魔法の姫と世紀末世界のストレンジャー

ウィル・テネブリス

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世紀末世界のストレンジャー

ONE

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 気が付くとそこは散らかったままのリビングだった。
 だが真っ白だった床も壁も、黒いインクがぶちまけられて化け物の模様が形作られていた。

「待ってたよ、おかえり」

 そして目の前には――大人になった茶髪の男が待ってたらしい。
 胸はまだ汚れているが、まだまだ間に合う。それに顔色だっていい。
 俺たちは部屋の出口へと向かった。

「ちゃんと変われたか?」
「ああ、おかげさまで」

 扉にぶち当たった。外へ出られる唯一の道だ。
 お互いの鋭い目を一度合わせてから、ドアノブに手をかけた。
 インクだまりの方からぐちゃぐちゃうごめく音がする……早くいかないとまずいことになりそうだ。

「これから何するか分かってるな?」
「とっくの昔に覚悟済みだ」
「よくいった。さっさと行くぞ」

 二人の覚悟は決まった、白い扉を開けた。
 見慣れたリビングの外は――途方もなく大きなトンネルだった。
 果てしなく続く長い道路のずっと先で、小さな光が差し込んでいる。
 シェルターの車両用トンネルだ。薄暗いし、四輪バギーの姿はない。

「出口がよりによってここかよ。懐かしいな」
「このデカいトンネルはなんなんだ?」
「こいつは悪い思い出だ。でも安心しろ、ゴールはあそこに――」

 すべきことは単純だ、向こうにたどり着くだけだ。
 自分を連れて一歩踏み出すが……急に足からぐらぐらと振動を感じた。
 周りがごうごう揺れ始める。頭上から「これから崩れるぞ」とばかりに、天井がきしむ不吉な音色も流れだす。

「あるんだけど、ちょっと崩れかけてるな」
「こんなところ通るしかないのかよ……」
「それしかないだろ、もし恨むならここの設計者を恨んでくれ」

 ロクな思い出のない道を進んだ。
 すると後ろからあの声がする。

『現実から逃げるな! お前みたいな弱い人間に何ができるんだ!』
『そっちに行っちゃだめ! あなたは永遠の命が欲しくないの!?』

 振り向いた、インクだまりの中から本物の化け物が生まれている。
 石炭のように真っ黒な二匹は混ざり合って、一人の下半身に二人の上半身が枝分かれするように生えた異形の姿になっていた。
 しかしひどく薄っぺらく感じる。何もかも。

「き……来た、あいつらだ……!」

 自分は怯えていた、だけど構わず腕を引っ張った。
 確かにあれは恐ろしい化け物だ、でも俺はあいつらの限界を知っている。

「いいか、今から外に向かう。しっかりついてこい」
「で、でもあいつらはどこまでも追ってくるんだぞ!?」
「じゃあやっぱりやめるか?」

 茶髪の男は立ち止まった。
 そうこうしてる間に二人分の異形は部屋から這い出てきて。

『俺たちを差し置いて幸せになろうっていうのか!? 親不孝者め!』
『お前は絶対に幸せになれないんだ! 私の命令を聞けこのクズ!』

 トンネルに広がる影を食らいながら近づいてくる。
 人間二人がぜあわさった肉体は、暗闇を取り込んで俺たちを飲み込める大きさまで育っていた。 

「…………いいや、せっかく自分で選んだ道なんだ」

 だけどもう一人の自分も気づいてしまったんだろう。
 迷いを手放して走り出す。中身がすっかすかの化け物からさっさと離れるために。

「そうだったな」

 俺も走った。見てくれだけの化け物を振り切るために。
 二人で外への出口に向かって駆けていると、また声がした。

『行かないで! 私がいないとあなたはずっと不幸なのよ!』
『無駄だ! 白紙のお前に俺のいない人生なんて無意味だ!』

 そしてすぐ横を何かが掠めた。
 真っ黒な鞭だ。記憶が正しければ、何度も俺を叩いたものだ。

『教えに従わない者には罰を与えるわ! 止まりなさい!』

 スピードをわざと落として逃げる自分の後ろに回った。
 ちょうど背中がばしっと撃ち据えられたが、あいにくストレンジャーの背中にそんなもの通用しない。

「そいつは使わないのかよ!?」

 必死に走る自分が上がった声で聞いてきた。
 そいつ、とは背中のホルスターにある散弾銃のことなんだろう。
 いわれて思わず抜こうと思ったが。

「いいから走れ! 弾の無駄だ!」

 やめた。こいつはこんなやつらに使う道具じゃない。
 もっともっとトンネルを走り進むと、また背後から声が届く。

『俺たちを置いていくな! お前に幸せになる資格はないんだぞ!』

 急に首が締め上げられる。黒い腕が絡みついていた。
 咄嗟に銃剣を抜いてぶった切った、振り払って遅れを取り戻す。

「倒したほうがいいんじゃないか!?」
「心配するな、楽には終わらせないつもりだ!」
「どういうことだよ!?」
「ゴールで全部教えてやる! 知りたきゃ止まるな!」

 追いかけてくる化け物に構うことなく、ただひたすらに走った。
 降りかかる妨害をあの手この手で払いながら進むと、ようやく先が見える。
 どこかで見た乾いた大地の姿だ。人はそれをウェイストランドと呼ぶ。

『どうして――染まってくれないんだ! 頼む!』
『あなたは私たちの希望なのよ! いかないで!』

 自分のすぐ後ろで声が遠ざかっていく感じがした。
 追いかけてくる気配も弱まってきた、だが構わず進んだ。

「ラストスパートだ! 逃げろ! 俺! 逃げろ!」
「畜生! やってやる! もうどうにでもなりやがれッ!」

 トンネルの揺れが強くなり始めた。
 頭上のコンクリートが砕けて落ちてきた、けれども俺たちは、ゆくことができなかったゴールにたどり着く。
 荒れ果てた地の茶色がすぐ目の前にあった、ここが俺の行き着く先だ。

「……よっっしゃあああああああああああッ!」

 死ぬ気で走っていた自分がやり切った感じで荒野の上に転んだ。
 俺も遅れて転んだ、ざらっとした地面の感触を顔いっぱいに感じたが。

『俺たちには……お前が……』
『必要なの……見捨てないで……』

 暗闇の強くなったトンネルからはもう誰も追ってこない。
 恨めしそうに、それでいて同情を誘う悲しい声がこっちに向けられる。
 見れば崩れ出す穴の中から、化け物たちは一歩も出られぬままこっちを見ていた。

『どうすれば、よかったんだ』
『どうすれば、よかったの?』

 やがてトンネルは派手な音を立ててぐちゃぐちゃに崩れた、もう二度と戻れないぐらいには。
 だが俺たちはもう何も恐れない、これで晴れて自由なのだ。

「あいつら、もう追いかけてこないよな?」

 地べたでぐったりしている自分が心配そうに質問してきた。
 どこまでも続く荒れ地を目にしながら、立ち上がった。

「見りゃ分かるだろうしお前も知ってるだろ、今度はあいつらが縛られる番なのさ。ずっと、永遠にな」

 そして答えた、まだ戸惑いがかすかに残る自分に手を差し伸べる。

「で、お前はあいつらを許してやりたいか?」
「いいや、許したくない」
「それでいいんだよ、それでいい」

 もう一人の自分は「もう大丈夫だ」と一人で勝手に立ち上がった。
 目の前には見慣れた大地が「おかえり」と待ち構えている。

「なあ、これからどうするんだ?」

 そんな姿を一目に、相手は尋ねてきた。

「さあな、でも進めばなんかあるだろ。ついてこいよ」
「分かった」

 まあ進めば何かあるだろう、ということで歩き始めた。

「その……悪かったな」

 俺は振り向かないまま、今までずっと言いたかったことを吐き出すことにした。

「何がだ?」
「お前をずっと閉じ込めてたことだよ、本当にごめんな」
「気にするな、ちゃんと助けに来てくれたんだから」

 気づけばもう一人の俺に追い越されて――いや、すぐ隣を一緒に歩いていた。
 それもそうか、もう置き去りにする必要なんてなかったもんな。

『よお、俺もちょっとついてっていいか?』

 しばらく二人で歩き続けていると、また懐かしい声がした。
 荒野の途中に誰かがいる。黒いジャンプスーツ姿の白人だ。
 そいつはアタックドッグばりに鋭い目つきで、見覚えのある散弾銃を手に俺たちをずっと待っていたようだ。

「……ああ、歓迎するよ」
『待ってたぜ、新兵。まっすぐ進めば出口だ』

 知っている男にいわれるがまま進んだ。
 何か話そうと思ったが、何も言えなかった。
 でも彼は満足したような顔つきだった。刻まれたライフル弾のタトゥーと共に。

『よーし、ここでお別れだ。俺はこっち、お前はあっち、間違えるなよ』

 けっきょく何も言えないままたどり着いた。荒野の上に二つの道がある。
 せめてお礼だけでも言おうとしたが、

『おっと、礼は――』

 あの人は反対側の道に片足を突っ込みながら、行くべき道に指を向けてくれた。
 帰り道だ、行かなきゃならない方を示している。

『俺なんかにするなよ、勿体ない。そっちで別の誰かに回してくれ』

 恩人はそれだけ返して歩き出してしまった。
 その上で彼はこういうのだ。

『馬鹿だよなぁ、お前。こんな途中で死んじまったやつを律儀に覚えてるなんて。物覚えが良すぎるんじゃないか?』
「一度も忘れるもんか」

 遠ざかる姿にそう伝えると、満足したように笑った気がした。

『――ありがとな。うまくやれよ、イチ。これからはお前がつなぐんだ』

 あんたのおかげでうまくやってるよ。
 そう口にしようとしたが、手を突き出されて「やめ」になった。
 フィーニスさんは違う道へ進んでいった、俺のいけない場所へ。

「……ああ」

 俺も進んだ。

「一つ質問したいんだ、いいか?」

 歩いていると、もう一人の自分はまた少し不安な声で尋ねてきた。

「どうした」
「おれ、外に出てもうまくやっていけるのかな」
「その点だけど安心しろ、じつは割とどうにでもなる」
「いったいどうやって?」
「簡単だ。1、まず自分を否定するな。2、そのあとは好きにしろ。毎日ジンジャーエールとトルティーヤチップス食いまくってもいい」
「……毎日スローセックス系の洋モノ見まくっても?」
「もちろん、でもエロ画像フォルダにはちゃんとパスかけろ。生年月日逆さはぜったいだめだからな、タカアキにバレる。あとエロゲは絶対にこっそりやれ」
「――よし、さっさと行こう。明るい未来が待ってるぞ!」
「その意気だ。ちなみに年下の褐色男子もおすすめだぞ」
「あー、なんだって?」

 疑問は二人分の馬鹿となって解決した。
 俺たちは広い世界オープンワールドに戻っていった。一つとなって。

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