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Journey's End(たびのおわり)
白いおにぎり、白い魔女
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深い鍋の中、くつくつと具材が煮込まれてた。
肉や野菜が食べやすい形のまま美味しそうに色づいてる。
どこか懐かしい甘辛い香りもした。元の世界で一度は感じたようなやつだ。
「……醤油まであるのか、あっちの世界」
『うん、あったけど……これもこっちに転移してきたみたいだね』
俺はさっきの瓶を持ち上げた、
一歩間違えればファンタジー世界のお薬と見間違える寸前のつくりだが、フタを開ければあの塩辛い香りがする。
醤油だこれ。なんてこった、フランメリアはどこまで日本人に優しいんだ。
「このお醤油という調味料はお米の流通が整い始めた頃、アバタールちゃんがジパング移民者の方々と取り合って作ったものなのです。今では彼らの手によって大量生産されていますわ」
リム様はそんなまごうことなき醤油で料理に一味加えていた。
原料不明の白い干物を使って出汁を取って、野菜と一緒に軽く味付けして汁物に。
ついでにその出汁と醤油を使って角ばったオムレツ――だし巻き卵に。
今なお煮込まれてる肉じゃがでさえ醤油と砂糖だ。どこを向いても醤油だった。
「……こうして見ると日本の料理って醤油まみれだね。味付けが重複してないかい」
ヌイスの言う通りだった。たった一つの調味料が全てを司ってる。
フタを開けてニクに嗅がせると「む」と顔をしかめられた。異臭らしい。
「俺も今そう思ったところだ」
『クランハウスでご飯を作ってた時も重宝したなあ……香りづけから味付けまで大抵のことはできちゃうし』
「ふふふ、そうなのです。調味料でもあり香辛料のようでもあるので、変わったもの好きなフランメリアでは瞬く間に普及しましたの」
「おかげでウェイストランドで和食か。ありがとう未来の俺、愛してる」
「急にナルシストにならないでくれたまえよ君。でもおかげで転移したプレイヤーたちも助かってるだろうね、故郷の味が作れるんだから」
……エプロンを着た小さな魔女の料理は次々と出来上がっていく。
俺の仕事はその手伝いだ。下ごしらえをする、食器を並べる、鍋を見張る。
でも一緒に料理をしてる感じがして楽しかった。何せリム様もそうだったから。
「いっちゃん、盛り付けはお任せしますわ。ヌイスちゃんとニクちゃんは食卓に運んでくださいませ」
「了解、リム様――今なら飲食系の仕事もありだったなって思ってる」
「分かったよ。私のは盛りすぎないでくれると助かるかな」
「ん、持ってく」
ストレンジャーの次の任務は料理を盛ることか。
鍋を見るといい色に染まった甘辛い香りの肉じゃがが出来上がってる、うまそうだ。
ツチグモの食器棚を探ってそれらしい体裁を保てそうな皿に盛った。150年前の缶詰めグリンピースを添えて。
「……うまそうだな」
『ふふっ、おいしそうだね。りむサマ、和食も作れたんだ?』
「何を隠そう、この肉じゃがのレシピはアバタールちゃんが「ジパングの料理だ」って言ってたものですの。私もじゃがいもが欠かせないと聞いて見逃せませんでしたわ」
「また俺か。まあ嘘は言っちゃいないよな、うん」
「そのジパングとか言うのはちゃんと獣食文化はあったのか不安だよ」
「そのことなのですけれども。移民の方々に振舞ったところ、我々は肉など食べないって言われてひと騒ぎありましたわね」
「なにやってんだ俺」
『そう言えば昔の日本は肉食がタブーだって言われてたよね。ジパングもそれがモデルだったのかな』
「ジパングとやらの方たちの禁忌に思いっきりタッチしちゃってないかい」
「あっ、でも皆さま「フランメリアだからいいか」と仰ってとても美味しく召し上がりましたわ。肉じゃががきっかけで彼らもお肉を食べるようになりましたの!」
「あーうん、その方たちはしたたかなようで。仲良くなれそうだ」
『手のひら返しちゃった……』
「手首が良く回っておられるね、移民の人々とやらは。郷に従えに律儀なものだ」
「その人たち、どうしてお肉食べちゃいけなかったの?」
「色々あったそうですわ。信じる神のためだとか、食べ物ではなく薬という認識があったからとか」
時々耳にするジパングとか言うのは元の世界に通ずるものがあるらしい。
こうして盛り付ける肉じゃががそこに繋がりがあるのもまた変な話だ。
ヌイスに渡すと「多いよ君」とじとっと見られたが無理矢理運ばせた。
「いっちゃん、こちらにいらっしゃい。一緒に塩おにぎりを作りますわよ」
一通りの品を送り付けるとまさかのご指名だ。
見ればリム様は蒸らし終わったご飯をかき混ぜていた。濃くて白い湯気が立ってる。
「……え? 俺も握るの?」
しかし困った、おにぎりなんて一度も握ったことがない。
コンビニのおにぎりとタカアキの手作りがせいぜいな身分だぞ? なのにリム様は。
「ふふ、大丈夫。丁重に握れば誰もおいしくできますから」
鍋敷きにどんっと炊飯鍋を乗せて招いてる。ほっこりした笑顔で。
けっきょくいつもの可愛らしい顔に負けた。しっかり手を洗って向かえば。
「こういうの作ったことないんだけどな……」
「では記念すべき初おにぎりですわね? まずこのボウルで手を冷やしましょう」
氷水でいっぱいのガラスボウルが待ち構えていた。手を突っ込むらしい。
「なにこれ氷水?」
「そうです、十秒ほど冷やしたらそこの布で拭き取ってくださいね? そうしないと水っぽくなっちゃいますから」
「こうか?」
言われた通りに冷やした。骨まで染みるぐらい冷たかった。
布を拾ってさっと拭けばお次は塩だ。「こうです」とリム様は手に馴染ませた。
塩粒で手をざらっとさせれば、しゃもじで切り分けるようにされたご飯があって。
「こうすれば熱くても大丈夫ですけれども、無理だったらお皿に移して冷ましてからでもいいですからね? 手に塩を広げたらご飯を掴んで、まずは軽くまとめて……」
手本を見せてくれた。まだ熱そうな白米をぎゅっと掴んだ。
そしてまずは小さな手でふんわりとまとめ始めた。子供がやるにはあまりにも手際がよすぎる動きでだが。
「こ、こう……?」
真似してみたが程よい熱さだった。塩まみれの手でそれっぽく固めた。
「そうそう、まずはご飯をひとまとまりにするのです。続いて左手で受け止めるように底の形を作って、右手でこうやって山のように角を整えて……」
俺がそう苦戦する一方でリム様はどんどん先を行く、左手で底を整えて右手で三角を作り上げてた。
あっという間に一個完成である。急いでぎゅっぎゅっとするも中々形ができない。
「ふふ、焦らなくていいのですよ? もう一度お手本を見せますから、ゆっくり真似してみてください」
ヌイスがそろそろ「大丈夫かい」とカメラを向けてきたが無視してもう一度確認。
冷やす、拭く、掴んで形を整える、両手で三角にして側面も平らにする。
こんな感じか? 三角形をイメージして手のひらで押さえて――できた!
「こうか!?」
完成したおにぎりを見せた。
リム様よりも大きく、そして七つの支柱が欲しくなる白い多面体がわが手に。
「中々ユニークな三角形ですわね! 逆にすごいですわ!」
『違うものができてるよ!? どうしたらそうなるの……!?』
「なんだいその白く輝くトラペゾヘドロンは」
「こんなはずじゃなかったんだ」
つまり失敗した。ニクに見せたら「なにそれ」とばかりに首を傾げられた。
でもめげずにまた作った。またレクチャーしてもらいつつ握れば。
「こうだな!?」
「そうです! ちょっと大きいですけれども、いっちゃんみたいな食べ盛りならちょうどいいですわ!」
やっとできた。ワンサイズ大きいけれども見事な三角だ。
そうやって一緒に出来上がった塩おにぎりを大皿に盛れば、意外とさまになった形がいっぱいに揃って。
「クスクス♡ 誰かボクを呼んだかな~?」
別に呼んでないはずだが赤い髪の美女がニヤニヤとどこからともなく現れた。
「呼んでねえよ」と顔で返した。通路の物置にふらっと行ってしまった。
「なんだあいついきなり出やがって」
「イチ君、君はどうやら邪神を呼ぶ才能があるらしいね。その輝くおにぎりは今後のために取っておいた方がいいんじゃないかな?」
「どういうことだヌイス」
『いちクンのおにぎりを召喚アイテムみたいに言わないでください……』
そうこうしてる間にできた。立派な和食セットだ。
ストレンジャーの作った少し歪なおにぎりと、リム様の作った綺麗な白い形が並ぶ大皿。
肉じゃがや卵焼き、汁物が揃った5人分の配膳。
ウェイストランドじゃありえないご馳走がここにはある。
「……完成ですわ! それでは皆様、いただきましょう?」
さっそく席についた。目の前に広がるのはまさに理想のご飯だった。
あの時死ぬほどうまいと思ったおにぎりがいっぱいあるのだ。それに日本的なおかずだって山ほどある。
「……ここってウェイストランドだよな? 自分がどこにいるかあやふやになりそうだ」
『……わたし、こういうの食べるの初めてかも」
「本当に和食だね。いや、私も初めてさ……」
「じゅるり」
ニクもじゅるりするほどなんだ、うまいに決まってる。
「じゃあ、いただきます」
『い、いただきまーす……」
「いただきます。これを言うのも初めてだったね、うん」
「……いただきます?」
さっそく手をつけた。大皿にあったトラペゾ……いびつなおにぎりをかじった。
紛れもない塩おにぎりだ。あの時食べたのと変わらない、確かなあの味がした。
「クスクス♡ 元の世界だったらお店が開けるレベルかもね~♡」
するとニャルもしれっとやってきた。席について無遠慮に食らってる。
なんというか、本当にうまかった。肉じゃがなんて特にそうだ。
形も崩れてないし甘辛さも理想的だ。元の世界で同じものが食えるとか言われたら、俺はたぶん無理だと答える。
それに卵焼きもしっとり甘くて食べ応えがあって、汁物も野菜の味が出た上品な味だ。
「……うまいや」
つまり何を食ってもうまいのだ。
リム様の持ちえるすべてが籠った品々だ。あの人の気遣いが全て詰め込んである。
『わたしも食べたいな……?』
「あの時食べた塩おにぎりの味がするな、うまいぞ」
短剣もブッ刺して味あわせた。『塩にぎり……!』とあの時と同じ声がした。
『……ふふっ、とっても美味しいね』
「初めて作った割にうまくいったな。俺もリム様に追いつけたか?」
「……これは驚いたね、これが和食なのかい。すごくしっくりと心に収まる味がするよ」
「ん、おいしい」
みんなも手が止まらないみたいだ。
そりゃそうだ。こいつはただ奇をてらった食材がぶちまれたり、上等なものが惜しげもなく使われたり、そんな特別はないんだろう。
作ったやつの心が籠った食べ物、そう言えばいいんだろうか?
「皆さまのお口にあいましたかしら? 腕によりをかけて作りましたから、今夜はいっぱいたべてくださいね?」
がつがつと喰らってると、リム様は妙に優しい声でそういってきた。
微笑ましいような、寂しいような、そういうことなんだろう。
これは最後に振舞うご馳走なんだと思う。お別れを込めたこの人らしい心遣いなんだろう。
「ああ、うまいよ」
だからしっかり食べることにした。手元からおにぎりが一つ消えた。
フランメリアじゃこんなものは幾らでも食べれるのかもしれないけれども、あの時感じた味はもう二度と来ないはずだ。
あの塩おにぎりの味は俺が生き抜いてきた証拠だ。特別なご馳走だったのだ。
「……皆さまおいしそうにいっぱい食べてくださりましたから、いつも作り甲斐がありましたわ? いっちゃんなんて特にそうでしたもの」
リム様は料理に手もつけず、ただじっと見ていた。
まるで人の姿を最後まで焼き付けようとする振る舞いだ。
やめろよ、クリューサも言ってただろ? 最後のお別れじゃないって。
「……今日のはすごくうまいよ。自分でおにぎり握ってもそこそこにうまいってことが分かった」
俺はきれいなおにぎりを一つ掴んだ。
ストレンジャーのものより上品で、それでいて食べる人のことを良く考えたものだ。
思えばこの味は、リム様が握ってくれたからこそあるんだろう。
「でもさ、おにぎりは誰かが握ってくれた方がやっぱりうまいな。こいつが一番だ」
そのご馳走を良く味わった。あの時みたいに少し塩辛かった。
小さな魔女はこんなストレンジャーの食べる姿がよっぽど嬉しかったんだろうか?
「ふふ♡ いっちゃんはあの時食べた塩おにぎり、すっかり気に入っちゃったのかしら?」
今までで一番の笑顔をゆったり広げて、俺が食べ終わるのを最後まで見届けてくれた。
ああそうだよ。ひどい気持ちから救ってくれた、あの味が人生で一番の味だったんだ。
◇
夕食が終わって、荷物を整えて、ひと眠りすればすぐに翌朝だ。
自動放送装置が今朝も元気にフランメリア人を招く傍ら、俺たちは銀の門のそばにいた。
「……他に必要な物資はないかい? ツチグモにあるものは何だって持って行っていいんだよ」
銀色の世界の手前、停まった特大RVの中からヌイスがやってくる。
何なら今にももってけとばかりにいろいろな物資を抱えてるが、必要なものならもう貰った。
「あんまり持ちすぎるとかえって身動きが鈍くなるだけだ、これでいい」
俺はパンパンになった荷物を見せた。
それから『お土産』用に作ったバックパックもだ。色々なものが詰まってけっこう重たい。
「ん、ぼくも大丈夫」
ニクも少し張った鞄を見せびらかして、残った俺たちがいかに十分が示してくれた。
これ以上無駄に貰ったって持て余すだけだ。放送が終わるまでの程度があればいい。
「そうか。一応、きれいな水が入ったタンクを一つ置いていくからね? この辺りは水場もないから無駄遣いしないように気を付けておくれよ」
「心配するな、水を飲み過ぎて痛い目にあったことがあるからな。ちゃんとわきまえてる」
「ならいいんだけど。放送用の機材は役目が終わると自動的に停止するようになってる、何もしなくても大丈夫だよ」
「そのままでいいのか?」
「うん、どうせそれしか価値のないものだからね。必要な人が解体して活用してくれるさ」
「分かった」
ヌイスは澄ました顔をしてるくせに、今日だけは嫌に丁重にだった。
これをもってけとか、あれは大丈夫とか、やたらと気を使ってくる。
でもなんとなくわかる。こいつも寂しいんだろうな。
「……君さ、あっちについたらどうするんだい?」
この世界の『最後』らしい身なりを整えてると、ヌイスがそう尋ねてきた。
俺がフランメリアについたらどんな物語が始まるのか心配らしい。
そのことならいろいろ考えてた。
やっていけるんだろうかとか、どうやって生きて行こうとか、どう暮らせばいいかとか、本当にいろいろだ。
「そのことだけどちゃんと考えてあるぞ」
だがもう決まってた。細かな考えよりも今の俺らしい答えがここにある。
「一応聞かせてほしいものだね。どんなプランだい?」
「適当にやる」
適当さ。だって俺は流れ着くストレンジャーだから。
他と違うのはたどり着いた先で、今までのようにどうにかやっていける自信があることだ。
まあ、つまり行きあたりとばったりでできたノープランである。
「いや、君ね? それって何も考えてないという意味合いだよね?」
「色々考えた結果そう至っただけだ。まあ、うまくやるさ」
「なんだか不安になってきたよ。本当に大丈夫なのかい? やっぱり君と――」
考えてみれば、ヌイスの奴はずっと俺のことを気にしてくれた。
クリューサのやつも結構なお人好しだったけど、この人工知能も相当なものらしい。
でも大丈夫。そんな奴らに心配されつつ、ストレンジャーは適当にやってこれた。
「大丈夫、あの時からずっとうまくやってるからな」
北のどこかを見た。
そこはどこかのぶっ飛んだシェルター、俺はそこで「うまくやれ」と託された。
南へ必死に逃げた先、とある親切な老人に「勝利しろ」と頼まれた。
そこからふらりとこの世を漂ったけど、二人の教えと共に正しい道のりを歩むことができた。
「……ねえ、イチ君」
「なんだ」
「ごめんね、正直寂しいよ」
「良かった、俺もだ」
その道中、ひどい真実を知ったな。
未来の自分が何をしてこうなったのか、今いる自分に何が宿ってるのか、全て知ってしまった。
そんな物語から生まれた人工知能のヌイスはこの旅を助けてくれたし、こうして寂しがってしまってる。
「なあ、俺ってまだお前らの創造主か? だいぶ変わったけどさ」
遠い遠い未来、今はもう存在しえない遠い未来、そこにいる自分が作った人工知能に尋ねた。
俺はまだアバタールなのかって。本来の道を失った加賀祝夜は、果たしてお前らの親たりえるかってな。
「大丈夫。君は確かにみんなが愛した彼さ、今も昔もね」
けっきょくヌイスはクールさを装いながら答えてくれた。
こんな俺でも彼女を喜ばせる程度の存在に届いたらしい。撫でてやった。
「そうか。じゃあ向こうでもそんな創造主様を支えてくれ、あいにく敵に突っ込んで戦車をぶっ壊すぐらいしか能がないからな? 脳を使う仕事は苦手なんだ」
ついでに「ここ欠けてるからな」と脳みその冗談、いや真実を混ぜながらだが。
「君が複雑な生き方をしていて、正直辛かったよ」
「そりゃ俺だって死ぬほど辛かったな」
「でもよかった、君はいい笑顔を浮かべられるほどに強い人間だよ。だから安心したんだ、本当に良かったって」
「今度のアバタールは一味違うだけさ」
「うん。そんな君が大好きさ、ずっと昔からね」
ヌイスは優しく笑った。でもすぐにきりっと顔を整えて、覚悟を決めたようだ。
「――これからリム様と共にあっちへ向かうよ。あっちでツチグモを隠して、私なりの生活の基盤を作って向こうの文化にうまく溶け込んでみる」
「そしたら晴れて合流か?」
「君もあっちの世界でうまく馴染んでもらうことが前提だけどね」
「不安だけど頑張る」
「大丈夫、君なら適当にやれるさ」
お互い向こうで上手に生きることを約束した。
また会えたらストレンジャーズのみんなと一緒にまた騒ぎたいもんだ。
もちろん、ツチグモの中で。
「ありがとなヌイス、気を付けて行けよ」
「君だって気を付けてね。稼働時間は後もう少しだけど、門をくぐるその時まで油断はしないように」
『ヌイスさん、あなたが手を貸してくれたおかげでいろいろな人が救われたと思います。ブラックガンズのみんなにもコーヒーが届けられたし……本当にありがとうございました』
「うん、それなら私も気分がいいよ。ミコさん、元に戻ったらその姿を見せてほしいな」
「ヌイス様、ありがとう。いつもご主人を助けてくれて」
「それが私の役目だからね、ずーっとね」
それからヌイスが両手を広げてきた――ぎゅっとしてやった。
ふっ、とくすぐったさそうに笑われた。
ずいぶん穏やかな顔をされて、あいつはすたすたツチグモへ下がっていき。
「イっちゃん! これをどうぞ!」
代わるように車内から小さな魔女がやってきた。ぺたぺた歩くガチョウと共に。
保存容器にぎっしり詰まった食べ物だ。
プラスチックの透明感におにぎりやら肉やら芋やらの姿がぎゅっとひしめきあってる――それも二箱分。
「リム様、これもしかして弁当か?」
「ええ。飢渇の魔女特製、冷めても美味しいお弁当ですわ。おにぎりに揚げ物にオムレツに……いっちゃんが好きそうなものをいっぱい詰め込みましたの」
「そりゃ贅沢なこった。悪いな、わざわざ作ってくれるなんて」
「本当は残った日数分いっぱい作りたかったのですけれども――」
「ああ、これでいい。これ以上作られたらもっと寂しくなるからな」
十分な量だ。ありがたく受け取った。
ずっとストレンジャーを支えてくれた料理人はそれはもう寂しそうな様子だ。
もし俺が不用意に「やっぱ寂しいから残って」といえば喜んでくれそうだが。
「あちらの世界についたらタカちゃんや、それからミセリコルディアの皆様にこのことを急いで伝えにいきますわ。もうすぐで向こうから帰還するって、早く教えてあげないと」
そうだ、リム様にはそんな役割がある。
それにもう――十分に世話になった。
満足のゆく食事のおかげで健やかになれたんだ、これ以上求めるのは欲張りだろう。
「今向こうはどんな状況か分からないけど、あっちのこと任せていいか?」
『……お願いします、みんなに帰ってくるって伝えてください。私は元気だって、ちゃんと戻ってきますって』
「もちろんですわ。あなたたちのことはしっかりとお伝えします、だから……」
小さな魔女はとても寂しそうだった。もう顔に浮かんでるぐらいに。
まるでこれでお互い顔を見せるのは最後、みたいなものだ。でも残念、ストレンジャーはしぶといし死ねない。
「おいおい、クリューサもいってただろ? 何も別に今生の別れになるわけじゃないって」
両手で頬挟んでやった。もちっと潰れた。
「……そうふぇひふぁへ、ふぉへんふぁふぁい」
「明るい顔で別れよう、リム様。ずっとあんたに甘えっぱなしだったけど、これが俺の最後のわがままだ」
でも、悲しい別れなんてもういらない。
強い顔を作って見せた。んで「元気にさよならだ」と言わんばかりに鼻で笑った。
「……違いますの。寂しいわけじゃないですの」
「どうしたんだ」
「こうしてあなたが立派になってくれたのがうれしいのです。うれしくてうれしく、泣いちゃってるだけですわ」
「みんなが立派にしてくれた。それにあんただって立派だよ、今まで作ったご馳走が沢山の人を救ってくれたはずだ」
でも良かった、泣いてる理由は悲しみじゃない。
嬉しいからか。だとしたらストレンジャーはいい成長ができたんだろうな。
「……こうなれたのはいろいろな人に助けてもらったからさ。あっちについたらその分、誰かを助けるさ。今までみたいにな」
だからリム様を撫でてやった。
数えきれないほどの縁に助けてもらった身だ、今度はフランメリアのどこかのだれかにそれを回そう。
「強くなりましたわね、イっちゃん。そんな風に逞しくなって、私は本当にうれしいですよ」
「あんたにそう言われて俺だって本当にうれしい。あんたが俺の親だったら、きっといい人間になれたんだろうな」
「……いいえ、もういい子です」
「うん、ありがとう。そういってほしかった」
鼻の奥が痛くなってきた。もういいだろ?
リム様をぎゅっと抱きしめた。少しだけ、小さな身体の体温を味わうことにした。
「……こういう時は芋とか言ったり、変なことやっても怒らないぞ?」
どうせならいつものノリで騒がしくしてほしかったが。
「ふふ、ダメです♡ それはあちらでのお楽しみですわ」
意地悪なやつめ。お預けらしい。
分かったよリム様。また会おうってことだな、元気に。
「……ミコちゃん、もしイっちゃんが向こうについたら……今まで通りに仲良くしてあげてくださいね?」
『はい』
「きっと大変でしょうけれども、貴女が大切な心の支えです。つらい時も悲しい時も、そばで優しくしてあげてください」
『……はい』
「クランの皆様とまた楽しく過ごしてくださいね? どうかお元気で、笑顔でいてください」
肩の短剣の顔を覗いてきて、相棒にそう言葉も残してくれた。
一緒にミコの心の支えになってくれたよな、あんたは。
「ニクちゃん、あなたは向こうで犬の精霊として生きていくことになりますけれども……大丈夫、フランメリアはどんな者も受け入れるいい場所です。あなたらしく振舞ってください」
「うん。ご主人と一緒に進むよ」
「ふふ、いい子ですわ。イっちゃんをよろしくね? あなたがいてこそのストレンジャーなのですから」
「美味しいご飯をいつも食べさせてくれてありがとう、リムさま。またご馳走、食べたいな?」
「また会えたその時、とびきりおいしいのを作って差し上げます。あちらにはいっぱい美味しいものがありますから、その五感で是非味わってみてください」
ニクにもそんな言葉を残して、リム様はそっと歩き始めた。
一瞬、ぴたりと止まった。
振り返ろうとしたんだろうが――肩が震えていた。泣き出したっておかしくない。
今なら分かるよ。
クリューサたちもいった、ノルベルトも去った、ロアベアも帰った。
いつもなら当たり前の光景が少しずつ崩れていく寂しさは、残ったやつらにずっしりと圧し掛かってきてる。
優しいあんたならなおそれが辛いんだろう。段々と仲間が去っていく痛みが。
「リム様、ヌイスが待ってるから早く行ってくれ」
だから、だからだ。止まった背中を押した。
それがきっかけになって小さな魔女がしょんぼりと進んだ。
「……それにそこで泣かれたら、俺だって泣くと思う。行ってくれ」
もう一言、余計な言葉も混ぜてやった。
リム様はこくっと頷いたようだ。ツチグモの中へと流れていった。
俺たちを運んでくれたRVはエンジンをうならせた。それほどの大きさを受け入れる門の広さへ、あの巨体が進み始める。
「――世話になったなリム様! いっぱい構ってやるから、絶対また会おうな!?」
頃合いか。俺は大声で今の気持ちを伝えた。
泣いてしまったが構うもんか。あんたに楽しませてもらった日々こそが俺のご馳走だ。
「あんたはアバタールも俺も救ってくれた恩人だ! この恩は絶対返すからな! だから待ってるんだぞ! リム様!」
そんな言葉はかき消されたか、それとも伝わったか。
ツチグモはごろごろとタイヤを回して銀色に飲み込まれた。
少ししないうちにあの『走る住まい』は消えた。遠い遠いフランメリアのもとに。
◇
肉や野菜が食べやすい形のまま美味しそうに色づいてる。
どこか懐かしい甘辛い香りもした。元の世界で一度は感じたようなやつだ。
「……醤油まであるのか、あっちの世界」
『うん、あったけど……これもこっちに転移してきたみたいだね』
俺はさっきの瓶を持ち上げた、
一歩間違えればファンタジー世界のお薬と見間違える寸前のつくりだが、フタを開ければあの塩辛い香りがする。
醤油だこれ。なんてこった、フランメリアはどこまで日本人に優しいんだ。
「このお醤油という調味料はお米の流通が整い始めた頃、アバタールちゃんがジパング移民者の方々と取り合って作ったものなのです。今では彼らの手によって大量生産されていますわ」
リム様はそんなまごうことなき醤油で料理に一味加えていた。
原料不明の白い干物を使って出汁を取って、野菜と一緒に軽く味付けして汁物に。
ついでにその出汁と醤油を使って角ばったオムレツ――だし巻き卵に。
今なお煮込まれてる肉じゃがでさえ醤油と砂糖だ。どこを向いても醤油だった。
「……こうして見ると日本の料理って醤油まみれだね。味付けが重複してないかい」
ヌイスの言う通りだった。たった一つの調味料が全てを司ってる。
フタを開けてニクに嗅がせると「む」と顔をしかめられた。異臭らしい。
「俺も今そう思ったところだ」
『クランハウスでご飯を作ってた時も重宝したなあ……香りづけから味付けまで大抵のことはできちゃうし』
「ふふふ、そうなのです。調味料でもあり香辛料のようでもあるので、変わったもの好きなフランメリアでは瞬く間に普及しましたの」
「おかげでウェイストランドで和食か。ありがとう未来の俺、愛してる」
「急にナルシストにならないでくれたまえよ君。でもおかげで転移したプレイヤーたちも助かってるだろうね、故郷の味が作れるんだから」
……エプロンを着た小さな魔女の料理は次々と出来上がっていく。
俺の仕事はその手伝いだ。下ごしらえをする、食器を並べる、鍋を見張る。
でも一緒に料理をしてる感じがして楽しかった。何せリム様もそうだったから。
「いっちゃん、盛り付けはお任せしますわ。ヌイスちゃんとニクちゃんは食卓に運んでくださいませ」
「了解、リム様――今なら飲食系の仕事もありだったなって思ってる」
「分かったよ。私のは盛りすぎないでくれると助かるかな」
「ん、持ってく」
ストレンジャーの次の任務は料理を盛ることか。
鍋を見るといい色に染まった甘辛い香りの肉じゃがが出来上がってる、うまそうだ。
ツチグモの食器棚を探ってそれらしい体裁を保てそうな皿に盛った。150年前の缶詰めグリンピースを添えて。
「……うまそうだな」
『ふふっ、おいしそうだね。りむサマ、和食も作れたんだ?』
「何を隠そう、この肉じゃがのレシピはアバタールちゃんが「ジパングの料理だ」って言ってたものですの。私もじゃがいもが欠かせないと聞いて見逃せませんでしたわ」
「また俺か。まあ嘘は言っちゃいないよな、うん」
「そのジパングとか言うのはちゃんと獣食文化はあったのか不安だよ」
「そのことなのですけれども。移民の方々に振舞ったところ、我々は肉など食べないって言われてひと騒ぎありましたわね」
「なにやってんだ俺」
『そう言えば昔の日本は肉食がタブーだって言われてたよね。ジパングもそれがモデルだったのかな』
「ジパングとやらの方たちの禁忌に思いっきりタッチしちゃってないかい」
「あっ、でも皆さま「フランメリアだからいいか」と仰ってとても美味しく召し上がりましたわ。肉じゃががきっかけで彼らもお肉を食べるようになりましたの!」
「あーうん、その方たちはしたたかなようで。仲良くなれそうだ」
『手のひら返しちゃった……』
「手首が良く回っておられるね、移民の人々とやらは。郷に従えに律儀なものだ」
「その人たち、どうしてお肉食べちゃいけなかったの?」
「色々あったそうですわ。信じる神のためだとか、食べ物ではなく薬という認識があったからとか」
時々耳にするジパングとか言うのは元の世界に通ずるものがあるらしい。
こうして盛り付ける肉じゃががそこに繋がりがあるのもまた変な話だ。
ヌイスに渡すと「多いよ君」とじとっと見られたが無理矢理運ばせた。
「いっちゃん、こちらにいらっしゃい。一緒に塩おにぎりを作りますわよ」
一通りの品を送り付けるとまさかのご指名だ。
見ればリム様は蒸らし終わったご飯をかき混ぜていた。濃くて白い湯気が立ってる。
「……え? 俺も握るの?」
しかし困った、おにぎりなんて一度も握ったことがない。
コンビニのおにぎりとタカアキの手作りがせいぜいな身分だぞ? なのにリム様は。
「ふふ、大丈夫。丁重に握れば誰もおいしくできますから」
鍋敷きにどんっと炊飯鍋を乗せて招いてる。ほっこりした笑顔で。
けっきょくいつもの可愛らしい顔に負けた。しっかり手を洗って向かえば。
「こういうの作ったことないんだけどな……」
「では記念すべき初おにぎりですわね? まずこのボウルで手を冷やしましょう」
氷水でいっぱいのガラスボウルが待ち構えていた。手を突っ込むらしい。
「なにこれ氷水?」
「そうです、十秒ほど冷やしたらそこの布で拭き取ってくださいね? そうしないと水っぽくなっちゃいますから」
「こうか?」
言われた通りに冷やした。骨まで染みるぐらい冷たかった。
布を拾ってさっと拭けばお次は塩だ。「こうです」とリム様は手に馴染ませた。
塩粒で手をざらっとさせれば、しゃもじで切り分けるようにされたご飯があって。
「こうすれば熱くても大丈夫ですけれども、無理だったらお皿に移して冷ましてからでもいいですからね? 手に塩を広げたらご飯を掴んで、まずは軽くまとめて……」
手本を見せてくれた。まだ熱そうな白米をぎゅっと掴んだ。
そしてまずは小さな手でふんわりとまとめ始めた。子供がやるにはあまりにも手際がよすぎる動きでだが。
「こ、こう……?」
真似してみたが程よい熱さだった。塩まみれの手でそれっぽく固めた。
「そうそう、まずはご飯をひとまとまりにするのです。続いて左手で受け止めるように底の形を作って、右手でこうやって山のように角を整えて……」
俺がそう苦戦する一方でリム様はどんどん先を行く、左手で底を整えて右手で三角を作り上げてた。
あっという間に一個完成である。急いでぎゅっぎゅっとするも中々形ができない。
「ふふ、焦らなくていいのですよ? もう一度お手本を見せますから、ゆっくり真似してみてください」
ヌイスがそろそろ「大丈夫かい」とカメラを向けてきたが無視してもう一度確認。
冷やす、拭く、掴んで形を整える、両手で三角にして側面も平らにする。
こんな感じか? 三角形をイメージして手のひらで押さえて――できた!
「こうか!?」
完成したおにぎりを見せた。
リム様よりも大きく、そして七つの支柱が欲しくなる白い多面体がわが手に。
「中々ユニークな三角形ですわね! 逆にすごいですわ!」
『違うものができてるよ!? どうしたらそうなるの……!?』
「なんだいその白く輝くトラペゾヘドロンは」
「こんなはずじゃなかったんだ」
つまり失敗した。ニクに見せたら「なにそれ」とばかりに首を傾げられた。
でもめげずにまた作った。またレクチャーしてもらいつつ握れば。
「こうだな!?」
「そうです! ちょっと大きいですけれども、いっちゃんみたいな食べ盛りならちょうどいいですわ!」
やっとできた。ワンサイズ大きいけれども見事な三角だ。
そうやって一緒に出来上がった塩おにぎりを大皿に盛れば、意外とさまになった形がいっぱいに揃って。
「クスクス♡ 誰かボクを呼んだかな~?」
別に呼んでないはずだが赤い髪の美女がニヤニヤとどこからともなく現れた。
「呼んでねえよ」と顔で返した。通路の物置にふらっと行ってしまった。
「なんだあいついきなり出やがって」
「イチ君、君はどうやら邪神を呼ぶ才能があるらしいね。その輝くおにぎりは今後のために取っておいた方がいいんじゃないかな?」
「どういうことだヌイス」
『いちクンのおにぎりを召喚アイテムみたいに言わないでください……』
そうこうしてる間にできた。立派な和食セットだ。
ストレンジャーの作った少し歪なおにぎりと、リム様の作った綺麗な白い形が並ぶ大皿。
肉じゃがや卵焼き、汁物が揃った5人分の配膳。
ウェイストランドじゃありえないご馳走がここにはある。
「……完成ですわ! それでは皆様、いただきましょう?」
さっそく席についた。目の前に広がるのはまさに理想のご飯だった。
あの時死ぬほどうまいと思ったおにぎりがいっぱいあるのだ。それに日本的なおかずだって山ほどある。
「……ここってウェイストランドだよな? 自分がどこにいるかあやふやになりそうだ」
『……わたし、こういうの食べるの初めてかも」
「本当に和食だね。いや、私も初めてさ……」
「じゅるり」
ニクもじゅるりするほどなんだ、うまいに決まってる。
「じゃあ、いただきます」
『い、いただきまーす……」
「いただきます。これを言うのも初めてだったね、うん」
「……いただきます?」
さっそく手をつけた。大皿にあったトラペゾ……いびつなおにぎりをかじった。
紛れもない塩おにぎりだ。あの時食べたのと変わらない、確かなあの味がした。
「クスクス♡ 元の世界だったらお店が開けるレベルかもね~♡」
するとニャルもしれっとやってきた。席について無遠慮に食らってる。
なんというか、本当にうまかった。肉じゃがなんて特にそうだ。
形も崩れてないし甘辛さも理想的だ。元の世界で同じものが食えるとか言われたら、俺はたぶん無理だと答える。
それに卵焼きもしっとり甘くて食べ応えがあって、汁物も野菜の味が出た上品な味だ。
「……うまいや」
つまり何を食ってもうまいのだ。
リム様の持ちえるすべてが籠った品々だ。あの人の気遣いが全て詰め込んである。
『わたしも食べたいな……?』
「あの時食べた塩おにぎりの味がするな、うまいぞ」
短剣もブッ刺して味あわせた。『塩にぎり……!』とあの時と同じ声がした。
『……ふふっ、とっても美味しいね』
「初めて作った割にうまくいったな。俺もリム様に追いつけたか?」
「……これは驚いたね、これが和食なのかい。すごくしっくりと心に収まる味がするよ」
「ん、おいしい」
みんなも手が止まらないみたいだ。
そりゃそうだ。こいつはただ奇をてらった食材がぶちまれたり、上等なものが惜しげもなく使われたり、そんな特別はないんだろう。
作ったやつの心が籠った食べ物、そう言えばいいんだろうか?
「皆さまのお口にあいましたかしら? 腕によりをかけて作りましたから、今夜はいっぱいたべてくださいね?」
がつがつと喰らってると、リム様は妙に優しい声でそういってきた。
微笑ましいような、寂しいような、そういうことなんだろう。
これは最後に振舞うご馳走なんだと思う。お別れを込めたこの人らしい心遣いなんだろう。
「ああ、うまいよ」
だからしっかり食べることにした。手元からおにぎりが一つ消えた。
フランメリアじゃこんなものは幾らでも食べれるのかもしれないけれども、あの時感じた味はもう二度と来ないはずだ。
あの塩おにぎりの味は俺が生き抜いてきた証拠だ。特別なご馳走だったのだ。
「……皆さまおいしそうにいっぱい食べてくださりましたから、いつも作り甲斐がありましたわ? いっちゃんなんて特にそうでしたもの」
リム様は料理に手もつけず、ただじっと見ていた。
まるで人の姿を最後まで焼き付けようとする振る舞いだ。
やめろよ、クリューサも言ってただろ? 最後のお別れじゃないって。
「……今日のはすごくうまいよ。自分でおにぎり握ってもそこそこにうまいってことが分かった」
俺はきれいなおにぎりを一つ掴んだ。
ストレンジャーのものより上品で、それでいて食べる人のことを良く考えたものだ。
思えばこの味は、リム様が握ってくれたからこそあるんだろう。
「でもさ、おにぎりは誰かが握ってくれた方がやっぱりうまいな。こいつが一番だ」
そのご馳走を良く味わった。あの時みたいに少し塩辛かった。
小さな魔女はこんなストレンジャーの食べる姿がよっぽど嬉しかったんだろうか?
「ふふ♡ いっちゃんはあの時食べた塩おにぎり、すっかり気に入っちゃったのかしら?」
今までで一番の笑顔をゆったり広げて、俺が食べ終わるのを最後まで見届けてくれた。
ああそうだよ。ひどい気持ちから救ってくれた、あの味が人生で一番の味だったんだ。
◇
夕食が終わって、荷物を整えて、ひと眠りすればすぐに翌朝だ。
自動放送装置が今朝も元気にフランメリア人を招く傍ら、俺たちは銀の門のそばにいた。
「……他に必要な物資はないかい? ツチグモにあるものは何だって持って行っていいんだよ」
銀色の世界の手前、停まった特大RVの中からヌイスがやってくる。
何なら今にももってけとばかりにいろいろな物資を抱えてるが、必要なものならもう貰った。
「あんまり持ちすぎるとかえって身動きが鈍くなるだけだ、これでいい」
俺はパンパンになった荷物を見せた。
それから『お土産』用に作ったバックパックもだ。色々なものが詰まってけっこう重たい。
「ん、ぼくも大丈夫」
ニクも少し張った鞄を見せびらかして、残った俺たちがいかに十分が示してくれた。
これ以上無駄に貰ったって持て余すだけだ。放送が終わるまでの程度があればいい。
「そうか。一応、きれいな水が入ったタンクを一つ置いていくからね? この辺りは水場もないから無駄遣いしないように気を付けておくれよ」
「心配するな、水を飲み過ぎて痛い目にあったことがあるからな。ちゃんとわきまえてる」
「ならいいんだけど。放送用の機材は役目が終わると自動的に停止するようになってる、何もしなくても大丈夫だよ」
「そのままでいいのか?」
「うん、どうせそれしか価値のないものだからね。必要な人が解体して活用してくれるさ」
「分かった」
ヌイスは澄ました顔をしてるくせに、今日だけは嫌に丁重にだった。
これをもってけとか、あれは大丈夫とか、やたらと気を使ってくる。
でもなんとなくわかる。こいつも寂しいんだろうな。
「……君さ、あっちについたらどうするんだい?」
この世界の『最後』らしい身なりを整えてると、ヌイスがそう尋ねてきた。
俺がフランメリアについたらどんな物語が始まるのか心配らしい。
そのことならいろいろ考えてた。
やっていけるんだろうかとか、どうやって生きて行こうとか、どう暮らせばいいかとか、本当にいろいろだ。
「そのことだけどちゃんと考えてあるぞ」
だがもう決まってた。細かな考えよりも今の俺らしい答えがここにある。
「一応聞かせてほしいものだね。どんなプランだい?」
「適当にやる」
適当さ。だって俺は流れ着くストレンジャーだから。
他と違うのはたどり着いた先で、今までのようにどうにかやっていける自信があることだ。
まあ、つまり行きあたりとばったりでできたノープランである。
「いや、君ね? それって何も考えてないという意味合いだよね?」
「色々考えた結果そう至っただけだ。まあ、うまくやるさ」
「なんだか不安になってきたよ。本当に大丈夫なのかい? やっぱり君と――」
考えてみれば、ヌイスの奴はずっと俺のことを気にしてくれた。
クリューサのやつも結構なお人好しだったけど、この人工知能も相当なものらしい。
でも大丈夫。そんな奴らに心配されつつ、ストレンジャーは適当にやってこれた。
「大丈夫、あの時からずっとうまくやってるからな」
北のどこかを見た。
そこはどこかのぶっ飛んだシェルター、俺はそこで「うまくやれ」と託された。
南へ必死に逃げた先、とある親切な老人に「勝利しろ」と頼まれた。
そこからふらりとこの世を漂ったけど、二人の教えと共に正しい道のりを歩むことができた。
「……ねえ、イチ君」
「なんだ」
「ごめんね、正直寂しいよ」
「良かった、俺もだ」
その道中、ひどい真実を知ったな。
未来の自分が何をしてこうなったのか、今いる自分に何が宿ってるのか、全て知ってしまった。
そんな物語から生まれた人工知能のヌイスはこの旅を助けてくれたし、こうして寂しがってしまってる。
「なあ、俺ってまだお前らの創造主か? だいぶ変わったけどさ」
遠い遠い未来、今はもう存在しえない遠い未来、そこにいる自分が作った人工知能に尋ねた。
俺はまだアバタールなのかって。本来の道を失った加賀祝夜は、果たしてお前らの親たりえるかってな。
「大丈夫。君は確かにみんなが愛した彼さ、今も昔もね」
けっきょくヌイスはクールさを装いながら答えてくれた。
こんな俺でも彼女を喜ばせる程度の存在に届いたらしい。撫でてやった。
「そうか。じゃあ向こうでもそんな創造主様を支えてくれ、あいにく敵に突っ込んで戦車をぶっ壊すぐらいしか能がないからな? 脳を使う仕事は苦手なんだ」
ついでに「ここ欠けてるからな」と脳みその冗談、いや真実を混ぜながらだが。
「君が複雑な生き方をしていて、正直辛かったよ」
「そりゃ俺だって死ぬほど辛かったな」
「でもよかった、君はいい笑顔を浮かべられるほどに強い人間だよ。だから安心したんだ、本当に良かったって」
「今度のアバタールは一味違うだけさ」
「うん。そんな君が大好きさ、ずっと昔からね」
ヌイスは優しく笑った。でもすぐにきりっと顔を整えて、覚悟を決めたようだ。
「――これからリム様と共にあっちへ向かうよ。あっちでツチグモを隠して、私なりの生活の基盤を作って向こうの文化にうまく溶け込んでみる」
「そしたら晴れて合流か?」
「君もあっちの世界でうまく馴染んでもらうことが前提だけどね」
「不安だけど頑張る」
「大丈夫、君なら適当にやれるさ」
お互い向こうで上手に生きることを約束した。
また会えたらストレンジャーズのみんなと一緒にまた騒ぎたいもんだ。
もちろん、ツチグモの中で。
「ありがとなヌイス、気を付けて行けよ」
「君だって気を付けてね。稼働時間は後もう少しだけど、門をくぐるその時まで油断はしないように」
『ヌイスさん、あなたが手を貸してくれたおかげでいろいろな人が救われたと思います。ブラックガンズのみんなにもコーヒーが届けられたし……本当にありがとうございました』
「うん、それなら私も気分がいいよ。ミコさん、元に戻ったらその姿を見せてほしいな」
「ヌイス様、ありがとう。いつもご主人を助けてくれて」
「それが私の役目だからね、ずーっとね」
それからヌイスが両手を広げてきた――ぎゅっとしてやった。
ふっ、とくすぐったさそうに笑われた。
ずいぶん穏やかな顔をされて、あいつはすたすたツチグモへ下がっていき。
「イっちゃん! これをどうぞ!」
代わるように車内から小さな魔女がやってきた。ぺたぺた歩くガチョウと共に。
保存容器にぎっしり詰まった食べ物だ。
プラスチックの透明感におにぎりやら肉やら芋やらの姿がぎゅっとひしめきあってる――それも二箱分。
「リム様、これもしかして弁当か?」
「ええ。飢渇の魔女特製、冷めても美味しいお弁当ですわ。おにぎりに揚げ物にオムレツに……いっちゃんが好きそうなものをいっぱい詰め込みましたの」
「そりゃ贅沢なこった。悪いな、わざわざ作ってくれるなんて」
「本当は残った日数分いっぱい作りたかったのですけれども――」
「ああ、これでいい。これ以上作られたらもっと寂しくなるからな」
十分な量だ。ありがたく受け取った。
ずっとストレンジャーを支えてくれた料理人はそれはもう寂しそうな様子だ。
もし俺が不用意に「やっぱ寂しいから残って」といえば喜んでくれそうだが。
「あちらの世界についたらタカちゃんや、それからミセリコルディアの皆様にこのことを急いで伝えにいきますわ。もうすぐで向こうから帰還するって、早く教えてあげないと」
そうだ、リム様にはそんな役割がある。
それにもう――十分に世話になった。
満足のゆく食事のおかげで健やかになれたんだ、これ以上求めるのは欲張りだろう。
「今向こうはどんな状況か分からないけど、あっちのこと任せていいか?」
『……お願いします、みんなに帰ってくるって伝えてください。私は元気だって、ちゃんと戻ってきますって』
「もちろんですわ。あなたたちのことはしっかりとお伝えします、だから……」
小さな魔女はとても寂しそうだった。もう顔に浮かんでるぐらいに。
まるでこれでお互い顔を見せるのは最後、みたいなものだ。でも残念、ストレンジャーはしぶといし死ねない。
「おいおい、クリューサもいってただろ? 何も別に今生の別れになるわけじゃないって」
両手で頬挟んでやった。もちっと潰れた。
「……そうふぇひふぁへ、ふぉへんふぁふぁい」
「明るい顔で別れよう、リム様。ずっとあんたに甘えっぱなしだったけど、これが俺の最後のわがままだ」
でも、悲しい別れなんてもういらない。
強い顔を作って見せた。んで「元気にさよならだ」と言わんばかりに鼻で笑った。
「……違いますの。寂しいわけじゃないですの」
「どうしたんだ」
「こうしてあなたが立派になってくれたのがうれしいのです。うれしくてうれしく、泣いちゃってるだけですわ」
「みんなが立派にしてくれた。それにあんただって立派だよ、今まで作ったご馳走が沢山の人を救ってくれたはずだ」
でも良かった、泣いてる理由は悲しみじゃない。
嬉しいからか。だとしたらストレンジャーはいい成長ができたんだろうな。
「……こうなれたのはいろいろな人に助けてもらったからさ。あっちについたらその分、誰かを助けるさ。今までみたいにな」
だからリム様を撫でてやった。
数えきれないほどの縁に助けてもらった身だ、今度はフランメリアのどこかのだれかにそれを回そう。
「強くなりましたわね、イっちゃん。そんな風に逞しくなって、私は本当にうれしいですよ」
「あんたにそう言われて俺だって本当にうれしい。あんたが俺の親だったら、きっといい人間になれたんだろうな」
「……いいえ、もういい子です」
「うん、ありがとう。そういってほしかった」
鼻の奥が痛くなってきた。もういいだろ?
リム様をぎゅっと抱きしめた。少しだけ、小さな身体の体温を味わうことにした。
「……こういう時は芋とか言ったり、変なことやっても怒らないぞ?」
どうせならいつものノリで騒がしくしてほしかったが。
「ふふ、ダメです♡ それはあちらでのお楽しみですわ」
意地悪なやつめ。お預けらしい。
分かったよリム様。また会おうってことだな、元気に。
「……ミコちゃん、もしイっちゃんが向こうについたら……今まで通りに仲良くしてあげてくださいね?」
『はい』
「きっと大変でしょうけれども、貴女が大切な心の支えです。つらい時も悲しい時も、そばで優しくしてあげてください」
『……はい』
「クランの皆様とまた楽しく過ごしてくださいね? どうかお元気で、笑顔でいてください」
肩の短剣の顔を覗いてきて、相棒にそう言葉も残してくれた。
一緒にミコの心の支えになってくれたよな、あんたは。
「ニクちゃん、あなたは向こうで犬の精霊として生きていくことになりますけれども……大丈夫、フランメリアはどんな者も受け入れるいい場所です。あなたらしく振舞ってください」
「うん。ご主人と一緒に進むよ」
「ふふ、いい子ですわ。イっちゃんをよろしくね? あなたがいてこそのストレンジャーなのですから」
「美味しいご飯をいつも食べさせてくれてありがとう、リムさま。またご馳走、食べたいな?」
「また会えたその時、とびきりおいしいのを作って差し上げます。あちらにはいっぱい美味しいものがありますから、その五感で是非味わってみてください」
ニクにもそんな言葉を残して、リム様はそっと歩き始めた。
一瞬、ぴたりと止まった。
振り返ろうとしたんだろうが――肩が震えていた。泣き出したっておかしくない。
今なら分かるよ。
クリューサたちもいった、ノルベルトも去った、ロアベアも帰った。
いつもなら当たり前の光景が少しずつ崩れていく寂しさは、残ったやつらにずっしりと圧し掛かってきてる。
優しいあんたならなおそれが辛いんだろう。段々と仲間が去っていく痛みが。
「リム様、ヌイスが待ってるから早く行ってくれ」
だから、だからだ。止まった背中を押した。
それがきっかけになって小さな魔女がしょんぼりと進んだ。
「……それにそこで泣かれたら、俺だって泣くと思う。行ってくれ」
もう一言、余計な言葉も混ぜてやった。
リム様はこくっと頷いたようだ。ツチグモの中へと流れていった。
俺たちを運んでくれたRVはエンジンをうならせた。それほどの大きさを受け入れる門の広さへ、あの巨体が進み始める。
「――世話になったなリム様! いっぱい構ってやるから、絶対また会おうな!?」
頃合いか。俺は大声で今の気持ちを伝えた。
泣いてしまったが構うもんか。あんたに楽しませてもらった日々こそが俺のご馳走だ。
「あんたはアバタールも俺も救ってくれた恩人だ! この恩は絶対返すからな! だから待ってるんだぞ! リム様!」
そんな言葉はかき消されたか、それとも伝わったか。
ツチグモはごろごろとタイヤを回して銀色に飲み込まれた。
少ししないうちにあの『走る住まい』は消えた。遠い遠いフランメリアのもとに。
◇
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