魔法の姫と世紀末世界のストレンジャー

ウィル・テネブリス

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世紀末世界のストレンジャー

やっぱりカルトキラー

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 俺たちは倉庫で繰り広げられるガラクタ市場にきたわけだが。
 こんな状況下でも商売ができる連中はやっぱりどうかしてると思う。
 始めて目の当たりにしたその時よりも規模は弱いが、根強く残るやつは一体どこからか仕入れたか分からないものを売りさばいている。
 ふてぶてしいというか、商売根性盛んというか、逞しい奴らだ。

「なんだこれ……」
『宗教の勧誘……かな。張り紙がいっぱい貼られてるよ……』

 だけどそれ以上に「どうかしてる」ものがあった。
 それは壁に貼り付けられた紙で。

【救いを求める者は白狼修道院まで!】
【白き狼犬は悪魔を払う】
【神に血肉を捧げよ。さもなくば――】

 やたらと気高く神聖なお姿にされた……白いドッグマンのイラストが怪文書と共に何かを訴えていた。
 それも一枚二枚の話じゃない、目につくところに何枚もだ。
 足元には既に破り捨てられたであろうものがいっぱい転がっていたが、貼ってるやつは諦めが悪いみたいだ。

「あんた、あの時の擲弾兵の兄ちゃんか。そういうのに興味があるのかい?」

 はがしてやろうかと指が進んだところで声をかけられた。
 前に取引した弾帯だらけのおっさんだ。露店は前見かけた時以上に種類豊富な弾薬を取り扱ってる。

「こんなやつを張った馬鹿に興味がある。白い格好の奴か?」
「ああ、白い格好の馬鹿野郎だ。白狼教団とかいう連中らしいんだが」

 弾薬屋のおっさんが剥がした一枚を突き出してきた。
『救済、保護、奇跡。聖なる狼の加護はあなたを悪魔から護るであろう。救いを求める者は白狼教団まで』
 という感じの文句がお堅く表されてる。場所はあの工場みたいだ。

「こいつら気味が悪くてたまらないぜ。前からこそこそしてやがったんだが、最近はやることが派手っつーか……」
「前から? こいつらはいつからスティングにいたんだ?」
「擲弾兵の兄ちゃんと巡り合うずっと前からだ。ほら、なんかうわさに聞いたんだが市長が街にいろいろ引き入れてたらしいな? ああいう連中と一緒に流れ込んだきたんだが」
「ってことはかなり前からいらっしゃったことになるな」
「そうさ。あいつら前から神の獣がどうの言って細々とやってたんだが、最近になってやることが派手になってんだよ」
「このクソ張り紙以上にか?」
「こいつ以上にだよ。あの騒ぎがあってから『ミューティどもは悪魔の使いだから保護してやる』とか『世界に災いが起きるからノアの箱舟を用意してやった』とか、強引に街の奴を引き込んでるのさ、いや、拉致してるっていってもいいかもな」
「で、街のはずれにある食品工場に集めてるわけか」
「らしいな。戦前の工場を修道院に改装するなんてどんなセンスしてやがるんだ、なんだかそこに武器もいっぱい集めてるんだって?」
「あんたが好きそうなでっかいのがいっぱいあったぞ」
「いっぱい? たとえば?」
「大砲――確か105㎜の榴弾砲、とかいうやつがおしゃれに飾り付けられてたぞ。機関銃、迫撃砲、なんでもありだ」

 さすが武器弾薬が好きそうな見てくれだけあって、あのカルト集団の武装については興味津々だ。
 だけどすぐに訝しむような顔で「ん?」と悩み始めた、どうしたんだろう。

「……大砲? それに大量の重火器?」
「ああ、なんか知ってるのか?」

 明らかに何か記憶に触れるものがあるらしい。俺は続きを待った。

「いやな、スティングがこうなる少し前の話になるんだが。馬鹿デカいトレーラーが街の郊外に運ばれるところを、俺の知人が何度も見たらしいんだ。こそこそとこの街に来てたみたいなんだが」
「それがどうしたんだ」
「夜中に現れてはえらい量の貨物をあの工場に運んでくのを見たらしいぜ。それも何度も運んだってことは――」
「なるほどな、ライヒランドがそこに武器をため込んでました、ってか」
「ああ、そうとしか思えないだろ? とにかく本当にクソデカいトレーラーで、戦車でも入りそうなぐらいのものだったらしいぜ。こりゃきっと間違いない、あいつら武器をそうやって流してたんだ」
「……それだけじゃないぞ」

 二人でそんな大事な情報の詰まった話をしていると、横から声が入る。
 隣の方で得体のしれない植物や青く光るキノコを売ってた男だ。

「ちょうどいいところに来たな、こいつが目撃者の俺の知人だ」
「お話し中失礼。そのことなんだけどな、たまに変なのが混じってたんだよ」
「変なの?」
「ああ、この弾薬馬鹿が言う通り本当に大きなトレーラーが牽引されてた。何両かまとめて遠回りして、定期的にあの工場に何かを運んでたのは間違いないんだが、時々変な臭いがしたんだ」
「なんか詳しいな。何度も見たらしいけど、どうしてそこまで知ってるんだ?」
「そりゃ……あのあたりは変わった植物が生えるんだよ、青く光るキノコとかがな。でもあいつらが陣取ってるせいで店をたたむ羽目になったわけだ」

 よく見るとお隣の店にはもうほとんど商品はない。
 あるのは良く知っている突然変異した花と根菜類ぐらいで、店は畳まりかけてる。

「で、その変な臭いっていうのは?」
「なんていえばいいんだ……獣臭いんだ。それに、車列には家畜輸送用のトレーラーが混じってるときもあった。のぞき窓のついたやつだよ、ドッグマンを何体も入れられそうなぐらいの特大サイズだ」
「じゃあなんだ、あそこにドッグマンでも運んでたっていうのか」
「まさかそんなわけないだろ? ドッグマンなんてなんの利用価値のない害獣だ。きっとよく見る豚や牛のミュータントなんかじゃないかと思うぞ」
「……とにかくナマモノを運んでた可能性が極めてあるってわけか」
「戦前からある食品工場に動物なんて連れ込んで何してんだって話だけどな。とにかくそういうわけだ、早くあいつらをどうにかしてくれ」
「情報提供ありがとう」

 お隣さんは戻っていったが、これで一つ分かった。

「ってことは、そんな場所にいらっしゃるこのカルトどもは間違いなくあいつらとかかわりがあるんだろうな」
「そうだろうな。カルトどもに武器渡して占拠させりゃこの街にとって無視できない厄介者になるだろ?」
「これだからこういう類の奴らは嫌いだ」

 白狼教団とかいう連中は黒だ。
 俺は壁にへばりつく勧誘をはぎとった。

「その言い方だといい思い出はなさそうだな。そいつは何度剥がしても気が付いたら貼ってあるんだ、破っても大丈夫だぞ」
「ならちょうど良かった、憂さ晴らしに使わせてもらおう」
「何か嫌なことあったのか?」
「かなりな。そこに俺の大嫌いなカルトも出てきてなおさらだ」
「そりゃ気の毒に」

 弾薬屋の言う通りに破った、ついでに全部『分解』した。
 「今のはなんだ?」というような顔をされたので「手品さ」とそれらしく手を広げて、

「こんなになってもまだ商売してんだな、ここの人たちは」

 イケメン褐色肌とオーガがどこかに溶け込んだ倉庫の内側を見た。
 まだまだ露店が残っていて、人間魔物問わない雑多な誰かが買い物中だ。

「そりゃそうだ、スティングは粘り強い街だからな。俺たちだってしぶとく商売する生き物なのさ」
「それにしちゃ前よりずいぶん品ぞろえがいいな、どこで拾ってきた?」
「親切な連中がいっぱい落としてくれたもんだからな。ほら、そのままにしたらまた良くないことに使われちまうだろ? それを未然に防いでるんだようちは」
「この街の平和に貢献してくれてるってことにしておこうか」
「ああそうだとも、平和のためさ。奴らの脳天か腹に返してくれるならお安く売ってやるよ。それよりこの前渡した弾はどうだった?」
「ワックススラグ弾か? アーマーを見事にぶち抜いた、おかげで助かったよ」
「そうかそうか、ちゃんと使ってくれたか。その調子であのいけ好かない連中をぶち抜いてくれよ」

 以前より火薬の密度が濃くなった男は散弾の使い道にご満悦だ。

「ま、ご覧の通りこんな状況下でも平常運転だ。まあ食料関係の店やら医療サービスの店やら、そういったのはもうないけどな」
「売り物がないから撤退したのか?」
「いいや、あんたらがさっきから口にしてる"義勇兵"さんたちの為に働いてるところだ。食いモンの店の殆どは物資の配給所でお勤め中、医療知識のあるやつは世のため怪我人のため身を削ってらっしゃるぜ」

 話を聞いて納得した。いなくなった人は新しい仕事先を見つけたらしい。
 そうだったか、俺たちの奪った大量の物資は無事に市民にお返しされてたか。

「聞いたぞ、あんた敵の物資を根こそぎ奪ってきたらしいな?」

 街の状態が良くなってることに安心してると、弾薬店の男はニヤっとした。

「みんなでバカ騒ぎやっただけだ。あいつら天まで吹っ飛んだみたいだな」
「やることが派手で気に入ったぜ。ほら、俺たちの気を良くしてくれたお礼だ」

 そいつは露店のどこかに眠ってた何かを拾って、こっちに放り投げてくる。
 小さな箱の中に雑多なものが寄り集まった詰め合わせだ。
 戦前の携行食が幾つもねじり込まれて、散弾や手榴弾、電子部品にスティムといったオールインワンだ。
 受け取ると周りの露店の店主たちから親しさのある視線が向けられてきた。

「ありがとよ擲弾兵、お前のおかげで嫌な気持ちが吹っ飛んだよ」
「あんたには感謝してるよ。俺たちはまだ戦えるんだって気づけたんだ」
「死ぬんじゃねえぞ。商売のためにあんな奴らさっさと追い払ってくれ」
「今度はもっとデカい花火を上げてくれよな。楽しみにしてるぞ?」

 そんな連中から続々とお礼の言葉が飛んできた。
 ずいぶんと期待されているけれども、その通りにしてやるのが擲弾兵の務めらしい。

「オーケー全員楽しみにしててくれ、あいつらを必ずぶちのめす。約束したぞ」

 俺はバックパックに貰い物をぶち込んでその場を後にした。



 買い物を続けるノルベルトたちといったん別れて、あたりを巡回していると妙なものが目についた。
 さっきみた張り紙がいたるところに貼り付けてある。
 中身がいようがいまいが、あらゆる民家の扉にすら胡散臭いお言葉がかけられてる始末だ。

「うわあ……ガチじゃねーかこれ」
『……貼りすぎじゃないかな……』

 剥がしてやろうかと思ったが、「ワンッ」とニクの鳴き声が横から入った。
 犬の鼻先は中央部を走る線路近くにある民家の前に向けられていて、誰かがこそこそしていた。
 しかもたった一人で。俺の認識能力に狂いがなければ、それは子供だ。

『……いちクン、あの子もしかして』

 ミコの言葉の先がもし正しかったら、かなり嫌な事実が判明するぞ。
 最悪なことに薄い金髪をしたみすぼらしい子供が紙束を抱えていた。
 見る限りそこら中にこの変な貼り紙を貼って――いや、貼らされているようだ。
 ああ、くそ、そういうことかよ。

「なあ、そこのお前……」

 さすがに見過ごせなかった。
 電柱にすらそれを張ろうとする子供に近づくと、もっと嫌なことも判明する。

「なんでしょうか?」

 本当ならそいつは子供らしくあるべきなんだろう。
 十歳か、少し上か、それくらいの子供が無気力な顔で見上げてきた。
 口調だって顎の動きから舌の回り方まで終始ぎこちない。

「……………白狼教団の奴だな?」

 見りゃ分かるさ。大体分かる。
 俺がそう問いかけると、一瞬言葉に詰まったみたいだ。
 それから恐る恐るな様子で頷く。この感じ、好きでやってるわけじゃなさそうだ。

「あの張り紙はお前が?」

 そいつの手を止めさせて更に探ると、無言のまま頷いた。
 顔は硬いが、抱える紙束の量はすさまじい――そういうことだったんだな。

「おい、お前まさか」
「ごめんなさい。やらないと駄目だから」

 せめてその手を止めさせてやりたかった。
 なのに、子供は少し躊躇いを見せてからどこかに行ってしまった。
 ……ああ、知ってるよ。お前がどんな気持ちで、どんなことをさせられてることぐらい分かるんだ。

「誰にやらされてるんだ?」

 追いかけた。よく見ると歩く時の姿勢が少しおかしい。
 俺の『感覚』は良く働いてくれたと思う、そいつの全身から何時にもなく事細かな情報が読み取れた。

 身なりこそ質素だが、顔に傷があったり、どこか身体の一部がかけているわけでもない、しかしその顔はどうだろう。
 間違いなくこの世の中を怨んでると思う。今日明日に対して無気力で、今この時をどうにか生きればいい、そんなつくりだ。
 背だって妙にまっすぐだ。不自然さを感じる作り物の態度の良さが現れてる。

「…………いいえ」

 子供は手も足を止めて首を横に振った。
 でも見逃すものかよ。だったらなんで、一瞬だけ視線を落とした?
 思い出したくない何かがあるんだよな?

「――親だな?」

 なんとなく、自分の経験と照らし合わせた上で聞いてみた。
 その単語がまさに大当たりか、あるいは特大の地雷を踏み抜いたのかもしれない。
 薄い金髪の子供が焦る。それに、やたらと周囲の目を気にしてるような。

『……いちクン、この子どうしたんだろう?』

 このままだと、ミコの問いかけに対して最悪な答え合わせができてしまうに違いない。
 俺はこれ以上自分の想像が当たってないことを願いながら。

「ちょっとこっちにこい、大丈夫だ。見られないところまで移動するぞ」

 誰かの視線があったとして、それを遮れる場所を探しながら子供を手招く。
 またしても当たったらしい。少しの迷いのあと、てくてく追いかけてくる。
 ちょうど家主不明の民家があった、空きっぱなしのガレージの中に誘導した。

「どうしたも何も、俺と同類なだけだよ」

 線路ぐらいしか見えないような閉所を確保して、俺は答えた。
 つまりそういうことだ。大人しくついてきたその子供のシャツに手をかけて、

『同類……?』
「ああ。悪いけど背中見せくれないか?」

 めくろうとしたけれども、嫌そうに首を横に振られる。
 それでも「大丈夫だ」と手で静かに示すと、しぶしぶ背中を向けてくれた。

「クゥン」

 一足先にそれを見たんだろう、ニクが心配そうな声を誰よりも早く上げる。
 思った通りだ。まだ十分な成長も始まっていない子供の背中には、何本もの太い筋が赤く刻まれていた。
 太くて硬くて良くしなるものでさんざん叩かれた痕跡に違いない。
 古い痕の上に重なるようにつくられたものすらある。こんなに執拗な叩き方、俺だって知らないぞ。

『どうしてこんな子供が……!? 何これ……ひ、ひどすぎるよ……!? なんなの、この痕……!?』
「むち打ちだ。しかもこっちの世界だと本物でも使ってるんだろうな」

 赤い痕が残るぐらいだったらまだいいさ、でもこれは……。

「血も出てる。さっき姿勢がおかしいと思ったんだ、背中だけじゃなくて下半身まで達してるな」

 痩せた背中に、うっすらと赤色がにじんだ傷跡は長く続いている。
 背骨に沿って尾てい骨まで雑に道を作っていて、この様子だと尻まで傷だらけなのは間違いない。
 クソ痛いに決まってる。それをこの子供は、ずっと我慢してたことになるんだぞ?

『…………最低……ッ! 待ってて、今治すねから』
「待て、ダメだ」

 ミコが魔法をかけようとしたみたいだが、すぐにシャツを下ろした。
 子供は相変わらずうつろだ。どうすればいいか全て委ねてきてる。

『だ、だめって……どうして!? こんなに傷ついてるのに……!』
「治したら治したで余計にひどい目に会うぞ、これ」
『もっとひどい目に会うって……どういうこと?』
「確かに傷は治るだろうな。で、こんだけやったクソ野郎がそれを見たらどう思うよ? せっかくつけた傷が消えてムキになるだけだぞ」

 つまり、そういうことだ。
 俺の言ったことからなんとなくわかってしまったんだろうな、ミコは言葉を苦しく詰まらせた、
 こいつの親だかなんだか知らないが、子供にここまでできるクソ野郎がいてたまるかよ。
 そうさ、こいつはあのカルトどもがクソの連中だってことを示す証拠だ。

「こういうのは良く知ってるよ。だからいったろ、同類って」

 こいつの態度の一つ一つに刺さるものがあるなんて、ひどい話だと思わないか。
 今までのやり取りで俺はもうこれが何なのか理解してしまった。
 どうせこういう話だ。こいつは例の白狼教団とやらの信者の子供で、その教えが強制されてるんだろう。
 親は喜んでガキをしつける。自分が周りに認められるためにこんな仕事も押し付ける。
 んで、今ごろどこかでこいつがちゃんと働いてるか監視もしてるはずだ。

「……くそ、俺よりひどいじゃないか」

 一番最悪なのは、誰かが助ければその分こいつを苦しめることになることだ。
 ミコの魔法で治せばそりゃ解決するだろうが、その後は?
 いじめと何ら変わらないのだ。抵抗すれば次の日からエスカレートする。
 助ける力が大きければ大きいほど跳ね返ってくるものはデカい、最悪の状況だ。

「おい、こんなことをする必要はないんだぞ? そんなもん捨てて――」

 俺は何を焦ってるんだろう。
 こうまでされても手放そうとしない紙の束をはぎとろうとしたが、子供は首を振って放そうともしない。
 いっそこいつを抱きかかえて無理矢理連れ帰る――それすら浮かんだのに。

「……ごめんなさい、お母さんが心配するから」

 一番聞きたくなかった返事も来てしまった。
 この子の心がどこに根付いてしまってるのか、痛いほど分かる。
 まだ助けてほしいという気持ちはどこかにあるのは間違いない、でもそれを上回る依存性が向こうにある。
 今、無理やり引きちぎってしまったら一体どれほどの苦痛になるんだろうか?
 それだけの痛みを伴う決断を、猶予もなくいきなり与えていいんだろうか?
 こんな子供にやってやれるのが荒治療ぐらいって、どうなってんだよ。

「……もう一度言うぞ、そんなことしなくていいんだ。お前の母さんは間違ってる」

 今にも逃げ出しそうだ、手を引こうとしたがものすごく嫌がられた。
 一体どれだけの経験をすればこんな風になるんだろう、二度と泣きも笑いも怒りもしなさそうな無表情はただ俺を見ている。
 もう機械だ。心じゃなく身体の動きを反復するだけの何かだ。
 強引に連れ帰ったところで、こいつは何も考えずに親のところに帰るだけだ。
 肝心の心は親のものだ。縄で縛って閉じ込めようが、この子供のありどころはこんなことをさせたクソ野郎の手元にある。

「……ダメ。が見張ってるから、早く行かなくちゃ」

 そんな子供が気にするのは周りの様子だ。かすかな音にびくびくしている。
 そうか、お前を見張ってるのは親だけじゃないんだな。

「ちょっと待て」

 まだ時間的猶予はあるだろうか、周囲の気配に気を使いながらエネルギーバーを出した。
 子供は「早く行かなくちゃ」と焦ってる。顔色も段々と悪くなってるぐらいに。

「ほら、食えるか?」

 包装紙もあけて口元に近づけると、何度か興味深そうに瞬きをしたあとにもくもくと食べ始めた。
 腹も減ってたんだろうな。あっという間になくなった。

「悪いな、お前を助けたくなった。ダメか?」

 そう言うと子供は……けっこうな沈黙の後、辛そうに首を振った。
 助けてほしい、その意思が見えただけで俺はかなり安心した。
 オーケー、よく言った、よく伝えたな、絶対助けてやる!

「よし、良く正直にいった。じゃあ――」
「ごめんなさい。僕が戻らないと、が、ひどい目に会うから」

 今すぐにでも手を引いて逃げよう、そう思った矢先に来たセリフがこれだ。
 ああそうか、お前は人質になってるわけかよ。同じ目に会ってるやつが何人もいるってことかクソったれ!
 この子が渋る理由はあんまりにも残酷過ぎた。こんな子供に負わせていい責任じゃないだろ?

「……お前、名前は?」
「オスカー」
「オスカーか。いいかオスカー、お前らを助けてやる。まだ頑張れそうか?」
「……頑張る」
「よし。待ってろよ、お兄ちゃんが必ず助けてやるからな」

 俺は金髪をぽんぽん撫でた。
 肯定か否定か分からないが、オスカーはこっちの顔を一目見てから紙束を大事に抱えて。

「……ありがとう」

 まるで最後の別れにすら聞こえるような一言を残して行ってしまった。
 今生の別れにしないようにするのがストレンジャーの役目だ。

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