3 / 32
03
しおりを挟む「そういえばさ、来週から始まる総合学習の時間、テーマなににするかもう決めた?」
放課後、三人の机をくっつけて課題を片付けるいつもの時間。無事に今日出された課題を終わらせ、だらだらと雑談に入ったときに美南が切り出した。
「あの授業ねー……ぶっちゃけ私ら文系は根詰めてやるようなもんでもないしなあ」
咲恵がいささかうんざりした顔で頬杖をついた。撫子も苦笑しつつ否定はしない。
撫子たちの通う高校では、週に一度、生徒の自主的探究活動を促すことを目的として、研究活動が行われている。自身のテーマ探しから始まり、最終的なレポート提出まで生徒だけで行われるものだ。もちろん監督役の教師はいるし、実験が必要な項目においては補助をしてくれる場合もある。
とくに近隣の理系大学の協力も得られるので、本格的な実験ができるのが強みだろう。理系学部への進学を目指す者は、受験に向けて少しでも自分のアピールポイントを作りたいと、この授業に入れ込む生徒も多い。
しかし、反対に文系学問のテーマにおいては、そこまで手厚いサポートがあるわけではない。そのため、あまり面倒をせずにレポートを完成させたいという本音をもつ生徒も多かった。
撫子たち三人もその思考に近い。
「一楓さんから聞いたんだけど、このクラスは先生が結構緩いらしいよ。レポートさえきっちり出せば、空いた時間を自習に使ってもいいって」
テーマ希望表に書かれた十個程度の大雑把なグループ分けの中から、一つを示して美南が言った。美南は一学年上に同じ中学の先輩がいるので、こうして聞いた情報を撫子たちにもよく共有してくれる。
「まじか。なら今回はそこにしよっかな。去年やったとき意外と時間取られて面倒だったんだよね」
「俺も自習時間がとれるのは嬉しいな」
成績のことであまり家族に心配はかけたくない。三年生に向けて勉強は少しずつ範囲を広げ、より複雑になってきている。勉強時間があって困ることはない。
「じゃあ三人でそこにしよっか」
美南の言葉に、咲恵と撫子は揃って頷いた。
提出期限もさほど長くないので、そのままの足で希望表を提出しに行く。咲恵と美南はそれぞれ寄りたいところがあるらしく、三人は職員室前で別れ、撫子はそのまま帰ることにした。
すでに校舎内に残っている生徒は少なく、廊下を歩いているのも撫子だけだ。
換気のために開けられた窓からは、運動部のかけ声が遠く響いている。微かにだが、合唱部のものと思われる歌声も聞こえた。
それらをぼんやり聞きながら、階段を下りて昇降口に向かったところ、ふと下駄箱前に立ち尽くす人影を見て足を止めた。
体操服姿の男子生徒だ。肩を丸めた姿勢は頼りなく見えたが、よく見るとその体は厚みがあって逞しい。体操服から伸びる手足も筋肉がついていて、ほっそりとした撫子とは雲泥の差だ。
猫背な今だって撫子とそう変わらない背丈に見える。背筋をぴんと張ったら優に百八十を超えるだろう。
(あそこ俺のクラスの下駄箱だけど……誰だろ……)
見たことのない顔だ。男子と交流が薄いといっても、さすがに半年ほど同じ教室で過ごしているクラスメイトのことは覚えている。
どうしよう、と撫子は困ってしまった。目の前の男子は靴を履き替えるでもなく、かといってなにをするでもなくずっと同じ場所に立っていた。これでは帰るに帰れない。
自分よりも体格の良い男と二人きり。そんな状況に幼いころの記憶が頭をもたげて、どうにも尻込みしてしまう。
(さっきから動かないけど、なにしてるんだろ)
少し離れた所でじっと息を殺していると、その生徒が手元と正面の靴箱を何度か見返していることに気づいた。
なにを持っているんだろ、と小さな興味と早く帰りたいという願望に突き動かされ、撫子は息を殺してそろそろと距離を縮めた。
遠回りに男子の手元を覗いてみる。彼は綺麗な封筒を持っていた。横長の洋封筒。よく手紙などで眼にするものだ。
――靴箱で、手紙を持った生徒……。
もしかして、と撫子の頭にある答えが浮かんだときにはもう声に出ていた。
「ラブレター……?」
途端、その生徒は弾かれたように顔を上げて撫子を捉えた。人がいるとは思わなかったのか、少し長い前髪の下で、切れ長の瞳が大きく開かれていく。
意志の強そうな瞳と眉に、筋の通った鼻。振り向いた彼は、男臭さと十代の若々しさがほどよく混ざった美男子だった。
思わず息をのんだ撫子だったが、彼の顔がだんだんと青ざめていくのに気づき、慌てて両手を振って弁明した。
「ご、ごめん! まさかラブレターだとは思わなくて……邪魔するつもりはなかったんだ」
罪悪感から顔を上げられない。謝って頭を下げた状態でしばらくいたが、彼からはちっとも返答がない。そろそろと見上げるように眼をやると、男は諦念や嫌気を含んだような長く深い息をつき、その場に膝を折ってしゃがみ込んでしまった。
「だ、大丈夫!?」
突然のことに撫子は慌てて駆け寄った。彼はかかとを上げた状態で器用に足を折りたたんでいた。膝頭に伸ばした両腕を乗せ、その間に頭をうずめている。
返事がないので、心配になって再び声をかけようと肩に腕を伸ばしたとき――。
「最悪だ。この時間なら誰もいないと思ったのに……しかもよりによって女好きで噂のチャラ男じゃないか」
低く小さく、そして早口で過ぎていった言葉たちに、しばし言葉を無くした。
「こういうやつは人の恋愛を笑いのタネにしか思ってないんだよなあ。どうせ明日にはみんなに広まってるだろうし……またいろんなやつがジロジロ見てくる……あーあ」
嘆くような気だるげな声とともに彼はゆっくりと頭を上げた。
「こんな図体だけデカくて無愛想な俺の恋愛なんて、どうせ影で好き勝手言われて笑われるんだろ」
ふっと片方の口の端だけを持ち上げた歪な笑みとともに、彼の瞳に陰が落ちた。まるでこの先どんな目に遭うか、もう知ってしまったような顔だ。
呆気に取られていた撫子だが、その諦念の浮かんだ彼の様子にたまらなくなり、隣にしゃがんで励ますように笑顔で男の顔を覗いた。
「ほんとうに邪魔しちゃってごめんね? おれ、絶対誰にも言わないから安心して」
だからそんな顔しないで。そう願いを込めて懸命に声をかけた。けれど、男はまるでその懸命さを鼻白むように横目に見ると、すいと逸らす。
そのまま撫子の言葉は聞こえなかったように立ち上がったとき、彼の持つ手紙の宛名が眼についた。
(宇崎翔磨(うざきしょうま)さま……宇崎くんて、あの宇崎くん?)
同じクラスの一人の男子生徒の姿が頭に浮かんだ。男同士と言うことに、撫子は過度な偏見も嫌悪もないが、てっきり女子生徒宛だとばかり思っていたので、驚いてしまった。
彼も撫子が驚いていることに気づいたらしく、手紙を隠すように後ろ手に持ち替え、キッと親の仇でも見るような鋭い目を寄越された。
「悪いかよ。どうせこういうのもいい話のネタになるんだろうな」
ハッと侮蔑を含んだ笑みが落とされた。さっきの撫子の励ましなんて、まるで意味がなかったらしい。悲しいと同時に、あんまりな男の態度に、撫子の中にもむかむかと反抗心が芽生える。
――俺、きみになにかした?
そう言って立ち上がろうとした。が、それよりも早く男子生徒が背中を向けて出ていく。
立ち去って行く背中を反射的に呼び止めようとした。
自分よりもうんと広い背中を眼で追いかけたとき、玄関口を出て行った彼の姿が、夕暮れの陽差しで一瞬眩んで見えなくなった。
その刹那に、撫子はどうしてか彼の背中に母の影を見た。
陽差しで眩んだ姿が、カーテンを閉め切った部屋から出て行った母の白んだ背中と被ったのだ。
(お母さん……!)
咄嗟に手を伸ばしかけた。
まだ残暑で汗ばむような陽気なのに、冬のような寒さが胸に刺さった。一瞬で耳が遠くなり、冬の冷えた空気と静寂が思い出される。
はくはくとなにかを吐き出そうとする唇。けれど、喉は締まったようになんの音も出せない。
心の奥の黒いもや――その一番深いところで、なにかが強く主張していた。黒いもやに隠れた言葉がはっきり浮かび上がってくる前に、撫子の耳は聴力を取り戻し、わっと蝉の声が頭の中で反響する。それに意識に取られているうちに黒いもやはまた胸の内に引っ込んだ。
我に返った撫子は慌てて上履きのまま外に駆け出した。けれど、いくら見渡したところでさっきの男子生徒の姿はもう見つからなかった。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
こじらせΩのふつうの婚活
深山恐竜
BL
宮間裕貴はΩとして生まれたが、Ωとしての生き方を受け入れられずにいた。
彼はヒートがないのをいいことに、ふつうのβと同じように大学へ行き、就職もした。
しかし、ある日ヒートがやってきてしまい、ふつうの生活がままならなくなってしまう。
裕貴は平穏な生活を取り戻すために婚活を始めるのだが、こじらせてる彼はなかなかうまくいかなくて…。
フローブルー
とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。
高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。
【完結】運命さんこんにちは、さようなら
ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。
とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。
==========
完結しました。ありがとうございました。
身体検査
RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、
選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。
【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます
夏ノ宮萄玄
BL
オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。
――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。
懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。
義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。
圏ガク!!
はなッぱち
BL
人里から遠く離れた山奥に、まるで臭い物に蓋をするが如く存在する、全寮制の男子校。
敷地丸ごと圏外の学校『圏ガク』には、因習とも呼べる時代錯誤な校風があった。
三年が絶対の神として君臨し、
二年はその下で人として教えを請い、
一年は問答無用で家畜として扱われる。
そんな理不尽な生活の中で始まる運命の恋?
家畜の純情は神に届くのか…!
泥臭い全寮制学校を舞台にした自称ラブコメ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる