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Journey's End(たびのおわり)

ポトック(3)

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 「ちょっと行ってくる」と俺は朝食を抜けた。
 いつもはじとっとした顔のまま元気に歩くニクが、今は何時にもまして物静かだった。

「わうんっ」

 この賢いピットブルは時々こっちを見返しながら誘導してくれている。
 見張りの目をとゲートを抜ければトレーラーハウスの数が物言う町もどきだ。
 タイヤを外され走ることをあきらめたそれは、錆や傷にまみれながらも住まいや店舗としての役割を果たすようになってた。

「よお噂の擲弾兵、北部といや新鮮なミュータント・ベリーだ。一つどうだ?」
「良く来たわね! 弾薬の不足はない? お手頃な武器もあるわよ!」
「雑貨品に用はないか? 買うのも売るのも我が店こそだ、うちに来る客は誰も拒まないぜ!」

 『ばうわう』に案内されたバリケードの内側は意外と賑やかだ。
 しばらく歩けば右も左も店だらけのこじんまりとした通りがあった。
 ここはどうもいい憩いの場になってるらしい、外から旅の合間にきたような連中がいろいろな顔で過ごしてる。

『……ねえ、ニクちゃん?』

 けれども、ミコがその名を口にするまでずっと沈黙があった。
 ニクは何も言わず歩いてた。今の俺に見えるのは相棒の後ろ姿だけだ。
 ブーツを履いた犬足は気が進まぬという感じで鈍いし、耳もしゅんと伏せてる。

「……ん」

 返事はそれだけだ。振り向こうともしない。
 それはいつもの愛嬌を振りまくわん娘じゃなかった。
 だからこそ、ここにはさっき感じた「嫌な予感」がはっきり浮かんでる。

(ミコ、たぶんだけどこいつが言ってたおじいちゃんってのは)
(……うん。そういうこと、なのかも)
(これほど「外れてくれ」って思ったことはないぞ、くそっ)

 ずっと旅をした俺たちなら感づくようなものだ。きっとおじいちゃんとやらは――

「おっ、もう朝飯は済んだのか? まったく羨ましいね、腕のいい料理人がいるなんて飯に困らなさそうだ」

 強そうなおりこうさんを頼りに進んでると、そこに男が立ちふさがった。
 見張りの一人だ。こうして聞く限り朝飯の様子もしっかり見てたようだが。

「ばうん」
「ん? お前か、ポトック観光でもしてくれてるのか? よしよし」

 案内犬に目をつけると、親しそうにしゃがんで頭を撫でていた。
 肝心のピットブルは頭に当たる手を人懐こく受け入れてるようだが。

「あの、ここに犬を育ててる人はいませんでしたか?」

 意外にもニクがようやく言葉を発したタイミングでもあった。
 相手はまずじっとりとした女の子らしい声に、次に『ミュータント』みたいな姿に少し気分を惑わされつつ。

「ひょっとしてここのアタックドッグ・ブリーダーのことか?」

 ポトックの奥へと向けた人差し指で尋ね返してきた。
 俺たちの探してる人物がそこにいる証拠だ。ニクがこくっと頷くのが見える。

「はい。その人を探してるんです」
「それならまっすぐ進んだ先だぞ。でもタイミングが悪いな、あんたら」
「……タイミングが悪いって、どうしたんですか?」
「あー、ちょっと複雑なもんでな。行かない方がいいと思うぞ」

 だけど手元に戻ったのはその言葉通りに複雑そうなものだ。
 向かう先を軽く見てから、あんまり行って欲しくないような顔をされた。

「俺たちの知り合いみたいなもんでな」
「あんたらがか?」
「ああ、そいつの犬にとても世話になった」

 そう伝えると、見張りの誰かは気まずそうな様子を見せてくる。
 俺は何も言わないままニクの頭にぽん、と頭を乗せてやった。

「そうか、あの爺さんに世話になってたのか」
「俺がこうしていられるのもその人のおかげだろうな、恩人なんだ」
「なるほどな。言いづらいんだが伝えないといけないことがある」
「どうしたんだ?」
「ブリーダーの爺さんならこの前死んじまったよ。今いるのはその息子、それも自暴自棄で犬のしつけもおろそかにするようなやつだ」

 そして嫌な予感は的中だ、おじいちゃんとやらはもうこの世にいない。
 見張りの男はとても口にしづらさそうに言い終えると、ため息をついて。

「前はここもアタックドッグで少しは名の知れた場所だったんだけどな。あの人が死んでからはつまらない場所になったもんさ」

 またピットブルの頭を撫でた。
 屈強な犬は鼻をひんひん言わせながら見上げてる。

「……おじいちゃん、死んじゃったの?」

 その合間に聞こえたニクの声だって相当だ、泣きそうなのが痛いほど分かる。

「ああ、長生きしてやり切ったように死んじまった。でも息子がとんだダメなやつでな、付き合わされてる犬たちが気の毒でしょうがないさ」

 男の口からまたため息が出た。きっと良いおじいちゃんだったに違いない。
 いきなりこんなことを聞かされて、俺もミコも何も言えない気分だ。
 やっとニクの育ての親に会えると思ったら死んでました、だぞ?。

「そういえば噂で聞いたがあんた、黒い犬と一緒だったらしいな?」
「ああ、今も一緒だ」
「そうだったのか、ここの犬があんたの役に立ったんだな」
「……できることならお礼の一言でも言ってやりたかったさ」
「だったらそいつを連れてきて見せてやってくれ、あの馬鹿息子に少しは目を覚ましてほしいんだ」

 案内が終わった。男はもう一度「あそこだぞ」とさしてから去っていく。
 ニクはまだ振り向かない。耳も尻尾も深く伏せたままで、見える背中は崩れそうなぐらい寂しそうだ。

「わうん」

 ばうわうは俺たちを心配そうにしてから進んだ、撫でてやった。
 肩の短剣は何も言わない。いや、一緒に悲しんでくれてるんだろう。

「行くぞ」
『……うん』

 俺たちは何も言わずまた進んだ。
 その間気がかりなことはずっとニクのことだ。
 小さな後ろ姿は今にも立ち止りそうで、ピットブルも時折心配そうに見上げてるのだから。

「ニク、辛いなら行かなくていいからな。いいんだよ、それでも」
『ニクちゃん、無理しなくていいからね? いい?』

 かけてやれるのはそれくらいだった。
 するとぴとっと足が止まった。でもふるふると首を横に振って歩き出す。
 そこでふと視線を感じて振り向けば、ノルベルトやロアベアが少し離れて心配そうにしてた。

「……俺だって、大切な人が消えたら死ぬほど辛いさ」

 ニクがどれほど『おじいちゃん』とやらを感じ取っていたかは飼い主である俺には分からないものだ。
 でも、目の前にある姿がその答えなんだろう。
 俺にせめてできることは、犬の相棒の顔を見ないで隣を歩いてやるぐらいだ。

「わんっ!」
「がうっ?」

 それなりに変わった街のつくりを歩けば、お出迎えの声が遠くから送られてきた。
 犬の匂いがする。柵やら手作りの小屋やらで土地を広くとる民家がそこにあった。

「わんっ?」
「わうんっ」
「ばうっ!」

 トレーラーハウスの下、いろいろな犬がいた。
 耳が垂れたふわふわのやつ、茶色と黒のジャーマンシェパード、筋肉浮き出るドーベルマン、日本人にうってつけの柴犬。
 そんな面々は帰ってきたピットブルに尻尾を振ってたものの。

「……みんな!」

 急にニクが駆けだして、びくっと一斉に驚いていた。
 警戒心が嫌でも伝わった。しかしばうわうがぴとっとくっついてからは不思議そうに見上げていて。

「わんっ!」「がうん」「ばうっ!」「くうん」「うぉんっ」

 匂いを感じたりまじまじと見たりの後、犬たちがいっせいにわん娘にすり寄った。
 そうか、こんな姿になっても分かってくれてるのか、こいつらは。

「元気だった? うん、ぼくも元気。ご主人といっぱい頑張ったよ、すごいでしょ?」

 ニクはしゃがんで一匹ずつ丁重に接してるようだ。
 一瞬見えた横顔は少し涙ぐんでた。そりゃそうだろうさ。

「ばうっ」
「ああ、いい相棒だぞ」
「わうん」

 そのうちばうわうが誇らしげにこっちを見てきた、いっぱい撫でてやると。

「……なんだ、あんたら」

 ウェイストランドの歴史がよく浮かぶ家の中から誰かが這い出てきた。
 一歩次を踏み間違えればテュマーと仲良くなれそうな、疲れ切った男だ。
 俺の嫌いな酒臭さが漂うせいで第一印象破最悪なものだが、犬たちはすがるようにそいつを見上げてる。

「ここのブリーダーの爺さんに世話になった誰かだ」

 犬に慕われる様子にすかさずそう伝えた。
 そのタイミング、ニクがそそくさと逃げるように背中に回ってきた。
 そんな様子と人様の擲弾兵の姿を確かめた後、そいつは強く瞬きをして。

「その格好、南で伝説になってるやつのコスプレかなんかか?」

 少し目が覚めたように、やる気のなさも伴って問いかけてきた。

「あんたの想像力次第だ」
「じゃあ本物だろうな。そんな大層なやつが何の用だ」
「ここに黒いジャーマンシェパードとかいなかったか?」

 更にそう伝えてやると、向こうは思い当たる節を顔いっぱいに浮かべた。
 とても悲しそうな造形だ。背中に隠れた相棒のことに触れてしまったんだろう。

「もしかしてあのほっそりとした真っ黒な犬か?」
「ああ、そのくせ食いしん坊で甘えん坊なやつだ」
「……間違いない、そいつは親父が育てた最高傑作だよ。でもなんであんたが、グッドボーイのことを知ってるんだ?」

 確か、そうだったな。
 俺は前の飼い主のことを思い返した。グッドボーイは元気だぞ。

「前の飼い主が死んだ。今は俺が連れ回してる」

 そのことも教えた。だらしない男は少し考えて「そうだったのか」と頷いて。

「親父の育てた犬と旅をしてくれたんだな、あんたが」
「ああ、だから恩人だ。その礼を伝えたかった」
「でも、でもよ、親父は後悔してたんだ」
「後悔してた?」
「あのグッドボーイはな、親父が最後に残した最高の家族なんだ。それだけ可愛がってたんだよ、せめて最後に死ぬ前に一目見たいってずっと言ってたから」

 悲しみのこもった声でそう言っていた。
 ジャンプスーツにきゅっと犬の手が捕まるのを感じた。
 どこにどう触れたんだろう、男は静かに泣き出した。

「……あんたの親父さんは、どんな最後だったんだ?」
「長い間頑張って、やり切ったように死んだよ。俺みたいな能無しと違って立派な最期だった」
「能無し? あんたが?」

 しかしいざ口を続けてもらえば、出てきた言葉が自虐だ。
 どうしたんだと顔を伺うと、犬たちに心配されつつ。

「親父はすげえやつだよ、どんな犬でも仲良くできるんだ。でもよ、死んだあとどうなったと思う? 周りは俺に親父みたいにやってくれるのをずっと期待してやがる、俺なら強いアタックドッグを生んでくれるだろうって見てくるんだ、毎日、毎日、毎日……」

 ポトック暮らしの実情を漏らしてくれた。
 プレッシャーに押しつぶされるだけの人生を今日まで過ごしてたんだろう、その結果が酒に逃げてしまったわけか。
 よく見ると犬たちは態度は立派だが、あんまり毛並みも良くないし恵まれた環境で過ごしてるようなものじゃない。

「……そりゃ同情するよ、気持ちのいい生き方はできないだろうからな」
「分かってくれるなんてさすがだな、ストレンジャー」
「でも酒に逃げて犬にもしわ寄せがくるなら話は別だ、あんたにとってただ残酷な言い方かもしれないけどな」
「撤回するよ。あんたみたいなやつには分からないって言葉も添えようか」
「少しは分かるさ。で、犬と仲良くやってくのはもう諦めたのか?」
「家族が大事なのは今も変わらないさ、でも今はわが身が先だ、悪く思わないでくれ」
 
 あんまりニクに見せたくない体たらくなのは確かだ。
 そいつはそれだけいって、がっかりしたように帰ろうとしてる。
 だらけた後ろ姿を犬の群れの視線がじっと追いかけていく中。

「……親父に礼を言いに来てくれたのは感謝する、あいつの墓はあっちだ」

 中に閉じこもる前に「あっち」を指した。
 土地の片隅、きれいな芝生と簡素な墓が残ってる。

「どうも。あとこれは俺の感想だ、そいつらをまだ家族って呼べるなら諦めてないように思えるぞ」

 去り際にそう伝えて「おじいちゃん」に会いに行くことにした。
 代わりに付き添ってくれたのはたくさんの犬、邪魔をしない程度の距離感だ。

「ばうっ」

 ばうわうが心配そうに見てきた。大丈夫だと撫でてやった。
 墓に近づくとすぐに分かった。この辺りはきれいに整えられてる。

『……このお墓、大事にされてるんだね』

 ミコもそういってるぐらいだ。
 地面は死者のためにとてもきれいに保たれてるし、木で作られた素朴な墓周りはできうる限りの手入れが施されてる感じがする。
 それだけの気持ちがあるんだろう、さっきのやつにも。

「ああ、立派な人だったんだろうな」

 俺は墓の前でしゃがんだ。
 名前すら刻まれちゃいないが、人柄だけは良く分かる。
 周りを見れば犬たちがびしっと礼儀良く並んでいたからだ。
 このおじいちゃんは、それだけのものと繋がったまま死んだに違いない。

「……おじいちゃん」

 隣でそんな声がか細く聞こえた気がした。
 見なくたって分かる。今は触れずに一緒に墓に向き合うだけだ。

「あんたは俺たちの恩人だ。どうしてもあんたにお礼を言いたかったんだ」

 言葉を向けた、返ってくるはずもない。

「俺は恩には報いたいタイプでな、だからお礼がしたくてさ」

 できることなら生きてるうちにかけてやりたいセリフだが、俺は隣のニクを抱き寄せた。
 きゅっと犬の腕が抱き着き返してきた。見ろよおじいちゃん、信じられないと思うがあんたの家族なんだぞ。

「あんたの家族はこうしてストレンジャーを助けてくれたぞ。それだけじゃない、たくさんの人が救われた。ある意味あんたはウェイストランドの英雄さ」

 何を手向ければいいかは分からない、だからできることはこの相棒を見せてやることだ。
 その証明は周りの犬たちがしてくれる。こいつは間違いなくグッドボーイさ、おじいちゃん。

「だからあんたも戦友だ。この世界でずっと頑張ってきたんだろうけど、今はゆっくり休んでくれ。グッドボーイは俺が一生かけて大事にするよ」
『……ニクちゃんはすごくいい子ですよ、強くて頼もしくて、いつも助かってますから。ありがとうございました』
「スティングが助かったのも、擲弾兵が蘇ったのも、ブルヘッドの馬鹿野郎の悪だくみをぶち壊したのもひとえにあんたのおかげでもあるんだからな。ありがとう、おじいちゃん」

 言いたいことは伝えた。
 ニクは何か言うことはないんだろうか?
 そう思ってみるも、悲しそうに墓を見つめるだけだ。

 いや、無理はさせるわけにはいかないな。
 いいんだよ。きっとお前は心の中で伝えてるはずだから。
 俺たちは少しだけ墓の前にとどまった。ニクの気が済むまでに。

「……そろそろ戻るか」
『……うん、そうだね』

 犬の相棒は最後まで何も言わなかった。
 しょんぼりと墓を見つめるだけで、ずっと悲しそうな顔が続いていた。
 頭を撫でてももう反応しない。まるで糸の切れた人形、といえばいいのか。

「ばうん」

 ばうわうが俺たちの間に入ってきた、ニクの足元にすり寄ってる。
 他の犬たちも気にかけるように見上げてくると。

「…………うん、ごめんねみんな。もう大丈夫だよ、そろそろ行くね」

 ダウナーな声がした。優しく周りの犬を撫でてる。
 それからきゅっと小さな口を引き締めて、いつもの表情を作って。

「行こ、ご主人」

 わんこの手でジャンプスーツ越しにしがみついてきた。
 引きはがせないほどの力だ。頬もぺったりくっついて、まるですがるようで。

「もういいのか?」
「ん」

 足並みも合わせてきた。
 腕もぎゅっと抱きしめられて逃がさないというばかりだ。
 そんな相棒をまるで引きずるように進めば、ツチグモの待つ空地へと向かうだけなのだが。

「……ニク」

 分かりやすい奴め。
 ニクは時々きょろっと後ろを向いていた。
 気に残るものが山ほどあるような仕草だ。耳も尻尾も倒れたまんまだぞ?

「なあに?」
「今の気持ちが大事だぞ。いくらでも待ってやるよ」
『……うん、いいんだよニクちゃん。わたしたちに遠慮なんていらないでしょ?』

 頭を撫でてやった。
 そんでもって次の指示は「行っちまえ」だ。
 振り向けばずっとこっちを見ている犬どもと、あのだらしない男がいるトレーラーハウスがある。

「言いたいこと言ってこい、ストレンジャーズの掟だ。たった今追加した」

 倒れた耳ごとたっぷり撫でた。ニクがこくっと頷いた。
 相棒はやっと見上げてくれた。黄色い瞳いっぱいに涙が浮かんでる。

「……ん」
「フハハ、俺様たちは買い物中だ、これは時間がかかるかもしれんな?」
「うちもお土産とか買わないといけないんすよねえ、ごゆっくりどうぞっす皆さま~」
「だそうだぞ、しばらく自由行動だ」

 しれっと向こうからノルベルトとロアベアも混ざってきた。
 ニクはやっとその気になったらしい。したっと犬たちの方へと向かった。
 それまで待つとするか。遠いブリーダーの家をみんなで眺めることにした。

「こっそり聞いてくれて助かったよ、どうも二人とも」
「育ての親が亡くなるなどさぞ辛いものだろう。ニクのこれからのためにもその気持ちはここで晴らしておくべきことだ」
「きっといいおじいちゃんだったんすね、あの子泣いちゃうなんてよっぽどっすよ?」
『すごくつらいのに我慢してたんだろうね、みんなのためを思って』

 いつ帰ってくるんだろう? いいや、どんだけかかったっていい。
 適当な場所で腰を下ろすなり壁に寄り掛かるなりして待ってると。

「……あ、帰ってきたっすよニク君」

 しばらく潰した時間の後、ダウナーな犬耳ッ娘がぽてぽて歩いてきた。 
 泣き明かしたようなじとっとした顔だ。けれども足取りは軽く。

「……いいのか?」
「ん。ありがとう、みんな」

 もう大丈夫だ、とくっついてきた。
 よし、それでいい。頭を撫でてやりながら戻ろうとしたが。
 
「――ま、待ってくれ! ストレンジャー!」

 そんな時だ、あの男の声が追いかけてきた。
 さっきの息子さんだ。犬たちと一緒にやってきたらしい。

「おい、どうした?」

 一体ニクは何を伝えたんだろうか、そう心配になる様子だ。
 愛犬がそっと背中に隠れていくのを感じたが。

「……その、その子は、いや」

 男の調子は興奮混じりで今にも心臓が止まりそうな勢いだ。
 けれども、少し息を整えて考えを巡らせたようで。

「俺の親父は、あんたらの助けになったんだよな?」

 まっすぐに俺たちを見てきた。
 だらしのない顔はもうなかった。灯がともったような元気な目つきだ。
 俺は少しだけ周りを目を合わせた後。

「ああ、恩人さ。今の人生はその人あってこそだ」

 隠れたわん娘を引っ張り出した。
 フードまで被って顔を隠してたみたいだが、構わず頭を撫でてやった。
 すると男は「そうか」と泣きそうな顔で何度も何度も頷いて。

「ありがとう、ありがとう。お、俺、やっぱり続けるよ」
「ブリーダーをだよな?」
「お、親父みたいにはなれないと思うけど、それに、こいつらにもひどいことしちまったけど。強いアタックドッグじゃなくたっていい、誰かの心の支えになるような相棒を作るよ!」

 ほんとにニクは何を言ったのやら。
 でも、いい顔だ。犬たちだってべったりとまとわりついてるんだから。

「なら良かった。まずはそいつらの手入れからだろうな」
「……さっきはすまなかった、あ、あんたのことを何も知らないくせにあんなこと言ってさ」
「でも知ってくれたみたいだな、ありがとう」

 もう大丈夫そうだな。
 俺はジャンプスーツのポケットに手を突っ込んだ、探ってチップをゲット。
 『10000』の価値がある一枚だ。『投擲』スキルを活かして指ではじく。

「あ、お、おい、これは……」

 うまくキャッチしてくれたらしい、相手はよろめきながらも慌てて受け取った。

「お礼だ。ついでに親父さんにもう一言伝えておいてくれ」
「わ、分かった。なんて伝えればいいんだ?」

 続く言葉は――俺じゃない。
 隣の相棒の頭をぐりぐりしてやった。こいつだ、といわんばかりに。

「……いってきます、おじいちゃん」

 残りはじとっとした声がつないでくれた。いい伝言になったはずだ。
 ダウナーな言葉を受けたブリーダーの男は感極まったように大きくうなずいて。

「――分かった、確かに伝えておく。気を付けるんだぞ」

 そこにどんなものがあるのかは謎だ。
 だけどそいつは何か悟ったような顔を見せて、静かに我が家へと戻っていった。
 後ろ姿にもうだらしないものはない。生きる理由がそこにあった。

「ばうっ!」

 その間際、一匹の犬が振り向く。
 ピットブルが元気に尻尾を振ってる。心なしか笑ってるようにも見えた。
 ニクと一緒に「いってきます」と手を振り返した。



 ポトックで軽い休憩を挟んだ後、ツチグモはまた走り出した。
 たいした出来事なんてなかった。ただ北へ上るだけなのだから。
 でも不思議とみんな無言だった。それはちょうど、誰かの死を悼むぐらいの沈黙にはなったはずだ。

 昼を過ぎ夕方も過ぎ、荒野を進めばすぐに夜だ。
 そうなれば総力を尽くして安全を確保し、夕食を食べて、見張りを立てて一晩過ごすだけである。
 その間にもニクの無言ぶりはずっと続いていた、のだが。

「――寒い」

 PDAが深夜寸前を示す頃、俺は車の外にいた。
 別に締め出されたわけじゃない、見張りの順番が回ってきただけだ。
 夜のウェイストランドはやっぱり冷える。そのくせ真っ暗で、薄気味悪さが肌寒さに拍車をかけるというのか。

「ボス、今頃何してるんだろうな」

 肩に触れながら遠くに尋ねてしまった――しかし鞘はない、みんなと温かく寝てる頃だ。
 まあ、全員バーサーカーのプレッパーズなら明るい話題に困ることはないはず。

「……ヒドラとか、アレクとサンディとか、アーバクルも、ドギーとシャンブラーも、これでもう会えなくなるんだよな」

 旅の終わりが近い証拠だ。どうしてもみんなの顔がちらつく。
 楽しかったさ、みんなと過ごした日々は。
 もし俺に複雑な背景やこの業が一つもなければ、あの愉快な奴らとずっとこの世界にいたと思う。
 ツーショットに並んでボスのそばに立つような男になって、人生を全て愉快なものに費やすのも悪くないはずだ。

「でも、すみませんボス。俺はプレッパーズには重すぎる荷物みたいです」

 ところがこの『ストレンジャー』にまとわりつくのは、とんでもない事実の数々だ。
 未来の自分が人工知能を愛して狂わせた、地球の形をゆがめた、世界を滅茶苦茶にした、数え切れぬほどの人々を巻き込んだ。
 次は何をしでかすか分からないのだ。しかも『魔力壊し』は自分をも消すかもしれない。

「死なないってことだけは約束しますよ。いや死ねないけど、うまくやってきますから」

 けれども俺は生きないといけない。
 シェルターで生かされ教会でも生き延び、二人分の命につながれた分だけ生きる義務がある。
 それにノルテレイヤをどうにかするという途方もない目的もある。とんだ哨戒任務になったもんだな。

「ご主人」

 気持ちが「明日からどうしよう」に切り替わるころ、あの声がした。
 持ち出した椅子から振り返る限り分かるのは、ニクが銃座から顔を出してるところだ。

「大丈夫、居眠りはしてないぞ」
「……誰と話してたの?」
「向こう側だ」

 ニクが犬らしい身軽さでしたっと降りてきた。
 黒いパーカーとスカートをはいた犬っ娘がゆるりと近づくと、きゅっとした小さな口から白い息が漏れた。

「寒くない?」
「悩んでてそれどころじゃなかった」
「悩んでたんだ」
「まあな」

 犬耳な美少女(男)はぴとっとそばにくっついてきた。
 じっと黄色い犬の瞳がこっちに向けられてきて、尻尾がゆるく踊ってる。

「よし、おいでグッドボーイ」

 少し考えて、寒さを紛らわす手段を発見した。
 膝上をぽんぽん叩くと、ニクはじと顔のままこっちを見てきて。

「……ん♡」

 人の身体を使った人間椅子に腰かけてきた。
 やわっこい。むっちり気味な下半身がすごくしっくりと当たった。
 というか温かい。抱っこすると体温が巡ってクソ寒い夜中に染みわたる。

「ぼくの身体、あったかい?」

 ニクの犬ッ娘ボディ(男)を感じてると、ぐりっとこっちを向いてきた。
 手袋を外して撫でてやった。嬉しそうに耳が伏せた。

「犬の体温に感謝してるところだ」
「んへへ……♡ よかった」

 髪はさらさらで柔らかいし、ジャーマンシェパードな耳が特別気持ちよさを作ってる。
 もっと撫でてやると――肉球つきのわんこな手がもう片腕を促してきた、こうなりゃダブルで撫でてやろう。

「えへへへ……♡ 幸せ……♡」

 感想は幸せいっぱいだそうだ。頬ももちもちしてやるとゆったり背中を預けてきた。
 人食いカルトから生き延びてた頃からの相棒がまさかこんな犬ッ娘(男)になるなんて、当時の俺だったら想像しきれないことだと思う。

「……なんかごめんな」

 しばらく撫でまわして、次に出た言葉がこれだった。
 そんな相棒を面倒くさい人生に巻き込ませた負い目がここにある。

「……どうしたのご主人? いきなり謝って」
「いや、くっそ面倒くさい俺の生きざまに付き合わせて申し訳なくて」
「世界を作ったとか壊したとか、そういうの?」
「実にそういうのだ。お前とかミコを巻き込むにはあんまりにもひどいもんだなって」
「ぼくは別にかまわないけど」

 ところがニクは犬の手で頬に触れて来た。しっとりとした柔らかさ。
 ブルヘッドに来てひどい真実をいっぱい知ったけど、それに比べて愛犬のリアクションはあっさりとしすぎだ。

「世界ぶち壊したとか作ったとか神様生んだとかそういう規模の話にさ、お前らを引っ張り回して、その、けっこう罪悪感がある」

 またわん娘の頭を撫でてやった。手がしゅんと落ちた。
 ニクの黒い髪色が身体ごとくるっとひるがえって、ジト目な顔がこっちに向き合う。

「ん、大丈夫。ぼくがそばでずっと支えるから」

 それから、ものすごくダウナーな様子で伝えてきた。
 犬毛がつやつやな両腕がくるっと首に巻き付いて、変化量の貧しい表情が間近に浮かぶ。

「そうは言うけどなニク、俺は――」
「これからずっとご主人のこと、守ってあげる」
「いや、あの……」
「大好きだからセーフ」
「おい人の」
「あんなにシたのに」
「やめなさい!!!!」

 ダメだ、コイツは梃子でも動かぬやつだ。
 押し負けたご主人を前にニクはジトドヤ顔だ。誰だこんな育て方したの。

「……ふふん」

 わん娘はしっぽをふりふりしてる。犬の精霊がストレンジャーより強いことが証明された。

「今朝はありがと、ご主人」
「ちゃんと言いたいことは言えたか?」
「うん、みんなとお別れしてきた」
「そうか。大丈夫か?」
「まだ悲しいけど、もう大丈夫。みんながいるから」
「良かった。向こうの世界についたら一緒に冒険だ、今度は剣と魔法の世界だぞ」

 負けだよ。諦めて撫でてやった。
 こいつは悩みを吹っ飛ばして前向きな方向に引っ張ってくれた。俺にはできないことをした。

「一緒にいろいろなところ、歩きたいな」
「もちろんだ、いつもどおり散歩しよう」
「一緒に美味しいもの、食べたいな」
「俺もだよ、ミコも一緒だ」
「ぼくのこと、いっぱい撫でてくれる?」
「任せろ、俺の仕事だ」

 どんなお願いをされようが構うもんか、ニクの「おじいちゃん」への感謝の気持ちもあるんだ、コイツのことはどこまでも受け止めてやる。
 ぎゅっと抱きしめて撫でてやった。尻尾がものすごくぶんぶんしてる。
 するとニクはもじもじしてきて。

「……えっちなことも?」

 ――ジトっとした上目遣いでこっちを見上げてきた。
 俺はどこに誘導されてるんだろう。薄暗いはずなのに、ほんのり恥ずかしそうに染まった頬が見える。

「……なんでそうなるん?」
「……だって、しばらくご主人に可愛がってもらえなかったから」
「あれは……うん、確かに俺の責任ではあるけど」
「ずっと我慢してたのに。今すぐ責任とってほしい」
「自分でどうにか……」
「ご主人じゃないとやだ」
「誰だこんな面倒くさい子に育てたのは」

 あれこれいうがぷい、と顔をそらされる。
 それでも横からちらちらっと期待に満ちた顔で、何か楽しみにしてるような。
 犬の両腕もがっちり抱き着いてきて逃さんとばかりだ、これはもう……。

「……えいっ」

 そんな時だ、いきなりジャンプスーツのジッパーを器用に降ろされて――

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