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こんにちは、赤いお狐様
妖怪さんとの物理的接触
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薄暗くて気味の悪い、植物の青臭さが絨毯のように広がっていた。
深い森がここにあった。そんな場所に、一体どうしてか俺は立たされてる。
ただそれだけだ。ここがどういう名前で、どういう歴史が刻まれた場所なのかはさっぱりだ。
「どうしてこうなったん……?」
獣道すら消えてしまった森のどっかで、俺は誰かにそう聞いた。
返事? 返ってくるわけねーだろ。誰かが答えたらそれはもはや心霊現象だろとしか言いようがないぐらい深い。
幸いなのはまだ空から青色と太陽の眩しさが注いでることだ。秋ゆえの肌寒さは目を瞑るとして、しょうもない希望だけがそこにある。
「もしもし聞こえますか? 聞こえてるなら返事しろこのド変態マザー」
半ギレ(けっしてもう半分もキレてない)のまま、肩の無線機と繋がるヘッドセットに声をかける。
返事はなかった、ただのサバゲー用装備のようだ。変だな、俺は確かに『遭難した時のために無線機とかどう?』と提案されたはずなのに。
もしや母さんの身に何かあったのか? いやまあ別にいいか、あんな元毒親いずれ遭難して亡くなる運命だったのかもしれない。
あるいは俺が森でくたばるかだが。畜生、どうしてこうなった。
――俺は水鳥水深、24歳ニートだ。
厳密に言えば母さんの手伝いをしてる。どぎついエロ漫画家のアシスタントとしてだが。
そんな人間がどうしてこんなトコいるかって?
山菜がおいしい季節になりましたね。そんな軽はずみすぎる言葉のもとにこの山菜狩りが始まったのだ。
パワフルな母親に無理やり連れられてきてご覧の有様だ。そのご本人はそもそも山の「や」すらふわふわ知ってる程度だぞ?
クソババアめ! とか口に出かけた。いや本当にその通りなのだ。
一つ言わせてほしい。俺の母親は元々宗教にどっぷりハマったクソみたいな毒親だったんだ。
それはもうここにお気持ち表明したくなるほどの辛酸を人生半分ぐらいほど味わったわけだが、どういう訳か彼女は気合で解毒した。
それから各地を逃げ回るわ海外まで逃げるわのさんざんな人生の挙句、どちゃしこエロ漫画家として――いやもういい、愚痴ったって状況は変わらん。
「……むっ!?」
仕方なく切り株によいしょと腰かけた瞬間、ポケットに振動が伝わる。
スマホからだ。慌てて手に取ると、母さんからRINE(Lineにあらず)が着ていた。
生きてやがったか。恐る恐る画面に触れると。
【熊の気配を感じました。覚悟を決めます、私が森の主だこの野郎】
いまいち危機感とか立体感のない最期の言葉が飾られていた。
オーケー、たぶん母さんは死んだ。
毒親から解毒された奇跡みたいな人だが、今回ばかりはもうおしまいだろう。
さようなら母さん。恨み半分感謝半分の人柄だったけど、これでお互いおしまいだな。
「……無事に戻れたら俺、ちゃんと就職するよ」
きっと届いてるだろうか、いや届かなくたっていい、今日からしっかり生きよう。
だから頼む、誰か俺に帰り道を教えてくれ。
切り株の上で顔を覆って緑の地獄から目を反らした。いやでも鼻につく草木の香りのせいでやっぱり森の中。
『――て! やめてよ……!』
『――ラッ! 抵抗すんじゃねえッ!』
『――早く、抑えろ……!』
ダメだ、幻聴聞こえてきた。
俺知ってるよ、こういう場所で意識がふわふわしてあり得ないものが聞こえたら、大体は気が狂い始めてるらしい。
どこで知ったかって? そういうゲーム遊んでるから俺には分かる。
『はなして……! 誰か……!』
遠くから妙に鮮明に聞こえてきた、落ち着け俺、リラックスだ。
深呼吸してありがたみのない大自然の味を感じた後、俺は震える手でポーチを探る。
あった、一本満足バー『プロテイン強化チョコクッキー味』だ。
俺には物足りないから三本必要だ。一本開けてかじるとビターチョコテイストのざくっとした舌触り、うまい。
『――つの口押さえろ!』
『へへ……そんな顔して誘ってるくせに……』
「………………」
喉も乾いたので水筒から水を一口飲んでると、なんか森の中にしては俗っぽいやり取りが確かに聞こえてきた。
関わりたくない部類なのは確かだが、もしかしてこれは脱出の糸口では?
もっとも今の気持ちは「人が飯食ってるのになんなんだオイ」だが。
「……もしかして人里が近いのか?」
なんであれもぐもぐしながら立ち上がった。
幻聴じゃなかったらさぞ下衆な現場に出くわすこと不可避だが、今の俺は帰るためなら熊すら物理でぶちのめすだろう。
なら話は早い。荷物を背負ってざっざっざと森の中を進んだ。
道? なけりゃ自分で作れ。やかましきどこかへとずんずん歩いた。
『んむ゛……!? んん! んー!』
『……ッ!? お、おい! 誰か来てる!』
『やっべ!? まさか長老どもが』
揺るぎない意志の元進むと、向こうからリアクションがあった。
幻聴じゃなさそうだ。知ったことか、お前らが何してようが助かるためだったら手段は選ぶものか。
「――あのすいません! ここどこですか!?」
俺は最後の草木を殴るようにかき分けて、声の原因へと近づく。
がさがさ開いた道の先は――なんということだろう、小さな神社が祭られている。
費用ケチったようにもみえる赤い鳥居がちょこんとそこにあって、その先に「なんでこんなとこに?」と疑問深く思う姿が構えられてた。
どうもそれを中心に周囲の地面はならされてるらしい。森の中にしてはずいぶんと整った地面の上で――
「んん……!? ん~~……!?」
……着物っぽいゆったりした服の赤い髪のお兄さんが押さえつけられていた。
一見すると美人のお姉さんにも見えなくはないが、さらけ出された白肌とそれっぽい肩と胸周りのせいで一目で野郎だと分かる。
口には布を突っ込まれて唸って涙目だが、そもそもの話なんだか妙だった。
狐耳がある。赤髪に沿った色のつやつやの獣の耳が立っていて、なんなら地面からはだらっと尻尾すら生えてる。
「なっ……なんだてめえ!?」
「に、人間だぞこいつ!? なんでこんなとこいやがる!?」
「人間だァ……? なんだよ長老どもの使いじゃねえのか?」
そんなきれいなお兄さんを取り囲むのは、やっぱり狐要素のある野郎どもだ。
ズボンから上着まで、その姿は現代的な街にいればただのヤンキー系な奴らに分類される見てくれなのは間違いない。
茶色と黒色と金色のガラの悪い兄ちゃん、狐耳と尻尾を添えて――そんな連中が赤い髪のお兄さんをいじめてるようにも見えるが。
「……何してんの?」
いろいろ考えたが、森の奥深くで耳と尻尾が生えてる人間なんてこの世に二つだ。
コスプレしてるやつか、世間から逃れたくて野性を開放してるんだろうきっと。
そういうプレイだと思って目の前で一本満足バーをもぐもぐした。足りないのでもう一本開いた。
「…………お、おい、なんだよこいつ? どうしてここに人間なんかいんだよ?」
「…………は? なにこいつ? 人間、だよな……?」
「……知ったことかよ、お楽しみ中邪魔すんなよマジで。おい、どうするよこいつ」
『一本満足バーココナッツプロテイン味』にかじりつくと、三人の狐お兄さんどもはこっちを見てひそひそ。
次第に攻撃的な目に変わるのを感じた。特に金髪のやつは殺気立ってるぐらいだ。
「ん……んん……! ふぃふぇふぇ……!」
そんな足元で赤い髪のお兄さんはふるふる首を振ってる。息の調子から『逃げて』と言ってるように聞こえた。
あんまり友好的じゃないのは確かだろうな。現にこの三人はゆっくりと獲物から身を離していて。
「……おいお前ら、この人間ぼこすぞ」
金髪の狐耳がすっ、とこっちに近づいてきた。
ぎろっとした獣っぽい瞳は間違いなくそれだ。喧嘩の意志が良く詰まってて。
「……いいのかこれ? 人間に手を出したって知られたらまずくね?」
黒髪のお狐さんもゆっくりこっちに敵意を向けてくる。
何の構えだ? 格闘でもない、距離を置いて何か手を構えてるように見えた。
「……やめた方がいいんじゃね? うちら人間相手に手加減とかできないっしょ」
引き気味だった茶髪の狐男も急に態度が変わった。隙が無い動きだ。
頼りなさそうな様子から一変して背筋をまっすぐにしてる――何をしてくるかはともかく、一番やばいのはこいつか。
「あーもしもし? ちょっと話し合いでも――」
まずいな、話は狐耳に届かなさそうだ。
俺はそっとバックパックを捨てた。だが、それは向こうに戦いの合図を送る結果になったみたいで。
「――狐火の術!」
その次の瞬間だ、金髪の狐ヤンキー(年齢不詳)が何かを構えた。
左手で何かを描きつつ、右手を突き出すような――ふざけた真似だと一瞬よぎるが。
――ごうっ。
とんでもないことが起きた。目の前に火の塊が沸き上がる。
空気が焼けるあの香りがした。唐突に巻き起こる炎が、飛び道具さながらにこっちへ飛んでくる――
……と思いきや、服に触れた瞬間にぽふっと消えた。秋風で冷えた身体があったかい。
「……は? じゅ、術が消えちまった……!?」
向こうは驚いてる。なんなら他の二人もぽかんとしてた。
良く分からないけど敵意はむき出しだ。そういうことならもう遠慮はいらないな?
俺は迷わず駆け出した。24年分いろいろと培った経験をもとに、全速前進でそいつの眼前にダッシュし。
「やんのかオラァッ!」
一気に間合いを詰めた。当然金髪狐耳は身構える。
掴みかかると腕で手先を弾かれた。だがそんなの想定内だ、その隙を狙って手のひらで胸をどんと突いて。
「――シッ!」
開いた隙間を利用してぐるっと左足を軸に直立、勢いを乗せた右足で腰にブーツを叩き込む。
フレンチキックボクシンの技フェゥテだ。いきなりの一撃に相手は怯んだ。
すかさず前進。両腕を構えて崩れた態勢にフルパワータックル!
「――ふげっ」
いい感じに吹き飛ばした。ごろっと地面に転がったが死んではないはずだ。
「う、うえっ、なんだこの人間!? ――氷鏡の術!」
次の獲物はどこだ、二人の方へ向くと茶髪の狐お兄さんがまた腕を突き出す。
地面からびきっと氷が生えてきた。離れてもひんやり肌に触れるそれがあからさまにこっちを狙って突き出てくるも。
ぱきっ。
アイスをへし折ったような軽い音がした。冷えた身体がますます寒くなる。
「なっ――!? あ、あやかしの術が効かないッ!?」
「ここどこだって聞いてるんだろッ! オラァッ!」
なんかよくわからないが向こうは驚いてる、素早く走ってそいつに突っ込んだ。
そのまま一撃食らわせる、と見せかけて、肩を掴んでそれを軸にくるっと背後に回り込む。
押し退けるように側面を取ると怯んだ――その隙に対面する形で相手の首を抱えて。
「そォい!!!!」
そのままぴょんと跳ねて、後ろへ背中からダイブ!!
母さんから叩き込まれたプロレス技だ。名前は忘れたがめっちゃ痛いのは分かる。
どしゃっとテイクダウンが決まったいい音がした。またご存命なはずだ、足で宙を蹴って起き上がった、次。
「――調子乗ってんじゃねェぞゴルァ! 必殺ッ! 仙狐の炎術ッ!」
すると別の敵、黒狐なお兄さんがまたなんかやってきた。
Youtub〇で見た新作RPGみたいな炎がぼうっと柱の如く立ち上がって、こっちに向かって追いかけてくる。
そして当たった。ぱすっとむなしい音を消えて煙だけが残った。冷え切った身体が暖かい……。
「はぁぁぁぁ!? 術が効かねえとかなんなんだよテメエエッ!?」
結果、ちょうどいいサンドバックが残ってる。
ならばこっちも必殺の術だ。そいつのもとまで踏み切って、適当にそれっぽく構えた手を鋭い顔つきに突き出し。
「――必殺! なんかすっごい聖光爆殺掌破ァ!!」
……と見せかけて「シッ!」とロウキックを軽く足元にお見舞いした。
びしっと脛に当たると「痛ってえ!?」と怯んだ、すかさずくるっと身をひるがえして二段構えの蹴りを金髪の兄ちゃんの首に当てる。
「残念だったな! すっごい必殺技と見せかけてただのサバットだ!!!」
皮肉にもこんな状況のせいで夢が一つ叶った。すっごい仰々しい名前言っときながら実はただのマジキック、ようやくだ。
体内時計的に数十秒足らずだ。とりあえずこれで暴徒は鎮圧した。
倫理的かどうかは知らん、もう俺はとっくの昔に狂ってるのかもしれない。
「……んふふい……」
良く分からんが敵対してきた連中を片付けると、向こうで赤い髪のお兄さんがもぞもぞしてた。
着物も解けて寒そうだ。念のため周りの奴らを確かめるが、痛がってるだけでまだ息はしてる。
「……で、なにしてたんだお前ら」
びくびくする姿にお尋ねしてみたが、痛そうに悶えてらっしゃる。
特によくわからない投げ技を食らった奴は苦しんでる。ごろっと持ち上げて荷物を枕に寝かせてやった。
「……んん、んー……」
ついでにひとりひとり回復体位を取らせて綺麗に並べると、赤い狐の尻尾が元気にゆらゆらし始める。
どうしたんだと近づけば、しっとりとした目が助けてほしそうにこっちを見上げていて。
「おい、大丈夫か? 取ってやるから落ち着け」
どうも猿ぐつわ代わりの布に口を難儀させてるらしい。
よく見ると両腕が現代的な手錠で縛られてる――AMASON(AMAZONに非ず)の安物じゃねーかこれ。
服もはだけて手錠もかけられ口も黙らされるというのはそういうことなんだろう。問題はそれを野郎にやるかって話だが。
「……ぷはっ……! く、苦しいよ……!」
丸められた布を引っこ抜くと、唾液をとろっとさせながら赤髪のお兄さんは一呼吸つく。
きれいな声だ。いやそんな気はないんだけども、儚げで内気な感じのする女性的な顔はまさにそれだ。
下手すりゃ女性と見間違いそうなほどの美人だ、それは間違いない。
まさかさっきぶちのめした集団はやっぱりそういうプレイに興じていたんだろうか?
「森の奥でコスプレか、2030年にもなってさっそく世も末だな」
そうなると『森の奥深くで野郎相手にケモミミ集団プレイ』という業の深き有様なのだが、そんなことないと信じたい。
ところが助かったお兄さんはゆっくり息をしつつもゆらゆら、ふわふわと尻尾を左右させていた。
耳だって……あれ、人間の耳ないじゃん。
――ぶるっ。
近くでまじまじ見て耳がよく動くのを見てなんかおかしいぞ、と思った瞬間。
スマホが揺れた。まさか母さんからか? いや母さんぐらいしか通じてなかったわ。
「……ん? 母さんか?」
急いで取り出した。そして画面を見ると……川の前でお座りして、どこかへたそがれる熊さんが映っており。
【なんか熊が疲れてるので励ましてます】
その肩に撮影者のものとおぼしき手が乗ってた、肝心の熊はお前なんか嫌なことあったん?と心配したくなるぐらいしょぼくれてる。
きっと熊の人生(熊生?)にも本人(本熊?)にとってつらい出来事はあるんだろう。
熊が入水自殺しないことを祈ろう。ひとまず母さんの安全は理解したが。
「……ね、ねえ? ボクのこと、助けてくれたの?」
希望がまた一つ増えたところで、赤い狐耳のお兄さんが尋ねてくる。
しっとりとした耳ざわりだ。決してそういう気はないけども、気を抜けば女性と間違えてしまいそうな喉の形を感じる。
見上げる顔だって男にしちゃ綺麗というか可愛い。小動物っぽい健気さがあるというのか、とても優しいつくりだ。
「どっちかっていうと俺が助けてほしい」
そんな彼に俺はクソ正直に申した。
だって帰りたいもの。とりあえずバックパックを漁って工具を取り出す。
針金をちょっとこう、細工して細いドライバーを取って準備完了。安っぽい手錠の穴をこりこりほじくる。
まさかアウトドアグッズ補修用道具でロックピックするなんて誰が思ったことか。
「そ、そっか~……? えっと……あ、ありがとね……?」
かちかちと触れるものをうまく押し上げながら曲げると、そんな狐お兄さんのお礼と同時に錠が解けた。
エロ漫画家の「リアリティ重視」のもと付き合わされたサバイバル技能がこうもいかせるなんてな。良かったな母さん、人助けできたよ。
「わっ……? か、鍵開けちゃったんだ……キミ、泥棒か何か?」
「ただの迷子だ。素人が山菜採りしちゃいけない理由が今日良く分かったところだよ」
「……山菜取り?」
「親子で山菜収穫しに遠くからやってきたら山舐めてましたごめんなさい、って感じだ」
用済みになった手錠を閉じて、おそらく持ち主であろう安らかに眠る(死んでません)男たちのそばに添えた。
なんだか狐耳のお兄さんはきょとんとしてたものの、すぐほっとしたのか。
「……怖かった……ほ、ほんとにありがとね……? ボク、怖い人たちにここまで連れてこられてて……!」
あわてて崩れた着物をいそいそ着直して、恐る恐る立ち上がった。
そうして見えたのは柔らかそうな肉付きが布越しに浮かんだ――俺を軽く追い越す背の丈でした……。
いやでかいなおい。173㎝ほどある俺の身長を一回り追い越すほどのけっこうな高身長だ。
そんな大きさのもとで、熟れたモミジみたいにしっとりと赤い髪が柔らかく伸びていた。
おっとりした目は不思議と紫の瞳で、目元に浮かぶ泣きぼくろが妙に意識を指そうというか。
「……ありがとね、人間くん? 本当はヒトと触れ合うのはだめなんだけど、キミはボクを助けてくれた恩人くんだよ」
身を繕ったそいつは、妙に色気のある様子でくすっと笑った。
それからとても嬉しそうに抱き着かれた。着物越しにぎゅっと優しくハグされて、肉付きのよさといい匂いが伝わる。
……なんだか変な趣味に目覚めそうになった。いや違う、そっと相手を押し返して。
「……あー、コスプレしてるからってそこまでなりきらんでも」
つい先ほど口にした「人間くん」だの、目の前でひょこっと形を変える狐の耳を考え直した。
森の奥深くで幻獣になりきるような本格派コスプレに興じていたんだろうか。
肝心の向こうは「ん?」と耳と尻尾もろとも首をかしげてる。
しばらくお互い何か違えてるような感じがしたものの、ふと俺は背を伸ばして。
「一体どうなってんだ? 道に迷って母さんとはぐれる、クマがどっかでたそがれて、しかもケモミミ生やした変な連中が手品みたいな――」
少し高い場所で尖りを見せる赤い狐の耳に触れた。
ふわふわつやつやな質感がした。温かくて、妙に生々しい手触りがある。
「……あれ? なんか妙にリアルだなこれ……?」
「え、えっとね? あの、これはコスプレなんかじゃなくて……あっ……♡」
なんなら、目の前の未亡人みたいなオーラを放つお兄さんはくすぐったさそうにしていた。
……どういうことだ? 作り物じゃないのかこれ。
思わず二度三度ふにふにすると、狐な奴はもじもじしながら頭を下げてきて。
「……あの。落ち着いてボクの話、聞いてくれる?」
「どうぞ」と耳を捧げながらか細い声でお願いされた。
くいくい軽く引っ張ると艶のある髪色までもやってきた。おかしい、まるで本当に体の一部みたいな……。
「正直森でずっと迷ってておかしくなりそうだけど聞くしかないんだろ?」
「うん、だっていきなりあの人たちやっつけちゃうもんね……」
「いきなり怒鳴るからびびってやっちまったよ。知り合いだったらすまない」
「えっと、うん、あの人たちに襲われてたからむしろありがとうっていうか……それよりもね? この耳と尻尾なんだけど」
ついでに頭を起こすと、恥ずかし気な顔でくるっと尻尾を見せてきた。
触れてみると本物同然のふわふわ感がした。いい匂いがするし、冷え込んだ手に毛皮のぬくもりが伝わるも。
「……これ、コスプレなんかじゃなくて本物なんだ」
それは指の間から一人でにすり抜けていく。
赤い髪のお兄さんはまるで身体の一部みたいに、そのまま尻尾をゆらめかせた。
本物だ。作り物と思い込むには不十分なまでに自然に動いてる。
「…………」
嘘だろ? もう一度背伸びしてお兄さんの耳をさわさわした。
「んっ♡」と色っぽい声でくすぐったがったが、やっぱり作り物にしちゃおかしい。
尻尾も撫でたがやっぱり本物だ。いやまて、なんだケモミミが本物って。
深い森がここにあった。そんな場所に、一体どうしてか俺は立たされてる。
ただそれだけだ。ここがどういう名前で、どういう歴史が刻まれた場所なのかはさっぱりだ。
「どうしてこうなったん……?」
獣道すら消えてしまった森のどっかで、俺は誰かにそう聞いた。
返事? 返ってくるわけねーだろ。誰かが答えたらそれはもはや心霊現象だろとしか言いようがないぐらい深い。
幸いなのはまだ空から青色と太陽の眩しさが注いでることだ。秋ゆえの肌寒さは目を瞑るとして、しょうもない希望だけがそこにある。
「もしもし聞こえますか? 聞こえてるなら返事しろこのド変態マザー」
半ギレ(けっしてもう半分もキレてない)のまま、肩の無線機と繋がるヘッドセットに声をかける。
返事はなかった、ただのサバゲー用装備のようだ。変だな、俺は確かに『遭難した時のために無線機とかどう?』と提案されたはずなのに。
もしや母さんの身に何かあったのか? いやまあ別にいいか、あんな元毒親いずれ遭難して亡くなる運命だったのかもしれない。
あるいは俺が森でくたばるかだが。畜生、どうしてこうなった。
――俺は水鳥水深、24歳ニートだ。
厳密に言えば母さんの手伝いをしてる。どぎついエロ漫画家のアシスタントとしてだが。
そんな人間がどうしてこんなトコいるかって?
山菜がおいしい季節になりましたね。そんな軽はずみすぎる言葉のもとにこの山菜狩りが始まったのだ。
パワフルな母親に無理やり連れられてきてご覧の有様だ。そのご本人はそもそも山の「や」すらふわふわ知ってる程度だぞ?
クソババアめ! とか口に出かけた。いや本当にその通りなのだ。
一つ言わせてほしい。俺の母親は元々宗教にどっぷりハマったクソみたいな毒親だったんだ。
それはもうここにお気持ち表明したくなるほどの辛酸を人生半分ぐらいほど味わったわけだが、どういう訳か彼女は気合で解毒した。
それから各地を逃げ回るわ海外まで逃げるわのさんざんな人生の挙句、どちゃしこエロ漫画家として――いやもういい、愚痴ったって状況は変わらん。
「……むっ!?」
仕方なく切り株によいしょと腰かけた瞬間、ポケットに振動が伝わる。
スマホからだ。慌てて手に取ると、母さんからRINE(Lineにあらず)が着ていた。
生きてやがったか。恐る恐る画面に触れると。
【熊の気配を感じました。覚悟を決めます、私が森の主だこの野郎】
いまいち危機感とか立体感のない最期の言葉が飾られていた。
オーケー、たぶん母さんは死んだ。
毒親から解毒された奇跡みたいな人だが、今回ばかりはもうおしまいだろう。
さようなら母さん。恨み半分感謝半分の人柄だったけど、これでお互いおしまいだな。
「……無事に戻れたら俺、ちゃんと就職するよ」
きっと届いてるだろうか、いや届かなくたっていい、今日からしっかり生きよう。
だから頼む、誰か俺に帰り道を教えてくれ。
切り株の上で顔を覆って緑の地獄から目を反らした。いやでも鼻につく草木の香りのせいでやっぱり森の中。
『――て! やめてよ……!』
『――ラッ! 抵抗すんじゃねえッ!』
『――早く、抑えろ……!』
ダメだ、幻聴聞こえてきた。
俺知ってるよ、こういう場所で意識がふわふわしてあり得ないものが聞こえたら、大体は気が狂い始めてるらしい。
どこで知ったかって? そういうゲーム遊んでるから俺には分かる。
『はなして……! 誰か……!』
遠くから妙に鮮明に聞こえてきた、落ち着け俺、リラックスだ。
深呼吸してありがたみのない大自然の味を感じた後、俺は震える手でポーチを探る。
あった、一本満足バー『プロテイン強化チョコクッキー味』だ。
俺には物足りないから三本必要だ。一本開けてかじるとビターチョコテイストのざくっとした舌触り、うまい。
『――つの口押さえろ!』
『へへ……そんな顔して誘ってるくせに……』
「………………」
喉も乾いたので水筒から水を一口飲んでると、なんか森の中にしては俗っぽいやり取りが確かに聞こえてきた。
関わりたくない部類なのは確かだが、もしかしてこれは脱出の糸口では?
もっとも今の気持ちは「人が飯食ってるのになんなんだオイ」だが。
「……もしかして人里が近いのか?」
なんであれもぐもぐしながら立ち上がった。
幻聴じゃなかったらさぞ下衆な現場に出くわすこと不可避だが、今の俺は帰るためなら熊すら物理でぶちのめすだろう。
なら話は早い。荷物を背負ってざっざっざと森の中を進んだ。
道? なけりゃ自分で作れ。やかましきどこかへとずんずん歩いた。
『んむ゛……!? んん! んー!』
『……ッ!? お、おい! 誰か来てる!』
『やっべ!? まさか長老どもが』
揺るぎない意志の元進むと、向こうからリアクションがあった。
幻聴じゃなさそうだ。知ったことか、お前らが何してようが助かるためだったら手段は選ぶものか。
「――あのすいません! ここどこですか!?」
俺は最後の草木を殴るようにかき分けて、声の原因へと近づく。
がさがさ開いた道の先は――なんということだろう、小さな神社が祭られている。
費用ケチったようにもみえる赤い鳥居がちょこんとそこにあって、その先に「なんでこんなとこに?」と疑問深く思う姿が構えられてた。
どうもそれを中心に周囲の地面はならされてるらしい。森の中にしてはずいぶんと整った地面の上で――
「んん……!? ん~~……!?」
……着物っぽいゆったりした服の赤い髪のお兄さんが押さえつけられていた。
一見すると美人のお姉さんにも見えなくはないが、さらけ出された白肌とそれっぽい肩と胸周りのせいで一目で野郎だと分かる。
口には布を突っ込まれて唸って涙目だが、そもそもの話なんだか妙だった。
狐耳がある。赤髪に沿った色のつやつやの獣の耳が立っていて、なんなら地面からはだらっと尻尾すら生えてる。
「なっ……なんだてめえ!?」
「に、人間だぞこいつ!? なんでこんなとこいやがる!?」
「人間だァ……? なんだよ長老どもの使いじゃねえのか?」
そんなきれいなお兄さんを取り囲むのは、やっぱり狐要素のある野郎どもだ。
ズボンから上着まで、その姿は現代的な街にいればただのヤンキー系な奴らに分類される見てくれなのは間違いない。
茶色と黒色と金色のガラの悪い兄ちゃん、狐耳と尻尾を添えて――そんな連中が赤い髪のお兄さんをいじめてるようにも見えるが。
「……何してんの?」
いろいろ考えたが、森の奥深くで耳と尻尾が生えてる人間なんてこの世に二つだ。
コスプレしてるやつか、世間から逃れたくて野性を開放してるんだろうきっと。
そういうプレイだと思って目の前で一本満足バーをもぐもぐした。足りないのでもう一本開いた。
「…………お、おい、なんだよこいつ? どうしてここに人間なんかいんだよ?」
「…………は? なにこいつ? 人間、だよな……?」
「……知ったことかよ、お楽しみ中邪魔すんなよマジで。おい、どうするよこいつ」
『一本満足バーココナッツプロテイン味』にかじりつくと、三人の狐お兄さんどもはこっちを見てひそひそ。
次第に攻撃的な目に変わるのを感じた。特に金髪のやつは殺気立ってるぐらいだ。
「ん……んん……! ふぃふぇふぇ……!」
そんな足元で赤い髪のお兄さんはふるふる首を振ってる。息の調子から『逃げて』と言ってるように聞こえた。
あんまり友好的じゃないのは確かだろうな。現にこの三人はゆっくりと獲物から身を離していて。
「……おいお前ら、この人間ぼこすぞ」
金髪の狐耳がすっ、とこっちに近づいてきた。
ぎろっとした獣っぽい瞳は間違いなくそれだ。喧嘩の意志が良く詰まってて。
「……いいのかこれ? 人間に手を出したって知られたらまずくね?」
黒髪のお狐さんもゆっくりこっちに敵意を向けてくる。
何の構えだ? 格闘でもない、距離を置いて何か手を構えてるように見えた。
「……やめた方がいいんじゃね? うちら人間相手に手加減とかできないっしょ」
引き気味だった茶髪の狐男も急に態度が変わった。隙が無い動きだ。
頼りなさそうな様子から一変して背筋をまっすぐにしてる――何をしてくるかはともかく、一番やばいのはこいつか。
「あーもしもし? ちょっと話し合いでも――」
まずいな、話は狐耳に届かなさそうだ。
俺はそっとバックパックを捨てた。だが、それは向こうに戦いの合図を送る結果になったみたいで。
「――狐火の術!」
その次の瞬間だ、金髪の狐ヤンキー(年齢不詳)が何かを構えた。
左手で何かを描きつつ、右手を突き出すような――ふざけた真似だと一瞬よぎるが。
――ごうっ。
とんでもないことが起きた。目の前に火の塊が沸き上がる。
空気が焼けるあの香りがした。唐突に巻き起こる炎が、飛び道具さながらにこっちへ飛んでくる――
……と思いきや、服に触れた瞬間にぽふっと消えた。秋風で冷えた身体があったかい。
「……は? じゅ、術が消えちまった……!?」
向こうは驚いてる。なんなら他の二人もぽかんとしてた。
良く分からないけど敵意はむき出しだ。そういうことならもう遠慮はいらないな?
俺は迷わず駆け出した。24年分いろいろと培った経験をもとに、全速前進でそいつの眼前にダッシュし。
「やんのかオラァッ!」
一気に間合いを詰めた。当然金髪狐耳は身構える。
掴みかかると腕で手先を弾かれた。だがそんなの想定内だ、その隙を狙って手のひらで胸をどんと突いて。
「――シッ!」
開いた隙間を利用してぐるっと左足を軸に直立、勢いを乗せた右足で腰にブーツを叩き込む。
フレンチキックボクシンの技フェゥテだ。いきなりの一撃に相手は怯んだ。
すかさず前進。両腕を構えて崩れた態勢にフルパワータックル!
「――ふげっ」
いい感じに吹き飛ばした。ごろっと地面に転がったが死んではないはずだ。
「う、うえっ、なんだこの人間!? ――氷鏡の術!」
次の獲物はどこだ、二人の方へ向くと茶髪の狐お兄さんがまた腕を突き出す。
地面からびきっと氷が生えてきた。離れてもひんやり肌に触れるそれがあからさまにこっちを狙って突き出てくるも。
ぱきっ。
アイスをへし折ったような軽い音がした。冷えた身体がますます寒くなる。
「なっ――!? あ、あやかしの術が効かないッ!?」
「ここどこだって聞いてるんだろッ! オラァッ!」
なんかよくわからないが向こうは驚いてる、素早く走ってそいつに突っ込んだ。
そのまま一撃食らわせる、と見せかけて、肩を掴んでそれを軸にくるっと背後に回り込む。
押し退けるように側面を取ると怯んだ――その隙に対面する形で相手の首を抱えて。
「そォい!!!!」
そのままぴょんと跳ねて、後ろへ背中からダイブ!!
母さんから叩き込まれたプロレス技だ。名前は忘れたがめっちゃ痛いのは分かる。
どしゃっとテイクダウンが決まったいい音がした。またご存命なはずだ、足で宙を蹴って起き上がった、次。
「――調子乗ってんじゃねェぞゴルァ! 必殺ッ! 仙狐の炎術ッ!」
すると別の敵、黒狐なお兄さんがまたなんかやってきた。
Youtub〇で見た新作RPGみたいな炎がぼうっと柱の如く立ち上がって、こっちに向かって追いかけてくる。
そして当たった。ぱすっとむなしい音を消えて煙だけが残った。冷え切った身体が暖かい……。
「はぁぁぁぁ!? 術が効かねえとかなんなんだよテメエエッ!?」
結果、ちょうどいいサンドバックが残ってる。
ならばこっちも必殺の術だ。そいつのもとまで踏み切って、適当にそれっぽく構えた手を鋭い顔つきに突き出し。
「――必殺! なんかすっごい聖光爆殺掌破ァ!!」
……と見せかけて「シッ!」とロウキックを軽く足元にお見舞いした。
びしっと脛に当たると「痛ってえ!?」と怯んだ、すかさずくるっと身をひるがえして二段構えの蹴りを金髪の兄ちゃんの首に当てる。
「残念だったな! すっごい必殺技と見せかけてただのサバットだ!!!」
皮肉にもこんな状況のせいで夢が一つ叶った。すっごい仰々しい名前言っときながら実はただのマジキック、ようやくだ。
体内時計的に数十秒足らずだ。とりあえずこれで暴徒は鎮圧した。
倫理的かどうかは知らん、もう俺はとっくの昔に狂ってるのかもしれない。
「……んふふい……」
良く分からんが敵対してきた連中を片付けると、向こうで赤い髪のお兄さんがもぞもぞしてた。
着物も解けて寒そうだ。念のため周りの奴らを確かめるが、痛がってるだけでまだ息はしてる。
「……で、なにしてたんだお前ら」
びくびくする姿にお尋ねしてみたが、痛そうに悶えてらっしゃる。
特によくわからない投げ技を食らった奴は苦しんでる。ごろっと持ち上げて荷物を枕に寝かせてやった。
「……んん、んー……」
ついでにひとりひとり回復体位を取らせて綺麗に並べると、赤い狐の尻尾が元気にゆらゆらし始める。
どうしたんだと近づけば、しっとりとした目が助けてほしそうにこっちを見上げていて。
「おい、大丈夫か? 取ってやるから落ち着け」
どうも猿ぐつわ代わりの布に口を難儀させてるらしい。
よく見ると両腕が現代的な手錠で縛られてる――AMASON(AMAZONに非ず)の安物じゃねーかこれ。
服もはだけて手錠もかけられ口も黙らされるというのはそういうことなんだろう。問題はそれを野郎にやるかって話だが。
「……ぷはっ……! く、苦しいよ……!」
丸められた布を引っこ抜くと、唾液をとろっとさせながら赤髪のお兄さんは一呼吸つく。
きれいな声だ。いやそんな気はないんだけども、儚げで内気な感じのする女性的な顔はまさにそれだ。
下手すりゃ女性と見間違いそうなほどの美人だ、それは間違いない。
まさかさっきぶちのめした集団はやっぱりそういうプレイに興じていたんだろうか?
「森の奥でコスプレか、2030年にもなってさっそく世も末だな」
そうなると『森の奥深くで野郎相手にケモミミ集団プレイ』という業の深き有様なのだが、そんなことないと信じたい。
ところが助かったお兄さんはゆっくり息をしつつもゆらゆら、ふわふわと尻尾を左右させていた。
耳だって……あれ、人間の耳ないじゃん。
――ぶるっ。
近くでまじまじ見て耳がよく動くのを見てなんかおかしいぞ、と思った瞬間。
スマホが揺れた。まさか母さんからか? いや母さんぐらいしか通じてなかったわ。
「……ん? 母さんか?」
急いで取り出した。そして画面を見ると……川の前でお座りして、どこかへたそがれる熊さんが映っており。
【なんか熊が疲れてるので励ましてます】
その肩に撮影者のものとおぼしき手が乗ってた、肝心の熊はお前なんか嫌なことあったん?と心配したくなるぐらいしょぼくれてる。
きっと熊の人生(熊生?)にも本人(本熊?)にとってつらい出来事はあるんだろう。
熊が入水自殺しないことを祈ろう。ひとまず母さんの安全は理解したが。
「……ね、ねえ? ボクのこと、助けてくれたの?」
希望がまた一つ増えたところで、赤い狐耳のお兄さんが尋ねてくる。
しっとりとした耳ざわりだ。決してそういう気はないけども、気を抜けば女性と間違えてしまいそうな喉の形を感じる。
見上げる顔だって男にしちゃ綺麗というか可愛い。小動物っぽい健気さがあるというのか、とても優しいつくりだ。
「どっちかっていうと俺が助けてほしい」
そんな彼に俺はクソ正直に申した。
だって帰りたいもの。とりあえずバックパックを漁って工具を取り出す。
針金をちょっとこう、細工して細いドライバーを取って準備完了。安っぽい手錠の穴をこりこりほじくる。
まさかアウトドアグッズ補修用道具でロックピックするなんて誰が思ったことか。
「そ、そっか~……? えっと……あ、ありがとね……?」
かちかちと触れるものをうまく押し上げながら曲げると、そんな狐お兄さんのお礼と同時に錠が解けた。
エロ漫画家の「リアリティ重視」のもと付き合わされたサバイバル技能がこうもいかせるなんてな。良かったな母さん、人助けできたよ。
「わっ……? か、鍵開けちゃったんだ……キミ、泥棒か何か?」
「ただの迷子だ。素人が山菜採りしちゃいけない理由が今日良く分かったところだよ」
「……山菜取り?」
「親子で山菜収穫しに遠くからやってきたら山舐めてましたごめんなさい、って感じだ」
用済みになった手錠を閉じて、おそらく持ち主であろう安らかに眠る(死んでません)男たちのそばに添えた。
なんだか狐耳のお兄さんはきょとんとしてたものの、すぐほっとしたのか。
「……怖かった……ほ、ほんとにありがとね……? ボク、怖い人たちにここまで連れてこられてて……!」
あわてて崩れた着物をいそいそ着直して、恐る恐る立ち上がった。
そうして見えたのは柔らかそうな肉付きが布越しに浮かんだ――俺を軽く追い越す背の丈でした……。
いやでかいなおい。173㎝ほどある俺の身長を一回り追い越すほどのけっこうな高身長だ。
そんな大きさのもとで、熟れたモミジみたいにしっとりと赤い髪が柔らかく伸びていた。
おっとりした目は不思議と紫の瞳で、目元に浮かぶ泣きぼくろが妙に意識を指そうというか。
「……ありがとね、人間くん? 本当はヒトと触れ合うのはだめなんだけど、キミはボクを助けてくれた恩人くんだよ」
身を繕ったそいつは、妙に色気のある様子でくすっと笑った。
それからとても嬉しそうに抱き着かれた。着物越しにぎゅっと優しくハグされて、肉付きのよさといい匂いが伝わる。
……なんだか変な趣味に目覚めそうになった。いや違う、そっと相手を押し返して。
「……あー、コスプレしてるからってそこまでなりきらんでも」
つい先ほど口にした「人間くん」だの、目の前でひょこっと形を変える狐の耳を考え直した。
森の奥深くで幻獣になりきるような本格派コスプレに興じていたんだろうか。
肝心の向こうは「ん?」と耳と尻尾もろとも首をかしげてる。
しばらくお互い何か違えてるような感じがしたものの、ふと俺は背を伸ばして。
「一体どうなってんだ? 道に迷って母さんとはぐれる、クマがどっかでたそがれて、しかもケモミミ生やした変な連中が手品みたいな――」
少し高い場所で尖りを見せる赤い狐の耳に触れた。
ふわふわつやつやな質感がした。温かくて、妙に生々しい手触りがある。
「……あれ? なんか妙にリアルだなこれ……?」
「え、えっとね? あの、これはコスプレなんかじゃなくて……あっ……♡」
なんなら、目の前の未亡人みたいなオーラを放つお兄さんはくすぐったさそうにしていた。
……どういうことだ? 作り物じゃないのかこれ。
思わず二度三度ふにふにすると、狐な奴はもじもじしながら頭を下げてきて。
「……あの。落ち着いてボクの話、聞いてくれる?」
「どうぞ」と耳を捧げながらか細い声でお願いされた。
くいくい軽く引っ張ると艶のある髪色までもやってきた。おかしい、まるで本当に体の一部みたいな……。
「正直森でずっと迷ってておかしくなりそうだけど聞くしかないんだろ?」
「うん、だっていきなりあの人たちやっつけちゃうもんね……」
「いきなり怒鳴るからびびってやっちまったよ。知り合いだったらすまない」
「えっと、うん、あの人たちに襲われてたからむしろありがとうっていうか……それよりもね? この耳と尻尾なんだけど」
ついでに頭を起こすと、恥ずかし気な顔でくるっと尻尾を見せてきた。
触れてみると本物同然のふわふわ感がした。いい匂いがするし、冷え込んだ手に毛皮のぬくもりが伝わるも。
「……これ、コスプレなんかじゃなくて本物なんだ」
それは指の間から一人でにすり抜けていく。
赤い髪のお兄さんはまるで身体の一部みたいに、そのまま尻尾をゆらめかせた。
本物だ。作り物と思い込むには不十分なまでに自然に動いてる。
「…………」
嘘だろ? もう一度背伸びしてお兄さんの耳をさわさわした。
「んっ♡」と色っぽい声でくすぐったがったが、やっぱり作り物にしちゃおかしい。
尻尾も撫でたがやっぱり本物だ。いやまて、なんだケモミミが本物って。
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