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Journey's End(たびのおわり)
ドーナツといえばサムズ・タウン(3)
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「ここも活発になったわねえ、ノワドさんがドーナツを作り出すなんて言った時は一体どうしたのかしらって思ったのだけれど……こうして見るとみんな幸せそうだから、結果的に良かったのかもね」
コーヒーの香ばしい香りがする。
武器商人がすっかり商売欲を出してるところから離れて、俺は立ち並ぶ屋台の一つに夢中だった。
話し相手のおばあちゃんは青空の下、小さな店の火種でお湯を温めていて。
「前はそうでもなかったのか?」
「そうよ、こんなに立派になったのはつい最近のこと。あの人がドーナツでここを賑やかにしようって言いだしてから、ようやくみんなが力を合わせ始めてね」
「その結果があの小麦畑か」
『ドーナツで町の皆様が団結したんですね……』
「あなたたちも信じられないでしょう? 誰かが拾った小麦の種を植えたら、あっという間に黄金色の大地が広がってたの。まるでおとぎ話みたいだと思わない?」
白髪が目立つ店主は静かにコーヒーを淹れてる。
そばには『お口直し』と売り文句が書かれた塩味のクラッカーが売っていて、けっこう買い求める客はいる。
「そのおかげでこうして町中甘ったるくするぐらい余裕があるみたいだな」
俺は小麦畑の方を見た。何を隠そうおとぎ話のような世界から来たやつだ。
紙袋いっぱいの四角いクラッカーもかじった。ぱりぱりした塩味。
「こんないい年したおばあちゃんが儲かるチャンスがあるのよ? まだまだ世の中捨てたもんじゃないって思うわ」
コーヒー屋台のおばあちゃんはいい笑顔だ。
その工程なんてよくわからないが、慎重な手つきで容器にお湯を落としてた。
ウェイストランドでは当前の焙煎したメスキートとは違う濃い香りがする
「儲かってるのか?」
「けっこう儲かるのよ、だって甘いものばっかりじゃ飽きちゃうでしょ?」
ドリッパーに綺麗な色が落ちていた。
布で濾されたコーヒーはいい感じに溜まっていて、甘ったるい匂いに負けない香ばしさが伝わってくる。
そのお供はこの塩辛いクラッカーだ。なるほど、うまく商売してるようで。
『ふふっ、確かに塩辛いものが欲しくなっちゃいますよね?』
「おばあちゃんが繁盛してる理由が良く分かったよ」
「口直しにいいでしょ? さあ出来上がりよ、特製のネルドリップをどうぞ」
コーヒーができたらしい、店の使い回しのカップに注がれようとしてる。
ふとブラックガンズのことを思い出して荷物を漁る――あった、戦友向けのマグカップだ。
「待ってたよ。こっちに注いでくれ」
「あら、お洒落なカップね」
「ブラックガンズの連中との親愛の印だ」
「ブラックガンズ……あの南の農家さんのことかしら?」
「そう、世にもおっかない農家の人達だ。知り合いでね」
『前にみんなでお世話になったんです。お仕事のお手伝いもしたり……』
「その人たちの噂も耳にしてるわ、南の食糧事情の改善に一役買ってくれたとか」
「ああ、ついでにスティングでご一緒に悪者退治も」
自前のカップに注いでもらった。いつもより濃い香りだ。
湯気も控えめな温度で、一口飲むと――言葉にできないほどうまい。
口当たりが甘い。確かに苦いが喉奥まですんなり入ってく濃厚さを感じる。
「どう? ストレンジャーさんのお口に合うかしら?」
気を緩めたら飲み干してしまいそうだ。軽く一口つけながら頷いた。
ついでに肩の短剣もそっと突っ込んでみると。
『あっ……おいしい……!? 温度もちょうどいいし、苦みもあるけど口当たりがまろやかで……!?』
俺の代わりによく言葉にしてくれたと思う、満場一致で「うまい」だ。
そばでクラッカーをぱりぱり食べてるニクにも近づけたが、匂いを嗅いで一瞥された。
「あなたの"喋る短剣"ちゃんもお気に召したみたいね? 誇らしいわ」
「こいつがこういうってことはよっぽどだぞ、誇ってもいい」
『はい、こんなにおいしいコーヒーは初めてです……! あ、でも、いつも飲んでるものと全然味が違う気がするような……?』
味覚の鋭い相棒に店のおばあちゃんは満足かつ誇らしげだ。
自信たっぷりな相手は少しの間屋台の中を探ると。
「それはね、こんなものがあるからよ?」
俺たちの前にコルク付きのガラス瓶をどんと取り出した。
ぎゅっと密封されたその中身には深いチョコ色の粒がなみなみと注がれてる。
一目でコーヒー豆と分かるものだ。保存状態のいい戦前のやつだろうか?
「コーヒー豆だな。何年モノだ?」
香ばしい匂いが漂う出所を尋ねると、おばあちゃんの表情はもっと得意げで。
「戦前の品じゃないわ。ここで栽培されてる本物のコーヒーなの」
ストレンジャーを驚かそうという魂胆のままそう告げられたのだ。
嘘偽りのないコーヒーがある、だって?
じゅうぶん驚きだ。その言葉は今の俺にはとても刺さる言葉だから。
「……本物だって?」
『もしかして、フランメリアのコーヒー豆かな……?』
「道中立ち寄った旅の人が私にプレゼントしてくれたの。そんなに数は多くないけれど、こうしてお隣さんに分けてあげたり、私が商売できるほどには今も実ってるわ」
向けられる優しい顔についまた一口進んだ、言われてみれば味が全然違う。
メスキートのコーヒーはシナモンみたいな味がうっすらするが、これは本職らしい強い後味がある。
こいつは確かにコーヒーだ、言うまでもなくブラックガンズが欲しがってるあの本物なのだ。
「…………なあ、おばあちゃん」
残りを全部味わった後、無意識にミコと顔を見合わせていた。
俺たちの共通の思考は「先輩どもからのお願い」だ。
まさかあの悲願ともいえるコーヒー豆がこうして存在してるのだから。
「あら、おかわりかしら?」
「まあそれもある、ただちょっと無茶な注文にもなるかもしれない」
少し悩んで、俺は「豆分けて」という話を持ち掛けることにした。
いつぞやの約束が果たせるのだから、何としても欲しいわけだ。
「あら、どうしたのかしら?」
「実はそのブラックガンズの連中がコーヒー豆を欲しがってるんだ」
「あの人たちが?」
おばあちゃんはこの話に興味が湧いたようだ、マグカップとチップを差し出して話すことにした。
ブラックガンズは150年前の退役軍人たちが起こしたコーヒー会社の子孫だったこと。
先祖の意志を引き継ごうと本物のコーヒーを栽培しようと夢見てること。
そしてそんな戦前の奴らが遺したマグカップと、『死にたくなければコーヒーを飲め』というスローガンまで伝えると。
「――つまり、あいつらは本物のコーヒーを欲しがってるんだ。別に金儲けしたいとかそういう理由じゃなくて……」
『あそこの人達はまたコーヒーを育てたい、って言ってたんです。だから』
「ああ、もし旅先で見つけたら送り付けてやるよって約束したんだ。それで今律儀に果たせそうなところまで来てる」
「……そうだったのね、なるほど……」
おばあちゃんの表情はというと計り知れないものだった。
その目には周囲で同じようにコーヒーを売る店の姿や、ちょうど目の前で新しい一杯を注がれてるドリッパーがあるはずだ。
まあ無理もないと思う。
こうして順調に儲けを出してるところに「栽培して増やすから分けてくれ」なんて我ながらひどい話だ。
「いきなりこんな話してごめんよおばあちゃん、でも本当に欲しいんだ。できる限りのチップは出すから――」
「分かったわ、ちょっと待ってね」
が、そのひどい話題におばあちゃんが立ち上がった。
穏やかな表情のまま町のどこかへすたすた歩けば、そこでしばらく姿が消える。
まるで「じゃあくれてやる」みたいなノリだぞ? さすがの俺たちもどうしたものだと顔を見合わせるも。
「お待たせ、これがコーヒーの種子よ。育て方についても書き留めておいたわ」
店主が返ってきた。屋台に戻るなり小さな袋を差し出してくる。
いきなり手渡されるとじゃらっと軽い感触が伝わった。
中には確かに白い豆と折りたたまれた紙が閉じ込められていて。
「……いや、あの、そうやすやすとくれてやっていいのか、これ」
『お、おばあちゃん……? これ、貰っちゃっていいんですか……?」
はいどうぞ、と軽く渡されるにはオーバーすぎるそれに正気を疑った。
しかしご本人は穏やかな顔つき変わらずな様子で続きを淹れており。
「いいのよ。戦友に持って行ってあげなさい」
そういって出来上がった一杯をすすめてきた。
150チップの価値があるコーヒーがまた注がれた。さっきと変わらぬ香ばしさだ。
「流石にこんなものをただでもらって「はい持ってきます」はできないぞ」
「確かにこんな世界じゃ本物のコーヒーなんて貴重かもしれないけれども、それをこうして堂々と手に入れようとする姿もそうよ。普通だったら、私を脅したりこっそり盗みに行ったり、いくらでも得をするやり方はあるでしょう?」
「どうもそういうやり方が性に合わなくてな」
「それでいいの、あなたはただ誠実にしてくれたじゃない。こうして心にゆとりをもって暮らせるのもその気持ちがもたらしたものよ。それに私たちだけでコーヒーを独り占めするなんてバチ当たりだからね」
おばあちゃんの笑顔に負けて手に入れてしまった。念願のコーヒー豆だ。
どうやって持っていくかはさておき、おかわりのもう一杯を口に含んだ。
「……ありがとう、おばあちゃん。あいつらに確かに届けるよ」
『ありがとうございます、おばあちゃん。これでブラックガンズのみんなも喜んでくれると思います……!』
「願わくばウェイストランドがもっと豊かになることを。でも、コーヒーの淹れ方だけは譲れないわ。ブラックガンズの人達に美味しい一杯が淹れられるかしら?」
「ついでに腕のいいコーヒー職人も欲しがってると思うぞ」
「あら、欲張りな人たちね。でもこんなおばあちゃん必要ないでしょう?」
「そんなことないぞ、実力のあるやつは大歓迎してるところだ。もしブラックガンズの連中に会うことがあったら俺の話でもしてやってくれ、あんたの力になってくれると思う」
「そうね、考えておくわ。甘いものの食べ過ぎに気を付けてね」
ブラックガンズのカップに注がれた一杯を掲げてから、俺は離れた。
やっとあいつらに恩が返せると思うと嬉しいもんだ。まあ、ここからどう南に運ぶかが問題だが。
「やったなミコ、これでイージーとの約束が果たせそうだ」
『うん……あ、でもどうやって農場まで送ろっか……?』
「こういう時ハーレーのやつでもいればいいんだけどな」
コーヒー豆の重さを大事に確かめてると、町の南からトラックの音がした。
見れば良くハンティングに使われるタイプの車両がゲートに入る瞬間だった。
荷台にはガストホグが積み込まれて、そんなものが何両も次々押し入り。
「見ろイチ! 新鮮なガストホグだぞ! 晩飯にしよう!」
その死体に座ったクラウディアがいた。輝かしい顔がクロスボウと共にある。
なにやってんだあいつ。そう思った矢先に通りの奥からコート姿もやってきて。
「……おい、イチ。あいつが何をしているのか説明できるか?」
紙コップ一杯のコーヒーをお供に尋ねてきた。
「あいつの面倒見るのはお前の仕事だろ、心当たりはないぞ」
『クラウディアさん、まさかご飯のために狩ってきたとかじゃないよね……?』
「おにく……!」
「むやみやたらに獲物を狩るな、ぐらいは言ったはずだぞ俺は」
トラックは周囲の目を引きながら駐車場にたどり着いたみたいだ。
みんなで何やってんだあいつ、と眺めてると。
「ありがとう、これでしばらく作物を奪われずに済むよ」
「あいつら俺たちの畑にずっと居座ってやがったんだ、これで農家の連中も平常運転だ。本当にありがとう」
「礼はいらんぞ。その代わりガストホグの肉をくれ」
「あー、肉?」
「いいのか? 4000チップだぞ?」
「肉だ! 人工肉ばかりで飽きてたところだったんだ!」
「そ、そうか、分かった……加工工場に持ってくから、解体したら好きなだけ持っていってくれ」
「南の連中って変わってるな、報酬に肉よこせだなんて……」
見張りの連中が感謝いっぱいに近づくのが分かった、どうも人助けに勤しんでたようだ。
その対価が「肉くれ」という点に戸惑ってたが、無理矢理納得してトラックを工場に走らせたようだ。
「今日のご飯は久々の肉だぞ! 喜べみんな!」
クラウディアも自信満々に帰ってきた。喜んでるのはニクぐらいだ。
「良かったなニク、本物の肉だってさ」
『……まさかお肉食べたくて狩ってたんですか、クラウディアさん?』
「じゅるり」
「お前は何をやってるんだ、少し目を話した隙にどうしてハンティングとしゃれ込んでるのか説明しろこの馬鹿エルフ」
「いや町の連中が増えすぎたガストホグに手を焼いてるようだったんだ。だから手を貸してやったぞ、ついでに久々の本物の肉だ」
「勝手に人助けするのは殊勝なことだが、ただでやり遂げた挙句に肉をよこせとはな。お前が文明を知らぬ野蛮人か何かに見えて来たところだ」
「だって人工肉に飽きたんだ!!!」
クリューサは今日も苦労してそうだ。
頭が痛そうに顔をしかめるお医者様を残して、俺は『ツチグモ』の方へ近づいた。
「お帰り、何か収穫でもあったかい?」
そばではテーブルを持ち出したヌイスが優雅なひと時の最中だ。
白衣姿はコーヒーとドーナツをお供にドーナツレシピ集を斜め読みしてる。
「大いにあった。コーヒー豆だ」
「コーヒー豆? 栽培でもするつもりかい?」
「ブラックガンズの連中が欲しがってたんだ、んで手に入ったら持ってく約束してた」
「律儀にそれを守ったわけだね、君は。ではそれをどうやってずっと南まで持っていくかまでは頭は回ったかな?」
「心配するな、今全力で回し始めてる」
「それは行き当たりばったりっていうんだよイチ君」
「ああ、全力のな」
誘われて向かい側に座った、ヌイスは興味深そうに本を読みつつ。
「補給は終わったよ。タンクに水は満タンさ、ここの町長さんがタダで提供してくれたんだ」
後ろのツチグモに目を向けた――補給完了らしい。
あの巨体を満足させるほどの水を融通してくれて嬉しい限りだ。
「そりゃありがたいな。変な町だと思ったけどいいところだ」
「ただまあ、そうだね、その代わり君たちにお願いしたいことがあるって顔だったよ」
「町長が?」
「うん。RPGゲームの感覚で言えばメインクエストの道中で主人公たちにお使いをけしかけてくるような感じだね」
「なるほど、それで次は俺たちに「お願いします」ってか」
……いや、訳ありだったみたいだ。
そこまで話を進めていると、視界の端で見張りのご一行が動くのを感じた。
「ほら、さっそくおいでなすったようだよ。どうする?」
「まあ話だけでも聞くか」
「まるで前例が何度もあったような落ち着き具合だね」
「クリン思い出してるところだ」
『そういえばクリンでもこんな感じだったよね……』
「ヌイス、誰かさんが失踪しましたとかそういう類なら速攻でここ出てくぞ。もうカニバリズムネタは勘弁だ」
「ひどい経験をしたものだね君も」
マグカップに残った一杯を飲み干した。近づく気配に振り向く。
くるっと見た先には案の定な様子の数名だ。
町へ入る時に知り合ったばかりの見張りが先頭にいて。
「あー、ちょっといいかいストレンジャーさん」
ヌイスの予言は大当たりだ。申し訳なさそうに声をかけてきた。
知ってましたとばかりに立ち上がると、向こうは少したじたじな様子になって。
「誰かが失踪して人食い族が隠れてます、みたいな話じゃなかったら聞いてやってもいいぞ」
そこに空っぽのマグカップと一緒に町を示した。
しかし向こうは冗談として受け取ってる様子だ。そういう類じゃないらしい。
「なんとなく察してるみたいだな、だがもっとひどい話だ」
「カニバリズムよりヤバイのがいるとか言うなよ」
「うちの町長が馬鹿言い始めやがったんだ。俺から贈る言葉は「厄介になる前にこっそり行け」なんだが」
なんならさっきの見張りのやつは気まずい顔だ。
想定外の言葉にヌイスと首を傾げた。もっと深くを知ってみようと好奇心も働く。
「その馬鹿具合によるぞ」
「あー、なんだ、そこの眼鏡の姉ちゃんが読んでる本については知ってるよな?」
その気まずさが向かうのは白衣の金髪が手にしている『ドーナツレシピ集』だ。
「大体の事情は存じてるよ。戦前から遺されたこのレシピを使ってこの街は成り立ってるんだってね?」
「よくご存じで嬉しいよ。じゃああそこに関するお話も知ってるか?」
ヌイスの返答にたいそう満足してるが、見張りは次に東を指した。
青空の下でいい加減落ちそうなドーナツの看板がふらふらしてる。
「さっき聞いたな、あそこに150年前のドーナツ会社の本社があるとか」
『そこに秘密のレシピがあるって言ってたよね……?』
ミコの補足もあいまって話は完璧にまとまったようだ。
見張り連中は話が分かるやつだと認めてくれたのか、嫌そうな顔を露骨に浮かべて。
「あのジャージ野郎、あんたらにテュマーだらけの本社から伝説のレシピを探し出してほしいって言いだしたんだ。信じられるか?」
それはもううんざりした顔で伝えてきた。
金髪眼鏡の予言はどこまで当たるんだろうか。
「そんな嫌そうな言い方からしてとことんひどい話が詰まってそうだな」
「いきなり来た客、それもストレンジャーに厚かましくお願いする態度が気に食わないだけだ。報酬だってきっとドーナツ食い放題とか言い出したっておかしくないぞ」
「だから面倒なことになる前にさっさと行けか。ご親切にどうも」
しかも向こうはこっちのことを「頼めば何でもやってくれる連中」と信じてるらしい。
どこまで信用してくれるかはあのジャージ姿のみぞ持つ感覚だが、得体のしれない場所に良く分からぬものを取りに行かせる魂胆は正気じゃない気がする。
「……ただまあ、俺たちにとっても都合がいいのが癪な話でな」
ところが、まだ続きがあるっていうオチだ。
本当に癪な感じでこっちを見てきた。
「お前らも秘密のレシピとやらに心躍るタイプの住民だった?」
「ドーナッツにうんざりしてるタイプの奴らだ。いやな、考えてみろ? 確かにここは栄えてるが、いまだにすぐ近くにテュマーぎっしりの建物があるんだぞ?」
「仲良くできるような隣人に恵まれない住まいだそうだからな」
「人が増えたらなおのこと不安が募ると思わないか? テュマーが出てきたらどうしようとか、誰かがふざけて入って大変なことになったらどうする、とかな」
「俺だったら建物ごと中身に強制退去してもらう選択肢があるぞ」
「そうしてもらいたいのは山々だが、みんなが更地にしろと望んでないのが現実だ」
「そうか、で? お前らにとっての都合のよさはどのあたりだ?」
「腕のたつ奴があそこに押し入って、中身を綺麗に掃除してくれるならの部分だ」
その都合の良いっていう部分はこういうことらしい。
伝説のレシピが眠るというテュマー入りの建物が住民の不安をあおり始めてる。
だったらいっそ押し入って根こそぎぶち殺してくれる親切が奴がいたらなんて幸せだろう。
それが今俺たちに向けられてるのだ。切実な視線で。
「なるほど、じゃあお前らもドーナツがお礼か?」
「馬鹿言うな、ドーナツじゃ生きていけないだろ。ちゃんと報酬は払うさ、そのことについて俺たちの本部で話し合いたいんだ」
「その前に俺たちの間で話し合いをさせてほしいところだけどな」
「もちろんだ、急ですまないな」
まさか今度はドーナツのレシピ探しとテュマー退治の並行か。
しかし向こうは本当に手助けが必要そうな感じだ。まあ報酬がちゃんとあるなら考えてやってもいいが――
「そうか、じゃあ私たちには好都合な案件じゃないか」
そんな時だ、ヌイスがぱたんと本を閉じた。
そこから来る言葉はクールなものだが、冗談のない本気の調子だ。
「……俺たちに好都合? どこがだ?」
『こ、好都合……?』
「それを届ける手段が必要なんだろう? 君たちの働き次第だけど、うまくいけばちょうど解決できるよ」
それ、と眼鏡が向く先を見る。
バックパックから取り出した小さな袋があった。
こいつの言ってる事を都合よく解釈すれば、ブラックガンズまで豆を送る術があるってことになるわけだが……。
◇
コーヒーの香ばしい香りがする。
武器商人がすっかり商売欲を出してるところから離れて、俺は立ち並ぶ屋台の一つに夢中だった。
話し相手のおばあちゃんは青空の下、小さな店の火種でお湯を温めていて。
「前はそうでもなかったのか?」
「そうよ、こんなに立派になったのはつい最近のこと。あの人がドーナツでここを賑やかにしようって言いだしてから、ようやくみんなが力を合わせ始めてね」
「その結果があの小麦畑か」
『ドーナツで町の皆様が団結したんですね……』
「あなたたちも信じられないでしょう? 誰かが拾った小麦の種を植えたら、あっという間に黄金色の大地が広がってたの。まるでおとぎ話みたいだと思わない?」
白髪が目立つ店主は静かにコーヒーを淹れてる。
そばには『お口直し』と売り文句が書かれた塩味のクラッカーが売っていて、けっこう買い求める客はいる。
「そのおかげでこうして町中甘ったるくするぐらい余裕があるみたいだな」
俺は小麦畑の方を見た。何を隠そうおとぎ話のような世界から来たやつだ。
紙袋いっぱいの四角いクラッカーもかじった。ぱりぱりした塩味。
「こんないい年したおばあちゃんが儲かるチャンスがあるのよ? まだまだ世の中捨てたもんじゃないって思うわ」
コーヒー屋台のおばあちゃんはいい笑顔だ。
その工程なんてよくわからないが、慎重な手つきで容器にお湯を落としてた。
ウェイストランドでは当前の焙煎したメスキートとは違う濃い香りがする
「儲かってるのか?」
「けっこう儲かるのよ、だって甘いものばっかりじゃ飽きちゃうでしょ?」
ドリッパーに綺麗な色が落ちていた。
布で濾されたコーヒーはいい感じに溜まっていて、甘ったるい匂いに負けない香ばしさが伝わってくる。
そのお供はこの塩辛いクラッカーだ。なるほど、うまく商売してるようで。
『ふふっ、確かに塩辛いものが欲しくなっちゃいますよね?』
「おばあちゃんが繁盛してる理由が良く分かったよ」
「口直しにいいでしょ? さあ出来上がりよ、特製のネルドリップをどうぞ」
コーヒーができたらしい、店の使い回しのカップに注がれようとしてる。
ふとブラックガンズのことを思い出して荷物を漁る――あった、戦友向けのマグカップだ。
「待ってたよ。こっちに注いでくれ」
「あら、お洒落なカップね」
「ブラックガンズの連中との親愛の印だ」
「ブラックガンズ……あの南の農家さんのことかしら?」
「そう、世にもおっかない農家の人達だ。知り合いでね」
『前にみんなでお世話になったんです。お仕事のお手伝いもしたり……』
「その人たちの噂も耳にしてるわ、南の食糧事情の改善に一役買ってくれたとか」
「ああ、ついでにスティングでご一緒に悪者退治も」
自前のカップに注いでもらった。いつもより濃い香りだ。
湯気も控えめな温度で、一口飲むと――言葉にできないほどうまい。
口当たりが甘い。確かに苦いが喉奥まですんなり入ってく濃厚さを感じる。
「どう? ストレンジャーさんのお口に合うかしら?」
気を緩めたら飲み干してしまいそうだ。軽く一口つけながら頷いた。
ついでに肩の短剣もそっと突っ込んでみると。
『あっ……おいしい……!? 温度もちょうどいいし、苦みもあるけど口当たりがまろやかで……!?』
俺の代わりによく言葉にしてくれたと思う、満場一致で「うまい」だ。
そばでクラッカーをぱりぱり食べてるニクにも近づけたが、匂いを嗅いで一瞥された。
「あなたの"喋る短剣"ちゃんもお気に召したみたいね? 誇らしいわ」
「こいつがこういうってことはよっぽどだぞ、誇ってもいい」
『はい、こんなにおいしいコーヒーは初めてです……! あ、でも、いつも飲んでるものと全然味が違う気がするような……?』
味覚の鋭い相棒に店のおばあちゃんは満足かつ誇らしげだ。
自信たっぷりな相手は少しの間屋台の中を探ると。
「それはね、こんなものがあるからよ?」
俺たちの前にコルク付きのガラス瓶をどんと取り出した。
ぎゅっと密封されたその中身には深いチョコ色の粒がなみなみと注がれてる。
一目でコーヒー豆と分かるものだ。保存状態のいい戦前のやつだろうか?
「コーヒー豆だな。何年モノだ?」
香ばしい匂いが漂う出所を尋ねると、おばあちゃんの表情はもっと得意げで。
「戦前の品じゃないわ。ここで栽培されてる本物のコーヒーなの」
ストレンジャーを驚かそうという魂胆のままそう告げられたのだ。
嘘偽りのないコーヒーがある、だって?
じゅうぶん驚きだ。その言葉は今の俺にはとても刺さる言葉だから。
「……本物だって?」
『もしかして、フランメリアのコーヒー豆かな……?』
「道中立ち寄った旅の人が私にプレゼントしてくれたの。そんなに数は多くないけれど、こうしてお隣さんに分けてあげたり、私が商売できるほどには今も実ってるわ」
向けられる優しい顔についまた一口進んだ、言われてみれば味が全然違う。
メスキートのコーヒーはシナモンみたいな味がうっすらするが、これは本職らしい強い後味がある。
こいつは確かにコーヒーだ、言うまでもなくブラックガンズが欲しがってるあの本物なのだ。
「…………なあ、おばあちゃん」
残りを全部味わった後、無意識にミコと顔を見合わせていた。
俺たちの共通の思考は「先輩どもからのお願い」だ。
まさかあの悲願ともいえるコーヒー豆がこうして存在してるのだから。
「あら、おかわりかしら?」
「まあそれもある、ただちょっと無茶な注文にもなるかもしれない」
少し悩んで、俺は「豆分けて」という話を持ち掛けることにした。
いつぞやの約束が果たせるのだから、何としても欲しいわけだ。
「あら、どうしたのかしら?」
「実はそのブラックガンズの連中がコーヒー豆を欲しがってるんだ」
「あの人たちが?」
おばあちゃんはこの話に興味が湧いたようだ、マグカップとチップを差し出して話すことにした。
ブラックガンズは150年前の退役軍人たちが起こしたコーヒー会社の子孫だったこと。
先祖の意志を引き継ごうと本物のコーヒーを栽培しようと夢見てること。
そしてそんな戦前の奴らが遺したマグカップと、『死にたくなければコーヒーを飲め』というスローガンまで伝えると。
「――つまり、あいつらは本物のコーヒーを欲しがってるんだ。別に金儲けしたいとかそういう理由じゃなくて……」
『あそこの人達はまたコーヒーを育てたい、って言ってたんです。だから』
「ああ、もし旅先で見つけたら送り付けてやるよって約束したんだ。それで今律儀に果たせそうなところまで来てる」
「……そうだったのね、なるほど……」
おばあちゃんの表情はというと計り知れないものだった。
その目には周囲で同じようにコーヒーを売る店の姿や、ちょうど目の前で新しい一杯を注がれてるドリッパーがあるはずだ。
まあ無理もないと思う。
こうして順調に儲けを出してるところに「栽培して増やすから分けてくれ」なんて我ながらひどい話だ。
「いきなりこんな話してごめんよおばあちゃん、でも本当に欲しいんだ。できる限りのチップは出すから――」
「分かったわ、ちょっと待ってね」
が、そのひどい話題におばあちゃんが立ち上がった。
穏やかな表情のまま町のどこかへすたすた歩けば、そこでしばらく姿が消える。
まるで「じゃあくれてやる」みたいなノリだぞ? さすがの俺たちもどうしたものだと顔を見合わせるも。
「お待たせ、これがコーヒーの種子よ。育て方についても書き留めておいたわ」
店主が返ってきた。屋台に戻るなり小さな袋を差し出してくる。
いきなり手渡されるとじゃらっと軽い感触が伝わった。
中には確かに白い豆と折りたたまれた紙が閉じ込められていて。
「……いや、あの、そうやすやすとくれてやっていいのか、これ」
『お、おばあちゃん……? これ、貰っちゃっていいんですか……?」
はいどうぞ、と軽く渡されるにはオーバーすぎるそれに正気を疑った。
しかしご本人は穏やかな顔つき変わらずな様子で続きを淹れており。
「いいのよ。戦友に持って行ってあげなさい」
そういって出来上がった一杯をすすめてきた。
150チップの価値があるコーヒーがまた注がれた。さっきと変わらぬ香ばしさだ。
「流石にこんなものをただでもらって「はい持ってきます」はできないぞ」
「確かにこんな世界じゃ本物のコーヒーなんて貴重かもしれないけれども、それをこうして堂々と手に入れようとする姿もそうよ。普通だったら、私を脅したりこっそり盗みに行ったり、いくらでも得をするやり方はあるでしょう?」
「どうもそういうやり方が性に合わなくてな」
「それでいいの、あなたはただ誠実にしてくれたじゃない。こうして心にゆとりをもって暮らせるのもその気持ちがもたらしたものよ。それに私たちだけでコーヒーを独り占めするなんてバチ当たりだからね」
おばあちゃんの笑顔に負けて手に入れてしまった。念願のコーヒー豆だ。
どうやって持っていくかはさておき、おかわりのもう一杯を口に含んだ。
「……ありがとう、おばあちゃん。あいつらに確かに届けるよ」
『ありがとうございます、おばあちゃん。これでブラックガンズのみんなも喜んでくれると思います……!』
「願わくばウェイストランドがもっと豊かになることを。でも、コーヒーの淹れ方だけは譲れないわ。ブラックガンズの人達に美味しい一杯が淹れられるかしら?」
「ついでに腕のいいコーヒー職人も欲しがってると思うぞ」
「あら、欲張りな人たちね。でもこんなおばあちゃん必要ないでしょう?」
「そんなことないぞ、実力のあるやつは大歓迎してるところだ。もしブラックガンズの連中に会うことがあったら俺の話でもしてやってくれ、あんたの力になってくれると思う」
「そうね、考えておくわ。甘いものの食べ過ぎに気を付けてね」
ブラックガンズのカップに注がれた一杯を掲げてから、俺は離れた。
やっとあいつらに恩が返せると思うと嬉しいもんだ。まあ、ここからどう南に運ぶかが問題だが。
「やったなミコ、これでイージーとの約束が果たせそうだ」
『うん……あ、でもどうやって農場まで送ろっか……?』
「こういう時ハーレーのやつでもいればいいんだけどな」
コーヒー豆の重さを大事に確かめてると、町の南からトラックの音がした。
見れば良くハンティングに使われるタイプの車両がゲートに入る瞬間だった。
荷台にはガストホグが積み込まれて、そんなものが何両も次々押し入り。
「見ろイチ! 新鮮なガストホグだぞ! 晩飯にしよう!」
その死体に座ったクラウディアがいた。輝かしい顔がクロスボウと共にある。
なにやってんだあいつ。そう思った矢先に通りの奥からコート姿もやってきて。
「……おい、イチ。あいつが何をしているのか説明できるか?」
紙コップ一杯のコーヒーをお供に尋ねてきた。
「あいつの面倒見るのはお前の仕事だろ、心当たりはないぞ」
『クラウディアさん、まさかご飯のために狩ってきたとかじゃないよね……?』
「おにく……!」
「むやみやたらに獲物を狩るな、ぐらいは言ったはずだぞ俺は」
トラックは周囲の目を引きながら駐車場にたどり着いたみたいだ。
みんなで何やってんだあいつ、と眺めてると。
「ありがとう、これでしばらく作物を奪われずに済むよ」
「あいつら俺たちの畑にずっと居座ってやがったんだ、これで農家の連中も平常運転だ。本当にありがとう」
「礼はいらんぞ。その代わりガストホグの肉をくれ」
「あー、肉?」
「いいのか? 4000チップだぞ?」
「肉だ! 人工肉ばかりで飽きてたところだったんだ!」
「そ、そうか、分かった……加工工場に持ってくから、解体したら好きなだけ持っていってくれ」
「南の連中って変わってるな、報酬に肉よこせだなんて……」
見張りの連中が感謝いっぱいに近づくのが分かった、どうも人助けに勤しんでたようだ。
その対価が「肉くれ」という点に戸惑ってたが、無理矢理納得してトラックを工場に走らせたようだ。
「今日のご飯は久々の肉だぞ! 喜べみんな!」
クラウディアも自信満々に帰ってきた。喜んでるのはニクぐらいだ。
「良かったなニク、本物の肉だってさ」
『……まさかお肉食べたくて狩ってたんですか、クラウディアさん?』
「じゅるり」
「お前は何をやってるんだ、少し目を話した隙にどうしてハンティングとしゃれ込んでるのか説明しろこの馬鹿エルフ」
「いや町の連中が増えすぎたガストホグに手を焼いてるようだったんだ。だから手を貸してやったぞ、ついでに久々の本物の肉だ」
「勝手に人助けするのは殊勝なことだが、ただでやり遂げた挙句に肉をよこせとはな。お前が文明を知らぬ野蛮人か何かに見えて来たところだ」
「だって人工肉に飽きたんだ!!!」
クリューサは今日も苦労してそうだ。
頭が痛そうに顔をしかめるお医者様を残して、俺は『ツチグモ』の方へ近づいた。
「お帰り、何か収穫でもあったかい?」
そばではテーブルを持ち出したヌイスが優雅なひと時の最中だ。
白衣姿はコーヒーとドーナツをお供にドーナツレシピ集を斜め読みしてる。
「大いにあった。コーヒー豆だ」
「コーヒー豆? 栽培でもするつもりかい?」
「ブラックガンズの連中が欲しがってたんだ、んで手に入ったら持ってく約束してた」
「律儀にそれを守ったわけだね、君は。ではそれをどうやってずっと南まで持っていくかまでは頭は回ったかな?」
「心配するな、今全力で回し始めてる」
「それは行き当たりばったりっていうんだよイチ君」
「ああ、全力のな」
誘われて向かい側に座った、ヌイスは興味深そうに本を読みつつ。
「補給は終わったよ。タンクに水は満タンさ、ここの町長さんがタダで提供してくれたんだ」
後ろのツチグモに目を向けた――補給完了らしい。
あの巨体を満足させるほどの水を融通してくれて嬉しい限りだ。
「そりゃありがたいな。変な町だと思ったけどいいところだ」
「ただまあ、そうだね、その代わり君たちにお願いしたいことがあるって顔だったよ」
「町長が?」
「うん。RPGゲームの感覚で言えばメインクエストの道中で主人公たちにお使いをけしかけてくるような感じだね」
「なるほど、それで次は俺たちに「お願いします」ってか」
……いや、訳ありだったみたいだ。
そこまで話を進めていると、視界の端で見張りのご一行が動くのを感じた。
「ほら、さっそくおいでなすったようだよ。どうする?」
「まあ話だけでも聞くか」
「まるで前例が何度もあったような落ち着き具合だね」
「クリン思い出してるところだ」
『そういえばクリンでもこんな感じだったよね……』
「ヌイス、誰かさんが失踪しましたとかそういう類なら速攻でここ出てくぞ。もうカニバリズムネタは勘弁だ」
「ひどい経験をしたものだね君も」
マグカップに残った一杯を飲み干した。近づく気配に振り向く。
くるっと見た先には案の定な様子の数名だ。
町へ入る時に知り合ったばかりの見張りが先頭にいて。
「あー、ちょっといいかいストレンジャーさん」
ヌイスの予言は大当たりだ。申し訳なさそうに声をかけてきた。
知ってましたとばかりに立ち上がると、向こうは少したじたじな様子になって。
「誰かが失踪して人食い族が隠れてます、みたいな話じゃなかったら聞いてやってもいいぞ」
そこに空っぽのマグカップと一緒に町を示した。
しかし向こうは冗談として受け取ってる様子だ。そういう類じゃないらしい。
「なんとなく察してるみたいだな、だがもっとひどい話だ」
「カニバリズムよりヤバイのがいるとか言うなよ」
「うちの町長が馬鹿言い始めやがったんだ。俺から贈る言葉は「厄介になる前にこっそり行け」なんだが」
なんならさっきの見張りのやつは気まずい顔だ。
想定外の言葉にヌイスと首を傾げた。もっと深くを知ってみようと好奇心も働く。
「その馬鹿具合によるぞ」
「あー、なんだ、そこの眼鏡の姉ちゃんが読んでる本については知ってるよな?」
その気まずさが向かうのは白衣の金髪が手にしている『ドーナツレシピ集』だ。
「大体の事情は存じてるよ。戦前から遺されたこのレシピを使ってこの街は成り立ってるんだってね?」
「よくご存じで嬉しいよ。じゃああそこに関するお話も知ってるか?」
ヌイスの返答にたいそう満足してるが、見張りは次に東を指した。
青空の下でいい加減落ちそうなドーナツの看板がふらふらしてる。
「さっき聞いたな、あそこに150年前のドーナツ会社の本社があるとか」
『そこに秘密のレシピがあるって言ってたよね……?』
ミコの補足もあいまって話は完璧にまとまったようだ。
見張り連中は話が分かるやつだと認めてくれたのか、嫌そうな顔を露骨に浮かべて。
「あのジャージ野郎、あんたらにテュマーだらけの本社から伝説のレシピを探し出してほしいって言いだしたんだ。信じられるか?」
それはもううんざりした顔で伝えてきた。
金髪眼鏡の予言はどこまで当たるんだろうか。
「そんな嫌そうな言い方からしてとことんひどい話が詰まってそうだな」
「いきなり来た客、それもストレンジャーに厚かましくお願いする態度が気に食わないだけだ。報酬だってきっとドーナツ食い放題とか言い出したっておかしくないぞ」
「だから面倒なことになる前にさっさと行けか。ご親切にどうも」
しかも向こうはこっちのことを「頼めば何でもやってくれる連中」と信じてるらしい。
どこまで信用してくれるかはあのジャージ姿のみぞ持つ感覚だが、得体のしれない場所に良く分からぬものを取りに行かせる魂胆は正気じゃない気がする。
「……ただまあ、俺たちにとっても都合がいいのが癪な話でな」
ところが、まだ続きがあるっていうオチだ。
本当に癪な感じでこっちを見てきた。
「お前らも秘密のレシピとやらに心躍るタイプの住民だった?」
「ドーナッツにうんざりしてるタイプの奴らだ。いやな、考えてみろ? 確かにここは栄えてるが、いまだにすぐ近くにテュマーぎっしりの建物があるんだぞ?」
「仲良くできるような隣人に恵まれない住まいだそうだからな」
「人が増えたらなおのこと不安が募ると思わないか? テュマーが出てきたらどうしようとか、誰かがふざけて入って大変なことになったらどうする、とかな」
「俺だったら建物ごと中身に強制退去してもらう選択肢があるぞ」
「そうしてもらいたいのは山々だが、みんなが更地にしろと望んでないのが現実だ」
「そうか、で? お前らにとっての都合のよさはどのあたりだ?」
「腕のたつ奴があそこに押し入って、中身を綺麗に掃除してくれるならの部分だ」
その都合の良いっていう部分はこういうことらしい。
伝説のレシピが眠るというテュマー入りの建物が住民の不安をあおり始めてる。
だったらいっそ押し入って根こそぎぶち殺してくれる親切が奴がいたらなんて幸せだろう。
それが今俺たちに向けられてるのだ。切実な視線で。
「なるほど、じゃあお前らもドーナツがお礼か?」
「馬鹿言うな、ドーナツじゃ生きていけないだろ。ちゃんと報酬は払うさ、そのことについて俺たちの本部で話し合いたいんだ」
「その前に俺たちの間で話し合いをさせてほしいところだけどな」
「もちろんだ、急ですまないな」
まさか今度はドーナツのレシピ探しとテュマー退治の並行か。
しかし向こうは本当に手助けが必要そうな感じだ。まあ報酬がちゃんとあるなら考えてやってもいいが――
「そうか、じゃあ私たちには好都合な案件じゃないか」
そんな時だ、ヌイスがぱたんと本を閉じた。
そこから来る言葉はクールなものだが、冗談のない本気の調子だ。
「……俺たちに好都合? どこがだ?」
『こ、好都合……?』
「それを届ける手段が必要なんだろう? 君たちの働き次第だけど、うまくいけばちょうど解決できるよ」
それ、と眼鏡が向く先を見る。
バックパックから取り出した小さな袋があった。
こいつの言ってる事を都合よく解釈すれば、ブラックガンズまで豆を送る術があるってことになるわけだが……。
◇
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