10 / 32
10
しおりを挟む下校や部室に向かう生徒が階段を下りてくる中、撫子はその流れに逆らって上っていた。
撫子たち二年生の教室の一つ上の階は、三年生の教室が並んでいる。時々、見知った上級生の女子生徒に声をかけられ、通り過ぎ際に手を振り返す。
あまりに混雑していたので人波が落ち着くまで踊り場の隅で待ってから上りきると、すでに大半の生徒はさっきので出払ったのか意外と静かなものだった。
一つの教室のドアからひょこりと中を覗き、後方の席に見慣れた女子生徒の姿を見つけた撫子は顔を明るくした。
ウェーブのかかった特徴的な赤茶の長髪。その姿は遠い日の母の面影によく似ていて、彼女に会う度に微かに胸を過る郷愁に、撫子はどれだけ経っても忘れることの出来ない自分自身に対し、ちょっぴりと苦い思いを抱えた。
そうやって刹那の感傷に囚われているうちに、撫子に気づいた一楓が手招きをしてくる。
教室前方には数人の男子生徒の集まりがあり、撫子はなかに踏み入ることに躊躇いを覚えた。が、呼ばれて行かないわけにはいかない。
結局ちらりと集まりを気にしつつも、「失礼します」と小声で断わってからこそこそ入室した。
自分の横面に上級生の視線を感じつつ、撫子はなんてことない顔を装いながら一楓の元に行き、手元の袋を差し出した。
「一楓さん、これありがとうございました」
袋に入っているのは一楓から借りていた教材だ。彼女は貸したときにはなかった包装が不思議な様子で、受け取ってからそっと中を覗き込んだ。そうして自分の貸した教材の他に小袋のお菓子が入っていることに気づくと、呆れたようにふっと笑う。
「相変わらず律儀ね。べつに使わなくなったやつだからお礼なんていいのに」
「お礼というか……たまたまこのまえ駅前のお店に行ったのでお裾分けです。そのお店のお菓子好きでしたよね?」
先日の勝負服選びに駆り出されたとき、帰るときのバスの待ち時間で買ったものだ。女性に人気の焼き菓子店で、美南や咲恵もよく話題に出している。放課後のお菓子パーティーでも度々眼にするし、そのときに一楓がとても気に入っていたことを偶然思い出したのだ。
全国にいくつかお店を展開するチェーン店だが、この近辺では駅前にしかない。お菓子のロゴを見た一楓は、ちらりと撫子の様子を探った。
「まさかこのために買い物に行ったわけじゃないわよね?」
「違いますよ。駅前のショッピングモールに用事があったのでそのついでですってば」
そう言うと、一楓はほっと息をついた。
年の離れた弟がいるせいか、一楓はまるで姉のように撫子たちに接してくれる。しっかり者で面倒見がいい本人の気質も関係しているのだろう。とにかく後輩――といっても仲の良い一部の生徒ではあるが――を可愛がってくれる。
その可愛い後輩に面倒をかけたわけじゃないと知って安心したのだ。
長い赤茶の髪を耳にかける姿は、女性の美醜に興味の薄い撫子でもドキリとしてしまうほど美しい。
今は穏やかに会話をしてくれているが、元来の一楓はひどい男嫌いだ。
中学時代から仲の良い美南にチャラついた優男と噂の撫子がくっついていると聞いて様子を見に来た初対面は、ひどく刺々しい雰囲気で相対したものだ。
その誤解が解けた今では、美南や咲恵と変わらず後輩として可愛がってもらっている。
目尻の垂れた気だるげな瞳が印象的な女性で、大人びた容姿は高校生には見えない。妖しい色気のある瞳のせいか、一楓と眼が合った男子が頬を染めているのをよく見るが、撫子からするとそれはほっとする要素の一つでもあった。
細身で癖のある長い髪――という、母を彷彿とさせる容姿の中で、一楓の緩く垂れた瞳は全く母を感じさせない特徴的なものであるからかもしれない。
「そういえば、美南や咲恵から面白い話を聞いたわよ? 最近、他のクラスの男子に何度も呼び出されているそうじゃない?」
さっきまでの出来の悪い弟を見るような親しみから一転、探るような視線が撫子を針のように突き刺す。
視線の鋭さに咄嗟に体が強ばりそうになったものの、その鋭さの奥にあるのは撫子を気遣うが故の気持ちだと分かっているので、嬉しくなる。だが一方で、内心頭を抱えたい気分でもあった。
(あの二人……一楓さんにまで言ってたのか……)
ちくちくと頬を刺すような居心地の悪さは、ここ最近で美南や咲恵から感じているものによく似ていた。
四条から相談に乗ってくれと頼まれたあの日から約二週間。撫子は三日に一度の頻度で、昼休みに四条とともに昼食をとりつつ相談に応じている。
四条の相手が男だということもそうだし、異性である咲恵や美南に勝手に恋愛相談なのだと話すのも躊躇われ、誤魔化すように用事があるからと席を抜けていたのが悪かったらしい。
こんなに頻繁に行き先も告げずにどこへ行っているのかと訝しく思われているようなのだ。
しかも、四条は四条で頼んだのは自分だからと、律儀に撫子のことを教室まで迎えに来るのだ。そのため、用事の相手が四条なのだと二人にバレてから一層、二人からの視線は厳しくなった。
今のところ物言いたげな視線で見てくることはあっても、それほど強く追求してくることはない。だから、まあ大丈夫かなと楽観的に考えていたのだが――。
(まさか一楓さんに言ってたなんて……)
いや、むしろ一楓が自分が訊いてみるからと二人を黙らせていた可能性もある。
八方塞がりのような心境だ。撫子は諦めず、とりあえずまずは誤魔化してみよう、と前向きに考えた。
得意の笑みを浮かべてけろりと言ってみる。
「呼び出しって言うか、友達と一緒にご飯食べてるだけですよ? 俺だって男の子ですもん。同性の友達ぐらいいますよ」
「今まであんたが咲恵や美南以外と一緒にいるところなんてほとんど見たことないわよ? しかも男の友達ですって?」
ふっ、と一楓は鼻で嗤うように息を吐いた。嘘おっしゃい、と眼で言っているのがよく分かる。
撫子もこれで本当に誤魔化されてくれるとは思わなかったが、ここまでキッパリ態度に出されると苦笑するしかない。
どうしようかな、と次の手を考えたときにふと思い出す。
去年に一度、一楓との関係のことで上級生の男子から呼び出しを受けたことがあった。知った一楓が知れば自分のせいでと気に病むだろうと思い、撫子はひた隠しにしていたのだが、心配した咲恵の告げ口で結局知られることになってしまったのだ。そのときの一楓の狼狽具合はひどいものだった。
撫子が頬を叩かれたというのも要因だろう。
上級生はだんまりとした様子の撫子に腹を立てて、咄嗟に手を上げたのだ。撫子の地肌が白いが故に叩かれた頬の赤みはよく目立ち、それを見た咲恵も美南も、そして後から知った一楓も揃って動揺していた。
そのときの隠し事の前科がある故に、一楓は余計に心配なのかもしれない。しかもあの時のように男子からの呼び出しだ。自分のせいで起きたと一楓が思っているあのときと状況がよく似ている。
ちゃんと答えるまで帰さないとばかりの気迫も、彼女の心配の裏返しなのだと撫子は気づいた。
そのうち耐えきれなくなったのは撫子のほうだ。空いていた誰のものか分からない隣席に腰掛け、突き刺さる視線から逃げるように眼を伏せた。
「ただ恋愛相談に乗ってるだけですよ。たしかに相談相手が男なのは珍しいかもしれないけど、今までとなんにも変わりません」
このぐらいは言っても問題ないだろう。ましてや一楓は、誰かに言いふらすような人でもない。
正確にいうと、今までの女子生徒相手のものと四条の相談では目的が異なる――。
撫子のところに話を持ってくる生徒は、主に惚気や愚痴など話を聞いてもらうことに意義を持っていた。告白すると言っても、勝負服選びの手伝いだったり、手紙と言葉、どっちがいいかなと一つの意見を聞きに来るぐらい。
けれど、四条の場合は違う。
(だって、ほとんど話したこともないって言うんだもんな……)
初めて二人で顔を合わせて昼食を取ったとき、まず撫子が訊いたのは四条とその相手である宇崎の関係性だった。
一年生のときはクラスメイトで、部活だって同じサッカー部のようだ。しかし、幼少期からサッカーをしていた宇崎は一軍で、それを追いかけるように入った素人の四条は二軍のため、ロッカーぐらいでしか顔を見ないらしい。しかも、去年同じクラスだったときだって、ほとんど話をしたことがないというのだから驚きだ。
つまり、ただ相談相手の話を聞くだけだった今までと違い、どうやって仲良くなって恋を成就させられるのか。それを考えなくてはならないのだ。
念のため、必ずしも成就できるわけでもないし、そういった相談の経験は浅いと伝えてある。
「こんなこと聞くのもあれだけど……どうして好きになったの?」
話を聞いてまず浮かんだのがこの疑問だった。
おずおずと撫子が正面の四条に問いかけると、彼は言いづらいのかわずかに眼を逸らしつつ入学当初のことを語ってくれた。
「入学してしばらく経っても、俺はクラスのやつとほとんど話もしてなかった。元々誰かと仲良くするつもりなんてなかったし、周りもそんな俺の作った壁を分かってたんだろうな。誰も話しかけてこなかった。……ある日、クラスのやつが俺のことを見てこそこそと話すのが聞こえたんだ」
いつも一人でいる四条をチラチラと見たある男子が、嗤いながら言い出したのだ。
――四条っていっつも一人でいるよな。話しかけても大して返ってこないしさ。
――ずっと背中丸めて俯いてるもんな。同じクラスにあんな暗いやつがいたら教室の空気も悪くなるよ。
さすがに本人に聞かせるつもりはなかったのだろう。潜めて話をしてはいたが、教室の広さなどたかが知れている。ひそひそとした話し声は、十分に四条に届いていた。
盗み見てこそこそする彼らの姿が嫌な記憶を思い出させて苦い思いをしていたとき、そのうちの一人がピシャンと言い放った。
「このクラスになってまだ一ヶ月だぜ? 知らない人のことをそういうふうに言うもんじゃないって」
周囲の空気に流されず、自分の意見を言う姿が四条自身に重なった。同じだと思ったそうだ。自分も陰口なんて言わずにそれを戒めると、絶対にそう言うと思ったそうだ。
そして、それを言ったのが宇崎だったらしい。
そのときのことを思い出したのか、四条の切れ長の目許に親しみのような温かい感情が浮かぶ。思っていたよりもあっさりと話が終わってしまって、撫子は失礼ながら拍子抜けした気分だった。それは四条にも伝わったらしい。
「なんだよ。いま、そんなことで? って思っただろ? 好きなんだからしょうがねーだろ……って言っても俺も好きとかそんなよく知らねーけどさ」
照れているからか捲し立てるように四条が言うので、図星だった撫子は罰の悪い思いをした。
しかし、恋というのはそういう何気ないところから落ちるものなのか、と新たな知見を得て爽やかな感心が胸を撫でた。
と同時に、同じ状況下で撫子は宇崎のように発言できるかと考え込む。理性では宇崎がしたことは当然のことだと分かるが、これから自分の人間関係を構築していこうとする場で、果たしてキッパリ言えるだろうかと思うと撫子の中に答えは出なかった。
ちらりと正面に座る四条に眼をやった。
彼は以前、正しいことを言うのに勇気なんて必要ないと言っていたっけ。
四条の印象が変わったあの見守り活動の日のことをふと思い出した。
そして四条が宇崎のような状況にいたらと想像し、彼が躊躇いもなく言ってのける姿が思い浮かぶ。短い付き合いの中でも確信めいて思えるほど、彼は自分の気持ちに正直な人間だからだ。少しの時間でも一緒にいれば、彼がどれだけ他人の眼に興味がないかがよく分かる。常に人目や相手の機嫌を伺う撫子とは対極の位置にいる男だ。
「……四条くんはさ、正しいことを言うのって怖くならない?」
「ならない。むしろ尻込みするやつの気が知れないな。ヘラヘラ笑って場の空気に流されて話を合わせるほうが嫌だろ」
間髪入れずに言われた言葉に、ズキンと胸が痛んだ。撫子からすれば、自分のことを言われているような気持ちだった。
だが本当に撫子のことを言ったのなら、四条は正面切って撫子を名指しして言うはずだ。だから自分のことを言われたわけじゃない。
そんなふうになんとか落ち着けようとしたが、どれだけ考えても自分のこととしか思えなかった。
自分の本音は押し殺し、相手に気に入られようと笑っていて、相手の求める言葉を吐く。まさに撫子自身だ。
「正しいことを言えるきみはかっこいいよね」
震えるようなこそばゆさにも似た羞恥が体をかけめぐった。
撫子がどれだけ勇気を振り絞っても出来ないことを、四条はなんてことない顔でやってしまえる。自分の中の正義感を信じ、正しい行動を出来る四条の前にいることが、猛烈に恥ずかしくなったのだ。
羞恥を押し殺し、半分は本音である賞賛を笑って伝えた。だが、そんな撫子の心の奥の奥にはいつだって臆することのない四条を眩しく思う気持ちと一緒に大きな嫉妬が隠れていた。それが口を開いた途端にぶわりと体の奥から溢れかえる。
「……けど、知らない人のことを勝手に偏見で決めつけて話を聞かなかったのはどうかと思うけど」
意地が強すぎるのも問題だ。と、口にしてから撫子は我に返って血の気が引いた。
ハッとして手のひらで口を押さえたところでもう遅い。
口走った自分が信じられなかった。今までこんなふうに我も忘れて感情のままに口をついたことはない。
母に捨てられた冬の日だって、引き止める言葉一つも吐けなかったというのに――。
信じがたい気持ちで言葉を失っていたが、すぐに目の前にいる四条のことを思い出して勢いよく頭を下げた。震える喉で撫子が謝罪を言うよりも早く、頭上から聞こえたのは罰が悪そうな四条の声だ。
「わかってるよ……ひどいこと言って悪かった」
ごめん、と頭を下げられて、呆然と顔を上げていた撫子も慌てて続いた。
「俺のほうこそ……今、ひどいこと言った。ごめん」
「いや、お前が言ったことは事実だしな……お前はなんも悪いことしてないのに、きつく当たったのは俺だ」
そう言って四条は、顔を真っ白にした撫子を見る。そうして自身の後頭部に手を当てながら「ああー!」と声を上げた。形容しがたい感情を無理矢理叫んで発散してるみたいだ。
「ほんと調子狂うな……お前みたいなやつ初めてだよ。ヘラヘラ笑って薄っぺらいやつだと思ってた。自分の保身ばっか考えてるような、ほかのやつとなんも変わんねーって……」
不意に四条は撫子を見る。その瞳があんまりに真っ直ぐ澄んだ色をしているから、四条の瞳に映る自分まで綺麗なものになったような錯覚を覚えた。
「あの子どもは自分が悪いって分かってるから、強く言うと反抗されるかもって言っただろ? 驚いたんだ。俺はそんなこと思ったことも考えたこともなかったから」
不意に四条が居住まいを正して背筋を伸ばした。
「俺はさ、眼の前で悪いことがあれば誰にだって同じことを言う。相手がだろうと、間違ったことは正しく分からせなきゃいけないと思ってる。例えそれで相手が聞き入れなくても、攻撃してきても、そいつが悪いんだって蔑んでた。それでいいんだって、それが正しいことだって疑ったこともない」
でも、お前に会ってからよく考えるようになったんだ、と四条は言う。
呟く四条の声は、ぽつんと一人で座り込んだ子どものような淋しさを纏っていた。
「もし注意するにしても、お前みたいに相手の様子をみて対応を考えてたらって。そしたら、もう少し違ったのかなってさ」
ふっと片方の口角が歪に上がったけれど、すぐに戻ってしまった。笑おうとして失敗したのだと、撫子は遅れて気づいた。
誰かが開けっぱなしにしていた窓から風が入ってきて、二人を撫でる。秋の風は四条の前髪もすくいあげ、いつもは隠れている瞳がよく見えた。
普段のどよんとした陰気さはなく、かといって明るく輝いているわけでもない。ぼんやりとここではない遠くをみるようなその瞳を見ていると、どうしてか撫子は胸が押しつぶされそうに痛かった。
そのときの四条の憂い気な表情と胸の痛みを思い出して固まる撫子の前に、一楓がヒラリと手を振った。
「ちょっと撫子? どうしたの、難しい顔しちゃって黙り込んで」
我に返った撫子は、ここが三年生の教室だと思い出す。
「本当に大丈夫? もし無理矢理相談に応じてるなら私がガツンと言ってあげるけど」
途端、瞳に剣呑な光を見せた一楓が言った。
「無理矢理じゃありませんよ!」
今にも立ち上がりそうな一楓の体を押しとどめ、撫子は誤解だと告げた。
たしかに最初は勢いに押されて承諾したものの、四条との時間を撫子も楽しんでいた。
今までほとんど男と接することなく過ごしてきたからだろうか。
自分よりも背が高く大きい体を持つので、ときどき反射的に体が怯んだりはするものの、元来彼は穏やかな気質で声を荒げるようなこともないため、上手くやれていた。
なにより――。
お前は相手に合わせて言葉を変えるんだなと。そう呟いた彼の声があんまりに柔らかかったからだろうか。まるで自分がとても優しい存在になったような、そんな気分にさせてくれたあの瞬間、四条の淋しさに心を痛める片隅で撫子は確かに喜んでいた。嬉しかったのだ。
今まで相手の顔色を窺って過ごしてきた卑しい自分を、認めてもらえたような気がした。
四条に取っては意図したことじゃなかったとしても、撫子の心は軽くなったのだ。その恩返しというわけではないけれど、彼の恋が成就してくれたらいいと思っている。
「一楓さん、これは俺がやりたくてやってるんです。だから大丈夫ですよ」
へらりと笑った撫子を、一楓はしばらくの間じっと見つめていた。きっと本心かどうか見極めていたのだろう。やがて一楓が降参したようにため息をついて空気を緩めた。
「ならいいんだけど……ただ、あんま深入りするのやめなさい。今まではほとんど一回きりの相談だったけど、今回はそうじゃないんでしょ? 情が移ると、あんたそいつの恋が叶わなかったときに傷つくでしょ」
「そんなことないですよ! そのあたりはちゃんと割りきってますから」
そう言ったが、すでに成就して欲しいと思ってしまっているのであながち間違ってもいない気がした。
ふと、四条は傷つくだろうかと考えた。他人の目を気にせずになんでも言ってのける図太い神経を持つ彼だとしても、さすがにフラれたりしたら傷つくだろう。
四条の悲しむ姿を想像すると、ちくりと胸に痛みが走った。だが、そうなる確率のほうが高いだろうということは容易に想像がついた。
未だ同性間の恋愛というものは肩身の狭いものだ。誰かを好きになるとき、相手が異性である確率は圧倒的に高い。つまり、宇崎が四条を好きになってくれる確率は男女が恋に落ちるよりもうんと低いのだ。
(そのぐらい四条くんだって分かってるもんね)
それでも彼は手紙で思いを伝えようとしていたし、今だって距離を縮めようとしている。
一方的な想いほど惨めで悲しいものはない。それが信条の撫子だけれど、四条のそんな姿を見ているとどうしようもなく憧れるような、羨ましいような気持ちになるのだ。
「一楓さん……自分を愛してくれない人を好きでいるのってどう思います?」
「私だったらさっさと他の人を探すように言うかな。それでお母さんが苦労してたの眼の前で見てるし、今じゃ父親のこと忘れて新しい人と幸せになれてるからね。新しい弟は可愛いし、私も幸せ」
大団円でしょ、と一楓は首を傾げて得意げに笑った。ウェーブのある髪が揺れて、さらりと肩口から落ちた。
そんな一楓に、今度は意図的に母の姿を重ね合わせ、撫子はその言葉を受け取る。
――私のことなんて忘れなさい。
母にそう言われた気になって、沈みそうになる自分の心をすくい上げる。
「そうですよね。ずっと片思いしてたって辛いだけですもんね」
一方的な感情なんて淋しい。見守り活動の日に――いやそれよりも前からずっと言い続けてきた自分の言葉が耳の奥に返ってくる。
そうだ。一方的な感情ほど惨めで淋しくて、悲しいものはない。
母への愛情を捨てた六歳の撫子は、なにも間違っていなかった。
可能性が少ないと知りながら、堂々と好意を口に出来る四条のほうが希有な存在なのだ。納得しかけたときに、不意に今度は四条の言葉が蘇った。
――好きなんだからしょうがねーだろ。
心臓の音が、少しだけ速くなった。
自分は間違っていない。撫子には確固たる自信があった。実際に自分が経験して得た知見だ。今さらこの気持ちが覆るはずはない。
(でも、どうしてだろう……)
四条の言葉を聞いてから、撫子の頭の隅に一つの可能性が浮かんで消えてくれないのだ。
もし、六歳の撫子が四条と同じ言葉を言えたなら。そうしたら、自分は今も母を愛していただろうかと。
もしかしたら母を愛し続ける選択もあったんじゃないかって。
1
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。
星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。
グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。
それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。
しかし。ある日。
シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。
聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。
ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。
──……私は、ただの邪魔者だったの?
衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。
生まれ変わりは嫌われ者
青ムギ
BL
無数の矢が俺の体に突き刺さる。
「ケイラ…っ!!」
王子(グレン)の悲痛な声に胸が痛む。口から大量の血が噴きその場に倒れ込む。意識が朦朧とする中、王子に最後の別れを告げる。
「グレン……。愛してる。」
「あぁ。俺も愛してるケイラ。」
壊れ物を大切に包み込むような動作のキス。
━━━━━━━━━━━━━━━
あの時のグレン王子はとても優しく、名前を持たなかった俺にかっこいい名前をつけてくれた。いっぱい話しをしてくれた。一緒に寝たりもした。
なのにー、
運命というのは時に残酷なものだ。
俺は王子を……グレンを愛しているのに、貴方は俺を嫌い他の人を見ている。
一途に慕い続けてきたこの気持ちは諦めきれない。
★表紙のイラストは、Picrew様の[見上げる男子]ぐんま様からお借りしました。ありがとうございます!
【完結】幼馴染から離れたい。
June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。
βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。
番外編 伊賀崎朔視点もあります。
(12月:改正版)
読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭
1/27 1000❤️ありがとうございます😭
【完結】俺はずっと、おまえのお嫁さんになりたかったんだ。
ペガサスサクラ
BL
※あらすじ、後半の内容にやや二章のネタバレを含みます。
幼なじみの悠也に、恋心を抱くことに罪悪感を持ち続ける楓。
逃げるように東京の大学に行き、田舎故郷に二度と帰るつもりもなかったが、大学三年の夏休みに母親からの電話をきっかけに帰省することになる。
見慣れた駅のホームには、悠也が待っていた。あの頃と変わらない無邪気な笑顔のままー。
何年もずっと連絡をとらずにいた自分を笑って許す悠也に、楓は戸惑いながらも、そばにいたい、という気持ちを抑えられず一緒に過ごすようになる。もう少し今だけ、この夏が終わったら今度こそ悠也のもとを去るのだと言い聞かせながら。
しかしある夜、悠也が、「ずっと親友だ」と自分に無邪気に伝えてくることに耐えきれなくなった楓は…。
お互いを大切に思いながらも、「すき」の色が違うこととうまく向き合えない、不器用な少年二人の物語。
主人公楓目線の、片思いBL。
プラトニックラブ。
いいね、感想大変励みになっています!読んでくださって本当にありがとうございます。
2024.11.27 無事本編完結しました。感謝。
最終章投稿後、第四章 3.5話を追記しています。
(この回は箸休めのようなものなので、読まなくても次の章に差し支えはないです。)
番外編は、2人の高校時代のお話。
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる