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本編

ごめんなさい*アルベールside*

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僕の名前はアルベール。
ヴィラント侯爵家に生まれ、父上にも母上にも溺愛されて、恵まれた環境で育ってきた。
僕だけは。

『母上。どうして姉上とお話しては駄目なのですか?』

僕には8つ年の離れた姉がいた。
けれど、同じ邸にいても、会う機会は滅多に無かった。
父上も母上も、ずっとずっと姉上に冷たくて、会う事も話す事も許してくれなかったから。

『貴族の家に生まれた女は、家の為に良い相手を見つけて嫁ぐのが当たり前。いずれいなくなるのだから、貴方があの子を気に掛ける必要はありません』

母上は、いつも僕にそう答えた。

いずれいなくなると言っても、姉上は僕の姉上でしょ?
母上にとっても、ずっと自分の子供でしょう?

死んで別れる訳じゃないのに、どうしてそんな風に言うの?
僕には、母上の言っている事が理解出来なかった。


会ってはいけない。
そう言われていても、僕は姉上に会いに行った。

『姉上!』
『……アルベール?』

僕が会いに行くと、姉上はいつも決まって困った顔をする。僕は姉上に笑って欲しいのに。

『私に会った事が知られたら、お母様に叱られてしまうわ。早くお戻りなさい』
『でも、今日のお勉強やお稽古はもう終わりましたから、今は自由時間なんです!』
『それなら、何か好きな事をして……』
『姉上に会いたいから、会いに来たんです!』

そう言うと、姉上は困った顔をしつつも、少しの間だけ僕と一緒にいてくれた。

(姉上は本当に綺麗だなぁ……)

弟の僕から見ても、姉上は凄く綺麗で、まるでお姫様のようだった。

(笑ってくれたら、もっと綺麗なんだろうな)

笑って欲しくて、僕は夢中になっていつも沢山の話をした。
満面の笑顔を見れる事はなかったけど、姉上はいつも優しく目元を綻ばせながら話を聞いてくれて、別れ際には優しく頭を撫でてくれた。

姉上の優しい手が大好きだった。


『坊ちゃま。あまりマリアンヌお嬢様に会いに行ってはなりません』

ある日、乳母のメニシュにそう言われた。
理由を聞いても、言葉を濁すばかりで、教えてくれない。

僕は姉上が大好きだ。
父上や母上が何を考えているのか、よく分からないけど、僕は姉上に会いに行く。
だって、もしかしたら今日は、姉上の目一杯笑った笑顔が見られるかもしれないもの。


『姉う……』


――――バシンッ!!

そうして姉上に会いに行こうと、いつものように庭から姉上の部屋へと向かったら、窓越しに見てしまった。姉上が母上に叱られて、頬を叩かれているところを。

『アルベールとは会わないでと、何度言ったら分かるの?あの子を懐柔して、何を企んでいるの?』




――――なんで?




どうして母上は、そんな風に思うの?
どうして姉上を叱るの?

暫くして、母上がもう一度姉上を叩こうと手を振り上げるから、僕は止めに入ろうとして、一歩足を踏み出しかけた。

止めに入らなきゃ。
そう思うのに。


……僕が止めに入って、姉上が更に叱られてしまったらどうしよう?

もっと酷い事をされてしまったら……?


脳裏に過った不安が、僕の足を止めてしまった。
一歩も動けないまま、僕は、僕のせいで叩かれる姉上を、ただじっと見ている事しか出来なかった。


姉上は、僕のお姫様なのに。


メニシュは知っていたんだ。
僕が会いに行けば、姉上が叱られてしまうって事を。
その理由を話せなかったのは、僕がその理由を知れば傷付くと思ったから。


僕はなんて無力なんだ。
僕が姉上の為に出来る事なんて、自分から会いに行かないようにする事だけ。

僕が父上や母上を説得しようものなら、また姉上が叱られてしまう。
八方塞がりだった。
小さな僕の世界では、姉上を守りきる事が出来ない。

父上と母上が姉上に優しくなるのは、姉上の婚約者である王太子のフェリクス殿下が会いに来た時だけ。

(……ずっと居てくれればいいのに。そうすれば……)

父上も母上も、ずっとずっと、姉上に優しくしてくれるのに。
家族全員で笑っていられるのに。


そうして、あっという間に姉上は学院へ入学する歳になった。
僕は廊下の窓から、姉上が乗り込んだ馬車が小さくなっていくのを、ただただ呆然と見ていた。

(見送りさえ、許してもらえなかった。)

父上も母上も、僕を愛してくれてる。
僕だって愛してた。だけど、僕は父上も母上も嫌いになりそうだった。

どうして同じ様に姉上を愛してくれないのか。
僕がもしも女に生まれていたら、父上と母上は、僕の事も愛さなかったのだろうか。

戦争が始まって、父上が戦死して、母上も後を追うように亡くなった後。メニシュが教えてくれた。
政略結婚で嫁いできた母上は、亡くなったおばあ様に男児を産まなければ意味が無いと、嫁いできた頃から言われ続けていたのだと。
なかなか子宝に恵まれず、結婚してから数年後にやっと身籠り産まれたのが女児である姉上で、母上は散々蔑まれてきたのだと。そして、そんなおばあ様の息子である父上も、考え方はおばあ様と一緒だった。

姉上が物心つく前に、おばあ様は亡くなったけれど、僕が生まれるまでの8年間、母上はずっと辛い環境にあったそうだ。
そうして、念願の男児である僕が産まれた後は、姉上が自分と違って愛されている弟に危害を加えるのではないかと、警戒するようになったのだと。


(だから、姉上と会わせてもらえなかったのか……)


苦労して産んだのに、女児では意味が無いと言われて蔑まれてきたのなら、母上も余程辛かったに違いない。
だけど。

それでも、苦労して産んだのなら、母上だけでも姉上を愛してくれれば良かったのに。


いくら事情があったって、僕は父上と母上を許せない。
あの日、姉上を救い出せなかった僕自身の事も。


……………………
…………


「アルベール。こっちを向いて?」

姉上の声に、僕はハッと我に返った。そして、言われた通りに姉上の方へ顔を向けると、口元を白いハンカチで拭われる。

今は昼食の時間だ。
僕と姉上は、綺麗に整えられた王太子宮の庭に出て、地面に大きな布を敷き、バスケットの中のサンドイッチを一緒に食べていた。
こんな風に姉上と昼食を取っている現状自体が、僕にとっては信じられない程の光景なのだが、隣に座る姉上が、恐らく食べかすがついていたのであろう僕の口元を優しく拭ってくれた事を認識して、一気に顔が熱くなってしまう。

「あ、ありがとうございます!」
「どういたしまして。サンドイッチは美味しい?」
「はい!凄く美味しいです!こんなに美味しいサンドイッチは初めて食べました!!」

僕が慌ててそう返すと、姉上は一瞬だけ瞳を丸くしてから、「私もそう思うわ」と言って柔らかく笑ってくれた。

その瞬間。
僕の心臓がドキリと跳ねて、目頭が熱くなって、鼻の奥がツンとした。


――――嗚呼。
ここでなら、姉上は笑えるんだ。


ずっとずっと見たかった笑顔は、今ならこんなにも容易く見れてしまう。

(前はあんなに必死に、笑って欲しくて沢山の話をしていたのに)

僕の視界に、姉上の驚いたような顔がぼやけて見えた。
違うんだ。
もっと、ずっと笑っててよ。


「アルベール?どうし……」
「ごめ……なさい、あねうえ。……ひっく……ごめんなさい……っ」


ずっとずっと言えなかった。
守れなくて、助けられなくて。

ごめんなさい、姉上。
ごめんなさい。


* * *
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