魔法の姫と世紀末世界のストレンジャー

広い世界の短い旅路

もやもやする街の正体

　この町がどうして明るいのか？
　それは言うまでもなくディアンジェロのおかげだ。
　どこかにある発電機を動かしてウェイストランドに光をもたらした行いは、周りの信頼を満足に得る理由にもなる。
　結果、町は夜分遅くにも関わらず賑わっていた――町は明るく陽気な姿だ。

「……しっ、あいつが戻ってきたぞ」

　そんな彼の恩恵から外れた物陰の暗闇で、ステアーの小声がそっと響く。
　誰かの作った美味しそうな炭火焼の肉の香りが漂う街中の片隅、郊外に向かうはずの俺たちはこの時を待っていた。

「……ほんとに夜遅くに戻ってきたな、あいつ」
『うん……もうそろそろで日付が変わっちゃいそうな時間だよ』

　左腕のPDAを見た。時刻は間もなく新しい日を迎える間近だ。
　視線を上げると――外からクレーン付きのピックアップトラックがごろごろ戻ってきていた。
　そして隠れる存在に気づかぬまま、遠くで停まって運転手が降りてくる。

「む。ディアンジェロが出てきたぞ、一人だな」

　隣でクラウディアがそう口にする先、荒野にあわせた迷彩服とニット帽をかぶった男の姿がある。
　一仕事終えたのか、小銃を背負った背を気持ちよさそうに伸ばしており。

『おっ、戻ったか！　お疲れさんだな、ディアンジェロさん！』
『今日もまたデカい獲物を狩ってきたな！　食肉にするなら手伝うぞ？』

　そうやって身体を解すところで、外で飲んでいた男たちが声をかける。
　灯りの恩恵にあやかってこんな時間まで飲んだくれる連中はとても親し気だし、本人だってかけられた一声に嬉しそうで。

『やあみんな、今夜はみんなが喜びそうな牛モドキの方を狩ってきたぞ。この前シカのミュータントを持ってきたら君たちに不評だったからな』
『おいおい、不評だなんて勘違いだ。不満垂れてたのはこいつの嫁さんだぞ』
『なあ違うんだディアンジェロ、俺はシカ肉は好きだけどな、あいつが「またシカ肉？飽きたんだけど」とか言うからだよ』
『それにしてもあんた、よくこんなに狩れるもんだな。そのうち廃墟からミュータントが絶滅しちまいそうだ』
『はっはっは、生まれてからずっと銃と一緒だったからな。今日も寝る前に一仕事やって、早く誰かさんの奥様の機嫌を取ってやらないとな』
『最近は頑張りすぎじゃないのか？　たまには休んでもいいんだぞ？』
『他の同業者に先を越されたくはないんだ。なに、ひとっ風呂浴びれば疲れなんて残らないさ。今度狩りの分け前を捧げてお祈りでもして、水源が戻った奇跡の地に感謝しないとな』

　トラックに乗せられた得物を背に、街の奴らと仲睦まじい姿を振りまいてる。
　クレイバッファロー。ロープで車体に固定されていて、向こうである程度手を加えたのか食肉の姿に少し近い。

「……見てよクラウディア、もう食肉に解体されかけてるわ。もしかしてあれ一人でやったのかしら？」
「ああ、もしそうなら大した男だぞ。ノルベルトならともかく、クレイバッファローの体躯は人間一人の手には割に合わないからな」

　女王様とダークエルフの興味からして、あいつ一人で加工までしたのか？
　俺でだってシカの魔物を単独でさばくぐらいのスキルはあるが、かなり時間がかかる。もしそうならよほど手慣れてるな。

『……現地でそんなことをしてるなら、こんなに帰りが遅くなるのは仕方ないのかな？』
「いいや、いつもは数時間ほど早い。いつもあんな風に手を加えた獲物と凱旋してくるんだが、最近は一日が終わる寸前まで向こうにいるようでな」

　ミコがそういえば……まあこんな時間のご帰還もうなずける。
　しかし保安官の言葉がそれを打ち消す限りは、今まではもっと早くあの姿を周りに見せていたに違いない。

「……ご主人、聞いて。やっぱりあいつから香水の匂いがする」

　さあ、早速ニクが耳障りのいいしっとり声で伝えてくれた。
　町の賑わいに混ざる男を見たまま、いつものじと顔に不信感を浮かべてる。

「前回と同じか？」
「ん、間違いない。昼間より強い匂いがしてる」
「なるほどな、狩りに行くたびにいい香りがついてるわけか？」

　本人がどう使ってるにしろ、向こうへ行くたびに身体に染み付いてるのは確定した。
　耳をぴんと立てて集中する愛犬をそばに、あいつが完全にその場から失せる機会をうかがってると。

「……待ってご主人。問題発生」

　急にニクが尻尾をぴんと立てた。
　どういうことか鼻をすんすんさせながらも、向こうの姿に前のめりだ。

『問題……？　ニクちゃん、どうかしたの？」
「どうした？　まだ何か気づくことでもあったのか？」
「他の人の匂いがする。うっすらだけど」

　肩の相棒もろとも気にかけてると、帰ってきた言葉は「他の人」だ。
　今なお闇に潜む俺たちはお互いを見合わせた。知らない誰かがまだいるってことだからだ。

「ニク、どんな匂いか言い表せるか？」
「ここに来てから初めての匂い。でも、確かに人間のものだよ」

　飼い主がするにはだいぶ無茶な要求かもしれないが、わん娘はあたりをくんくんしながら言った。
　「人間のもの」だって？　そんな香りを出す誰かが東の廃墟にいるのか？

「ニクだったな？　その匂いだが性別は分かるのか？」

　そこにステアーのうわずった声が飛び出てきた。
　離れたところにいる例の男を思い出してはっと落ち着こうとするが、見る限りはナイツのことが気がかりなんだろうな。
　でも他の連中だって気になる話題だ、俺だってどんな答えなのか知りたいが。

「男か女かって言われれば……女の人かも。香水の匂いと混じってる」

　ニクが悩みながら披露してくれた答えというのは、香水と良く絡むものだ。
　もしこれが正しかったら香水を使うような女性がいるわけだが、街中ならともかく野外だぞ？

「まさかあの男、危険と隣り合わせの廃墟で誰かと逢引などとはいわないよな？」

　女性と香水の組み合わせにクリューサが呆れ始めている。
　夜遅く、そして男女二人でこっそりというシチュエーションならまあ良くある話かもしれない。
　そこに「世紀末世界で」「怪物だらけの廃墟で」と足せば異様すぎるだけだ。

「狩人たちの仕事場とはいえ危険なのは変わりないんだぞ？　死のスリルが伴わなきゃ興奮できないっていう高度なプレイにでも興じてるってなら別だがな」

　東側の事情を知ってるステアーも、こうして男女の密会には適切じゃないといってるぐらいだ。

「私達の知らないお嬢さんと廃墟でエクストリーム密会してるだけで済めばいいわね、ディアンジェロのやつ」
『エクストリーム密会……？」
「不審な点さえなければ生暖かく見守ってやってただろうけどな、残念だけど真相を探りに行くところまで来てるんだぞ」
「そうねえ、これはもう穏やかに済むパターンじゃないだろうし？」

　そうして女王様と仲良くディアンジェロの同行を探ってると、

『へいこんばんは！　お料理食べませんか！』
『おお、ディアンジェロ殿か。今日もご苦労だったな！』
『お帰りなさいませっす～♡　いやあ、ご立派な獲物っすねえ。あひひひっ』

　俺たちの宿泊先からリム様がオーガとメイドを連れて出撃してきた。
　パンが入った籠やら串焼きにされた肉や芋料理を乗せた籠やらを手にした人外の一団がぞろぞろ行進して。

『なっ、なんだいきなり？　どうしたんだ君たち――』
『この町の食糧供給を賄う功労者とお伺いしましたの。いつも頑張っているお姿の癒しになればとくっそうまいごはん持ってきましたわ！』
『町の人たちからいろいろ聞いたっす！　だからこうして町のお世話になってるうちらも何か報いになりたいと思ったんすよ』
『聞けばこの町は肉はともかく他の食材が乏しいと耳にしてな。見よ、焼き立てのパンにじっくりと火を通したじゃがいもだぞ』

　そんな夜遅くに見るには情報が強すぎる面々だが、そいつらが手にした料理には勝てなかったみたいだ。

『じゃ、じゃがいも？　パン？　そんな食材この町にあったのか……？』

　夜遅くまで頑張った身には強烈な飯テロだと思う。
　ディアンジェロは困惑から立ち直るなり、物欲しそうな様子で固まっていて。

『まさか噂の南で作られてる食材か？』
『おい、マジかよ……肉以外のまともな飯が食えるのか？』

　巻き添えを食らった住民たちも酔いがさめるほどに食欲が刺激されてる。
　そんな様子を見て、遠くでリム様がどやっとするのが見えた。

『そこの酒場でいかがかしら？　特にこのガストホグの串焼きは疲れた身体にぴったりのやや濃い目の味付け、お酒にあうような具合にしあげたんですの』

　そこまで言われればいくら不審なディアンジェロとはいえ、断れるはずもない。

『わ――分かった。君たち、良ければ今日は俺が一杯おごろう。みんなでこの子の作ってくれたごちそうに感謝だ』
『信じられねえ、このパン偽物か？　モドキじゃないよな？』
『本気で言ってるならストレンジャー様にも感謝しねえと。やべえやつだって耳にしてたが、こうしていいものをもたらしてくれたな』
『肉は俺たちがやっとくよ。飯食いながらでもできるから持ってきてくれ』

　賑やかなご一行は去っていった。
　誰かが俺のことを危険人物してくれたことは忘れないが、これでよし。
　消防署からも監視中の奴がいるはずだ、そろそろ行くとしよう。

「よし、時間稼ぎはあいつらに任せるぞ。あと誰がやべえやつだクソが」
「よくわかっているじゃないか。お前に新しい理解者ができたようだな」
「あとで俺がどうやばいのか説明しろよクリューサ。出発だ」

　お医者様がやかましいが、とにかくプランはこうだ。
　街に留まらせて完全に外と遮断した上で別動隊がじっくり探る。
　町の連中は信頼できないわけじゃないが、どうであれ邪魔者を一人も入れる余地はない。
　街から人気が薄まったのを見計らって、俺たちはそっと進んだ。

『ステアーさん、ディアンジェロさんなんですけど……あの人っていつもどんな生活をしてるか分かりますか？』

　道路を東へ辿っていると、肩からステアーへ疑問が飛んだ。

「朝起きて酒場で軽く飯を済ませて、挨拶がてら街を歩いて満足したらずっと仕事だ。終われば軽く酒をたしなんでるし、今じゃ寝る前にじっくり入浴するのも楽しみにしてる』
『ほんとに信頼されてるんですね……』
「ああ、今はまだな。もしかしたらあれが最後かもしれないわけだが」

　先導する背中越しの答えからして、それなりに満ち足りた生き方なのか。
　確かにこんな事情さえ絡んでなきゃあいつは立派な人間だろうが、あいにくその裏側を探りに来たのが俺たちだ。

「今のうちに俺から一言。どうかクリンの時みたいになりませんよーに」

　まだ軽口が挟める余裕があるうちに言っといた、割と本心で。
　親切だと思った奴が実は最低なやつだった、というパターンはもう二度とごめんだが、残念なことに近づいてしまってる。

『……ごめんいちクン、わたしも同じ気持ちだったりするよ』
「……ん。大丈夫、あの時みたいにやられないから」

　さんざんな思いを共有した二人も何か察してるらしい、ニクに至っては自信たっぷりだ。　
　やがて遠くの暗闇から、中途半端なまま150年もほったらかしにされた市街地の様子がうっすら見えてくるも。

「クリン？　何の話してるのかしら、いっちゃん？」

　外套をまとって人間の輪郭を消した女王様が話に食いつく。
　いやな思い出話をご所望か。移動がてら少しだけこそこそ話してやるか。

「親切な夫婦に会ったと思ったら人食い大家族だった件。我が子を食らう近親相姦クソド変態野郎どもには全員死んでもらいました」
「なんだかものすごく嫌そうに話すわね、でもやばいってのは分かった」
「あれまじでやばかったぞ、レモン苦手になったしメンタル削られてしばらく引きずった」
『私なんて今だにトラウマだよ……？』
「……あいつらにやられて悔しかった。次はご主人のこと、ちゃんと守るから」
「畜生、あのクソ野郎どもニクにひでえことしやがって。思い出したらまた腹立ってきた」

　あれ以来カニバリズムに対する嫌悪感は最大レベルに達した。
　もし似たような奴が今後現れたら出会って五秒で皆殺しするぐらいの覚悟だ。

「クリンについての噂は聞いたぞ、美食の町だとかでカニバリズムを嗜む一家がいたとか」

　ディアンジェロがそういう類だった場合に備えて殺害方法を考えてると、監視者のコート姿が興味深そうに振り向く。

「いたな。もう今の代で滅びた」
「ああ、その噂の続きが誰かに「皆殺しにされた」だったからな。なんというか、致命的な人選ミスをされたようだな」
「下ごしらえ担当に「まずいからやめとけ」ってちゃんと注意はしたぞ」
「話の感じからして人食い族に捕まったらしいわね、いっちゃん。ちゃんと仕返しした？」
「捕まってた奥さんと一緒に根絶やしにしてきたぞ」
「根絶やしなんてやるじゃない。気に入った、帰ったら紅茶をおごってやろう」
「人間を食うなんて悪趣味極まりない話だぞ。皆殺しとはよくやったなイチ」
「そりゃどうもクラウディア。そろそろ黙るぞ」

　「緊張感がない連中だな」とぶつぶつするクリューサを後ろに、暗闇の中を固まって進む。
　この辺りは特に緑が戻ってるらしく、右を向けば廃墟に混じって雑多な草木が見えた。
　みんなが言う奇跡の地っていうのもあながち間違いじゃなさそうだ。

「……見えたぞみんな。あそこじゃないか？」

　夜の郊外をそろそろと行進する先、保安官の言葉を理由にぴたりと止まる。
　発言者の手にした地図とライトを頼りにたどり着いた「あそこ」を見ると。

「俺の見間違いじゃないよな？　パン屋の看板が立ってんぞ」
『……確かにベーカリーって書いてるね』

　いまいち信じがたいが、道路沿いの土地にぽつんと平屋が立っている。
　遠目でも分かるほどにパン屋だ。屋根には150年熟成したクソでかいカップケーキの飾りが甘ったるさを見せびらかし。

　【ウィル・オー・ベーカリーおすすのカップケーキはいかが？】

　……と、目障りな大きな看板で売り込んでる。申し訳程度の適当なパンのイラストがむなしい。

「ステアー、あれが勘違いって可能性はあるのか？　あともう少しで真面目にやれって口から出そう」
「いや、確かにあれらしいんだが……」
「じゃあなんだ？　あそこにきれいなパン屋の姉ちゃんでもいて夜な夜な遊びに行ってたっていうのか？」

　念入りに尋ねるもあれで間違いなさそうだ。
　とても困る話だが、ニクに至っては怪しいパン屋の廃墟に鼻を利かせていて。

「ご主人、あそこだよ。今までの匂いが全部集まってる」

　じとっとした様子でそう伝えてくれた。
　愛犬の手がかりオールインワンだとさ。ふざけやがって！
　俺は汚染されてなかろうが近寄りがたい廃墟に踏み込むことにした。

『じゃあ、もしかしてあそこって……！』
「そういうことだろうな、女王様の言う通りってわけだ」

　左腕のPDAを突き出すようにその土地に一歩前進、鳴らない。
　それならばと十歩近づく、無反応。
　いっそのこと店の入り口まではどうだ？　ガイガーカウンターはお休み中だ。

「みんな、ここは汚染なんてされてない。地図に書いてるのは嘘だ」

　屋根のカップケーキの下、俺は保安官の手にした地図の真実を伝えた。
　念のためちょっとは周りを歩いてみるがカリカリ音なんて全くでない。
　つまりだ、ディアンジェロはここに何かを隠している。

「ほらやっぱり。後ろめたい方法を隠すにはベタな方法だけど、今日この時まではちゃんと隠し通してたみたいね」

　ヴィクトリア様もずかずかやってきた、他の面々もならって入ってくる。
　嘘なのは分かったが問題は中身だ――一応は自動拳銃を握ってドアにつく。

「問題は中に何がいらっしゃるかだ。ニク、中に人はいそうか？」
「……ご主人、中から女の人の匂いがする。中に誰かいる」
「だそうだ、クラウディア、ステアー、俺の後ろにつけ」
「分かったぞ。突入か？」
「誰にせよただ者じゃないのは間違いないだろうさ、銃を撃つに値する誰かじゃないことを願おうか」

　小回りの利く45口径の相棒を手に、パン屋の扉にそっと触れた。
　鍵はかかってない。隙間から見えた暗闇にフラッシュライトを抜く。

「……中は暗いぞ、気を付けろお前ら」
「分かったぞ、だが私が夜目が効くから案ずるな」
「真っ暗な場所に居る人間が果たしてまともなものか心配だがな」

　後ろでハンドクロスボウと、ライト付きの小銃を構える二人に合図を送り。

「ニク、なんかあったらそいつで頼む」
「ん。いこ」

　槍をぎゅっと握るニクもろとも、すっと中に押し入った。
　トリガには指をかけぬまま入り込んだ先は――暗闇だ。
　ステアーの明かりとあわせて銃口で探るものの、そこにあるのは何もかも取り尽くされたパン屋の有様で。

「……妙だぞ、誰もいないんだが？」
「見事にもぬけの殻だ。しかもあるもの全部持ってかれた後だな」

　どうにか探った二人もお手上げだ、そもそも何もないんだ。
　かろうじてカウンターがあって調理室があってのこじんまりとしたパン屋の有様はあれど、女なんていない。

『ほ、ほんとにこんなところに誰かいたのかな……!?』

　ミコの恐らく悪い予感、その名も『幽霊だった』説がぼんやり浮かぶほどだ。
　オカルトなオチだけは絶対に勘弁してほしい。だが――

「いいえ、何もないなんてありえないのよ。あの人の手が加えられた地図がそう証明してるんだからね」

　女王様は長い棒を頼りにあたりを突っつき始める。
　「灯りを」と言われたので足元を照らすと、埃のつもった床に跡があった。

「……ブーツの跡だな。大きさからして男性のものか」

　そこに目ざとく感づいたクリューサが怪しむ。
　汚染地域が嘘で、しかもそこにある建物の中に足跡だって？

「待てみんな。この足跡は古くないぞ、これなら追える」

　クラウディアが手がかりならぬ足がかりを辿って店の奥へと進む。
　たどり着くのは調理台すら持っていかれた虚無だけが残る調理場だった。
　痕跡を崩さないように探るも、どうにか追いかけた末についたのは店の壁だ。

『……壁の前でなくなってるね』
「こういう時は「行き止まりだ」って定番のセリフを言った方がいいか？」

　だからって何もないなんてありえない。
　肩の相棒と続きを探ろうとするが、そこでぴくっとニクが犬の耳を立てて。

「……ん、待って。ここから香水の匂いがする……？」

　この状況でもっとも頼りがいのある嗅覚で壁をすんすんし始める。
　壁の中から香水の香りか。ということは――

「なるほど、つまりここで正解ってことだな？」

　俺はグローブ越しに目前の壁を撫でさすった。
　ここだけ妙にほこりが少ない。妙だなと思ってきれいな部分をなぞれば。

　ぱさっ。

　乾いた音を立てて壁の色がはがれた。
　いや、布だ。壁紙にあわせた布が張り付けられていた。
　そうやって出てきたのはまだ電子的な光を発する端末だ。まるで「入りたかったら入力してください」とこっちを煽ってる。

『……ねえ、パン屋なのになんでこんなのがあるの？』
「また大当たり、今日はツイてるわね――ところでナニコレ」
「合言葉を入力して当たればどうぞ、というやつだ。問題はその手掛かりがないという点だが」

　肩の相棒の疑問が向かう先は、女王様やクリューサになぞかけをしてるようだ。
　パスワードをどうぞ。俺たちにその答えをする術は今のところはない。

「こんなところにこんなものが？　おいおい、冗談だろ……」
「残念だが現実だ。さてイチ、お堅い扉があるようだがこいつをどうする？」

　知らぬ場所にあったそれに驚くステアーを見てから、お医者様は判断を求めてきた。
　「どうするんだイチ？」とクラウディアの目つきも向いてくるが。

「決まってるだろ、さっさと開ける」

　PDAを近づけてハッキングシステムを立ち上げる。
　さほど頑丈なセキュリティじゃないらしい、すぐにかちりと壁から音がした。
　立ちふさがる壁紙がどこかに引っ込むと、そこに一人が通るには十分な階段が下まで続いていく。

『……階段だ』
「ありきたりな隠し通路だな。さてどうするみんな？」

　十分にヤバそうなのは分かった、なぜなら奥から光が漏れてるからだ。
　それに今ならはっきりと感じる。香水の爽やかな香りがしつこいぐらいに奥から続いていた。

「行くしかないだろうな。誰が名誉の先頭を務めるかの話も今のうちにどうだ？」
「じゃあレディファーストでいかせてもらうわ。いっちゃん、後ろからお願い」
「了解女王様。先に俺たちで降りるぞ、ニクとクラウディアは先生見ててくれ」
「……ん、分かった。人の匂いは奥からしてるから気を付けて」
「任せろ。何かあったらすぐ呼ぶんだぞ」
「俺の出番がないことをここで祈ってよう」

　この狭さじゃまとめていくのは危険だ、何かあった時すぐ対応できない。
　ヴィクトリア様を先頭に、背後にステアーを連れて俺たちは潜っていく。

『……女王サマ、注意してくださいね。足元に何があるか分かりませんから』
「心配いらないわよミコちゃん、こういうシチュエーションは人生でもう何度も経験済みよ」

　大した経験をおつみの女王様は図太いっていうか、こういう時なのにわくわくしてやがる。
　その背中で拳銃に手をつけたまま下りれば……割とすぐにゴールはあった。
　階段の長さ相応にスケールの小さな部屋。非常灯で不安げに照らされて、十人もいれば満杯な広さだ。
　ベッドが一つあって、壁には燻製の香りがする何かがつるされ、そして部屋の一角に巡らされた柵が檻を形作っていた。　

『……う゛っ……!?　なに、この変な臭い……!?』

　しかも、誰かが短剣の姿を忘れるほどに酷い匂いがする。
　生臭い。アンモニアみたいな匂いも混じれば、燻製らしき何かの放つ肉臭さも混ざって最悪の結果が出ていた。
　そのもっともたる原因といえば、檻の中で――

「……ねえ、あそこにいるのって」

　みんなで「どうするか」と固まっていると女王様が興味を向けた。
　つられて檻の中に目を向けるが。

【……デー……デー……】

　ぼんやりと電子的な声がした。
　最初は何なのか分かるはずもなかったが、部屋の光景に目が慣れると気づく。

「……人？」

　暫定的だが、そこに人がいるんだ。
　檻の奥で膝を抱えてうずくまり、頭は銀色の何かでぐるぐる巻きに。
　かろうじて分かるのは肌がうっすら黒く、銀色の頭から赤い光が漏れていることだ。

『い、いちクン……!? あ、あれ、あれ……！』

　同じ方向を見ていた肩の短剣は驚いている。
　あれ、といわれて目が向かう先は……テーブルや床に積まれた女性のお召し物にアダルトな道具だ。
　いや、それだけならまだよかったさ。今ようやく分かった、つるされていた正体が良く見えてしまう。

「……おい、マジかよ」
「あっ……あっ、ああああああああああああああ!?」

　同時にステアーが吐き出すように叫ぶ。
　そうさ、無理もないだろう、だって天井にフックでつるされていたのは人の上半身だったからだ。
　四肢をもがれて、半分になった人間が新鮮味を失った茶髪を晒している。
　どうにか顔が判別できるほどに残ったパーツはくりぬかれていて、最悪なことに燻製臭はそこからした。

「……人間の燻製ってことね、最悪だわ」
「誰がつくったか、なんて言うまでもないよな？　あの野郎もしかして……」

　女王様も絶句してる。くそっ、まさかカニバリズムか？
　いやそれよりもだ、ステアーがおかしい。取り乱してる。
　どうして――いやもう考えなくたって分かる、そういうことなんだな!?

「嘘だ、嘘だッ！　そんな！　そんな！」
「おいステアー、もしかしてこいつは……」
「ナイツ……ナイツだよ、これ……おい、ふざけんなよ……ふざけんな……！」

　息ができなくなるぐらいに出てきた答えはより最悪なものだ。
　こんな加工されたやつがあのナイツだって？
　あの野郎、人間をおいしくするクソ人種だったわけか。

「どうしたお前たち!?　ステアーの悲鳴が聞こえたぞ!?」
「ご主人、どうしたの……!?」
「最悪なパターンだったみたいだな、何があったか説明しろ」

　上から声を聞きつけた三人もやってくる。
　入るなり見えたそれに気づいたようで、ニクはともかく医者と褐色エルフも言葉を失うほどだ。

「なんだってんだ!?　なんでナイツがこんな、こんな肉……!?」
『ステアーさん、落ち着いてください……！　だ、誰か外に連れてってあげて！』
「任せなさい！　落ち着くのよ保安官！　今気を取り乱すのはまずいわ！」

　同僚のおぞましい死を見た保安官は女王様が引きずっていったようだ。

「……おい、お前。生きてるのか？」

　階段の上で痛ましい声が続く中、俺は檻へ近づく。
　女性向けの衣装が脱ぎ散らかされていて、よく見ると中に居るのは女性だ。

『デー……デー……』

　得物を手に迫るが、檻に鍵はついていない。
　すんなりと開く先では下着姿の女性が、生臭さを漂わせながらうずくまるだけだ。
　大丈夫かと声が続きそうになる中。

「――まさか！　くそったれ!?」

　銀色の内側がまた光った瞬間、クリューサが飛びつく。
　なぜか回転式拳銃を抜きながらやって来るなり、俺を押し退けてそいつの頭に手をかけ。

『せ、先生!?　どうしたんですか!?』
「クリューサ、お前何を――」
「最悪の中の最悪のパターンだ！　こいつは……！」

　頭を覆う銀色――ぐるぐると巻かれていた、しわくちゃのアルミホイルを剥がす。
　そこに隠れていたものといえば、機械的な瞳が発する赤い光が二つに、黒さの混じった肌が織りなすきれいな女性の顔で。

『メーデー……！　メーデー……！　メーデーーーーーーー……！』

　うずくまる女性は何事も動じないまま、ただ光を発してそう呟いていた。

「テュマーだ！　畜生、ふざけやがって！」

　クリューサが珍しく声を荒げるまま、震える手で頭に銃口を突き付け。

*pam!*

　撃ちやがった。赤い光と助けを求める声を繰り返していたそいつはぼとりと倒れる。

「おい、こいつ……テュマーだよな？」
「見れば分かるだろう!?　それよりもだ、こいつは救援を送っていたんだ！　ここでずっとな！」

　お医者様は震えた声でそう教えてくれた。
　ディアンジェロが一体何をやらかしたのか、そして事の重大さもだ。

◇