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本編

マリアンヌの決意

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新月の夜。
前触れもなしに訪れたシュナイゼルは、マリアンヌに笑みを浮かべたまま大きな右手を差し出した。

「俺と一緒に帝国へ来い。大事にしてやる」
「申し訳ありません。お断り致します」
「何故だ?フェリクスは、一度お姫様を裏切ったのだろう?」

シュゼットの事だけでなく、フェリクスとマリアンヌの事も粗方調べたようだ。
魅了の魔法が原因であったと知っているのかは分からないが、マリアンヌが元ヴィラント侯爵令嬢で、フェリクスに一度婚約を白紙撤回された事まで調べたらしい。

「全ては過去の事です。それに、彼はいつだって私を想ってくれていました。今尚、ずっと。」
「なら、フェリクスが消えれば・・・・・・・・・・問題なく俺のものになれるな?」

シュナイゼルは誰もが虜になってしまいそうな程の微笑みを浮かべて、さらりとそう言ってのける。
血のような真紅の瞳は、全く冗談を言っていない。

発せられる壮絶な色香と、それに入り交じる殺気に、マリアンヌは恐怖で震えそうになる身体を叱咤しながら、表情を変える事なく毅然とした態度を崩さないまま再び口を開いた。

ケリをつける為に。


「……もしもフェリクス様が亡くなってしまったとしても、私が貴方のものになる事はないでしょう。フェリクス様が愛した国を、この命ある限り守っていきたいのです」
「一度は全てに裏切られたのに?」
「ええ」
「もしまた、あの男が他の女に心変わりしたら?」
「それでも」

即座に言い切るマリアンヌ。
シュナイゼルは眉間に皺を寄せ、苛立ちを露にする。

「……ならば、マルティス王国を世界から消してしまえば、お前は俺のものになるか?」
「いいえ。フェリクス様が死に、マルティス王国が消えるのならば、私も共に消えましょう。この地に私の骨を埋める事が、私の幸福なのです」
「……どうしたって、俺のものになる気はないんだな?」
「その通りでございます。ご無礼をお許し下さいませ、シュナイゼル皇帝陛下」

キッパリとそう伝え、マリアンヌが完璧なまでの淑女の礼を取ると、シュナイゼルは小さく溜め息をつきながら、差し出していない方の手で頭をガシガシと掻いた。
苛立ちは霧散したようで、マリアンヌは人知れず心の中でホッと安堵する。

「それならば、攫ったとしても永遠に心は手に入らないだろうな」
「ええ。仰る通りです」
「この場で殺してやろうか?」
「私の“死”を手に入れたいのならば。」
「…………くそっ。なんてイイ女なんだ。フェリクスよりも先に出会えなかった事が悔やまれるな」
「恐れ入ります。そのようなお言葉、光栄に存じます」

マリアンヌの死をも覚悟した想いの重さに、シュナイゼルは差し出していた手を引っ込めた。
何を言っても、何をしても、マリアンヌを手に入れる事は出来ない。そう理解したからだ。

「死んだお姫様に興味は無い。だから、今は・・諦めてやる」
「ありがとう存じます」
「今は、だからな?来世では、必ず俺のものにしてやる。身も心も、お姫様の全部を俺のものにしてやるから、楽しみにしていろ」
「……っ?!」

頬に感じた、微かな熱。
ほんの一瞬、触れただけだったが、確かな熱を感じてマリアンヌは驚きに目を見開いた。
次いで飛び込んできたのは、いつもの色香を纏わせた妖艶な笑みではなく、まるで少年のような無邪気な笑顔。

シュナイゼルはにかっと白い歯を覗かせて、軽やかにバルコニーから近くの木へと飛び移り、瞬く間に姿を消してしまった。恐らく従者であるユーリが待機している場所へ向かったのだろう。

マリアンヌはその場でへたり込みそうになる自分の身体に鞭打って、何とか室内へと戻り、ベッドへその身を沈めた。
震える身体を何とか落ち着かせようと、必死に自分で自分の身体を抱き締める。

乗り切った。
もうこれでシュナイゼルがマリアンヌに求婚してくる事はないだろう。
シュナイゼルが心を欲する男で本当に良かった。一歩間違えば、マリアンヌは命を奪われていただろう。
心は後からついてくるだろうと、攫って無理矢理襲われる可能性も十分あった。けれど、やはりシュナイゼルは冷たいだけの非道な暴君ではなかったようだ。

マリアンヌはその事に心底安堵した。

来世の事は分からない。
だが、もしもマリアンヌがフェリクスに婚約を白紙撤回された時、ヤデル伯爵ではなく、嫁いだ相手がシュナイゼルだったならば。

(そんな事、あり得ないけれど……)

未来は変わっていたかもしれない。
だが、マリアンヌは今ここに居る。
そして、あの時シュナイゼルと出会っていなくて良かったと心の底からそう思った。

恋慕う想いは、全てフェリクスだけの為に。

もしも、なんて存在しない。

マリアンヌは自分の想いと、フェリクスの為に。
そしてフェリクスが愛するこの国の為に生きて死ぬ。

もうこの決意は揺らぐことのない気持ちなのだ。

この先、もしもシュゼットのような人間が現れても、二度と屈しはしない。
どれだけ厳しく絶望的な状況に陥っても抗ってみせる。



そうして、マリアンヌが固く決意した翌日――――。



……………………
………………


「おめでとうございます!ご懐妊ですよ!!」

マリアンヌのお腹に、フェリクスの子が宿っている事が判明し、王太子宮は喜びと幸福で包まれたのだった。


* * *
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