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Journey's End(たびのおわり)

次はお前だ、オーガの子よ

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【――あれからブルヘッドは落ち着いてるが、リスナーのみんなはもっと刺激が欲しかったりしないか? だったらオイラはこう聞くぜ、上映中の『ハードコア・ストーナー』はもう見たか? 主人公の『ストーナー』が織りなす一人称視点の作品にとうとう頼れるサイドキックが登場だ。傭兵どもを蹴散らす黒いジャンプスーツの男が助けに来てくれたんだぜ、アクションとバイオレンス、そしてユーモアも増した三作目をオイラはすすめるね】

 PDAのラジオ機能を介してそんな流暢な喋りが続いてる。
 ダムの駐車場から見下ろす遠い大地のその向こう、エルドリーチの楽しそうな言葉遣いは今日もブルヘッドから送られてくる。

『エルドリーチさんなんだか楽しそうだね? 話し方もいつ聞いてもなめらかで、すごいなあ……』
「ヌイスが言ってたよな、元々そういうのが好きだったとか得意だったとか」
『うん、言ってたね。今のお仕事、あの人にすごく当てはまってると思うな』

 今まで通ってきた道を眺めてると、肩の短剣がラジオにおっとり感心していた。
 デイビッド・ダム・ロードを上ってくる姿は見えない。
 ここにいるのは賑やかさがだいぶ減ったストレンジャーズ、それから魔女に人工知能二人を足した珍奇な組み合わせだ。

「ほんとに根付くつもりなんだろうな、あいつ。あとなんだ『ハードコア・ストナー』って、まさかあの撮影シーンぶっこみやがったのか」
『……そういえばいちクン、撮影手伝ってたよね。もしかしてだけど……』
「あの出来事をそのまんま映画に組み込んでないよな……? 大丈夫かブルヘッド」

 ブルヘッド・シティの多少ねじの外れた倫理観はさておき、俺は誰か来ないかと目を見張らせた。
 無人の荒野がただあるだけだ。遠くでニクが荒地を走り回ってる。

【――ああそうだ。話は変わるが、オイラはしばらくフランメリアの名の分かる連中にこう呼びかけるぜ。向こうの世界への門はデイビッド・ダムだ。スティングよりずっと北、更にブルヘッドの北、クロラド川を辿った先にあるそこがお前らの帰り道さ。あの恐ろしいストレンジャーが門番だ、地図を見て放射能汚染地域を避けて健やかに向かえよ? 詳しくはフランメリア自動放送局を――】

 エルドリーチのラジオはそういうが、やってくる誰かはまだ見えない。
 まあ無理もないか。このダムをいただいたのは早朝、剣と魔法の世界の住人に向けた放送は始まったばかりだ。

「クスクス♡ あいつがあんな流暢に喋れるのはさ、君のおかげなんだよー?」

 そこでくすぐるような声色がラジオに重なる。
 気づくと知らぬ間にニャルフィスがいた。フェンスに寄り掛かって尻尾をくねくねさせてる。

「エルドリーチのトークスキルは未来の自分の教育の賜物ですってか?」
『いちクンのおかげ……なんですか?』
「うんうん。そもそもあいつってさあ、どういう目的で生み出されたか知ってる?」

 ニヤニヤした猫っぽい笑顔からは質問がきていた。
 エルドリーチ。そう呼ばれる人工知能がどういう目的でノルテレイヤが生み出したか当ててほしいらしい。
 自分を補助させるためのAIという生い立ちは知ってるが、その具体的な業務内容は知るはずもない。

「ノルテレイヤを補助するためのAIだろ? そりゃなんかこう……お仕事を手伝う感じじゃないのか?」
「ふわっふわだねえ……、クスクス♡」
『えっと、ノルテレイヤ……さんの、演算の補助とかをしてたんでしょうか?』
「ざんねーん、それはみんなの役割でもあるし、特にヌイスの仕事だったけどね? 正解は外部とのコミュニケーション手段だったのさー」

 ミコもろとも二人して「はずれ」だが、ニャルはクスっと回答をくれた。

「コミュニケーション手段? エルドリーチが?」
「そーだよ。ノルテレイヤのやつはね、自身がより賢くなるにはたくさんの人間が持つ情報が不可欠だと判断したのさ。キミ以外の数多の誰かと接触して、学ぶ道を一から百に増やさないといけなかった……それが清濁併せのむものだとしてもね?」
『そっか、いろいろな人に触れて学習するためにあの人が作られたんだ……』
「でもね、元は好奇心旺盛なあの子さ。野に放たれるなり好き放題、生みの親の許可も得ずSNSアカウントは作るわ動画サイトで配信するわで大問題。会社に迷惑をかけてこっぴどく怒られたけど、人工知能に対する認識を和らげてくれたのは確かなんだよね」

 どうもエルドリーチは人付き合いに前向きすぎたらしい。今こうして飽きもせずラジオで延々話し続けるぐらいには。

【ああっと、そう言えばお前さんたちは壁の『上』の話は聞いたかい? 近々バロール・カンパニーとニシズミ社はこの都市を丸く囲う壁の外、今はまだどこかも分からぬ不毛な土地を合同で開拓することを決めたんだ。取り組みについては未定に未定を重ねた程度だが、世の中を変えてみたい、金が欲しい、偉くなりたい、そういう開拓者らしい気概のあるやつを一足先に募ってるそうだ】

 本当に良く喋るやつだ。楽しそうに話す骨の姿が思い浮かんできた。

「どおりで今こうして生き生きとしてるわけだ。骨だけのくせして」
「あいつには感謝しておいた方がいいんじゃないかなあ? 君が配信者稼業にありつけたのもエルドリーチのおかげなんだからね、クスクス……♡」
『エルドリーチさんのおかげだったんだ……』
「もとはと言えばあいつのゲーム実況の数合わせでイチ君が呼ばれたのさ。いや意外だよねぇ? それで才能を発揮できたんだからさ。生活能力もゼロ、社会経験もからっきしな誰かくんが実はいいエンターテイナーだったなんて」
「あともう少しで「宝の持ち腐れ」で締めくくるところだったんだろうな」
「ボクから見れば「神は二物を与えず」さ。マイナス部分の分だけ尖った才能があるんだねえ、人間って本当に面白いなあ♡」
「その人間の面白さを生かして短所を伸ばしてやるよ。あっちについたらちゃんとした料理ができるようになってやる」
「クスクス♡ 今度はお手頃サイズのクッキーから始めようね♡」
「お前まさか見てやがったな? いいか、あれはパンケーキなんだ。ちょっとカリカリザクザクで皿一枚分の面積はあったけどな」
『ニャルさんにすらクッキー言われちゃってる……』

 ニャルの奴は人の生活能力に向けて物申してる。あのフリスビーみたいなクッキーは俺が優れた人間の証と見るべきか、やむを得ない代償だったと受け取るか。

「……でも、そうだね、キミは短所あってこそさ。キミは確かに変わったけれど、不運に生まれたこの舞台、戦場を駆け戦車を穿ち妨げる者を皆屠るいいさ」

 そこで、あいつのニヤニヤ顔は深くなった。
 遠い回り道をしたような言い方だが、今の生きざまを褒めてくれてるんだろうか。

「そんな舞台もそろそろ幕を閉じる頃なんだろうな。役者と一緒に」

 役者は遠くを見た。南から上ってくる姿は今だ見えずだ。

「おかげで観客たちは大喜びだよ? クスクス♡」
「そりゃよかったよ。忘れ物のないようにお帰り下さいっていっとけ」
「ところでキミ、さっきからずーっとそうやって眺めてるけど……いつまでそうしてるのかなぁ?」
「ちゃんと来てくれるか気になってるだけだ」

 そうやって話してるとニャルの赤色が視界からふっと消えた。
 いきなりの消失に驚いたが、気まぐれなことにどかした防壁の上で横になってた。

「律儀に待つのはいいけどさあ? 君の番が回って来るまでずーっとそうやってるつもりなのかい?」

 見上げれば困ったようなニヤニヤ顔だ。退屈そうというべきか。
 でも仕方がなかった。みんな無事に来てくれるか、変なものが来ないか、そういうのだってあるが。

「帰りたかったけど間に合いませんでした、って終わり方をする奴を作りたくないだけだ。今そのことについて考えてる」

 こんな不安があった。はいないかと。
 そもそも帰り道は確保したが、じゃあここを目指すフランメリア人は何人いる?
 例えば500人いるなら500人が来るまでカウントすればいい。だが分からないのだ。
 誰かが帰還を望むのに一歩及ばず、取り残されるかもしれないという不安だった。

「そんなことをいちいち考えたって、きりがない気がするけどねえ? たとえ君が律儀でも、この広い世界オープンワールドから迷い込んだ人を一人一人をすくい上げるのは気がどこまでも遠くなる話さ」
「それでもやっぱり気になるんだ。帰りたいのに帰れないとか嫌だからな、俺」
『……わたしも、できれば望む人はみんな待ってあげたいな』

 ミコも一緒だったか。二人分の言葉もあればニャルはつまらなさそうな顔だ。

「ま、それはキミの自由さ。でもボクだったらもっと時間を有意義に使うだろうね?」
「ついでに言おうか、もう一つの考え事もある」
「もう一つ? なあにそれ?」
「ヒロインだよ。ミコやロアベア以外のヒロインが迷い込んでないかって心配してる」

 けれども、俺にはまだまだ悩みがあった。
 ヒロインだ。物言う短剣と首がとれるメイドがここにいる以上、それ以外の誰かがこうして転移してしまったという可能性があるのだ。
 前々から考えちゃいたが、ここに至りその問題が一際目立ってきた。

『……うん。よく考えたら、わたしやロアベアさんだけじゃないかもしれないよね』
「だからだ。もし他に居たらどうしようって前から思ってた」
「ふーん、そっか。なるほどねえ……」

 もしそういう人種がいたらどうしよう、と思っていた時だ。
 砂を詰めた壁の上、くたっと横たわるニャルがニヤァ……と深い笑顔を見せてくる。
 なんだか【感覚】ステータスが不穏なものを感じ取った気がするが。

「うんうんそうだね、心配だね♡ じゃあお姉さんが手を貸してあげよっか?」

 何を思ったんだろう、いたずらっぽい笑みと一緒にそういってきた。
 手助けしてやるとばかりの言い方だが、素直に受け取っていいんだろうか。

「不思議な力でどうにかしてくれる感じか?」
「いやあ、こまったこまった、そうしたいんだけどボクは本来の力を出せないや。でもでも、キミの力になることはできるだろうねえ?」
「猫の手も借りたい気分だ」
「じゃあ、そうだねぇ……?」

 わざとらしい口調も込めて、ニャルは大げさに考える仕草をしてきた。
 一体何をしてくれるんだか。でもこの問題の解決に少しは役立つなら、見返りを求められたってやってやるつもりだ。

「……うん、とっておきの情報があったよ。聞きたいかなあ♡」
「そいつを信じるか信じないかは俺次第か?」
「だいじょーぶ、確かな情報さ♡ この世界にいるヒロインとプレイヤーの数が分かるんだ♡」

 だがあっさりとそう言われてしまった。ヒロインとプレイヤーの数が分かるだって?
 突然のぶっ飛んだ情報に思わず肩の短剣を伺ったぐらいだ。

「……お前、どうやって、とかは聞かないけどな。ほんとに分かるのか?」
『迷い込んだ人たち、ですか……?』
「外の観客を楽しくさせてくれたお礼さ。どう?」

 どう、と言われても。
 意地の悪そうにも感じる笑顔を見せられてるのもあって、少しためらうものだ。

「じゃあ教えてくれ、何人いるんだ?」

 だが藁にも縋りたければ猫モドキの手も借りたい。二人で悩んでから頷いた。
 するとニャルは一際強く、口が裂けそうなぐらいニヤっとして。

「ヒロインは君の肩にいるお友達と、首のとれるお茶目なメイドさんだけさ♡ おめでとう、二人だけだよ♡」

 素直に受け取って喜んでいいのか、扱いに困る答えをされてしまった。
 本当にそうなのか? そう疑うのも無理もなく、ミコと仲良くなんとも言えずだ。

『わ、わたしとロアベアさんだけだったんだ……?』
「本当に二人だけなのかって尋ねない方がご機嫌がよさそうだな」
「信じてくれないとご機嫌が斜めに向いちゃうねえ。ああそうそう、プレイヤーの方も発表しちゃおうかな?」

 お次はプレイヤーだ。その名が上がるってことは、俺以外にもいるんじゃ?
 黙って次の言葉を待てば、ニャルはにいっと笑んで。

「この世に迷い込んだプレイヤーはだよ」

 それだけ答えたのだった。クソ正直に受け取るなら安心できる情報だと思う。

「……なんだ、俺だけか」

 悩んだ末、一応の事実だと受け取った。
 そうなるあいつの表情も変わった。微笑むようにしてうんうんと深くうなずいてる。

「今日のボクは機嫌がいいからねえ♡ ちゃんと、律儀に、事実だけを伝えたよ♡」

 ところが、その言葉を最後にふっと姿を消えてしまう。
 いきなりの消失にまたどこいったと見渡せば、すたすたと足音が聞こえて。

「少し勝手に盗み聞きさせてもらったけど、帰還者に向けた放送は一週間が限度だよ。エルドリーチの奴もこのことについて「もし行き遅れがいたらオイラが保護しとくぜ」ってさ」

 ちょうどそこにヌイスがいた。けっこうなところまで話に加わってたらしい。

「一週間がタイムリミットか」
「今の君を見るにここで一生を過ごしそうな勢いだからね、ちょうどいいだろう?」
「分かった、最後はエルドリーチを頼るよ」
「それでいいのさ。ところでイチ君、今ニャルの奴と話してたみたいだね?」

 しかし続く顔はさっきまでニャルがいた場所をじいっと訝しげにしてた。家の中に救う黒くて速い悪い虫でも見たような形だ。

「ああ、そうだぞ。情報提供ってやつだ」
『あ、ヌイスさん……今ニャルさんとお話してたんですけど……』
「何を話してたんだい? あいつがひどく笑んでたように見えるんだけど」
「迷い込んだプレイヤーとヒロインはどんだけいるかって教えてくれてたところだ。俺とミコとロアベアだけだってさ、話がほんとならの話だけど」

 どうにもさっきのやり取りを知りたがっていたので素直に話した。
 するとまあ、白衣の金髪美女は気に食わないような顔を浮かべてきて。

「……あいつがそういうのであれば事実なんだろうね」

 腑に落ちない様子になった。何か話に裏がありそうな感じだ。

「今思ってるセリフはこうだ。まさかあいつが嘘ついてるとかいわないよな?」
『あの、何かあったんですか……?』
「いいかい君たち。ニャルのやつはあんまり信用しない方がいいよ、たとえそれがイチ君、君であろうともね」
「そういうことだ?」
「あいつが何も損得勘定なしで接触しに来るはずがないのさ。まさか君、あの誰の言うことも聞けないニヤニヤ顔が親切心で満ち溢れてると思ってるのかい?」

 本当に何かがあったらしい。ヌイスがシリアスな顔でそういうぐらいには。
 でも嘘はついてないって? ダメだ、ニャルが何を考えてるのか分からない。

「少なくとも俺にはご親切に教えてくれたように思えてるけどな。タチの悪い冗談かもしれないけど」
「残念ながらあいつは安っぽい嘘はつかないさ、あの性根のねじ曲がったやつが言いにくるんだからたぶんその情報は本当だ。でも」
「でも?」『でも……?』
「あいつは基になった素材にならって残酷な真実の方が好きだからね、言葉の裏に何かがあると用心するべきさ。まあ、手に負えないほどのものだったらあきらめるしかないけど」

 それでもこの金髪眼鏡はこういう、あのニヤニヤに気を付けろと。
 あいつがもたらした情報はどういう原理が事実で、それでいて警戒しろだとさ。
 どういう内情か知らんが面倒な話だ。実際その通りで、またニャルがふっと現れ。

「ひどいな~♡ ボクはちゃんと真実を届けたからね? こんなお堅い奴よりボクを信じたほうが得をするだろうね、クスクスクス……♡」

 怪奇な言葉を残してまた消えた。流石のヌイスも呆れていやそ~~な顔だ。

「あーうん、お茶目なやつだな」
「ついでにもう一つ、未来の君というか私たちはあいつのフリーダム具合に死ぬほど翻弄されてたよ。そのことも込めて真面目に付き合わないことだね」
『く、苦労されてたんですね……』

 代わりに遠くで走り回ってたニクが戻ってきた。尻尾を振ってご機嫌だった。



 あれから程なく、夕日のオレンジがウェイストランドを満たそうとしていた。
 後もう少しで暗がりが生まれそうなこの世の中、なんとなく集まった俺たちはその遠くを眺めてた。

「……長かったよな、ここまで来るの」

 抜いたマチェーテを南の世界に掲げた。
 山々の起伏に隠れてあいにく今までの道筋は見えないが、それでもストレンジャーズは遠回りを成し遂げてきた。

『うん。ずっと進んできたんだよね、わたしたち』
「ああ。一緒にな」

 思えば始まりは、そうだったな、最悪だった。
 最初の恩人を死なせて、人食いカルトに食われて、そこからがスタートだった。
 結果として俺はこうもおかしな人間ストレンジャーになったが、だからこそ物言う短剣を拾うことができた。

「……アルゴ神父、あんた言ってたよな。人は一人じゃ生きていけないって」

 刀身に遠い向こうを見せてやった。何も答えるわけないか。
 人生で二人目の恩人を死なせてしまったことは二度忘れない。
 その人からの形見の散弾銃はすっかり形を変えたけど、今も俺の手元に残ってる。

「その通りだったよ、この世界に生きる人たちみんながそうだった。あんたは誰よりも良く知ってたんだな」
『……おじいちゃん、寂しがってたもんね』
「うん。そうだったに違いないさ」

 だが何より大きかったのはその人の教えだ。
 きっと寂しがってたんだろう、アルゴ神父は俺たちが来るとすごく喜んでた。
 最後に残した「人は一人じゃ生きていけない」という言葉は、思えばあの時の身の上が現れてたのかもしれない。

「こうしてウェイストランドで生きてきたんだから、きっと俺もそうなんだろうな?」

 今となってはその言葉は良くしみる。
 ストレンジャーができるのは敵に突っ込んでぶち殺すだけである。
 回復魔法を使えるわけでもない、鼻が効くわけでもない、鋼みたいな筋肉もなければ、首を綺麗に落とすことも、料理すらできない身だ。
 でも、それでいいんだ。その人の欠点なんて誰かに補ってもらえばいい。
 おかげで軽口を叩ける余裕のある旅ができたじゃないか。

「ん、これからもそばにいるから。大丈夫」

 ニクがすり寄ってきた。撫でてやった。

「――俺様も我が身さえあればどうとでもなると思ったのだがな、今ではそのような考えもきれいさっぱり跡形もなくなってしまったぞ。やはりオーガいえども、多数には勝てんというわけだな?」

 隣でノルベルトがいい笑顔だった。何かを一口煽ってた。
 見ればよく冷えたジンジャーエールだ。こいつがそんなものを飲むなんて珍しい。

「でもお前を初めてみた時は悪い冗談かと思ったぞ、あの第一印象は忘れないからな」
「フハハ、覚えててくれて何よりだ。あの時はこの世界の有様に感無量でな」
「どこに背骨ごと頭引っこ抜いてこっちに投げる奴がいるんだって話だな」
「だがあれで確実に仕留めたぞ。生半可にして蘇られたら困ると思ってな」
「この世界の連中の生命力をいったいどれだけ信頼してたのか知らないけど、ありゃオーバーキルやりすぎっていうんだぞ。旅の始まりなのに幸先悪いと思った」
『今でもトラウマだよ……。せっかく旅が始まったばっかりだったのに、先がすごく不安になっちゃうぐらい……』
「それはすまんな。だが勇気づけられただろう?」
「ああそうだな、あれ以上怖いのがいるかって思ったからな」

 こつっと胸板をノックした。軽い笑いと共にジンジャーエールがこっちに回される。
 冷蔵庫で冷やした瓶入りのやつだ。一口飲むと甘くて辛い。

「正直、自暴自棄なのもあったがな。オーガという身でありつつも、父上との折り合いで不自由なままでいたことにずっと苛まれていた」

 いつものオーガは遠くを見ていた。俺たちよりもずっと遠くだ。
 あの時の半裸な姿は今や、アラクネのジャケットを羽織り、特注サイズのカーゴパンツと青い籠手をつけて、背中の戦槌と腰の大ぶりのナイフという実戦的な格好だ。
 まるでこの広い世界に一度も窮屈してなかった、そんないい顔だった。

「……だが分かった。落ち着いたフランメリアの世の中では、俺様のようなオーガは逆に不便な生き方しかできないようなものだったのだろうな」

 頼れる大きな相棒はその上で向こうを見てるのだ。まるでこの世を見収めるように。
 何も言わずに聞いてやった。瓶を返そうとするとやんわり断られた。

「きっと、父上はオーガという戦いにしか能がない種でもうまく生きて行けるようにと想っていたのか。だとすれば俺様こそが世の流れというものが分からぬ弱輩者だったのかもしれんな」

 ノルベルトは笑ってた。その苦い笑い方は今の自分に向けてるんだろう。

「なあノルベルト、俺にはクソ親父とクソ母親がいてしかもダブルでくたばってせいせいした身だけどさ。お前のご両親はきっと、いい人なんじゃないかなって思ってる」
「会ったことがなくてもそう感じるか?」
「だってお前はオーガらしく誠実にやってきたんだ」
「俺様がか?」
「ああ。今のところ、お前の親もきっとそんな風に気さくなやつだなって思う」

 こいつは確か、父親と喧嘩からの家での末にこの世界にやってきたって言ってたな。
 どんな奴かは分からないし、俺の身の上からして親のことなんてさっぱりだ。
 でも、こんな奴を生んだんだからいいやつじゃないかって思ってる。

「……それにさ、チャールトン少佐も、クリューサも、お前のこと心配してただろ? そんな奴らと巡り合う息子だ、きっと親だって大したやつじゃないかって期待しないか?」

 そしてその身を案じてくれる人もいたな。あのオークの軍人に、今はもういないけどクリューサのやつだってそうだ。
 俺は自分の境遇については諦めてるけど、その分このデカい相棒の家系には希望があると信じてる。
 もちろんデカい分だけ。きっといい両親がいて、ずっと帰りを待ってるはずだ。

『わたしも、ノルベルト君のお父さんとお母さんはきっといい人なんだなって思ってるな。会ったこともないのにこういうのはどうかと思うけど、あなたの人柄を見てるとそう感じるよ』

 肩の相棒もこういってるんだ、じゃあそうなんだろう。

「……ぼくもそう思う。だってノルベルトさま、すごくいい人だから」

 ニクもだ。あのオーガの表情は少しだけ弱まってる。

「……本当にそう思うか?」

 あいつはいつもの強い顔つきとは違う、真摯な様子で俺たちを見てきた。
 不安さだって感じるほどだ。みんなで当たり前だとばかりに頷いて見せた。

「こんなに気のいい御方なんすからね? うちはノル様のその育ちの良さ、けっしてご両親に強いられたりしただけで得たものではないと思ってるっす」

 ロアベアもによっとしながら、けれどもはっきりとした調子でそう言ってた。
 おかげでノルベルトは「ふっ」とあきらめたように笑った。気持ちの良さそうに。

「俺様、昔は作法やらを学ぶのが好きだったのだ。こなすたびに父上や母上が喜ぶのが嬉しくてな、いつもいつも二人は己の良いところを受け継いだのだと喜んでいたな」
「ご両親思いだったんっすね」
「出ていくまではな。けれども、この世界に来る直前に俺様は馬鹿なことを考えてな。あれもみな、都合のいい息子にするための愛などない二人の打算だったのではないかとな」

 そういうことだったのか。
 こいつが家出した理由は、オーガの境遇と育ちの良さが絡み合ったものだったのか。
 しかし考え過ぎだったんだろう。現にノルベルトは今こうして顔いっぱいに後悔してるのだから。

「次の世代のオーガとして生きてほしかったのだろうな。古い価値観にとらわれぬ良きオーガとして」

 なんて顔してるんだか、この相棒は。
 俺は飲みかけのジンジャーエールをロアベアに回した。辛そうだ。

「大丈夫よ、ノルベルトちゃん。私たちのそばにいるのは良いオーガの子ですわ」

 そんなところだ。飲みかけが回ったリム様が優しく笑ってくれたのは。
 くいっと残りを煽ると、指先で持ち上げてふわふわ俺に飛ばしてきた。

「悪いオーガはどこにいるんだろうな、俺には見えないな」
「ふふ、そのような御方はこの世界のどこにもいませんもの。ねえ皆さま?」

 【分解】して瓶を消した。代わりに残ったのはみんなの笑みだ。

『うん。たくさんの人をずっと守ってくれた、頼もしいオーガがいるもんね?』
「ああ、しかもそいつは世に蔓延る悪者をことごとくぶちのめして、絵が上手で気遣いもできて気のいいやつだ」
「ん、力もちでいろいろな人に感謝されてた」
「ノリがよくて、理解力があってとてもいい御方なんすよねえ? あひひひっ♡」

 そういうことだ。もう良きオーガはここにいる。
 ノルベルトはまた笑っていた。今まで見たことのないほど嬉しそうに顔を緩めてた。

「……父上と母上、それに屋敷の皆のものに謝らんとな。あの時誠実にし損ねたのだ、良きオーガなら今度は逃げずに堂々と向かわねばな」

 いいんだよ、それで。
 長い旅の甲斐あったのはこいつもだった。お前も成長してたんだな、ずっと。
 だからこそだった。俺はあいつの背中を叩いて、それから気の進まない舌を回し。

「ノルベルト、次はお前が行け。さっさとご両親を安心させてこい」

 『リーダー命令』を使った。ノルベルトも大体そう定まってたんだろう、ゆっくり頷いた。

「ヴィクトリア殿の姿や、クリューサ先生の言葉を受けてからなぜだか我が家が恋しくなってしまってな。そう思っていたところだった」
「うん、それでいいんだノルベルト」
「それに、お前らと別れると思うとな。やはり辛いものだ」
「俺もだよ」
「フハハ、そうだろうな?」
「正直言う、寂しくなって泣きそうだ」
「俺様もだよ」
「そうか。じゃあお互い様だな」

 次はこの頼れる相棒の番だ。フランメリアに帰る時が来た。
 辛いさ。今までいろいろな面で助けてくれてたこの相棒が、あの門をくぐればふっと消えるんだから。

「……ノルベルトちゃん、今日はもう遅いですわ。お帰りになるなら明日の明るいうちにした方がいいですわよ?」

 リム様だって辛そうだ。声は優しいが、あの顔はもう既に別れを惜しむように寂しがってる。
 クリューサたちの次はこいつなんだ。ずっと同じ飯を食ってきた仲なんだから。

「うむ、そうさせてもらおうか。飢渇の魔女殿が作るご馳走を良くかみしめておきたいからな?」

 それでもノルベルトは笑っていた。お前のすごいと思うところはこんな雰囲気でもあの強い笑顔を振舞えるところだよ。
 その日。俺たちは銀の門を通るその時が来るまで、それらしく一緒に過ごした。
 
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