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本編
地下深くの独房
しおりを挟む湯殿の後で、王宮医師と王宮魔法師の手を借りて、マリアンヌの身体的な傷は全て癒してもらった。
事前にある程度の情報は集めていたつもりだったが、ヤデル伯爵の罪を暴いていくにつれ、伯爵邸の使用人達から彼女がどのような日々を送っていたのか、細かな詳細を知り、私は言葉を失った。
何故だ。
どうして彼女が、と。
そればかりが頭を回る。
そうして、私は不意にある事を思い出した。思い出したくもないが、私には魅了の魔法に掛かっていた時の記憶が残っている。全てではなく、多少曖昧な記憶もあるが。
マリアンヌとヤデル伯爵の結婚式で、私が酷い頭痛と吐き気に襲われていた時、あの女が―――
『やっぱり悪役令嬢の運命は決まっているのね』
マリアンヌの花嫁姿を見て、口元に笑みを浮かべるあの女が、ポツリとそう零したのだ。
悪役令嬢という意味が分からなかったし、途中で吐きそうになって式を退場してしまい、すぐにまたあの女の魅了の魔法に深く掛かってしまった為に抜け落ちてしまっていたが……
運命とは、一体どういう事だ?
その日の深夜。
私は近衛騎士を一人護衛につけ、王宮敷地内にある地下深くの独房へと向かった。マリアンヌには処刑したと伝えたが、あの女は今現在も、どうやって魅了の魔法を手にしたのか、誰かの差し金だったのか、此方からの様々な質問に対して、拷問という名の取り調べを受けている。
勿論、魔法封じの手枷はしっかりと嵌められており、あの恐ろしい魅了の魔法は使えない。
私が看守に声をかけ、あの女の独房の前へと進み出ると、まだ余力があるのか、あの女が「フェリクス!!」と私の名を呼んだ。
「その穢れた口で私の名を呼ぶな」
吐き気がする。
私の言葉が未だにこの女には信じられないらしい。鎖で四肢を繋がれた状態で、酷く驚いて困惑した顔をする。
「どうしてなの?私は完全に貴方を攻略した筈なのに……!」
「また訳の分からない事を。貴様は自分の置かれた現状を理解していないのか?」
「だっておかしいもの!どうしてヒロインである私が拷問なんて受けなくちゃいけないの?こんなのおかしいじゃない!!」
「……随分と元気だな。ジェルド、拷問官にやり方が手緩いと伝えてくれ」
「承知いたしました」
「そんなっ?!どうしてなの?!」
「煩い。貴様に訊きたい事がある。答えろ」
「……っ」
答えなければ分かっているだろうな?と、圧をかければ、此方が手緩いといっても拷問を経験した女は酷く青褪めて口を噤んだ。
「以前、悪役令嬢の運命は決まっていると零した事があっただろう?あれは一体どういう意味だ?」
「……何それ。いつの話?」
シュゼットがそう言うと、私の背後に控えているジェルドが彼女を睨み付けた。
「貴様。先程から殿下に対して何と無礼な。身の程を弁えろ!」
「ひっ!」
「いい、ジェルド。今は口を出さないでくれ」
「はっ。出過ぎた真似をしてしまい、申し訳ありません」
「いや、お前は何も間違っちゃいないよ。謝らないでいい。ただ、今は……」
どうしようもなく胸がざわつく。
この女が口にした悪役令嬢とは、誰の事だ?
まさか、マリアンヌ……?
しかし、どうしても清廉潔白な彼女と、悪役令嬢という単語が結び付かない。
「一年前。マリアンヌとヤデル伯爵の結婚式での事だ」
そう教えると、シュゼットはまた訳の分からない事を口にし始めた。
「そうよ。悪役令嬢のマリアンヌだって、多少の修正はしたけど、ちゃんとシナリオ通りにヤデル伯爵の元へ嫁いだのに!!やっぱりこんなのおかしいわ!!」
やはり、この女が言う悪役令嬢とは、マリアンヌの事らしい。
彼女のどこが悪だと言うんだ?私には全く理解出来ない。
それに今、この女は何と言った?
多少の修正はした?シナリオ通りにヤデル伯爵の元へ嫁いだ?
「多少の修正とは何だ?シナリオ通りとは、どういう意味だ」
「……それは……」
「答えろ」
そうしてシュゼットは、せわしなく瞳を泳がせた後、ボソボソと答え始めた。
「ヒロインに陰湿でえげつないイジメを繰り返した悪役令嬢は、婚約破棄されて罪を裁かれ、平民へと堕とされるのよ。その後に、女好きで最低なヤデル伯爵に拾われて悲惨な最期を迎える筈だったの」
「……何?」
「でも、最初からおかしかったのよ!悪役令嬢のくせにマリアンヌは全然私をイジメてこないし、婚約破棄されたって平民堕ちもしなかった!!だからシナリオを修正する為に、侯爵家に手紙を送ってやったのよ!!マリアンヌを妻に欲しがってる伯爵がいるって!!」
「?!」
「そうしたら、ちゃんとシナリオ通りにマリアンヌはヤデル伯爵のもとへ行ったわ!!だからやっぱり、シナリオは、運命は変わらないのよ!!こういうのを強制力って言うのかしら?ね、だからフェリクス。私は貴方を選んであげたんだから、早くこんな――――」
「黙れ」
身体が怒りで震える。
この女は何なんだ?
どうしてこんな女がいるんだ?
要するに、コイツが
この女が
その馬鹿げたシナリオなんてものの為に、わざわざマリアンヌをヤデル伯爵の元へ嫁ぐように仕向けたという事だ。
悲惨な最期を迎えるのが、マリアンヌの運命だと?
ふざけるな。
「ジェルド、剣を貸せ」
「御意」
「それから、魔法師のロイクを呼んできてくれ。とても一度や二度では足りそうにない」
「承知いたしました。……くれぐれも殺してしまわないよう、ご注意を。」
「気をつける」
ジェルドから剣を受け取ると、ジェルドは看守の元へ足早に向かった。ロイクに連絡をする為だ。
「フェリクス……?冗談は止めてよ。愛している私に剣を向けるの?」
「誰が誰を愛してるって?……確かに、今の私は焦がれているよ。今すぐに、貴様を切り刻んでやりたくて堪らないほどに。」
地下深くの独房で、耳をつんざくような悲鳴が響き渡る。
私は返り血を浴びながら、この女だけじゃなく、何度もこの身を同じ様に切り刻み息の根を止めたくなった。
こんな狂った女の魔法に掛かってしまっていた己が一番許せない。
空が白み始めるまで、悲鳴は鳴り止まなかった。
……………………
…………
「身体がどこも痛くない……」
一体いつぶりだろうか。
身体が酷く軽い。
窓の外を見れば、天気も良い。
伯爵邸にいた時は、どれだけ天気が良くても全てが灰色に見えていたのに。
「……後で、散歩でもしようかな」
そう呟いてふかふかのベッドから身体を起こすと、私付きとなってくれた侍女が、部屋の外から声をかけてくれた。
「マリアンヌ様」
「はい」
「おはようございます。入ってもよろしいでしょうか」
「おはようございます。どうぞ、入って下さい」
「失礼致します」
中へ入って来てくれた侍女はミシェルと言う名で、婚約破棄以前から王太子宮へ来る機会があった時に何度もお世話になっていた人だ。
「朝のお仕度をお手伝い致します」
「ありがとうございます」
「マリアンヌ様、そのような礼は不要です。さぁ、まずはこちらでお顔を洗いましょう」
用意してくれた温かなお湯で顔を洗ってから、品の良いワンピースドレスへと着替えて、ミシェルが軽く化粧を施してくれて、髪を優しく梳かしてくれる。
髪が艶々だ。
侍女からこんなに丁寧に扱われるのは久しぶりで、少しだけ落ち着かなかった。
今の私は、身分なんて無いようなものだし。
「朝食を此方にお運び致します。何か嫌いなものなどございますか?」
「いえ、特には。……あの、フェリクス様は?」
「殿下は朝の鍛練をしているお時間かと。お呼び致しましょうか?」
「え?!鍛練中なんですよね?」
鍛練中なのに、そんな簡単に呼び出したりして大丈夫なのだろうか?
そう思って私が困惑していると、ミシェルはにこりと柔らかく笑って、安心させるような優しい声で答えてくれた。
「はい。マリアンヌ様が何よりも最優先だと仰っておられましたから。マリアンヌ様が呼べば、必ず、来て下さいますよ」
何よりも最優先。
元婚約者である私に同情して?
でも、彼は王太子だ。
ただの同情で、私を何よりも最優先にするだろうか?
思い出すのは、ここに来てから目にした彼の切ない瞳や、悔しげな表情。私を気遣いながら、ずっとずっと何かを抱えているように見えた。
気持ちを捻じ曲げられる前の、彼の蕩けるような笑顔を思い出す。
――――彼に会いたい。
* * *
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