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しおりを挟むさようなら、と幼い子どもの声が響く。
「さようなら。気を付けて帰ってねえ」
黄色い揃いの帽子をつけ、自分の体よりも大きいランドセルを背負った小学生の列に、撫子はにこりと笑い返した。
列が横断歩道を渡りきるのを見送ってから、ほっと息をついた。
高校からは歩いて五分程度だろうか。横断歩道の手前で、撫子と四条は歩幅一歩分あけて並んで立っていた。
見守り活動の参加生徒は、二名ずつのペアで小学生の下校ルートに立って見守り活動を行う。
ペアは横断歩道など一定の距離で見守り場所を割り振られていて、撫子たちが任されたのが、住宅街手前の横断歩道だった。
さほど大きな道路でもなく、交通量も少ないので小学生たちが通り過ぎると静かなものだ。
道路は長い直線なので、見通しがいい。撫子はちらりと横に立つ四条越しに向こうを見ると、離れた所を別の通学班が歩いていた。ここに来るまでは少しかかるかな、と撫子は緊張していた体から力を抜く。
そっと窺い見ると、四条は変わらずムスッとした顔で突っ立っていた。
ここに来る途中、気まずい思いを払拭したいと思い、よろしくねと声をかけたものの、四条からはじろりと睨まれてしまった。もちろん挨拶が返ってくることもなかった。
さすがに先日のことを思うと相手も気まずいのは理解できる。だが、と撫子は考えた。出会ってからこれまで、自分はそんなに非のある態度を取っただろうかと。
そりゃ告白の邪魔をしたのは悪いと思う。けれど、それだけで初対面の彼からあんなにボロクソに言われるようなことを、撫子はしただろうか?
撫子自身としては、していない……と思っていた。ラブレターのことを言いふらすだなんて以ての外で、あの日四条と会ったことさえ撫子は誰にも言っていないのだ。
改めて自分の行動を反芻し、やっぱりあそこまで言われることないよね。と思うと、彼の理不尽な態度にムカムカした思いが立ちこめてきて、いけないと我に返った。慌てて静かに深呼吸をして気持ちを落ち着ける。
気を取り直し、撫子はニコリと人好きする笑顔を作った。
笑顔を作るのは昔から得意だ。人に好感を持ってもらうには、まず笑顔を作るのが第一歩。痩身で男臭さのない撫子が微笑むと、人はたちまち警戒心を緩めてくれる。
撫子は四条と敵対したいわけでも、気まずいままでいたいわけでもない。その意思表示として、笑顔で彼を見上げた。
「四条くん、もうちょっと口角上げてみるか、声を高くすると子どもたちも嬉しいんじゃないかな? 四条くんは背が高いし、小さい子どもたちと距離があるから、今のままだと子どもたちは怖い気持ちが勝っちゃうかも」
小学生からすると、高校生である撫子たちも十分大人に見えるらしい。物珍しさやヒーローでも見るような憧れを宿したキラキラした眼で見てくる子が多い。けれど、四条を見上げた子どもはどこか怯んだように肩を丸めていたのだ。
せっかく子どもたちの安心安全のための活動なのに、これじゃあ本末転倒だろう。
笑いながら、撫子は自分の口の両端を人差し指でさらに押し上げる素振りをした。一拍おいてから暗い影の落ちた眼がこちらを向いたものの、それは明らかに煩わしそうだ。
一度怯んで口を噤んだ撫子だが、さっきの子どもたちの様子を思い返し、自分を奮起させた。
「子どもたちもビックリしちゃうし、四条くんも怖がられるのはいい気しないでしょう? どうせならどっちも楽しいほうがいいじゃん?」
そこで初めて、四条の撫子を見る瞳に嫌悪以外の感情が浮かんだ。四条は驚いたように眼を僅かに見開いた。
「お前みたいなヘラヘラして調子のいいやつは、自分が楽しければそれでいいタイプだろ」
意外そうに……そしてどこか訝るような眼差しで言われ、いやいやと慌てて否定する。
「そんなわけないじゃん! 片方だけが楽しいのなんて嫌だし、一方的な関係なんて淋しいじゃん?」
これは本心だ。体裁のいい言葉ではなく、紛れもない撫子の本心からの言葉。
一方的な感情ほど、惨めで淋しく、悲しいものはない。だから撫子は、自分を愛してくれない人を愛することはしない。
人と触れ合うことは好きだ。話をして、笑い合うことも。誰かが周りにいてくれると、それだけで安心できる。
けれど、撫子自身に誰かに愛してもらえるだけの価値がなく、愛されるなんて万が一にもあり得ないので、撫子は誰も愛したりはしない。自分だけが愛するなんてまっぴらだから。
気がつくと、遠くに見えていた黄色い帽子の列がすぐ近くまで来ていた。
さすがに子どもたちの前でまで言い合いを続ける気はない。最後にちらっと四条を見たが、その瞳は変わらず影が落ちて静かなものだ。
彼が今の状況をどう思っているのか、全く読めない。露骨に面倒だと顔に現すわけでもなく、かといって撫子のように率先して笑顔を振りまくわけでもない。
言うだけ言ったけれど、期待は出来ないかもしれない。そう思った。
小さな子どもが、おっかなびっくり歩いて行くのを見るのは心苦しい。
けれど、それは撫子の事情だ。四条は――撫子もそうだが――自分で希望を出して参加しているわけじゃない。それなのにニコニコと笑顔で対応しろとは、嫌がられてもしょうがない、と思い直した。
(四条くんの分まで、俺が明るく声を出せばいいんだし!)
撫子たちに気づいた小学生が、ぺこりと頭を下げて挨拶をする。ひらひらと手を振りながら、撫子も笑って返していると、
「気を付けて帰れよ」
と、隣からぶっきらぼうながらもよく響く声が聞こえた。思わず驚いて振り向くと、隣に立つ四条は子どもたちを見下ろしつつ、ぎこちなく微笑んでいた。
さっきまでムスッと引き結ばれていた唇が、硬い動きだけれどわずかに口角が上がっている。
やっぱり前髪に隠れがちの瞳は影に入って暗い色を宿しているが、その視線は柔らかく思えた。
「なんだよ。こっち見てんな。べつにお前に言われたからじゃなくて、俺だって子どもを怖がらせたいわけじゃないから……」
一瞬だけ交わった瞳が、居心地悪そうに逸らされた。無愛想な声だったが、それはどこか照れているようにも感じた。
素直に改善してくれたのも意外だったが、怖がらせていることに対して引け目があることにひどく驚いた。先週、眼の前で一方的に捲し立てられたときのことを思うと、他人の目なんて気にする人には見えなかったからだ。
なんだ、と撫子は呆けて思った。
――そんなに悪い人でもないのかも。
偏見まじりの悪態をつくし、一方的で人の話も聞いてくれない。でも、誰にも彼にも噛みつくわけでもないらしい。現に子どもには優しい。
(そういえば、先生にここに行くように言われたときも、別に文句は言ってなかったな)
ふと、撫子は教室でのことを思い出した。突然の指示だったにもかかわらず、四条はそのことに関してマイナスな発言はしていなかった。
ため息をついて椅子から立ち上がってはいたが、それは面倒ごとを押しつけられた反発心というよりは、しょうがないと潔く受け入れたもののように見えた。
よく考えれば撫子との初対面のときのように、一人でくどくどとぼやきそうなものなのに意外だ。
もしかしたら、存外さっぱりした性格なのかもしれない。
四条の横顔を見ながら思い直しているうちに、また一つの下校班が近づいてきた。今までの生徒が綺麗に一列に並んでいたのとは裏腹に、今度の子どもたちはバラバラに走って来て撫子たちと急激に距離を詰めてきた。
まずやって来たのは三人の男子生徒だ。しきりに後ろを気にしていて、撫子たちにはまだ気づいていない。撫子たちの少し手前で立ち止まってくるりと振り返ると、真ん中の一人が手に持った黄色の通学帽を大きく頭上で振った。その子自身は帽子を被っているので、不思議に思う。
すると、三人の後から女の子が一人、息をあげながら追いついた。
「返して! それ私の帽子なんだから! もう返してよお……!」
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