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剣と魔法の世界のストレンジャー

パン屋の日常

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 ――パン屋は想像以上に忙しい。

 例えばその日パンを売ろうとしよう。
 そうなると前日から仕込んだパンを商品として仕上げないといけない。
 いっぱい作ったところで(客がいれば)あっという間だ。じゃあ次は翌日のパンの準備をしないといけない。
 が、何も売れる売れないの心配をするだけじゃダメなのだ。
 店内の清掃、商品の補充、接客、果てには必要な食材も調達しないといけない。
 つまり忙しい、本当に好きじゃないときつい仕事だ。

「こちらご予約されたクルースニク特製ガーリックパン二つに塩抜きパン二つで800メルタでーす」
「お前さん、ほんとにパン屋に勤めてたんだなあ」
「ああ、だいぶ慣れてきたよ爺ちゃん」
「わしから見たらまだ頼りないぞ。せいぜい精進せい若き冒険者よ」
「うぇーいあざしたー」
「しかし良い飾りだな、あの馬鹿みたいなゴーレム作った錬金術師マジざまぁ!」

 フランメリア通貨をじゃらじゃら受け取ると、いつぞやお小遣いをくれたおじいちゃんは元気に出ていった。
 そのついでに壁に飾られた片翼を拝んで「ざまぁ!」と背中が満足そうだ。
 以前ぶち壊したゴーレムの残骸は何かの縁でこうして店を彩ってる。

「……そろそろ売り切れだよ」

 そこへ厨房からわん娘パーカーにエプロンを重ねたニクが出てきた。
 時刻は昼をゆうに過ぎた頃だ。売れるものは売れてパン屋は寂しくなってる。
 すると「もう売ってないよな」と足が遠ざかって、いい閉店のタイミングだ。

「今日もすっごい売れたな、うん」
「ん、最近は買う人がいっぱいだね」
「宣伝効果抜群みたいだな。今のうちに売れ残り確かめとくか」

 ダウナー系わん娘を厨房に向かわせて店内を見回した。

 売り上げを思い出すに、山ほどあったはずのパンには売れる順番がある。
 まずスカーレット先輩のパンが先に消える。早い者勝ちの争奪戦になる。
 続いて奥さんの作った季節のお菓子や常食パン。特に後者はじわじわ売れる。
 この店ならではの塩抜きのパンなんて、売れ行きは遅いが確実な商品だ。

 というのも、ここじゃ総菜の店がかなり多い。
 そういう店はパン用の具を売ってるし、パン屋だってそれに合わせたものを出す。
 なんならご近所の総菜店は買ったパンを持ち込めばサンドイッチにしてくれる。

「……あんぱんが売れ残ってるな、人気ないのか?」

 今一度確かめるに、スライムガールお手製のあんぱんが微妙に残ってる。
 中身は外注のこしあん、塩味のほんのり効いたパンの効果でなおさら甘いお味だ。
 それから――お隣にでっかいクッキーみたいなものが幾つか。
 根元には【クッキーではありません、スコーンです】と注意書きがされてる。

「今日も売れたわねえ。売れ行きはどうかしら?」

 店の空気もすっかり緩んで、奥さんがすたすたやってくる。
 「こんな感じ」と周りを示した後、ふとこのスコーンについて興味が湧いた。

「なあ奥さん、この注意書きはなんなんだ?」
「そのスコーンのこと? たまに来てくれる子がね、他のお客様が「これクッキーじゃん」って言ってたところに突っかかってきたのよ。もう面白かったわ、スコーンとクッキーの違いを何時間も延々も語ってて……」

 どうやら面白いエピソードが詰まってたらしい、困ったように笑ってる。

「熱心なお客様だな」
「そうねえ、あの子のこだわりは私にも止められないもの。特に紅茶にうるさくてね」
「紅茶にうるさいやつなら俺も知ってる。コーヒー飲むなってひどいこと言われた」
「あら、私にもそんな風にわがままを言う知り合いがいるわよ。他人の飲み物ぐらい好きにさせてあげなさいっていつも注意してあげてるけど」
「その人にも厳しく言ってやってほしいよ……」

 良かった、奥さんと俺には共通できる部分があったらしい。
 スコーンを見てるとあの金髪美女の横暴さが嫌でも蘇る。
 女王様、どうかこれから先平穏な暮らしのためにも来ないでください。
 奥さんの作った焼き菓子にお祈りすると。

 ――がらん。

 まさかこの力が悪く通じたんだろうか、ドアが開いて思わず身構えてしまう。

「どうもっす~♡ 暇なんで冷やかしにきたっすよぉ♡」
「えっ、なにしてるんこの人。なんでパン屋お勤め中なん?」

 まあただの心配で終わった。メイド服が二人、それも知り合いだ。
 ニヨニヨした緑髪メイドと、膝下が蹄の黒髪羊ッ娘なメイドさん――いつものロアベアと、メリノとか言うやつだ。

「ロアベアに……メリノだったっけ? 何しにきたん」
「冷やかしっす!!」
「いや何しにきたんって。見て分かんない? パン買いに来たんだけど。あとロアベアパイセン、冷やかし違うからね? 買い物してんだようちら」

 ダメな方のメイドはいつも通りで安心したし、素行の悪そうな後者はトングをトングカチカチ品定めだ。
 とりあえず「いらっしゃいませ」で所定の位置に戻ると。

「あら、リーゼル様のお屋敷のメイドさんたちじゃない。知り合いだったの?」

 奥さんのふわっとした笑顔は俺たちを見ていた。
 そうだぞ、と紹介しようとするも。

「友達っすよ~♡ あひひひっ♡」

 メイドがぎゅっと抱き寄せてきた、デカ乳の重みはちっとも嬉しくない――ロアベアァ!

「ご覧の通り扱いに困ってます奥さん」
「そんな~」
「いやなにしてんすかロアベアパイセン。え? それなんかうちも同じ身分みたいな感じなんすけど」
「女の子に抱き着かれて塩対応なんて駄目よ、ちゃんと応じてあげるのが男の役目なんだから」

 奥さんに注意されたので構ってやろう、喋る生首をカウンターに飾った。
 これで立派な店番兼マスコットだ。首無しメイドは自分の頭を訝し気に見てる。

「こうか……?」
「なんか映えないっすねえ……」
「ほんとになにしてるん? この人たち……」
「いつもこうだぞ俺たち」
「ん、ロアベアさまだ」
「あ、ニク君っす~♡ 遊びにきたっすよ~♡」
「フェルナーちゃんたちもそうだけど、お屋敷のメイドさんたちにも縁があるなんて、あなたってずいぶん顔が広いのねえ」

 ニクもとことこやってきた、首のない本体が嬉しそうになでなでしてる。
 中々の情報量だけど奥さんは楽し気だ、今日のパン屋は一段と明るいぞ。

「そういえばイチ様ぁ、冒険者ギルドで暴れ回ったらしいっすねえ? あひひひっ」

 次第に奥さんもわん娘を撫でるのを見てると、ロアベアがニヨっとしてきた。
 あの一見か。こうしてロアベアに届くほどに大きな騒ぎになったらしい。

「あーあれね、なんかやべーことしたって聞いたんだけどマ? スチール相当の冒険者が凄惨な目にあって社会的地位もろともズボン破られたってゆーけど」

 それと黒髪羊な女の子にも。ニクほどのダウナーさが少し面白がってる。

「なんか陽気なやつらが悪いことしてるとこに遭遇してな。俺の幼馴染が通報してムショ送りにするためにズボン脱がせって言うから全員脱がした」
「それなら近所でも噂になってるわよ。格上四名を相手取って、全員下半身丸裸にした新米が今熱いとか……よしよし」
「相変わらず間が悪いっすねイチ様ぁ。よしよし」
「ほんとどういう状況なん? うちの先輩たち「笑顔でパンツ脱がす変態いた」って笑ってたんだけど、冒険者ギルドってひょっとして少々おかしい人の集まりだった? よしよし」
「そう言われてみると濃い奴が意外と多いんだよな、大丈夫かあそこ。よしよし」
「いやあんたもだよイチ様、ちょい鏡見てみ? もう超濃厚だから」
「んへー……♡」

 今よくわかった、この頃の所業はよく知らしめられてるようだ。
 わん娘は頭撫での集中砲火に幸せそうだ、もっと撫でてやった。

「そういえばお前ら、観客にメイド姿が混じってたけど心当たりは?」
「うちらっすねえ。リーゼル様が面白いことになってるから見てこいっていったらしいっすよ」
「ラフォーレパイセンたちだわそれ。オニの子があんたのことみてドン引きしてたんだけど、鬼がいるって」
「鬼に鬼って言われるなんてほまれねえ、良かったわねイチ君」
「やったぁ」
「え、なにこの奥さんこわっ……このパン屋大丈夫なん?」

 奥さんに褒められたからまあよしとしよう。
 リーゼル様もしれっと気にかけてくれてたみたいだけど、俺が元気にやってる証拠にはなったはずだ。

「あの件だけど、どうも知り合いが絡んでたみたいでな。アキの奴があの陽気な先輩たちとマッチングさせたかもしれないぞ」

 でも思い返せば、あれは少々不自然な戦いだった。

 というのも、あれからどうなったと思う?
 露出狂いの先輩どもはどこかでお勤め中で行方知れず、これはどうでもいい。
 タケナカ先輩はいつも通り、今日も今日とて俺たち新人の面倒を見てくれてる。
 あのクソ先輩の引退がもたらした結果はそれなりだ、ギルドに風通しの良さが回った。

 で、あんな迷惑なのをバキバキにへし折ってやめさせるために俺は利用された。
 「ストーンがスチールをぶちのめす」なんてよく考えればできた話だ、アキのやつ仕組みやがったわけだ。
 あれは規律を整えるためか、それとも広告に使われたか、どっちにせよギルドに貢献した実績ができてしまった。

 ――タカアキ? ニクと「晩御飯どうしよう」とか思ってたら刑期満了だ。

「あーあのホワイト・チェインとかいうクラン? けっこう有名なとこだっけ?」

 ところが羊系メイドさんはあの連中に心当たりがあるそうだ。

「知ってるのかメリノ」
「転移してすぐに陽気にやってた連中。いや賑やかだったんだけどね? 力つけてくうちに歯止めが利かなくなったみたいな?」
「調子乗っちゃった奴だな要するに」
「表向きは行儀いいけど裏はどっぷり真っ黒ヘドロみたいな感じ。スキル使ってこまごま窃盗したり、新入り相手に恐喝とかもしてたんだってさ。べったべたなワルモノ」
「じゃあ下半身解き放ってやって正解だったな」
「クラングルからも解き放たれるかもね。まあおきのどくってやつ、怖いわー」
「怖いなあ。それで帰ってきたらまた露出罪かぶせてやるよ」
「いやあんたのほうが怖いわなんなんこの人?」
「大丈夫っすよメリノちゃん、この人生活能力と一般教養を犠牲に戦闘力得た人っすから」
「パン屋のおかげで最近やっと接客できるようになりました、今日も仕込み終わったら追加の配達です」
「ロアベアパイセン、キャラ濃すぎるんだけどこの人。情報過多の化身?」

 不運にも露出したせいでその他の罪状が浮かび上がったらしい。
 さよなら変な先輩達、でも復讐しにきたら二度とできない身体にしてやる。

「で、入店したってことはちゃんと買ってくれるんだろうな?」

 そろそろメイドの生首を戻した、ここは客には優しいが冷やかしには厳しいぞ。

「買い出しっていう体でイチ様の様子見てくるように言われたっす!」
「この人ドストレートに言うけどその通りなんだよね。あの人があんたのこと見て来いってさ、ちゃんと買うから安心しとき」
「そうか、じゃあ元気な証拠ってことであんぱんでも買ってくれ」
「なんでパンすすめるんすかイチ様」
「あんぱんすすめられたんだけど。ていうか、こんな老舗なオーラつよつよに漂うとこでそんなんあるんだ」
「うちの先輩が作ってくれてるんだぞ。牛乳に合う」

 俺はパン屋らしく残ったパンをすすめた。
 ロアベアはともかく素行悪しなメイドの方には多少食指が動いたらしい。
 『うちが作ってるでえ』と店奥からも声がした、それが決め手になったのか。

「ま、買い出しってことだしあんぱん買っちゃう?」
「そっすねえ、どうせうちらの金じゃないしうちらのおやつにするっす」
「よし買え」
「お客様に図が高いっすよイチ様ぁ」
「なんなんこの偉そうなパン屋、図高いよ」
「誠にごめんなさい。800メルタでーすあざしたー」
「ん、またねロアベアさま」

 二人はあんぱんを買い占めてくれた。またなと手を振って見送った。

「あなたのおかげで売れ行きも好調ね? それにしてもリーゼル様と縁があるなんて大変そうねえ」
「色々あったんだ」
「そういう訳アリの人のためのクラングルよ、気にせず頑張りなさい」
「そう言ってくれると嬉しいよ。スカーレット先輩、あんぱん売れたー」
『おお、ウチの自信作売れたんやなあ。よかったわあ』

 残りはスコーンぐらいだ。時間的にもう買うやつは来ないだろう。
 もういいか、店の看板を閉店にひっくり返して本日の営業は終了だ。

 ――がらん。

 ところがまた扉が開いた。
 カウンターで待ち伏せてみれば黒髪の男だ、日本人らしく会釈した。

「あ、どうもイチ君とニク君」
「ああ、イケダさんか。容器の回収?」
「うん。テリヤキどうでした?」
「おかげでめっちゃ売れてるぞ」

 近所の宿屋で働いてる同郷の人だ。名前はイケダ、歳は三十ほどだったか。
 少し疲れた顔をしてるけれども、ここらで『異国の味』とか称して元の世界の料理を作ってる。

「スカーレットさんのおかげでうちの料理を食べにくるお客さんも増えて良いことづくめですよ。良かったです、この世界の人達にも気に入ってもらえて」

 ついでに言うとパンに使う具の仕入れ先だ。
 さすがにパン屋でテリヤキだのなんだの作る余地もない点から導かれた答えは単純、外に頼んじまえ。
 タカアキに相談したら近所でそういう料理を作る人間が腕を持て余してると聞いたので、こうして具材を任せるに至った。

「イケダさんやないか、いつもおおきになあ」
「あらいらっしゃい、今容器を持ってくるからね」
「ゆっくりでいいですよ。今日はもうしばらく暇なので」

 パン屋の面々を見てだいぶリラックスした様子だ。
 しばらくしてスカーレット先輩が腕いっぱいに空の容器をぬるぬる持ってきた。

「またよろしゅうなあ」
「こちらこそ。いやあ、おかげでうちも儲かってますよ」
「こっちだってサンドイッチ用のパンが良く売れてるわ。お互い様よ」

 クルースニク・ベーカリーが儲かってるのもこの人のおかげだ。
 サンドイッチが売れれば向こうの料理も売れるし、その逆もしかりだ。

「そう言えばイケダさん、宿屋で働いてるけどどうなん? やっぱ俺たち向けの料理とか売れてる?」
「意外と売れ行きいいんですよねえこれが。異国の料理ってことで地元の方からもなかなかの評判です」
「そりゃここの人達からすれば珍しいかもな」
「面白い話ですよね。私たちがいつも食べてる料理もここじゃ珍しがられますし、日本人からしても故郷の味ですから需要は高いですよ」
「分かる。ほんと便利だな俺たちの料理って」
「ていうか日本より全然食材安いんですよね。好きなもの作り放題で遠慮なくパフォーマンス発揮できるし料理人冥利に尽きますよほんと」
「それも本物の肉だからな。作り物じゃなく」
「そう、そうなんです。毎日ステーキ焼いても財布もさほど後ろめたくないとかチートですよこの世界。今日も豪勢なまかないと洒落込もうかと」
「今夜のお勤め後の晩飯は何にするつもりなんだ?」
「クレイバッファローの肉が安かったので、ローストビーフ丼ですかね……わさびをちょっと強く効かせて」
「ローストビーフ丼か、うまそう」
「ん……おにく? 食べてみたい」

 この人の場合はフランメリアの事情に特に喜んでる類の人種というか。
 というのも、こうやって飲食関係の仕事で分かったことがあった。
 食材だ。元の世界じゃ飯なんて人工食品まがいもので工夫するのが普通だった。
 もちろん人工エビだの人口肉だのもうまいけど、やっぱり本物が一番である。
 本物の食材を手軽に扱えるこの世界は、料理人が泣いて喜ぶ天国かもしれない。

「料理できる人にとっては嬉しいだろうな、そりゃ」
「ですねえ。うちの店主さん「これじゃ飯屋じゃねーか」って怒ってましたけど」
「もう寝床がついてくる飯屋ってことでいいんじゃないか?」
「いやあ、転移直後からお世話になってる以上そういうわけにも。それにあの人、宿に情熱注いでる人ですからね……そう言うのを無碍にするのは流石に失礼でしょうし」
「ちゃんと店のこと考えてるんだな」
「この世界に来たばかりで困ってるところを助けてもらいましたからね。せめてこうして力を発揮できる場所を提供していただいたお礼ぐらいはしたいなと」

 イケダさんは専用の鞄に容器をぶち込んで「それでは」とご機嫌に去った。
 みんなで見送ろうとするも、そんな彼はぴたっと止まって。

「そう言えばこの飾りどうしたんです? 随分ご立派ですけど」

 壁に飾られてる片翼を見上げてた。墜落事故に見舞われた天使のパーツだ。

「ああ、ね。この前のゴーレムが暴れた事件があったでしょう?」
「あーなんかありましたね」
「うちの頼れる店員さんが落としてくれて、せっかくだし戦利品ってことで飾ってるのよ。いい感じでしょ?」

 奥さんが説明してくれたおかげでイケダさんは「マジかこいつ」みたいな顔だ。

「……ず、ずいぶんパワフルですね?」
「もう一枚あるからもってく? 倉庫にぶちこんであるぞ」
「ん、いるなら運ぶけど」
「ええ……」

 もう片方あるから持ってくか、と首をかしげるもご遠慮したいご様子だ。
 イケダさんは重たそうな荷物を持って帰ろうとするも。

「――あっ、それ俺欲しいかも!」

 がたん。
 なんか来た。竜の翼と尻尾が特徴の赤髪イケメンだ。

「フェルナー! 勢いよく冷やかそうとするな馬鹿者が!」

 甲冑姿もずかずかきた。いきなりの乱入者に一般日本人男性がドン引きだ。

「お久しぶりですー、奥さまー。うちのリーダーが騒がしくてごめんなさーい」
「申し訳ございません奥さま! 馬鹿大将が! ちゃんと挨拶しろせめて!」

 悪魔なシスター服と褐色リザードマンも謝りながらやってきた――ダメだ、俺の勤め先情報量多すぎる!

「あらまあ、フェルナーちゃんじゃない。ずいぶん久しぶりねえ、元気だった?」
「奥さん久しぶり! ほらこれお土産だぜ! けっこう前にパンサービスしてくれたお礼な!」
「これは……首飾りかしら? ずいぶん立派だけれども、こんなおばちゃんが貰っていいのかしら?」
「へへっ、いいんだよ。大事にしてくれ」

 と、フェルナーはにこやかに何かをじゃらっと取り出した。
 青く輝く首飾りが一つ。たぶんミスリルだろう、奥さんに押し付けて満足げだ。

「お久しぶりです奥さま。騒がしくして本当に申し訳ございません」
「いいのよレイナスちゃん。元気な証拠なんだから後ろめたくはないわ」
「私たちからの贈り物ですー、どうか大切にしてくださいねー」
「前に来た時と全然変わっておりませんな、クルースニク・ベーカリーも。それにイチ様もいらっしゃるとは安泰なもので……」
「クレマちゃんにアストンちゃんも相変わらずついていってるのね。また四人仲良くしてるなんて昔を思い出すわ」

 奥さん、ほんとに知り合いだったんか……。
 フェルナーたちに動じない姿はもはや貫禄すら感じる。
 イケダさんの方は突然の四人組に「この人は?」と答えを求めてるが。

「イっちゃん、この前のあれ面白かったぜ。またやってくれよ」

 が、真っ赤なリーダーは無茶ぶりしてきた。そういうところだぞフェルナー。

「お前ギャラリーに混じって爆笑してただろ」
「アキとかだって思いっきり笑ってたじゃねえか! いや笑うわあんなん、女の子たちがこの世ならざるものを目の当たりにしたみてえにびびってたんだぜ?」
「フェルナー! 失礼だぞお前は!? すみませんイチ殿、皆で観光していたらたまたま耳にして心配になって見に来たのですが……」
「美少女たちをドン引きさせるとか罪な御方ですねー。だがそれがいい、もっとやれ」
「いやしかし、アキ殿がいるということは仕組まれたようですなあれは。それでも変わらず打ち勝つとは流石イチ様というか」
「アキの奴マジ許さんからな、厄介者排除のために利用しやがってあの甘党が」
「ガチギレじゃねーかイっちゃん」
「そりゃ切れるよ馬鹿野郎」
「ところでなんでパン屋やってんの? 天職見つけたん?」
「そんな感じ」
「よかったじゃねーか、悪鬼みたいな顔だけど似合ってるぜ」
「フェルナアアアアアアアッ!」

 こうして久々に会えて嬉しいが、相変わらずだこいつらは。
 というかやっぱりアキの野郎、あの追放劇を作ってくれたか。まあ金もらったし目を瞑ろう。

「ふふ、あなたたちお友達だったのね? そうだ、残り物だけれどもスコーンでもどうかしら? 食べない?」
「せっかくなので貰っちゃいますね、ここの商品は何食べても美味しいので歓迎しますよー」

 こんなやかましい客だけど、奥さんはあまったスコーンを押し付けたようだ。
 悪魔なシスター服の姉ちゃんはニクをもちもちしながら焼き菓子にありついた、これで正真正銘売れ切れだ。

「やっぱクラングルって最高だよな、昔より一段と賑やかで毎日楽しいぜ」
「そういえばフェルナー、お前何しに来たんだ」
「フランメリア今どうなってんのか旅してる感じ。いやここの飯ってうまいな、どこいっても最高だわ」

 どうもフェルナーたちは旅行してるらしい。
 用が済んだ四人は明るく退店した。じゃあなとニクと一緒に手を振って送った。 

「あの、今の方たちは一体」

 さて仕事するか。そう思って戻ろうとするとイケダさんが恐る恐るになってた。
 どう説明しようか、まあいいや手短にしよう。

「元魔王四人組」
「えっ」
「おっす人間! 俺フェルナー! 元魔王で趣味は旅! イっちゃんの友達だから心配すんな食わねーから!」

 ばたんっ。
 ドアがまた開いた。ここぞとばかりにイケメンの笑顔が紹介しにきた。

「申し訳ございません! この馬鹿の言うことはあまりお気になさらずに!」

 がたんっ。
 良かった、回収業者が連れてってくれた。

『うおおおおおおおおおお冗談だっていってんだろ別にいいだろがああああ!』
『フェルナアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』

 それからいつもの逃避行が始まったらしい。
 クラングルは今日も平和だ。仕込みを終えたら午後の配達を済ませてしまおう。

「あの子たちがいるとやっぱり賑やかねえ。しばらく滞在するなら何かお菓子でも焼いてあげようかしら?」
「……イチさん、ずいぶんと面識が広いようですね、うん」
「パン屋やってると顔広くなるぞイケダさん」

 イケダさんを見送るとPDAからの通知が重なった。
 フレンド登録したタケナカ先輩からだ。内容を確かめると。

【相変わらずパン屋勤めか新入り? それよりあの一件でまた新入りが増えたから講習のスケジュールを調整したいと思う、仕事が終わったら連絡してくれ】

 そんなメッセージが届いてた。
 あの一件以来、冒険者ギルドは少し活発だ。
 新顔が徐々に増えて、先輩どもはますます頼られるようになった。
 どうもタケナカ先輩が新人の面倒を見てることが周りに認められてきて、ギルド内の評価からもだいぶ良くなってるとか。

【了解、先輩。後で新顔に挨拶しとくわ】

 そう返しておいた。いまだにストーンだけれども充実してる。
 配達が終わったら自由な時間をどう使うか考える余裕があるぐらいだ。
 それにどうにか宿の代金ぐらいは払えるぐらいにはなった、この世界でもうまくやれてるのだ。

【それからギルマスがパン屋以外の仕事やれって頭抱えてたからどうにかしろ】
【じゃあ仕込みと配達いってきます】
【おいコラ】

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