魔法の姫と世紀末世界のストレンジャー

ウィル・テネブリス

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指揮と計画はシンプルに

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 翌日。
 やたらと「もう少し静養しないか?」と勧めてくるお父様とお母様、それからお兄様とイレーナを振り切って、私は学園に来ていた。
 前世の記憶がよみがえった今ならば、この学園の規模がよくわかる。
 前世の私立のお金持ち学園、というレベルを通り越していると思うから。まぁ、この世界は世にいうファンタジーな世界であり、地球ではないので比較してはいけない気もするのだけれど。

「おい、エステラ嬢だぞ……」
「あぁ、階段から落ちたと聞いていたが、無事だったのか……」

 そして、私の顔を見るなり様々な人がひそひそと噂する。どうやら、私が階段から落ちて意識を失っていたということは学園中に広まっているようだ。
 ……そりゃそうか。私は貴族の娘。それも、権力を持つ辺境伯爵家の娘なのだから。そんな女が階段から落ちて意識を失っていたなんて、噂になるに決まっているわ。それに、追っかけをしていて落ちたなんて一生の恥よ。

「おい、声をかけてみろって」

 どこかの貴族の令息が、面白がるように言った。
 今までの私だったら、そんな風に自分を軽んじられたら嫌な気持ちになっただろう。キッと相手をにらみつけていたと思う。だって、今までの私にとって理想の男性、つまり理想の結婚相手はオルランド殿下ただ一人だったから。それ以外の男なんて眼中にないどころか道端の石以下としか思っていなかった。
 けれどこれからはそういうわけにもいかない。
 以前は周囲に「私がオルランド殿下のきさきになるわ!」なんて言いまくっていたし、苛烈かれつな性格ともなると……人は、寄ってこない。まぁ、簡単に言えばボッチなのだ。
 とりあえず、愛想を良くしてその悪いイメージを払拭ふっしょくしなくては。

(ここはやっぱり……笑顔、よね!)

 だから、私はその令息たちに微笑みかけてみた。
 すると、その令息たちはポッとほおを赤くして視線をらす。
 ……この反応、嫌われていると思っていたけど、もしかして照れているのかしら? エステラ、ぼくだけれど顔立ちは可愛いからなぁ……。容姿だけは、ね。性格のせいで近づこうとする命知らずはいなかったのだけれど。

「エステラ嬢、なんか変わったな……!」
「おい、やめておけって。目をつけられるぞ」

 失礼な。私はちょっと声をかけられたからと言って、目をつけたりはしませんよ!
 そう考えてにらもうかと思ったけれど、それだと今までのエステラのまま。ここはスルーするのよ、私。なんといっても、エステラ兼春香に進化したのだから! ……もう、ただの苛烈かれつな小娘じゃないっていうことよ。

(ボッチだけれど、まぁまぁ楽しめるといいなぁ……)

 前世の記憶がよみがえるまでの私は、オルランド殿下の追っかけしかしていなかった。
 オルランド殿下に話しかけて、オルランド殿下をお茶にお誘いして、オルランド殿下を意識して着飾る。ただ、それだけ。
 それだけで楽しいと思っていたけれど、今となったらあまりにバカげている。
 だから、私はそれ以外の楽しみを見つけたい。まずは、そこからよ。
 例えば、お友達とお話をしたり、ご飯を食べたり。
 そう思っていた時期が私にもあった。えぇ、ありましたよ――

(まさか、放課後までボッチだとは思わなかった……)

 放課後。私は教室の窓から呆然と外を見つめながらそう思っていた。
 どうやら、エステラのボッチ具合は私の想像をはるかに超えていたらしい。いや、考えればすぐに思い出せるようなことだったのだけれど。
 あと、春香だった頃もコミュニケーション能力は決して高くなかったので、会話したことのない人に突然「やっほー!」と話しかける勇気はない。
 詰んだわ。本当に、詰んだわ。前世の記憶がよみがえって早々、嫌になってきたわ。
 ……さて、本当にどうするか。

(令嬢たちはオルランド殿下につきまとっていた私をよくは思っていないはずだわ。かといって異性は……結構、話しかけにくいからなぁ)

 心の中でそうこぼしながら、私は立ち上がって教室を出ていく。
 王立メーレンベルフ学園の校舎は、とても広い。ゆっくり歩くとかなり時間がかかる。それはしっかり覚えていたので、私は早歩きで廊下を歩いていた。淑女たるもの優雅であるべしと教育されてきたので、走ったりはしない。

(……あれ、は)

 目の前には、令嬢たちの人だかり。
 誰もが「きゃーきゃー!」と叫んでおり、さながら前世で見たアイドルの追っかけのようだ。
 その中心には、私がつい最近まで恋焦がれていた王子様が、困ったような笑みを浮かべて立っていた。

(……オルランド、殿下)

 そこにいるのは、もちろんオルランド殿下。このメーレンベルフ王国の第五王子殿下にして、絶世の美貌びぼうの王子様。そのさらさらとした濃い青色の髪は、いつ見ても綺麗。

(でも、どうしようかな……)

 本音を言えばスルーしたい。けど、私はオルランド殿下からお見舞いの花束とメッセージカードをもらっている。なので、挨拶あいさつをしないというのは……いかがなものだろうか。
 かといって、あの中に入ってまた突き飛ばされるのは嫌だ。階段も近いし、また落ちるのは勘弁願いたい。切実に。

「マジで、どうしよう……」

 こぼれた言葉は、貴族の令嬢が使うものとは思えないほどガサツなもの。
 でも、幸いにも私のこぼした言葉を聞いている人はいなかった。
 ……それにしても、どこかに移動してくれないかなぁ、オルランド殿下。そうすれば、普通に通れるのになぁ。

(うん、ここはやっぱりスルーさせていただこう)

 しばらく立ち尽くしていた私だけれど、そう思い足を踏み出した。
 オルランド殿下には悪いけれど、後日謝罪とお礼、それから理由をしたためたお手紙を送ればいいわよね。うん、それでいいはず。
 私としたことが、何故もっと早くお礼のお手紙を送るという選択肢が浮かばなかったのだろうか。
 そこに、『前世の記憶がよみがえったので、これからはもう迷惑をかけません』という一文を付け足せばよかっただけなのに。

「……よし」

 そう呟いて、私はオルランド殿下と令嬢たちの近くを忍び足で通る。
 できれば、気づかれませんように。
 令嬢たちに気がつかれたら、階段から落ちたことを笑われそうだし、オルランド殿下に気がつかれたらそれはそれで困る。
 そんなことを思いながら歩いていると、不意に一人の令嬢とばっちり視線が合った。
 彼女は私を見て一瞬だけ驚いたような表情を浮かべたものの、すぐに勝ちほこったような笑みに変わる。その笑みは、とても意地が悪そうで、人によっては気を悪くするだろう。
 ……ううん、誰が見ても気を悪くしそうな笑みだ。
 前世の記憶がよみがえるまでの私は、あの笑みが大嫌いで仕方がなかった。
 でも、今思えばそんなことで突っかかるなんて、相手の思うつぼよね。……私は大人。そう、大人。だから、突っかかったりしない。
 自分に言い聞かせ、彼女をスルーする。
 ちなみに、この令嬢のお名前はフロリーナ・ブルーキンクという。
 メーレンベルフ王国でも屈指の名門である侯爵家、ブルーキンク侯爵家の令嬢。
 ついでに言うなら、この間私が階段から落ちたのは彼女のせい。
 ……あれ? なんだか、大切なことを忘れているような気がする。……まぁ、いいや。

(なんというか、あれだけの人混みだったし、前世の記憶を思い出すきっかけをくれたと思ったら、恨めないのよねぇ……)

 心の中でこぼして、私は令嬢たちの横をすり抜ける。
 ……ふぅ、なんとかやり過ごせた……みたいね。
 私はホッと一息をついて振り返った。
 そこには、相変わらずオルランド殿下に群がる令嬢たちの姿が。
 ……あれって、獲物に群がる肉食獣を連想させるわよね。
 冷静になると、そうとしか見えなくなってしまう。あぁ、私も肉食獣だったのか。本当に、反省しなくちゃ。

(反省反省。これからは上品に、優雅に生きていくのだから)

 そう心の中で呟いて、私が令嬢たちから視線をらそうとしたときだった。
 ふと、視線が合ってしまう。最悪なことにその相手は、ほかでもない――

(オルランド殿下!)

 何故か、私とオルランド殿下の視線がばっちり合ってしまったのだ。
 ……どうする? どうする? 逃げる? うん、逃げよう!
 脳内思考時間約三秒。
 そんな答えを導き出して、私はオルランド殿下から視線をらそうとする。でも、らせなかった。その美しい紫色の目に惹きつけられたように、視線をらすことができない。
 時間が止まったような感覚におちいる。

「……少し、いいですか?」

 そんな中、オルランド殿下はご自身に群がる令嬢たちを押しのけて、私に近づいてくる。
 え? どうして? どうして?
 混乱のあまり、私は硬直した。
 ……って、硬直している場合じゃない!
 私はオルランド殿下にはもう近づかないと固く心に誓ったのよ!
 そもそも、オルランド殿下は今まで私のことなんて認識していなかった。
 そうよ、これはただ心配から様子を確認しようとしているだけなのよ。
 この間、私が階段から落ちたことをご自身のせいだと思っていたくらい、お優しいお方。
 だから、責任を感じているだけ。

「……あの」
「大丈夫です! 無事です! 私、生きています! なので……オルランド殿下は、お気になさらず! 失礼いたします!」
「あっ!」

 私はそれだけを早口で言って、結局全力疾走をする羽目になった。
 どこが優雅なの? なんて自分でツッコミたくなるけれど、必死だったから仕方がない。
 階段を全力疾走のまま駆け抜けて、廊下を走り抜ける。
 後ろから私を注意する声も聞こえたけれど、そんなものおかまいなしに決まっている。

(そう、私はブラウンスマ伯爵家の令嬢であるエステラなのよ!)

 だから、注意をされるような身分じゃないのよ!
 我ながら、素晴らしく自己中心的な考えだけれど、このときばかりは許してほしい。
 それくらい、私はオルランド殿下に近づきたくなかったのだ。

「オルランド殿下、申し訳ございません……!」

 小さな声で謝って、私は校舎の玄関に向かって走り抜けていく。
 迎えの馬車が待つ場所までやってきて、立ち止まってホッと一息つく。
 ……ここまで逃げれば、大丈夫。大丈夫、大丈夫……よね?

「エステラ。迎えに来たよ」

 ゆっくり深呼吸していると、馬車からお兄様がお顔をのぞかせた。
 そのお顔を見て、私の脳内は冷静になる。
 ……お兄様、わざわざ迎えに来なくてもよかったのに。
 そんなことを思ったら、なんだか笑いがこみあげてきて、心が落ち着いた。


「お、お嬢様? 一体、なにをなさっているのですか……?」
「なにって、決まっているじゃない。反省会よ、一人反省会」

 自室にて。怪訝けげんそうな顔のイレーナに問いかけられて、私はそう返す。しかし、今の私を見たら、イレーナの反応はある意味正しい。
 あの後、私は別邸に帰りそのままお兄様を振り切って、自分のお部屋に駆け込んだ。
 そしてベッドに倒れ込み、顔を枕にうずめながらうつ伏せになる。
 上品にも優雅にも、ほど遠い姿だった。

「は、はぁ」

 イレーナの戸惑ったような声が聞こえたものの、彼女はすぐに切り替えたのか「お茶をれてきますね」と、私のお部屋を出ていった。大方、新しい茶葉でも入ったのだろうな。
 このブラウンスマ伯爵家の当主夫人……つまり、私のお母様の趣味は紅茶の茶葉集め。それも、かなりの量を仕入れるため、いくつかはこっちの別邸にも回ってくるのだ。
 けど、今はそれよりも……

「ど、う、し、て! あんなにも不自然な逃げ方をしたのよ!」

 一人になったと思ったら、私の我慢の糸がぶちっと切れた。
 オルランド殿下から、全力で逃げた。
 こうなれば、明日はきっとこの噂でもちきりだろう。なんといっても、エステラ・ブラウンスマといえば、オルランド殿下の追っかけの筆頭とまで言われていたのだもの。

「もっとこう、急いでいますよ~。なので、ちょっと声をかけないでくださいね~、くらいにすればよかったわ。あれじゃあ、逆に目をつけられてもおかしくはないわよ、本当に。……どうしよう」

 そう、相手は王族。失礼な態度をとって機嫌を損ねたら、いかに辺境伯の娘といえどどんな目にうかわかったものではない。
 私は今になって、ようやくその可能性にたどりついた。我ながら残念な頭だ。
 枕から顔を上げると、視界に入るのは真っ白な壁。そこにはアドバイスなんて、書いちゃいない。はぁ、チート能力が欲しいわぁ。

「もう、こうなったら避ける。徹底的に避ける。オルランド殿下が今日のことをお忘れになるくらい、徹底的に避ける」

 もう、これしかない気がする。オルランド殿下だってお忙しい身だ。さらには数多あまたの令嬢の相手もしている。だったら、時間が経てばきっと忙しさから、『エステラ・ブラウンスマ』というちょっぴり可愛らしいくらいの追っかけのことなんて、忘れてくれるだろう。
 ……忘れてくれる、わよね?

「でもまぁ、お礼のお手紙だけは送らなくちゃいけないわ。礼儀だもの」

 私は起きあがって机に向かう。それから、引き出しの中から真っ白な便びんせんを取り出した。
 真っ白な便びんせんに、お礼の言葉をつづっていく。謝罪の言葉も、つづる。
 もちろん、『前世の記憶がよみがえったので、これからは迷惑をかけません』という一文も付け足しておく。
 しかし、一番の問題は差出人の名前である。私の名前を書けば、オルランド殿下の目に留まる可能性が高くなる。今の私は一モブキャラにすぎないのだ。私のことなど眼中に入れてほしくない。
 ……ここは、滅茶苦茶小さく書いておくか。見えるか見えないか、くらいのレベルで。
 こんなことをしても無駄だってわかっているわよ。でも、さいな抵抗くらいしたいじゃない。

「お嬢様。新しい茶葉でれた紅茶でございます。奥様イチオシの商人から仕入れたものだそうですよ」
「あぁ、そうなのね」

 もう少しなにか書こうと便びんせんの前でうなっていると、イレーナが紅茶の入ったカップを差し出してくれた。うん、いい香り。これは一体、なんの香りなのかしら?

「ねぇ、イレーナ。この香りはなに?」
「これはオレンジです。商人からオレンジのエキスを数滴入れると美味おいしいのだと教わって、試してみました。ちなみに、奥様は絶賛していらしたそうですよ」
「じゃあ、ハズレではないわね」

 私は紅茶の入ったカップに口をつける。お母様は、とにかく紅茶にうるさい。だからお母様が認めた味ということは、それだけ美味おいしいことが多い。
 ……そういえば、この世界では前世の世界よりもずっと紅茶の種類が多い気がする。やっぱり、それだけ身近にある存在っていうことなのかなぁ。

「……身近、ねぇ」

 天井を見上げて、そうこぼす。
 身近にあるものほど、その良さに気がつきにくいのよね。
 恋愛だって、そうなのだろう。
 前世の死ぬ間際。春香としての最期の記憶。もうろうとする意識の中、幼馴染おさななじみに「好き」だと告げられた……気が、した。
 うむ、今思えば私も彼のことが好きだった気がするわ。いや、本当に今さらだけれど。

(結婚するのなら、煌みたいな人がいいなぁ。気を許せて、適度な距離感を保てる……まぁ、これはオルランド殿下ではないわね)

 前世の記憶を思い出す前、私はオルランド殿下しか見ていなかった。
 だから、ほかの身近な男性に目を向けようとはしなかった。
 オルランド殿下と結ばれると信じて、疑わなかった。ほかの男性に目を向ける必要はないと思い込んでいた。

(高望みしすぎたのよね。きっと、階段から落ちて痛い目を見たのは、神様からの罰。オルランド殿下に迷惑をかけたという罪に対する、罰)

 心の中でそれだけを呟いて、私はカップを机の上に戻してペンをもう一度持った。
 それから、五分後。便びんせんを封筒に入れてイレーナに手渡す。明日にでも出してきてほしいという言葉も付け足して。
 ちなみに、あて先はもちろん『オルランド・メーレンベルフ殿下』である。

(本当に、これで最後よ。……このお手紙を読めば、きっとオルランド殿下も私のことなんてどうでもよくなるはず)

 もう元気です。だからご心配なく。それから、前世の記憶がよみがえったので、もう迷惑はかけません。つきまとったりしません。本日は少し、緊張して逃げ出してしまいました。
 大方、そんな内容だ。
 これでどうか、オルランド殿下の興味が私から消えますように。
 それから二週間『は』、私の願いが叶ったのか、平穏な日々を過ごすことができた。
 そう。二週間『は』、である――


 それからの日々は一変した。
 私はオルランド殿下を避け、目をつけられないように派手な行動を控えた。
 相変わらずほぼボッチ状態だったけれど、そこはもうあきらめ気味である。
 今までの私の行動が悪いのだ。他人を責めちゃいけない。
 だけど二週間が経ったある日、その平穏は突如崩れ去った。

「お、おじょ、お嬢様!」
「どうしたのよ、イレーナ」

 学園から別邸に帰ると、イレーナが息を切らせて駆け寄ってくる。相当急いできたようだ。

「ちょっと落ち着きなさい」

 私がイレーナの肩を叩くと、イレーナは「そうも言っていられないのです!」なんて言ってくる。なに? なにか、トラブルでも起きたの?
 でも、最近の私は品行方正になったはず。苦情なんて来るわけがない……と、思いたい。

「お客様が、お客様がいらっしゃっているのです!」
「お客様? そんなもの、いつものことじゃない」

 お兄様はお客様を招くことが多い。それに、本日お兄様は所用があるとかで私の迎えに来なかった。もしかしたら、お兄様の所用とはそのお客様とのお話なのかも。
 そう思いながら、私が自分のお部屋に戻ろうとすると、イレーナは「違うのです!」と必死に否定した。私は思わずびくっとして立ち止まる。

「お嬢様に、お客様なのです!」
「……そう、誰かしら?」
「お嬢様の大好きな――オルランド・メーレンベルフ殿下です!」
「……は、はぁ⁉」

 イレーナの言葉を聞いて三秒後。私は思い切り叫んだ。
 私の脳内はその三秒の間に、イレーナの言葉を徹底的にかみ砕いた。
 『エステラ』の『大好き』な『オルランド・メーレンベルフ』殿下が、『別邸に来ている』。
 それを理解したからこその大絶叫。
 慌ててお部屋に駆け込み、学園の制服を脱ぎ捨て私服のワンピースをまとう。

「お嬢様! オルランド殿下は、一番大きな応接間にご案内しておりますので……!」
「わ、わかったわ。わかったのだけれど……」

 ――本当に、どうして私を訪ねてきたの⁉
 そう思って、身体が固まる。でも、イレーナの「早く行きますよ!」なんて声に反応して、私はお部屋を出た。……正直なところ、行きたくないのだけれど。

(どういう気まぐれ? 私に用事があっていらっしゃったみたいだけれど、私迷惑なんてかけていないわよ……。それに、もうつきまとわないってお手紙に書いたはずなのに……)

 心の中はそう考えたり焦ったりで大パニック。目の前の応接間の扉が、とんでもなく恐ろしく感じる。自分のお屋敷の一室なのに、禍々まがまがしいオーラをまとっているような……
 ダメね。そう、もっとリラックス。リラックス、リラックス――

(って、できるわけがないわよ! 今この中には、私を破滅させうるお方がいるわけだし……!)

 前世の記憶がよみがえるまでだったら、きっと喜んでいた。でも、今は素直に喜べない。
 だけど、いつまでもここに立ち尽くしているわけにはいかないし、オルランド殿下をお待たせするのもダメだ。
 そう思って、私は震える手で扉をノックする。それから返事を待って、ゆっくりと扉を開けた。

「お、お待たせしてしまい、申し訳ございません。エステラ・ブラウンスマ、ですわ」

 応接間に入り、オルランド殿下のお姿を見て、一礼する。
 オルランド殿下に向けた視線は、すぐにらした。
 多分、オルランド殿下側からすれば、露骨ろこつに視線をらされたと感じただろう。
 しかし、ちらりと見ただけでもオルランド殿下のお顔は、目に毒だ。
 その顔立ちは一流の職人が手掛けたガラス細工のように繊細で整っている。
 顔もたけも、体格も。やはりすべてがエステラの理想そのものだった。

「突然訪問したのはこちらなので、かしこまらないでください」

 オルランド殿下は、優しく声をかけてくれた。
 後ろで、イレーナがゆっくりと応接間の扉を閉める。
 そりゃあ、聞かれたくない話題だって、あると思うわよね。そう考えて、私はその行動に納得していたのだけれど……それが明らかに『間違えた』判断だと、私は後から気がつくことになる。

「エステラ嬢。もう、お身体は大丈夫ですか? 階段から落ちて、三日も目を覚まさなかったと聞いたのですが……」
「はい、もう大丈夫です。ぴんぴんしております」

 オルランド殿下は立ち上がって、何故か私に近づいてくる。それを見た私は、動くに動けなかった。オルランド殿下がこちらに近づいてきているのに、動くなんて絶対に無理。
 私はそのまま入り口で立ち尽くす。

「……そうですか。よかった。あの件については、俺にも責任があると思っていまして……」
「全然そんなことはありません。あれは、私が一番悪いのでございます」

 私がそう告げると、オルランド殿下は「いえ、一番は貴女あなたを突き飛ばしたあの令嬢ですね」なんて言う。それから、私の前をふさぐように移動した。
 ……いや、何故?
 呆然とオルランド殿下を見つめていると、彼はにっこり笑った。……なんだか、怖い。

「ですが、俺にはたった一つだけ、不満があるんですよ」
「――ひいぃっ!」

 笑ったまま、オルランド殿下は私の後ろの壁、つまりは扉を勢いよく叩いた。
 こ、これは、世にいう壁ドン! ……胸キュンなんてしないわ、恐怖感が強すぎて!
 誰? これを胸キュンなんてほざいたのは! 命の危険にさらされているに等しい状態じゃない!


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