魔法の姫と世紀末世界のストレンジャー

ウィル・テネブリス

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羊は火と共に生まれ変わった

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 まだ日が昇る寸前ともいえる時間、俺は道路の上に立った。
 間もなく信号弾を撃ちあげて、向こうからのお返事を待つらしい

「気分はどうだ、イチ」

 身に着けていたものを外しているとツーショットが尋ねてきた。
 それと同時にジンジャーエールの瓶も差し出された、もちろん辛口だ。

「死刑執行前の囚人ってこういう気分なんだと思う」

 俺は蓋をねじり開けながらそう答えた。
 それから多めに一口飲んだ、冷たくて辛い。

「そりゃ今から絞首刑寸前の囚人の真似事するんだからね、当然さ」

 もう一口だけ飲もうとするとボスにひったくられた。
 辛いのか一瞬顔をしかめたが、一呼吸置いてから腰から信号拳銃を抜いた。

「さあ、やるよ。予定通りになってくれることを祈るんだね」

 ボスが真上にめがけて撃つ。ばしゅっと信号弾が空に撃ちあがった。
 冷たくて綺麗な朝だった。深い青色の中からオレンジ色の輝きが見え始めていて、そこに目立つ光が飛んでいく。
 状況が状況だが、こうしてウェイストランドの朝の空を見ながらのジンジャーエールは妙にうまかった。

「だとしたら最後に味わうジンジャーエールになっちまうなぁ」
『ツーショットさん、そんな縁起の悪いこと言わないでください……』
「悪い悪い、まあ死なせはしねえよ。お前は将来ビッグになるんだからな」
「無事に終わったらもう一本おごってくれよ」
「もちろんさ。ついでに一杯付き合ってくれ」
「そういうやり取りをする奴は死ぬってルール知ってるのかいあんたら」

 そのジンジャーエールをツーショットに回されてしまった。
 飲み干されると空き瓶が手渡された、『分解』して消した。

「……よし。こいつを預かってくれ」

 外した装備を運転手に渡そうとしたが、

「ウォンッ!」

 物言う短剣を手放そうとしたところで、急にニクが吠えた。
 手が止まった。黒い犬の視線がじっとミコに釘付けになっている。

「おいおい、どうしたんだこいつ?」
「……ニク、お前」

 まるで『こっちによこせ』みたいにまっすぐ俺を見上げているというか。

『……この子、わたしを咥えたいのかな?』

 そんな様子にミコが静かに口にすると、ニクは「ワゥン」と軽く鳴いた。
 たぶん、肯定のそれだ。

「預かってくれるのか?」

 黒いシェパード犬に鞘を差し出すとかぷっと優しく咥えてしまった。
 「任せてくれ」とばかりにニクはまっすぐ俺を見ている。

『わっ……ほんとにくわえてる……』
「ニク、お前に任せていいんだな?」
「ワンッ!」
「分かった、頼んだぞ」
『この子って賢いなぁ……』

 任せることにした。グッドボーイをもふっと撫でてやった。
 身軽になった俺は道の遠くを向いた。遠くでエンジンの音が聞こえる。

「おっと……来たようだぜ、お二人さん」

 "仕込み"が終わると北の方、ずっと遠くで何かがぱっと上がった。
 赤い光の弾が空に打ち上げられている。あれも信号弾だ。

「サンディたちから報告はあったかい?」
「やっぱ向こうも狙撃する気満々だとよ。北西から狙われてる、たぶん真っ先にあんたが狙われるだろうな」
「ベタだねぇ、まあ狙撃合戦じゃうちらが勝ち確だろうがね」
「まあ、ウェイストランドじゃ誠実な取引なんて無理な話さ。ご武運を」
『……気を付けてね、いちクン』

 ツーショットたちは放置されたバスの裏へ行ってしまった。
 改めて周りを見てみると、一月ほど前にここにやってきたのを思い出す。
 かつて目にしたはずの風景だが、今ではまったく違う景色に見える。

「まさかこんな形で帰ってくるなんてな」

 と、腰に語り掛けた――しまった、今はいないんだった。
 ニクの顔も伺おうとしたがそっちもいない。なんだか急に寂しくなった。

「そういえばあんた、ここを歩いて来たんだってね」

 気遣いか、それともなんとなくか、代わりにボスが訪ねてきた。

「はい。つけられてるのも気づかず、それはもうのこのこと」
「次からは背後に気を付けることだね。その気になりゃ狙撃でもされてたよ」
「善処します」

 ボスは手にしていた信号拳銃に新しい弾を込めた。
 それから背面に隠すようにそれを腰へねじり込むと。

「さて、ここでクイズでもどうだい?」

 腰にぶら下げてたロープをちらつかせてきた。ほんとに縛るのか……。

「なんですか、いきなり」

 俺は大人しく両腕を差し出した。もちろん切れ目が入れてある。

「わざわざ向こうのボスが来るかどうについてだ。普通こういうシチュエーションで、組織のボスが馬鹿正直に姿を晒しに来るかい?」
「まあ、普通だったら出しませんよね」
「もし効かないと分かってるとしたら?」
「というと?」
「ミコが見せてくれただろう? 弾を防いだり、傷を癒したり、ああいう妙なもんで何かしら対策してるだろうよ」
「あーなるほど……じゃあ狙撃なんて意味ないんじゃ。俺だったら貫通しますけど」
「その辺は対策済みさ。サンディたちにとびきりデカい銃を渡しといた」

 ボスたちはどっちに転んでも全滅させると言っていたが、そもそもこの場に向こうのボスがほいほいやってくるんだろうか?
 いろいろ考えたが……まあシェルターにわざわざお食事に来た奴だ、あの時と同じノリで来てくれるかもしれない。

「……メドゥーサの奴が言ってましたけど、ほんとに総攻撃してくるんでしょうか」
「するしかないのさ。外は敵だらけ、内も不信感で満ちてる。示しもあって最後はみんなで仲良く肩組んで地獄へ行進するしか残されてないからね」
「なるほど、謙虚さがいかに大事か分かりました」
「あんたもうまくやりたきゃ見栄を張らず謙虚にやってくんだね」

 そうこうしてるうちに両腕がそれっぽく拘束された。完成だ。

「まあそれにしたって……そんな無能を信じる人間がよくもまあ、あんだけ集まったもんだね」
「魔法で洗脳でもしてたんじゃないですかね」
「……だとしたらあっちの世界とやらはきっとろくでもないんだろうね、訳の分からん力で人の心を奪えるとか最高すぎやしないかい」
「銃と同じでしょう、使うやつ次第ですよ」
「だとしたら今日は大量殺人犯に渡っちまったわけか、泣けるね」

 はるか北の方からかすかにエンジン音が聞こえ始めた。
 そろそろ来るだろう。

「――今のうちに謝らなくちゃならないことがある」
「謝るって? 何をです?」
「正直に言っちまうが、作物の種の譲渡を条件にお前さんをあっちの世界に引き渡すように言われてたんだ。あの気味の悪いガキとの取引さ」
「……どういうことですかマジで」
「いうにはあんたは、あっちの世界とやらに居なくちゃならないそうだ。つまりやることが済んだらうちから出ていってもらうってことさ」
「それ、今このタイミングで言います?」
「普通はいわないだろうねえ」
「でもはっきり言ってくれる人は大好きですよ、ボス」
「よしな、お前が言うとまるで今生の別れに使う挨拶だ」
「実際死の危機が近づいてるからでしょう」
「あんたも言うようになったね。言っとくがお前さんが死んでも蘇って世界がおかしくなるぐらいで済むだろうが、私は残機なしの一回きりの人生だからね」
「俺だって死ぬのは嫌ですよ、それに迷惑かけてまで生き返りたくないです」
「いい心がけだ。準備はいいな?」
「やってやりましょう、ボス」

 くだらない、けれども大事な話と共に拳を合わせた。
 その時だった。はるか遠くから、北の向こうから何かの陰が見えてきたのは。
 幾ものエンジンの唸りとアスファルトを削る音が、無数の黒い輪郭と共にやってきた。

「ほんとに全軍投入してくるとか馬鹿じゃねぇの。どこにこんな隠す気ゼロで全兵力ぶっこむ馬鹿がいるんだい?」
「……ありゃサンディたちもびっくりしてるでしょうね」

 その言葉を最後に、口がダクトテープで塞がれた。
 そして目の前に"全軍"が飛び込んできた。
 それはもう人食いカルトの集団と言っていいんだろうか?
 武装車両の列が、それにまとわりつくような完全装備の信者たちが、地を埋め尽くすほどに荒野の上に揃っていた。

 いったいどこからこんな連中がまとまって湧いて来たのか。
 何かでつながれたカルト信者たちの塊が、俺たちのもとへやってくる。
 その中でひときわ目立つ――いくつもの大きなタイヤと、機関砲を積んだ近代的な装甲戦闘車両が飛び出てきた。

 もちろん、そのずいぶんと目立つ車には見慣れた姿があった。

「ぶふうっ……ふう……、見つけたぞ、やっと見つけたぞ!」

 ――そいつはひどくやつれている。

 派手な椅子が拵えられて、そこに小さな男が融合していた。隣にお付きの人もいるようだ。
 そんな玉座の上にどっしりと座るのは間違いなく、あの時見たデブの面影を持つ誰かだ。
 だが、かつての姿とはだいぶかけ離れている。
 ボンレスハムみたいに質量が満ちていた手足は前より細くなってるし、疲れているのか呼吸をするのも大変そうだ。

「よう。私がヴァージニアだ、あんたがハノートスかい?」

 そんな相手にボスがほんとに嫌そうな顔をしたが――怯まず声をかける。
 周りにいるやつらの武器がほんの一瞬持ち上がるものの、

「ふうっ、ふう……! そいつと話をさせろ!」
「おい、ふとましい坊や。まずは話し合いをするんじゃないのかい?」
「お前じゃない! その化け物と話をさせろっ! ふーっ……!」

 ハノートスは腰を浮かせて手をじたばたさせた。もしかして立てないのか?
 信者たちの顔は神妙なものだ。諦めというか、覚悟もある硬い表情というのか。

「――だそうだ、外すよ」

 目の前の光景を探ってると、不意に手が伸びてきて口元がびりびりした。

「そうだ、こっちに、こい! ぼくのところに連れてこい! 早く!」

 相手のの細く絞られた声が怒鳴りつけてくる。ボスに背中を押された。

「ふーっ……ふうー……っ、やっと見つけたぞ、忌々しいやつめ!」

 俺はボスと共に装甲車の前まで歩く。向こうの罵倒がどんどん強くなっていく。
 すると変な臭いを感じた。少し離れたところにあるハノートスの身体からだ、イチゴが腐ったような甘酸っぱい匂いが漂ってる。
 いや予想以上にきつい。口に酸味が入ってきて吐き気がしてきた、クソ。

(ふん、このケトン臭……ずいぶんと重症らしいね。不摂生が祟ったかい)
(どういうことですか、ボス?)
(重度の糖尿病ってことさ。もう奇跡の業じゃどうにもならないようだね)

 ボスがぼそっと笑ったかと思うと、ハノートスがふらふらと立ち上がる。

「お前ェェ……ッ! 何、こそこそ話してんだよ! よくも、よくも邪魔をしてくれたな!? 僕の大切な部下を、大切な友人を、さんざん、よくも、殺してくれたなァッ!?」

 ……よく見たらそいつの不衛生な顔はかなりやつれていた。
 目の下を濃い青に染めて、乾いて充血した目をしきりに瞬かせる。
 それなのに、こいつは汗でてかてかした顔で必死にまくしたてることしかできない。哀れだ、こいつは本当に哀れだ。

「久しぶりだな。いつ以来だ? 俺のことをまだ覚えてるか?」

 誰がこんなやつを恐れるもんか。
 あの時の俺は確かに逃げた、ついてくので精一杯だった。
 だが今日でおしまいだ。たとえ目の前にあの時の何十倍もの敵が並ぼうが、俺は絶対にこいつを殺す。

「お前、覚えてるぞ! 忘れてないぞ! あの時逃がした羊だな!? ふうっ、ふうーーーっ、殺す、お前を生きたまま、内臓から喰らってやる!」
「覚えてくれてありがとう。ところで随分痩せたみたいだな? ダイエットに成功したのか? 変わった香水もつけておしゃれになったもんだ」
「――黙れ、化け物め!」

 目の前を吟味してると、玉座の隣で立っていた男が装甲車をがんと杖で突いた。

「ハノートス様は度重なる心労で体調を崩しておられるのだ! 口を慎め!」
「ちゃんと運動すればよかったな。ああ、でも奇跡の業があるから大丈夫だろ? メドゥーサの奴から不治の病も治るって教えてもらったぞ?」

 そこまでいうと付き人の隣で、教祖の顔が熟れたトマトみたいに赤くなったようだ。
 ボスから「やるじゃないか」と腰のあたりを軽く小突かれた。

「お前の、ふうっ……仕業だなッ! ふーっ! お前が仕組んだなっ!? 僕たちの同盟に、よくもヒビを入れたなっ!」
「貴様……貴様がメドゥーサの者たちを唆したのか!? 」
「あんたらが誠実じゃなかっただけの話だ。次から正直にやったほうがいいぞ」

 調子に乗ってもう一言余計にすると、ハノートスがぐっと身体を起こそうとする。
 だが立てなかったようだ。悔しそうによろよろ戻った。
 ……まあ、周りの連中が代わりに武器を構え始めてくれたようが。

「……その男を引き渡せ、老婆よ。その悪魔は我々がする」

 そしてお付きの男がこっちに杖を向けてくる。
 信者たちの中から何人かが歩いてきて、俺の方へと近づいてくるのが見えた。

「まあ待ちな、ちょっと質問したいんだが――」

 そんな中、ボスは俺に向けて背中をさすった。
 腰には信号拳銃が刺さったままだ。確か弾は装填してある。

「ウェイストランドを一つにって耳にしたんだが、どういうことだい?」
「……ふうっ、ふうっ……それを聞いて、どうするんだよ!」
「いやね、ちょいと興味があるんだ。滅茶苦茶になったウェイストランドを一つにまとめるだなんて、なかなか夢の話じゃないかい?」

 ウェイストランドを一つに。確かそんなフレーズが今まであった気がする。
 俺も気になっていたところだが、ハノートスは少し目を泳がせた後。

「ライヒランド……ライヒランドが、アリゾナを手に入れるんだ」
「……なんだって?」
「あの国がアリゾナを一つにまとめる……ぶふぅ……ぼくたちは、その同志だ。ライヒランドの同志たちと共に、ふうっ……一つにするんだよ、ふぅぅー……!」

 ドレスのようなひらひらした服に汗をにじませながら、熱く答えた。
 俺はライヒランドってなんだと理解もできなかったが、

「……そうかい。あそこの思想に共感したわけか、確かに夢のある話だね」
「ふうっ…ふうっ、ふうっ、そうだよ! ババァ、お前も分かるでしょ!?」

 ……ボスの雰囲気が変わった。
 殺気だ。ドッグマンや、まして目の前の信者どもが発するそれよりもずっと濃い殺気を、俺の感覚が感じてしまった。
 それは連中にも伝わったんだろう。向けられた銃口が一層狙いを定めてきて。

「つまりあんたらは私たちの宿敵になったわけだ。くたばりな」

 次の瞬間、ボスの言葉と同時に――そいつの胸から上がきれいに吹っ飛んだ。
 長距離狙撃だ。どこか遠くから小さな爆発音が遅れて響く。
 大口径の弾をぶつけられた身体が、割れたスイカみたいに破片をまき散らす。
 側の男が「ひえっ」と腰を抜かすのも見えた。

「――――へっ?」

 続けて囲ってきた数人の頭も同時に吹き飛ぶ。ぶぢんとひどい音を立てながら。
 アスファルトの上にたどり着いた大口径弾が破裂音を響かせた。
 サンディたちは完璧にやってくれたようだ。だが――

「あっ……ああああああああぁぁぁぁッ!? て、て、て、てめえええええ……!」

 一体、何が起きてる?
 上半身をズタズタにされたはずのハノートスが、ぐちゃぐちゃ音を立てて人の形に組み立てられている。
 飛び散った破片がひとりでに蠢いて、むき出しの骨に集まって元の姿を再現して、作りかけの頭で恨めしい声を上げていて。

「よくもッよくもッよくもッやりやがったな、供物どもの分際でェェェェェッ!」

 ――いや、見える。白い破片、魔力とでもいうようなざわざわと集まっている。
 魔法だ。やっぱり何か魔法で仕込んでいやがったか。

「ハノートス様! 下がってください! 『グレーターリジェネ』――」
「うるせええぇ触るなああぁッ! 殺すいたぶるてめえらっ殺し続けてやるッ!」

 もはや手が付けられないぐらいに怒り狂った肉の化け物がとうとう立ち上がる。
 俺たちに何か詠唱し始めた――頃合いだ、ロープを千切ってボスの腰に手を伸ばす。

「――おい、こいつを知ってるか?」

 オレンジ色のずっしりとした信号拳銃を抜いた。
 手のひらで何かが形作られる前に、ド変態野郎の意識が確かにこっちに向いた。

【こうすると人も殺せる。覚えとけ、きっと役に立つぞ】

 なるほどな、確かにお前の言うことは正しかったよ。
 撃鉄を起こした。見上げた先にあるむき出しの胸にめがけて信号弾を撃つ。

 ばしゅっ。
 とても人を殺せるとは思えない銃声と共に、オレンジ色の火がぶっ刺さった。

「――ごっ???」

 信じられないといった様子のハノートスがよろよろとこっちを見てきた。
 そいつの手が宙をもがく、胸に刺さったものはじゅうじゅう服ごと肉を焼いている。

「おっ――おっ? あ、あつっ……」

 引っこ抜こうとするが抜けるわけもなく、火に包まれていく。

「ほ、ほーりーひーる……!」

 魔法を詠唱した、魔力の消散のあと白い光が注がれるが何一つ変化は起きない。

「お、ご、ぐぇぇぇぇぇぇぇぇ……っ! あい、いぃぃぃ……!」

 終わりだ。煙と火を噴きながら、ハノートスはようやく倒れた。
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