
ゲームセンターでは小学生から撫子たちと同世代ぐらいの子どもたちが多く集まっているなか、二人も適当に遊んでみたものだ。
しかし、大きな音に慣れていないせいか撫子の耳と頭が痛み出し、それに気づいた四条が次に行こうとそそくさと連れ出してくれた。
まだ耳の奥でガヤガヤした騒音が鳴っているような錯覚を覚えつつ歩いていると、ふいに隣の四条が足を止めた。気づいた撫子も止まって振り向くと、ちょうどそこはジグソーパズルの専門店だった。
エスカレーター前の小さなスペースに構えるその店は、通路側のディスプレイや棚の上の壁など、空いたスペースに色んな柄の完成されたパズルが飾ってあった。
あまり詳しくない撫子でも知っているようなアニメのキャラクターから、風景写真やイラストなど、さまざまな種類のものが並んでいる。
興味を持ってもらえるよう、特別目を惹くものを選んでいるのだろう。どれも鮮やかな色合いで、思わず「綺麗だね」と声が漏れた。
「昔から一人でする作業が好きだったんだ。特にパズルはよく作ってた」
ふらりと誘われるような足取りで進む四条に、撫子も後に続く。と、四条が苦笑した。
「まあ俺は作る作業が好きなだけで、完成したら放っておくもんだから呆れた母さんが飾ったりしてたけど」
「じゃあ四条くんのおうちはたくさんパズルが飾ってあるんだね」
小さい頃からやっているなら随分と完成品も溜まっていることだろう。さすがに全部を飾ることは難しいだろうから、いくつかはしまい込まれているのか。それはなんだか勿体ない気もするな、と撫子は店内の壁を彩る作品に眼を向けながら思った。
「子どもの頃に作ってたのはああいう大きなやつじゃなくて、子どもでも持てるような小さいやつだから、見てもそんなに驚かないと思うぞ」
「今はもう作ってないの?」
問いかけに、楽しそうに店内を見ていた四条の足が止まった。
「……ああ。小学校に入ってそう経たずにやめたんだ」
固い声とともに、四条はすぐそばの陳列棚から商品の箱を手に取った。しかし、ろくに見もしないうちに棚に戻し、そして次の商品を手に取る。
まるで手を動かしていないと落ち着かないとでもいうような様子で、四条はあてもなく同じ動作を繰り返した。
「さっきクラスで孤立してた話したろ? その頃、ちょうどジグソーパズルを学校に持って行って休み時間に作ってたんだ。小さいやつでさ、もうすぐ完成だってときにちょっと席を外したらバラバラに壊されてた。壊したのは俺があのとき注意したやつじゃなくて、そいつにやれって言われたほかのクラスのやつ」
踏ん切りがついたのはそのときだと彼は語った。
ほかの人間はみんな自分のように正しく生きてるわけじゃない。期待するだけ無駄だと。
床にばらまかれたピースを一つずつ拾っていく中で思ったのは、周囲の人間の弱さへの怒りだったそうだ。
「なにをされても、なにを噂されても平気だったけどあの瞬間だけは自分が惨めに感じた。どうして正しいことをした自分が、こんな眼に合わなきゃいけないんだって周囲の人間に怒りが湧いた」
そう言って眇められた瞳は、初めて会ったときのあの昏い色を宿していた。
ああ、と撫子は納得する思いだった。
(そっか……四条くんは周囲の人に見切りをつけちゃったんだね)
だからこそ、高校に入ってから宇崎に好意を持ったのだろう。自分と同じような行動をとった宇崎を見たとき、彼はどれほど嬉しかっただろう。
(そりゃ、俺のことなんて嫌いだよねえ)
ヘラヘラ笑って周囲の人間と調子を合わせる撫子のことを、好ましく思うはずがない。
あの刺々しい態度にようやく納得がいった。
(俺って四条くんが嫌いな人間象そのまんまじゃないか?)
そう思うと、心臓がきゅうと絞られたように痛み出した。
四条と撫子がこうして会っているのは、全て四条の恋を成就させるため。その相談のためなのだと改めて気づかされて、友達みたいだと思っていたさっきまでの自分が猛烈に恥ずかしくなった。
この場から――四条の前から逃げ出したい。そう思ったが、四条を置き去りにしていけるわけがない。それでも撫子は自然と肩が竦まり、体は小さくなっていく。
「あれ以来パズルはしてないんだ。ついあの時のことを思い出して悔しくなるから」
あのパズル、どこやったっけかな――。
小さくなっていた撫子をよそに、四条がふと呟く。彼は手に取っていた商品を棚に戻し、外箱の側面を惜しむようにそっと指先で撫でてから離れた。その仕草は、今も四条の心に残るパズルへの愛着を感じさせた。
不意に撫子の脳裏に、膝をついて散らばった小さなピースを拾い集める子どもの姿が浮かんだ。途端に、心臓を直に鷲掴みされたような痛みと苦しさが体の中心を走り、気づけば四条の手を取っていた。
さきほど外箱を撫でた指先を、撫子は両手で包みこむ。脳裏に浮かんだ、幼いころの四条を抱きしめるようにそっと。
「新しいの作ってみようよ」
「え?」
「最後の記憶がそのときのだから、きっと頭の中に残っちゃってるんだよ。嫌な記憶はさ、上書きしちゃお? ほら、初めて友達と出かけた記念ってことでお揃いの買おうよ! そのパズルをやるときは、昔のことじゃなくて今日のこと思い出すでしょ?」
ね? いいアイディアでしょう?
世紀の大発見とばかりににこやかに笑った撫子だが、内心では拒絶されやしないかとヒヤヒヤしていた。
言われた四条は、虚を突かれたように見開いた眼でゆっくりと瞬きを繰り返した。
(少しでも悲しんだり不安な顔を見せたらダメだ。そうしたら四条くんは気を遣われたって思って、逆にそのときのことを思い出しちゃう)
撫子の今の表情も言葉も、今日のことはすべて明るく前向きなもので記憶に残してもらうんだ。
笑顔を作るのなら得意だろう。と内心で自分を奮い立たせた。
「俺、ジグソーパズルってやったことないんだよね……いろんなのがあるし迷っちゃうな。四条くんのおすすめは? どういうのが好きなの?」
すぐ傍の棚から適当に両手に商品を持って見比べてみるが、なにを選んだらいいのか分からない。
振り返って訊くと、呆気にとられて撫子を眺めていた四条が我に返って隣に並んだ。
「おすすめかあ……」とどこか心あらずな様子で呟き、そのまま商品に手を伸ばしたかと思えば、触れる前にピタリと止まった。
どうしたのかと首を傾げると、四条の瞳がゆっくり横に滑って撫子を認めた。瞬きもなく真っ直ぐ見つめてくる瞳は、店内の照明のせいかいつもより光が多く感じた。一瞬、潤んでいるような錯覚を覚えて心配になった撫子が、躊躇いがちに彼の指先につんと触れて名を呼んだ。
途端、四条は想起するように瞳を揺らした。
もしかして小学生のころを思い出しているのかも――。
少しでも嫌そうだったらやめようと思っていた撫子は、「急に言われたって切り替えられないよね」と笑って撤回しようとしたが、四条のほうが少し早かった。
控えめに撫子の指をさすったと思えば、するすると存在を確かめるように手のひらが重なった。四条は触れ合った二人の手を見下ろして、ゆったりした口調で言う。
「俺さ、ずっと相手にばっか怒ってた。俺じゃなくてあいつらが悪いって……俺は正しいことをしててなにも悪いことはなかった。つい最近まで本当にそう思ってた」
ぽそぽそと落ちる言葉は、吹けば飛ぶように弱々しい。
そう思うのも無理はない。撫子は思った。
実際に女子生徒にひどいことをしていたのはその生徒たちで、四条は声をかけただけだ。それなのに自分が爪弾きにされて、しかも誰も声を上げてはくれなかったのだから。
(けど、つい最近までってことは今は違うのかな……?)
「見守り活動のときのお前を見て、思うようになった。あのとき別の言葉を投げかけてたら別の未来があったかもしれない。相手に合わせて言葉を変えるなんて、俺は思いもしなかったから」
苦笑する四条の姿は、落ち込んでいるようにも見えた。
「あの時はあの子がちゃんと分かってたから優しい言葉で言ったんだよ。優しくすると聞き流す人もいる。そもそもそう言う人に声をかけること自体がすごいことだもん。悪いのは最初に人に意地悪してたその子たち。きみがそんなふうに落ち込んだり、考え込んだりしなくてもいいんだよ」
自分の態度で四条が思い悩んでいるのが心苦しかった。撫子は嫌われることが怖くてつい誰にでもいい顔をしてしまうだけで、彼が言ってくれるような立派な人間ではないのだ。
身を乗り出すように熱の入った口調で言った撫子に、四条はふきだすように笑って肩を震わせた。
年相応な少年の顔だ。まるで撫子がそう言うことを分かっていたような、そんな晴れ晴れしさがあった。
腹を抱えるほどの大笑いに、思わず身を引いてしまう。
「え? な、なんで笑ってるの?」
「はは、本当にお前って、なんでいつも俺の欲しい言葉を言うんだ?」
こんなに表情を崩している四条の姿は初めてで、つい眼を奪われていると言葉尻を聞きはぐってしまった。
「四条くん? 俺、なにか変なこと言った?」
「いや。変なことなんていってないよ」
不安になって訊ねたが、キッパリと否定されてほっと胸を撫で下ろす。じゃあなんで――眼で問うと、さっきまでの賑やかな笑いと違って、四条は薄く柔らかに微笑んだ。その眼差しがあんまりに優しくて、ドキリと胸が音を立てた。
「前にも思ったんだけどさ。お前があのとき、俺の傍に……あのクラスにいてくれたらなって思ったんだ。ただ、それだけだよ」
「それだけって……」
いささか納得出来ない。そんなことで笑うだろうか。
けれど、四条はそれ以上語るつもりはないらしい。
「お前がいたらなんて……。変だな。宇崎のときは仲間を見つけたみたいで嬉しかったけど、こんなふうには思わなかったのに……」
囁き声を撫子は聞き取れなくて、すぐに訊き返したが、四条は満足げに笑うだけだった。
結局どうして笑っていたのかは分からずじまいだ。そんなにしつこく聞き出すほどでもないかと渋々納得して、撫子は再び店内に眼を移した。
「そういえばどうする? 記念に買って帰る?」
ハッキリ答えをもらっていなかったのでもう一度訊くと、四条は晴れやかな顔で大きく頷いた。
「初心者でも出来るのがいいなあ」
「べつに形が合うのをくっつけていくだけなんだから誰でも出来ると思うぞ」
「ほんとに? ……へえ、こういう壁にかけるやつじゃないのもあるんだ」
レジ近くに吊り下げてあったのは、完成するとキーホルダーになるという立体パズルだ。
完成品はピンポン球ぐらいの大きさの球状で、夜の星空が描かれている。
撫子の手元を覗き込んだ四条も、関心をもつように言った。
「こういうのは知らなかったな。俺が子どもの頃はこういうのなかった気がする」
「じゃあこれにする? 完成したらキーホルダーで持ち運べるし、置いておくとしても場所は取らないでしょ?」
「俺はいいけど……多分ピースが細かいし、球状になるからはめ合わせるの難しいかもしれないぞ?」
「うーん。そうなったら四条くんに助けてもらってもいい?」
覗き込むように首を傾いだ撫子をチラリと見た四条は、考えるように顎に手を置いてからふいと顔を背けた。
「いやだよ。こういうのは自分で完成させる達成感がいいんだから」
言葉とは裏腹に、その口ぶりは軽やかで口許には笑みがあった。
そんな気安い冗談を四条が言ったことに驚きつつも、撫子は友人同士みたいなじゃれあいが嬉しくってついつい吹き出してしまった。
「えーなんでさ。ちょっとぐらい助けてくれてもいいでしょう?」
すると、やだよと笑いを隠しきれない声が返ってきた。撫子たちは何度か同じやり取りを繰り返して、そうして最後は笑いながら星空の立体パズルを手に一緒にレジに向かった。
こぢんまりとした小さなお店だったのに、二人はどこよりも長く過ごしていた。
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