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旧Ver番外編(※書籍化本編とは関係ありません)

アルディエンヌ聖公爵*ノアのその後①*

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「だ、駄目です…………っ、わ、私は神に全てを捧げた身で……」

彼女は顔を紅潮させながら、抱きしめてきた男の胸を押し返し、必死に抗おうと抵抗する。
しかし、男の方は拒絶されたにも関わらず、キョトンと目を丸くして、感心したように答えた。

「凄い。毎晩寸止めの淫夢を見せられて、身体は限界だろうに。まだそんな理性があるだなんて、見上げた忍耐力だ」
「いん、む……?」
「清らかな聖女様は、自慰なんて知らないだろう?さぞ辛かったろうに。……怖がることはない。僕はただ、君を助けてあげたいだけなんだ」

そう言って、彼女が聖公爵と呼んだ恐ろしく顔立ちの整った男がにこりと優しく微笑めば、彼女は感激したように瞳を潤ませた。彼こそが、慈悲深き神の代理人だと確信したような表情で、「お願いします」と頭を下げた。

(――僕がそうなるように仕向けたというのに、僕の言葉を全部信じ込んでしまうなんて)

なんと素直で純粋で愚かなのだろう。
腹の中で嗤いながら、深紅に染まる瞳を細めて、苦し気にフラつく彼女を支えながらベッドへと連れて行く。

「さぁ、ベッドに座って。それで何処が一番辛いのか、僕に見せて、教えてくれる?」
「それは……っ。で、できません。聖公爵様に、汚いところをお見せするわけには……」
「見せてもらわないと、きちんと治せないからね。だから、全部見せて。それと、僕のことはって呼んで欲しいな」
「のあ……さま……」

――彼の名前はノア・アルディエンヌ。
リトフィア王国の王族に忠誠を誓う、アルディエンヌ公爵家の現当主。
そして、戦争にて国を救った英雄として、神殿の最高位に就くと呼ばれていた。


***

「…ふぅ」

アルディエンヌ公爵領の端、人里離れた深く険しい森の奥地にて。その奥地に公爵家本邸と見紛う程の邸宅があり、その邸宅内の一室にはライディングデスクに頬杖をつき溜息を吐く菫色の髪をした女性――ヴィクトリアがいた。

「どうかなさったのですか?ヴィクトリア様」

彼女の従者であり従魔でもある、インキュバスのフィルが紅茶の用意をしながら問い掛ける。

「…ノアから手紙の返事がこないから、ちょっと気になっちゃって。ルカ先生から何か聞いてる?」
「……ええ、少し。ノア様のことでしたら、心配せずとも大丈夫でしょう。どうやら、気になる女性ができたようで」
「え?!」

驚くヴィクトリアの表情には喜色が浮かぶ。様々な事情があって、ヴィクトリアは過去の記憶を無くしてしまっている。けれど、自身が愛する者たちへの気持ちだけは残っていて、それは我が子に対しても同じであった。初めのうちこそぎこちなかったが、今では記憶がなくとも新しい思い出を作り、以前と同じ様に接している。ヴィクトリアたちがこの邸宅に移り住んでからは、直接会うことが難しく、主に手紙でのやり取りが多いのだが――

「いよいよ、ノアにもお嫁さんが…!」
「待って下さい、ヴィクトリア様。気が早過ぎます。今回は珍しく執着しているとの報告を受けていますが、ノア様はいつも気まぐれなので、今後どう転ぶかは…」
「こうしちゃいられないわ!すぐにエリックたちにも報告しなきゃ!」
「待っ…お待ち下さい、ヴィクトリア様!」

興奮しているヴィクトリアは、まるで少女のようにはしゃいでいて、全くフィルの言葉を聞いていない。そのまま部屋を飛び出してしまった主を、急いでフィルが追いかけていく。
記憶を無くす前ならば、はしゃいで部屋を飛び出していくなど、とても考えられない行動だ。だが、気持ちが赴くままに行動する今の彼女も、以前の彼女と根っこは同じ。大事な者の為に奔走する彼女は、やはり彼らにとって愛おしい存在なのだ。

…………
……

「…リアにノアのことを話しては駄目だと言っただろう?」

元アルディエンヌ公爵家当主であり、人間だった者たちの中でヴィクトリアの一番目の夫であるエリックが困ったように眉根を寄せながらそう言った。

「ヴィクトリア様に訊かれたもので」
「リア至上主義なのは分かっているけど、こうなってしまうことは予想できただろう?」

興奮し過ぎたヴィクトリアは、今は寝室のベッドで眠っている。激しい感情の起伏によっても、魔力は暴走してしまうからだ。今では殆ど安定しているが、あまりに感情が昂ると、時々こうしてプッツリと気絶するように倒れ込んでしまう。

「そのことについては申し訳ないと思っています。…子供の恋愛に、ここまで関心があるとは思っていなくて…」
「エリック、彼は淫魔なのですから仕方ないですよ。淫魔は本来、子供に関心を持ったりしませんから。いくら元人間とはいえ、彼女が異質なのです。まぁ、そこが可愛らしいですが」
「ディオン」

ディオンと呼ばれた男は、王太子時代のエリックの側近であり、ヴィクトリアの夫の一人となったジルベールの生まれ変わりだ。今世での名前はディオン。フィルの双子の片割れであるナハトや、色欲の悪魔であるアスモデウス、聖獣のシュティはディオンのことをジルと呼んでいる。彼ら曰く、見た目や生まれではなく、魂で判別しているから、だそうだ。

「ノア様は実に賢い。自分自身の力の全てを聖獣シュティの加護だと偽り、好機を逃さず、もっとも効果的な手段でそれを人々に公表してしまったのだから」

ディオンの言葉に、エリックが同意しつつも、大きく溜息をついた。

「まぁ、そうだな。…今では聖公爵と呼ばれ、以前は全く無関係だった神殿のトップになっているし」

ヴィクトリアが記憶を無くした後、エリックたちは時期を見て爵位を息子のノアへ譲渡した。
しかし、その数年後に国同士の戦が起きたのだ。リトフィア王国の豊富な資源などを狙ってのことだった。
…その際に活躍したのがノアだった。ただの人間であれば考えられないような圧倒的なまでの力を見せつけてリトフィア王国を勝利へと導いたノアは、褒賞を与えられる場で自身の力が聖獣から与えられた加護によるものだと告げ、聖獣シュティをその場で召喚したのだ。普段の可愛らしい子犬姿ではなく、立派で雄々しい成犬の姿で現れたシュティは神々しく、正しく聖獣そのもので――

その瞬間からノアは聖公爵と呼ばれるようになり、長寿であるのも外見が若いままなのも、全て聖獣の加護のお陰だと話し、堂々とアルディエンヌ公爵として今も生きている。しかも、戸籍上のノアの父親は民衆から慕われていた元王太子で、母親は絶世の美女と謳われる公爵家の令嬢。しかも彼女は結婚後、領地民の為に尽くし、夫であるエリック共々、民衆にとても慕われていた。そんな彼らの息子であるノアならば、聖獣からの加護を受けても何ら不思議はない。そういった背景が後押しし、誰一人として疑うことなく、ノアはその地位に就いている。実際には、ノアが引き継いでいるのはシュティの力だけではなく、淫魔や悪魔の力も全てが混ざり合っているのだが。それを知っているのは、この場にいる者たちのみ。だがまぁ、全てが嘘というわけではない。シュティの聖なる力も、きちんと引き継いでいるのだから。故に、ノアは聖なる力を行使し、怪我人の治癒なども可能なのだ。だからこそ、神殿もノアを崇めているわけで。

「連絡係となってくれているロマーニ先生は?」
「ルカからの報告はきちんときていますよ。ノア様がある聖女に夢中であると」
「聖女たち、ではなく?」
「初めはそうでした。聖女たちに毎晩寸止めの淫夢を見せて、限界まで欲求不満にさせてから、挿れてと自ら欲しがる彼女たちの精気を食していたようです」
「悪趣味だな…」
「ええ。ですが、今回は一人だけとても我慢強い聖女がいたようで。その聖女を落そうと頑張っているそうです」
「……そうか」

その場にいる男性たち全員が何とも複雑な顔をする。ノアは母親であるヴィクトリアが交わった相手の全ての精気が混ざり合って産み落とされた異質な存在。故に、ヴィクトリアと交わった男性全てがノアの父親であり、それはこの場にいる男性全員を指していた。

「一体誰に似たのでしょうね?」

ジルベールの生まれ変わりであるディオンの言葉に、それとなく目を逸らす父親たち。ジルベールの生まれ変わりであるディオンも、当然ながらノアの父親の一人。故に、彼も相当サディストなはずなのだが、まだ目覚めていないのか、それとも若さ故に今はまだ余裕がないのか。今のところ、彼の行為は他の者たちに比べ、であった。

「…ともかく、ノアが本当に身を固めるつもりがあるのかどうか、引き続き報告を頼むとロマーニ先生に伝えてくれ」
「分かりました。もし、ノア様が本気であったなら、どうなさるおつもりなのですか?」

フィルの問いに、エリックは難しい顔をする。

「まぁ、別に結婚するとなっても問題はないだろう。僕はノアが幸せであるなら、どんな結果を選んだとしても構わないさ。だが、聖女は所詮ただの人間だ。ノアとは何もかもが違い過ぎる」

エリックはチラリとベッドで眠っているヴィクトリアへと視線を向けた。そうして、かつて人間だった者たちにはエリックが何を考えているのか理解していた。かつて自分たちも思い悩み決断したからだ。
――愛しい人との未来を諦めきれず、人間を辞めようと決意した。

「できるだけ傷つかなければいいなと思う。……まぁ、無理な話だとは思うけどね」

雨音が聞こえてくる。
窓の外を見れば、いつの間にか晴れていた空は曇っていて、ポツポツと大粒の雨が降っていた。


***
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