失恋の特効薬

めぐみ

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失恋の特効薬

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ノアの家の洗濯機に入れたまま置いてきた服や下着のことを思い出して頭を抱えたがしばらくノアと会うのは避けた方がいいのだろうか。
帰宅して自室のベッドの上でぼんやりと考えていた。自分がこんなに快楽に弱いとは、経験が浅いとこうも拗らせてしまうのか。目を閉じればノアのセックスの時の声や息遣い、汗ばんだ筋肉や香りが鮮明に思い出されて下腹部がきゅうっ♡♡と熱くなった。

「全部ノアのせいだ…ッ!」

理不尽な八つ当たりをしながら布団に潜り込んで昼寝で誤魔化す休日を過ごすのだった。








夢を見る。今度はいやらしい夢───────とかではなく昔の記憶だ。10歳の時、村の外にある森で遊んでいたところ友人とはぐれて1人さまよってしまっていた。この森には夜魔物が出る、だから暗くなる前に帰りなさいと言っていた母の言葉を思い出し、草が風でなるたびに体を恐怖で震わせた。日も落ちてもうしばらく経っていた、こんなことならば子供だけで遊びに行くのではなかったと涙が滲む。
サクサクと地面を踏む音が近付いてきて体を強張らせると、そこから出てきたのはその時15歳だったハーヴィルだった。

「おいおい…逃げてきたっつーところでとんでもないモン見つけちまったな。ナタリア、お前迷子になっちまったのか?」

その時すでに背丈がかなりあったハーヴィルはしゃがみ込んで私に目線を合わせた。その落ち着いた低い声とこの不安でいっぱいの状況で現れた存在に安心して思わず抱きついてしまう。ぽんぽんと頭を撫でる手が優しくてそのままわんわんと赤子のように泣いた。

「よっ、と…しょうがねぇ村に戻るか。腹減ってんだろ?俺の非常食だけど…よく噛んで食えよ?」

ハーヴィルは私を抱き上げて干し肉を差し出すとニカっと安心させるように笑顔を向けてくれる。私は頷きながらその干し肉を夢中になって食べた。普段の夕飯の時間はとっくに超えている。その干し肉は今まで食べてきたどんなものより美味しかった。
そうか…私はここから彼を好きになった。誰も見つけてくれなくて不安だった私を助けてくれた。あの時魔物に襲われて餌になっていてもおかしくは無かったのだ。
その後捜索に出ていた家族や村の人と合流し、ハーヴィルはいつの間にかいなくなっていた。







目を覚ますと夕方ちょっと前あたりになっていた。懐かしい…昔の記憶。いつの間にかこんなに大切なことを忘れてしまっていた。
あの時ありがとうも言えなかったことも一緒に思い出して、この気持ちに区切りを付けるためにもと、気付いたらハーヴィルの家の方へと向かっていた。

「お、ナタリアじゃねぇか。こんな時間に散歩か?」

狩りが好きなハーヴィルは猟銃と雉を何羽か抱えながら帰路に着く途中で会った。披露宴以来の再会だったが、自分でも予想外にも落ち着いていた。

「うん…ちょっとね、ごめんね披露宴のとき途中で帰っちゃって。」

「いや、体調不良ならしょうがねぇだろ。もう良くはなったか?」

「うん、大丈夫。ありがとう…あー、えっと…すぐ終わるからちょっとだけ話してもいい?」

ハーヴィルは私の突然の提案に目を丸くするが、近くにあった公園のベンチを見やるとそこに腰掛けてポンポンと隣を叩いた。

「なんだ、珍しいな。改まって話なんて」

「えっと…披露宴の時、おめでとうって言ってなかったなって。すごく素敵だった、ハーヴィルも…奥さんも」

「そっか…俺のことはともかく、嫁のことも言ってくれんのはすげぇ嬉しい。ありがとな」

見たことのない無邪気な笑みを浮かべる彼は本当に奥さんのことが好きなんだと伝わってくる。もうどうしようもないほどの完全敗北に涙も出てこなかった。気持ちを伝えることもできなかった私は悔しがることさえ罪に感じる。

「それとね、ずっと…お礼を言えてなかったことがあって…」

「礼…?俺ナタリアに礼なんて言われるようなことしたか?」

ハーヴィルは顎髭を撫でながら考え込むがどうも思い当たらないようで今度は首を傾げた。それは20年も前のことなのだから当然すぐには出てこないだろう。だから、夢で見たあの話をそのままし、ずっと忘れていたことを謝ってお礼を言った。
これで気持ちに区切りを付けられる。そう思った時だった。

「森で迷子…なんの話だ?」

ハーヴィルの思い出せない表情は変わらなかった。…そうだ、私だって忘れていたのだから彼も覚えているとは限らない。

「そ、そう…だよね…あんな昔のこと…覚えて、ないよね」

「いや、15だとして…そんな捜索なんて出すくらい大事になってることなら覚えてるはずだ。だけど…悪いが全然思い当たらない。」

沈む私の声に対してハーヴィルは少し慌てるが、それでもなお思い出してはくれない。私の大事な記憶は必ずしも相手にとって大事だとは限らない。そう思うと目の奥から涙が滲んで喉の奥が引き攣った。

「おい…何、大事な幼馴染を泣かしてんだ────ハーヴィル」

その低い声に涙が引っ込む。その声の主は私の横にいつの間にか立っていたノアだった。なんでこんなところに─と思う間もなくハーヴィルに腕を引かれて立ち上がらされる。

「いやいや誤解だからノア!ちょっと昔話してて私が感動しちゃっただけ!ほんとにもう過保護で困っちゃうよねー!ハーヴィル」

「はぁー…ノア兄さん、そういうことか。いい加減アンタも本腰入れるってとこか?お互い時間がかかってしょうがねぇな」

ハーヴィルはノアを見るとニヤニヤと不敵な笑みを浮かべた。ノアは居心地の悪そうな顔をした後私に紙袋を押し付けた。

「えっ、これ何?!」

「忘れてった”下着”と”服”だ。洗濯乾いたから届けようとしたんだよ」

「んなっ!?!」

ハーヴィルにも良く聞こえるボリュームで爆弾を投下するノアに対処のしようがない。下着を忘れたなんてもうどうもこうも言い訳ができなかった。

「ははっ、遂に色男の兄さんは幼馴染に手を出したか。それは…遊びとかではないよな?俺にとっても可愛い昔馴染みだ。女遊びのつもりなら俺も対処しなきゃいけなくなるが…」

「今更可愛い昔馴染みだなんて言うなよ、妻帯者。言っとくが俺ァ本気だ。」

「……………ならいいんだ。兄さんならナタリアを傷付けないし…ナタリアもアンタを傷付けたりしない。」

ハーヴィルはノアのまっすぐな瞳を見ると、ため息をついて狩り道具を抱えるとひらひらと手を振って帰って行った。残された私はしばらく放心して、今の状況を理解すると恐る恐るノアを見上げた。

「自分に向けられる好意には鈍いくせに他人のことは勘が働きやがって…何が可愛い昔馴染みだ」

ブツブツ話す彼が怒っていることだけはわかる。そして私の視線に気付くと先ほどまでの怒気はなりを潜め、優しく私の頭を撫でた。

「なんだ、潔くフラれたのか?」

「ううん、結局気持ちは伝えられなかった。でもいいんだ、彼に本当に気持ちがないって…サッパリするくらい思い知らされたから」

「…そうか」

ノアの手が私の掌へと移動する。大きな手が私の手を包んで指を絡めた。

「とびきり美味いメシ準備するから俺の家に帰るぞ」

ノアの温かい声が胸に馴染んで優しく包み込んでくれる。私は手を握り返して、彼と一緒に彼の家へと向かうのだった。
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