魔法の姫と世紀末世界のストレンジャー

ウィル・テネブリス

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おうちにかえるな

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 ありあわせの材料で作ったような小屋の中はもぬけの殻だった。
 あるのは椅子とテーブル、空っぽのドッグフード缶ぐらいだ。

「……何もないな」
『ここって……この子の飼い主さんの家なのかな?』

 けれども犬はすぐ後ろで尻尾を振ってる。
 眠そうな目でこっちを見上げて、何かを訴えているような。

「ウォンッ」

 真っ黒な犬は興奮気味にテーブルにすり寄り始めた。
 こいつは一体何を――いや、ここには何かがある。

「……まさか、な」

 ほこりっぽい部屋で良く耳を澄ますと、足元からかすかに駆動音を感じた。
 何か感じるものがあってテーブルの裏を見てみる。

「……なるほど、そういうことか」

 ほこりが積もっていた。なのでブーツの底で払ってみると――

『どうしたの? 何か見つけたのかな?』
「ああ、こいつだ」

 やっぱりだ、床の一部がドアになっている。
 さらにほこりを払うと埋め込まれた取っ手も見つけた。ただの小屋じゃなかったわけだ。

「ワンッ!」

 すると犬が「ご名答!」とでもいいたそうに顔を見上げてきた。
 ドッグマンにそっくりな犬は、中に進んでくれることを期待してるようだ。

「……いけばいいんだろ?」

 こいつのせいで首の傷がうずくが、リボルバーを抜いて地下へ進むことにした。

『いちサン、これって何なんだろう……隠し部屋なのかな?』
「シェルターだろうな、俺のスタート地点みたいなもんか」

 階段はそれほど長くはないが、うっすら照明で明るくなってる。
 降りればすぐにこの家の本当の姿が見えてきた。はじまりのシェルターを思い出させる狭い地下空間だ。

「ワンッ! ワンッ!」

 コンクリートを踏みしめると、犬は嬉しそうに奥の部屋へ行ってしまった。
 ここには本棚に机に、食器と食べ物が並んだ棚に……個室へ続く扉がある。
 それからなぜか室内に犬小屋もあった、貼られた名札には何も書いていない。

『ねえ、ここって……』

 犬小屋を見ているとミセリコルデがぽつりと言った。
 よく見わたすと、棚には犬用の食器とかがたくさん並んでいた。
 ……そういうことなんだろう。

「あの怖い犬のおうちってところか」
『怖くなんかないよ? あんなに尻尾振ってるんだよ?」
「あいつを見てると首がうずうずするんだよ」
 
 棚の中をもっと調べると見知った顔がいた。
 「もうこれを食うしかないんだ」と絶望しにんじんを食らう牛の姿があった。
 その隣にはドッグフードの缶詰がある、賞味期限はない。
 そうやって棚を物色していると、

「キュゥゥゥン……」

 急に物悲しい犬の鳴き声が聞こえた。
 何かあったんだろうか、奥へと続く扉に近づいてのぞき込んでみるものの。

「おい、どうした?」

 最初に目に映ったのは地面に伏せて寂しそうにしている犬の背中だった。
 その先には持ち主不在のパイプベッドがある。他に目立ったものは何もない。

「……ほんとに誰もいないのか、ここ」

 だからといってリボルバーを手放す気にはなれなかった。
 しょんぼりしてるとはいえ、人を噛み殺せる力を持つ黒い犬がいるのだから。

『ねえ、どうしたの? 何かあったのかな?』

 そこへミセリコルデが問いかけた、犬に対してだと思う。
 伝わったのかゆっくりとこっちに振り向いて。

「……ワンッ」

 そう短く鳴いて近づいてきた。
 『感覚』からして何かあきらめたようなニュアンスだと感じられる。
 それから俺たちの匂いを嗅いできたり、足元にすり寄ってきたりした。

「おい、くっつくな!」

 追い払おうとしたものの、犬はヒンヒン鼻を鳴らしてる。
 悲しそうな声を出そうが知ったことか、こいつはあの化け物を連想させて気味が悪い。

『いちサン、そこまで嫌がらなくても……かわいそうだよ……』
「お前にゃ分からないだろうけどな、こいつを見てると俺の首を噛みちぎった化け物を思い出すんだ。見てるだけであの時のこと思い出して嫌なんだよ、わかるか?」

 現に、リボルバーを持つ手が無意識に震えてるぐらいだ。変な汗も止まらない。

『……せめて銃だけでも降ろそう?』

 顔だってあれに比べるとだいぶ穏やかというか、ジトっとしてる。
 それでもそいつの口からだらんとあふれてる舌が、覗く牙が、嫌でもドッグマンを思い出させるのだ。


「変な真似したらお前を撃つぞ、いいな?」
「クゥン」
『いちサン、だからそういうのやめようよ? あんまりだよ……』
「分かったからそれ以上いうな、黙ってくれ。そんなに犬が好きなのか?」
『……いい加減にしてよ』
「黙っててくれ」

 足元の犬に注意しつつ、小部屋のベッドに近づいてみた。
 めくられた毛布と枕の間に一枚の紙が残されてる。

【この子のためにわざわざ危険な橋を渡って……その結果がこれだ。テュマーどもの槍にやられた、感染症だ、腹が変な色にかわってやがる。ロクな薬がないもうだめだ。でもこの子のメシは手に入った、そうだ名前も決めないと、だめだ俺はこのまま死ぬ、こいつをひとりぼっちに、譲ってくれた爺さん申し訳ない、くすりさがしてくる】

 見れば、ぐにゃぐにゃの文字でそう書きなぐってある。
 紙の裏側をみた。そこには【さようなら、グッドボーイ】とあった。

「……ワン」

 読み終えると、黒い犬はなんともいえない表情で短く声を出した。
 俺は手にしていた紙を――そっと元の場所に戻しておいた。



 それからしばらく、ちょっとだけシェルターにとどまることにした。
 ほんの少しだけの休息だ。何か適当に食べて、水をちびちび飲んで、足を解した。
 物いう短剣はあれから何もしゃべってない。少し言いすぎたかもしれない。

「……お前、誰か待ってるのか?」

 椅子に座ったまま、リボルバーの弾倉に弾を込め治した。
 犬は足元でこっちを見上げて、

「クゥン……」

 少しだけ寂しそうに大人しく鳴いた。

「もうあきらめたってことか?」

 そんな犬と目が合う。じっと、まっすぐこちらを見ている。
 残念だが人間と犬は言葉を交わすことはできない。けれど顔には確かに感情があった。
 ……何やってるんだ俺は。犬に銃を向けたかと思えば、今度は意志疎通を図ってる。

「……ウォンッ」

 だけどこの犬は理解してしまったんだろうか。
 言葉に対して返事をするように、目をそらして控えめに鳴いた。
 尻尾が下がって、耳は後ろに傾き、開いていた口を閉じている。何かを惜しむように。

「そうか」

 しばらく間を置いて真っ黒な犬と向き合った。信頼するような目を輝かせている。
 ……肩の力が抜けるようなため息が漏れた。
 俺の中にしつこく残っていたドッグマンがどこかに行ってしまった。

「おい、ちょっとそこで待ってろ」

 ずっと手元にあった銃を戻して、シェルターの棚に向かった。
 中にあるドッグフード缶と犬皿をとった。そして犬の前に戻ると。

「ワンッ!」

 黒い犬は尻尾をぶんぶん振りながら行儀よく座った。
 かなり規律のある態度だが、口からたらっとよだれがこぼれてる。
 皿に賞味期限フリーのドッグフードを落として、差し出した。

『わっ……』

 思わずミセリコルデがそんな声を上げてしまうほど、犬はがっつく。
 そんな姿を見ていると、なんだかこう、いろいろなことを思い出す。
 寒いシェルターでようやくまともな食事にありつけたときだとか、ようやく話し相手ができたときとか、あの神父のこと――いろいろだ。

「お前の言うとおりだ」

 またため息が出た。そうだ、ここにドッグマンなんてものはいない。

「こいつはいい子グッドボーイだ、あんなこといって悪かった」
『……うん、わかればよろしいっ。お詫びに撫でてあげてね?』
「ワンッ!」

 口をドッグフードまみれにした犬の頭をわしゃわしゃした。
 じとっとした顔がにっこり笑った気がする。



 犬に餌を与えて、その間に軽く食事を済ませて、また南へ向かうことにした。
 時間は昼を過ぎたと思う、一刻も早くニルソンに伝えに行こう

「……そろそろあいつらが来るかもしれない、急ごう」
『うん、早く行かないと……!』

 まだ疲れの残る足で再び歩き始めた。南へ続く道路をたどって、ニルソンを探して。
 その時だが、遠く離れたところにある丘の上で何かがちらっと光った気がする。

「ワンッ」

 早足気味になっていると後ろから犬の声がした。
 一度止まって振り返る。声の持ち主が小屋の前でびしっと座ってこっちを見ている。

『ねえ、いちサン。この子はどうするの?』
「どうするって? まさか連れてけとか言わないよな」
『……こんなこと言ってる場合じゃないかもしれないけど。このままひとりにしちゃうの、可哀そうだよ』

 これから先、何があるか分からない。
 過酷な旅はまだまだ続くわけだし、犬の面倒を見る余裕なんてあるんだろうか。
 あいつが良い犬なのも、強い生き物なのもわかった、でも。

「……そっとしておいてやろう。あそこがあいつの家なんだ」
『でも……あの子、ずっとひとりぼっちだよ?』
「いいんだよ、それで」

 この旅路に無理に付き合わせる必要はないだろう。
 こいつをカルト野郎どもの戦いに首を突っ込ませるのもどうかと思う。

「じゃあな、犬。お家に帰りな」
『……ごめんね、わんこ』

 犬にそういって背を向けた。
 あいつはきっと俺たちの背中をじっと見てるんだろう、見えなくなるまで。
 しばらく歩き続けると後ろから「クゥン」とか聞こえてきた。
 構わず進もうとして。――――人生の中で一番重いため息が出てくる。

「……やっぱ今のなし」
『えっ?』

 やっぱり振り返った。案の定、黒い犬が寂し気に耳を伏せていた。
 気が変わった。このままほっといたら追いついてきたアルテリーどもに食われてしまうだろうし。それに、俺だって寂しいのは嫌だから。
 こいつを連れて行こう。嫌というなら話は別だが。

「おい! わんこ!」

 呼んだ。しょんぼりしてた犬がびくっと起き上がった。
 ちょっとだけ期待混じりの表情でこっちを見てる。

「来るなら来い! 置いてくぞ!」

 もう一声かけるとこっちに――と思いきやバスの裏側に行ってしまった。
 しばらくするとなぜか戻ってきた、いや、口には散弾銃を咥えてる。
 俺が拾おうとして忘れてたやつだ、しっかり覚えてたのか。

「ありがとう。行こうか、グッドボーイ」
「ウォンッ!」
『ふふっ、よろしくね? えーと……なんて呼べばいいのかな?』
「名前どうしようか……まあ後で決めるか」

 黒い犬が走ってきて、旅の仲間に加わった。
 今日からは一人と一本と一匹の冒険だ。

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