魔法の姫と世紀末世界のストレンジャー

ウィル・テネブリス

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世紀末世界のストレンジャー

BeginAgain(in the night)

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 気持ちよく覚醒した。
 知らない部屋の中だ。暗くて、窓からニルソンで見たようなあの夜空が見える。
 毛布をめくって暖かいベッドから降りようとすると、

「ワンッ」

 聞き覚えのある犬の声がする、降りた先に黒い犬がいることを感じ取った。

「……おはよう」
「ワゥン」

 息遣いを辿って撫でてやった。毛並みの感触のあと、グッドボーイが頬ずりしてくるのを感じる。
 やっと現実に帰ってきたみたいだ、しかしなんだろう、この感じは。
 身体の疲れがすべて切り落とされたというか、頭の中が軽くなったというか、自分の中で何かが変わった『感覚』がする。

「……ミコはどこだ?」

 そんな変化を探ることよりも、最初に思いついたのはミコのことだった。
 旅の相棒はどこだと探ろうとするが。

「ワンッ!」

 ニクは「任せて」とばかりに吠えてどこかに行ってしまった。
 ちょっとだけ待つと、すぐに爪と床が当たる音がこっちに近づいて。

『いちクン』

 暗闇の中から声が飛んでくる。
 発生源をたぐった。犬の毛並みをたどって、咥えていた鞘をこの手に掴んだ。
 それから、たぶん見えないだろうけど笑った。

「見たか、勝ったぞ」

 物いう短剣を胸に手繰り寄せると、すすり泣く声が聞こえてきた。

『……ごめんね』
「いいんだよ」

 なにか言われる前に俺は一言で済ませた。
 自分でも信じられないぐらい、柔らかく言葉を発せたと思う。

『……わたし、まだなにもいってないよ?』
「そうだな。でも――」
『でも?』
「お前とはだいぶ長い付き合いだ、だから何が言いたいかなんとなく分かるんだ。どうせ見てるだけで何もできなかったとか、そんな感じか?」

 暗がりの中でミコを見た。彼女は何も答えない。
 静かにすると言葉に詰まってるような呼吸を感じる。
 だからちゃんと答えを待つことにした。しばらくすると――

『わたし、もう耐えられないよ』

 おっとりとした声でそう口にした。
 こんな世界にとうとう嫌気が刺してしまっただろうか。

「……すまない、お前を早く帰して――」
『ちがうの、いちクン』

 ところが違った、ミコはまた泣いてしまい。

『もういやなの。進めば進むほど、あなたがぼろぼろになっちゃうんだよ?』

 そう言われてしまった。
 おかげさまで凍る寸前まで冷やしたジンジャーエールを頭からぶっかけられたような気分になった、
 どうにか思いついたのは『別にこれくらい』から始まる返事だったが。

【必ず治してあげるから後でちゃんと謝りなさい】

 言いかけて、誰かにそういわれたのを思い出して、やめた。

「……ごめん」

 俺は約束を守ることにした。
 情けないことに、たったこれしか言えない。

 暗い部屋の中でしばらく沈黙が続く。
 だから考える時間が与えられた。その間にいろいろな記憶を思い出す。
 彼女を初めて手にした時のこと。孤独な神父に出会ったこと。誰かを待っていた犬のこと。ニルソンのこと――ほんとうに、いろいろだ。

 あの日――俺は化け物の死体に刺さったままの彼女を抜いた。
 でもそれが自分にとっての第一歩だったのだ。
 いってみれば、ミコがいたからこそのスタートだった。

 その旅の相棒は手足も顔も、それどころかあるべき身体がない。
 もし拾わなければ、あの腐肉の中でうじ虫たちと一緒にボルターに取り残されてたかもしれない。
 でもそれよりも厄介な場所があった、それはこの俺そのものだ。

 ミコはこんな状態だ、自分の存在意義を感じられるのは魔法ぐらいしかない。
 けれども俺には魔法が効かない。
 そばにいる傷を負った人間をどうやっても癒せないなんて、いったいどれほどの苦痛なんだろうか。

 つまり俺はこいつを長い間、ずっと、そんな風に苦しめていたわけだ。
 愚かなことに、このストレンジャーは彼女が悲しむまでそれに気づけなかった。
 ミセリコルデという短剣をこの世から否定し続けてきたのと同然だ。

『ずっとわたしのために頑張ってくれてるのに、歩けば歩くほど傷だらけになっちゃうんだよ? こんなことになるなら、もう元の世界になんて帰りたくないよ……』

 その彼女はいま、ようやく口を開いた。
 複雑な気持ちだった。
 申し訳ないし、情けないし、その一方でこうして心配してくれてうれしかったからだ。
 感謝と謝罪が混ざってしまって、俺はどうにか分離させることにした。

「本当にすまない」

 俺はまた謝った。

「俺ってマジで馬鹿だ、いまさら、しかもこんなときにやっと分かっちまった。お前がそういってくれるまで、そんな風に心配してくれてたなんて思わなかったんだ」
『……いちクンは馬鹿じゃないよ』
「でもお前と本当に向き合えてなかったんだ。ただ引っ張ってるだけだった、腰にぶら下げて振り回してるだけで自分のことしか考えてなかった。その結果がこれだ、何も考えずにお前をそんな風に傷つけちまった」
『……そんなこと、ないもん』
「……ミコ、俺がいるだけでお前だけじゃなくこの世界も、誰かの人生も狂わせたんだ。ほんとうなら誰かに非難されてその償いをしないといけないはずだ。それなのに目を背けてた、一番近くにいるはずのお前からずっと」
『……やめて、いちクン。そんなこといわないでよ……』
「お前のことを全然わかっちゃいない、知ったつもりでいた大馬鹿野郎だ。心の奥底でずっと、お前を受け入れていなかったんだと思う。相棒失格だ」

 果たしてそれは事実だったんだろうか、ミコはまた泣いてしまった。
 ボスにぶん殴られたくなった。俺はまだまだ未熟な新兵だ。

「クゥン……」

 暗がりの中からニクが鼻を鳴らしながら、膝にすり寄ってきた。
 真っ黒な犬を撫でてあげた。彼は俺のことをどう思ってるんだろうか?
 それからしばらく経って。

『……あのね、いちクン。おこらないで聞いてほしいんだけど』

 少し落ち着いたミコがぐすぐすいいながら、

『会ったばかりのころ、あなたに従わないと元の世界に帰れないって思ってた。いつか捨てられちゃうんじゃないかとか、静かにしないと怒られるんじゃないかってすごく怖かった』

 うしろめたさのある口調でおどおどと告げてきた。
 そう思われてたなら仕方ない、と静かに思ったが。

『でも、いちクンはあの時……おじいちゃんが持ってきてくれたお茶にわたしを入れてくれたよね? わたし、その時までずっと、あなたのことを悪い人だって疑ってたんだよ?』

 ミコは罪悪感がありそうな声で教えてくれた。
 ちょっとだけショックだが、正直に話してくれてうれしかった。

『わたしも、相棒失格だよね。いま、ひどいこといっちゃったもん』

 それだけいって話が途切れた。

「おあいこ、なんだろうか?」

 しばらく経ってから胸に抱いた物いう短剣に問いかけた。
 
『……わかんないや』

 それから何も言うことがなくなってしまった。
 暗闇の中で左上のPDAを立ち上げると、現在の時刻は夜の十時、方角はちょうど窓があるところが北側だ。

「なあミコ。俺、こんな体質でよかったと思うんだ」

 立ち上がって、窓の向こうに広がる世界を見た。

『……魔法がきかないこと?』
「ああ、まあ最初は不便だと思ったし、あっちにいけばもっと大変だとは思う。せっかく魔法が使えるやつがいるのに俺一人だけ効かないとか、正直クソみたいな人生だなと思った」

 北の方を見ると、過酷だった世紀末世界から生まれたきれいな夜空があった。

「でも、お前は俺に使う分の魔力を誰かに回してくれている」

 俺はミコを持ち上げて同じ目線で向こう側を見た。
 この夜空の向こうには、ニルソン、アルゴ神父の教会、そしてハーバー・シェルターがあるはずだ。
 亡き者もいるけど、恩人たちはここまで背中を押してくれた。

「お前の持ってるマナは俺じゃなくてもっといろいろな人に回してくれ。確かにお前は動けないけど、その魔法でいろいろなやつとくれただろ? だったら俺たちいいパートナーじゃないか」

 短剣を降ろして、それから、ほんのり照らされた刀身に約束することにした。

「……その代わり、もっと自分を大事にする。情けないけど、今の俺にはそれくらいしかできない」
『……ほんとう?』
「約束するよ。俺はもうじゃない」

 しばらくすると、短剣から『……うん』と柔らかい返事が戻ってきた。

「だからいいんだ、一緒に進もう。お前がいないと俺は何もできないみたいだ」
「ワンッ」
「そこに犬がいれば完璧だ。いまなら頼れるオーガだっているだろ?」

 なぜだか今まで以上に自然と笑えた。
 とりあえずベッドに戻ろうとしていると『いちクン』と聞こえて。

『……あのね、もっと……あなたのそばにいてもいいかな?』

 とても柔らかい声で、それはもうスムーズにそう聞いてきた。
 即答で「もちろん!」といいかけそうになったが、できなかった。

「ずっとは無理だ。お前も俺の境遇は知ってるだろ?」

 あいにくこのストレンジャーは世界の調和と引き換えに蘇る訳あり品だ。
 だが、打ち消すことにした。

「でも答えはイエスだ。だって俺もそうしたいからだ」

 こればっかりは自信満々に答えると、『ふふっ』とほほえむ声がする。

『……わたしもあなたと一緒にいたいな。だから、よろしくね?』
「ああ、よろしくな」

 握った拳をこつっと短剣の柄に当てた。
 足元から「ワンッ!」と元気よく声が聞こえてきた、俺はもう一人じゃない。

『ずーっと心配してたんだよ? だっていちクン、泣いてたんだもん』

 ベッドに腰をかけるとミコがそう教えてくれた。
 心当たりはある。俺がずっと押し殺していたのことだろう。

「……そいつはたぶん、本当の俺だ」
『えっと、ほんとうの……って……?』
「なんていえばいいのか、まあ、トラウマと向き合ってたんだ。ずっとずっと自分の中に閉じ込めてた俺の感情だ」

 そいつのことも話さないといけないな、と思っていたら。

*Knock Knock*

 急に扉を叩く音が聞こえた。
 誰だと思って部屋の外に目を向けると、

「失礼します、ストレンジャー」
「あー、どちら様? いいところだったんだけどな」

 がちゃっと開いて何かがモーター音のようなものを響かせながら入ってくる。
 誰か様子でも見に来てくれたんだろう、と思っていたら部屋の照明がついて。

「当機の生体センサーが反応したため様子をお伺いに来ました。調子はいかがでしょうか、ストレンジャー?」

 明るくなった視界の中に、二足で歩く人型の何かが見えた。
 深緑色に塗装された機械の手足に、短いアンテナと二つのカメラつき無機質な頭部をもつ――ロボットだ。
 「お前絶対戦闘用だろ」っていう無骨な肢体の上には『口から虹色のビームを吐く猫』のシャツが着せられていて。

「ストレンジャー、どうかいたしましたか? 心拍数が上昇しておりますがどうか気を楽にしてください」

 人間臭さのある仕草で顔を覗きこんできた。
 そいつの関節からはアクチュエータのこすれた音がする。

「……ロボットがお見舞いに来てるんだけどお前の知り合い?」
『えっと、この人……はイージーさんだよ、ここで働いてて……』

 謎の機械は興味深そうにカメラを向けながらさらに接近。
 人を品定めするような電子音を響かせたあと、くだけた敬礼をして。

「こんにちは、ストレンジャー。自分はEZ-MODEL-P8です」

 とてもフレンドリーに挨拶をしてきた。

「ど、どうも……ストレンジャーです……」

 おそるおそる返事をすると、頭部のカメラあたりが嬉しそうに点滅した気がする。

「おはよう、ストレンジャー。彼はイージーって呼んでやれば喜ぶわよ」

 その後ろから覚えのある白衣の白人女性がやってきた、メディックだ。

「その通りです、わたしはイージー。気軽にそう呼んでください」

 どうやらこの二人、あるいは一人と一体は人の目覚めに立ち会いにきたらしい。
 とりあえず――ロボットの胸に手を伸ばして触った。かっちかちだ。

「かたーい……」
『待っていちクン、落ち着こう!? いきなり触っちゃだめだよ!?』
「メディック、彼はどうしたのでしょう? バグですか?」
「そりゃ脳に二度ダメージ受けてるからしょうがないんじゃないの? バグってるのよ」
「そうでしたか、お気の毒に」

 なすがままの偽物の胸板を撫でたあと、俺は約束を交わした相手を見た。
 最後に見たときに呆れかえっていた表情は、よくやったといわんばかりに満足気味だ。

「……ありがとう、メディック。あんたのおかげで助かったみたいだ」

 心の底からお礼を告げると、メディックは気持ちよく微笑んできた。

「約束、ちゃんと守ってくれたみたいね。さあ、うちのリーダーがご飯を作ってくれたみたいだから食堂へ行くわよ」
「ソイレン……ト、だったか、あれじゃないのか。あれ地味に気に入ってたんだけど」
「ソイレンズよ。できれば飲ませたかったけど、あの人わざわざ作ってくれたのよ。しっかり食べてきなさい」
「了解。――ところでその猫さんがビーム吐いてるシャツなんなん?」

 ふたたび立ち上がった、物言いう短剣を手にしながら。

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