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第三章 旅の始まり

第28話 海の上

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「ぐあっ、ぐええええっ」
「ぐええええ、ぐえええええええ」
「くあ? きゅっ、きゅっ、きゅっ」

 部屋の隅で木桶を抱えている俺とシモンを尻目に、ポチがお気楽な声をあげて船室内を歩き回っている。
 ぐ、ぐえええ。
 ポチ、お前平気なのかよ!
 激しい揺れに身を任せながら、俺とシモンはこれまでの人生でも五指に入るハードな一日を過ごした。

 ◆◆◆

 そもそもは漁船に乗ってすぐのこと。

「お前ら、どうせ今日一日は使い物にならねえだろうし、部屋で休んどけ。俺の最新型のこの相棒をぶっ飛ばして、一気に最初の漁場まで行くからな、明後日までには揺れに慣れとけよ」

 そんな船長の言葉を受けて、俺とシモンとポチは船室に行った。もう一人の新人も同じように船室に引き上げた。
 船は8人で乗るには充分な広さがある。全員個室にすることも可能だったが、二人部屋も話し相手がいて良いだろうというシモンの意見によって同室になったのだ。
 荷物を整理して、ベッドに腰掛けてのんびりしていると、船が動き始めた。
 船長の相棒であるこの船、さすが最新型と言って良いだろう。最初は動いているのかどうか分からない程、滑らかにすべりだした。港を出て少したってから急激にスピードが上がる。船窓から外を見れば、海面を割ってまさに飛ぶように海を渡っている。
 ただスピードが速いだけなら大丈夫だっただろう。足を強化しての高速移動には慣れている俺だ。しかしこの船、とにかく揺れるのだ。高速移動に加えて、左右に揺れ、上下に弾む。ベッドから転げ落ちないようになるにも、しばらくかかった。

「おーい、お前ら。飯は食えるか?」

 ドアの外で何か聞こえたような気がしたが、ぐええええ。
 隣でシモンもぐったりしている。

「きゅっきゅっきゅっ」

 ドアが開くと、ポチがご機嫌でしっぽを左右に揺らしながら船員についていくのが目の端に見えた。

「おー、ポチだっけ?お前は平気なのか。さすがだな」
「くえ」
「何でも食えるんだよな?魚は好きか?」
「くえええっ、くえっ」
「そうかそうか、よし、じゃあ昼飯を食いに行くぞ」

 バタン。
 ドアが閉まって、俺たちはまた、静かな部屋に二人でぐええええええ……。

 ◆◆◆

 人は何事にも慣れるもので、胃の中のものをすっかり吐き出して一日もたつと、俺もシモンも船の揺れに身体がついていくようになった。
 夜には心配そうに俺とシモンの間を行き来してそっと治癒魔法を使ってくれたポチだったが、今は安心して眠っている。

「本当に酷い揺れですね、リクさん」
「ああ、全くだ」
「朝ごはん食べに行きますか?」
「食わねえと動けなくなるからな」

 吐いた物を片付けて船室を出ると、船員たちが声を掛けてくれる。

「お、今回のバイトは活きがいいな。もう起きてこれたのか」
「は、はい」
「じゃあさっさと食ってきな。それから仕事だ」

 食堂に行くと、もう一人の新人がテーブルに着いていた。
 朝はパンと干し肉、果物を保冷庫から自分で取ってきて食べる。昼と夜も似たようなもんだが、暇な船員が気まぐれに料理するので、少なくとも毎日一食は暖かいものが食べれるらしい。

「ああ、おはようございます。昨日はお疲れでしたね」
「お、おう。お前さんは元気そうだな」
「ええ、わりと環境になれるのは得意なのですよ。私、レーヴィと言います」
「リクだ」
「シモンと言います、よろしくお願いします」

 レーヴィは三十過ぎくらいの真面目そうな人族のおっさんだ。メガネをかけていて冒険者というよりも書類仕事が似合いそうだが、涼しい顔をして朝食を食べている。乗船した時に比べて少しやつれた俺とシモンよりは、よほどこの殺人的な揺れに対応できているようだ。

 俺たちが食べ終わるのを待って、一緒に船員から仕事内容を聞く。船員の一人で、短い赤毛をツンツン立てた若者ゲルトは、仕事の説明をしながら船内を案内してくれた。
 操舵席は立ち入り禁止ということで、外から見せてもらう。大きな舵の前に船長が立って海を眺めているのが見えた。その周りには色とりどりの魔石らしきものがちりばめられた金属板があり、時折光を発しているのできっと何らかの魔法を使っているのだろう。
 信じられないことに、昨日の揺れは「海が凪いでるからな。まだましな方だぜ、がはははは」ということだ。確かに海面は静かで、時折海鳥が船の後ろの泡立った海面に突っ込んでは魚のようなものを捕まえているのも見れた。

「サイラードと大陸の間には島の多い場所もあるが、この船が向かっているのは西に少し離れたところだ。大物のクラーケンは深い海に住んでるんだぜ。その辺まで行くと島はほとんどねえ。船を飛ばすのは快適だが遭難したら陸まで泳ぐのは大変だから、気を付けな」

 俺たちは船の扱い方は分からないから、仕事は主に掃除、釣り上げた魔物と戦う、あとは魔法が使えたら獲物を冷やすとか、料理ができるなら食事の準備だとか。基本的には普段は船長以下五人の船員たちでやっている事なので、掃除と戦闘以外は「気が付いたらやってくれよな」と、気楽な感じだ。

「掃除も、こう揺れているときにはできないから、高速移動の時は好きに過ごしてくれ。今日は昼過ぎに最初の漁場に着くから、準備しといてくれよな」
「はい、分かりました」
「ああ」
「はい」
「じゃあ俺も仕事に行くから。船の揺れが収まったら甲板に集合な!」

 時間までは部屋で武器の手入れをしながら、のんびりと過ごした。

「くあっ、くえっ、ぐえええ」

 ベッドの上で転がって遊んでいるポチ。
 ポチを追いかけてゴロゴロ転がるシモン。

「おい、シモン。お前デカいんだからそんなに転がるなよ。また酔うぞ」
「大丈夫ですよ、もう上手に転がるコツは掴みました。ね、ポチさん」
「いいから武器の準備しとけって」
「はあーい」

 そうして昼過ぎ、軽く食事をとっていると、それまで揺れに揺れていた船の動きが緩やかになり、やがてただ波に揺られるだけになった

「準備はいいか、野郎ども。今から魔物を釣り上げるぜ!」
「「「おう!」」」

 舵を他の船員に預けて、船長が甲板に出て指揮を執っている。
 船の縁には先ほどまでは無かった金具が取り付けられていた。金具の先端の輪には船の中央に固定されたワイヤーロープが通されていて、釣り竿の代わりのようだ。
 徐々に延ばされていくワイヤーの先が海に沈んでいくと、バシャバシャと小魚たちが海面で騒ぐ。
 と、ほどなくグイッと引っ張られたワイヤーに、船が少し傾いた。

「お、今回は初っ端から幸先が良いぜ」
「大物が来るぞ、バイトは気をつけろよ」
「引き上げるぜ、せーの」

 てきぱきと仕事をこなす船員たちの周りで、武器を構えて待つ俺とシモンとレーヴィ。大きく揺れる船にバランスを崩さないよう、身体強化で足腰に力を入れる。
 シモンとレーヴィも器用にバランスよく立っていた。ポチは全く問題なく普段通りだ。

「上がるぜ、そーれ!」
「来た!大物だ」
「ギュルルルル!」

 ワイヤーに絡みついて上がってきたのは、大きさが人の二倍はある、巨大で不気味な姿の怪物だった。

「足に気をつけろ、絡まれたら厄介だ」
「おう!」

 一抱えもある丸い頭の下の方に、ぎらぎらと光る黒い眼がいくつも並んでいる。その下には身体がなく、うねうねとした長いものがいくつも生えている。これが足か。青黒いその足のうち数本は、船の縁に絡みついてその怪物の頭を支え、残りの数本がこちらに向かって伸ばされてきた。

「ギュルルルル!」

 気味の悪い叫び声をあげる魔物。

「よし、足を落とせ」
「おう!」

 船長の掛け声とともに、一斉に俺とシモン、手の空いた船員が足に攻撃を加えていく。
 暴れる魔物にポチとレーヴィが駆け寄った。

「くえええっ」
「その動きを止めよ、グラキエス!」

 トンと床を叩いたポチの足元から魔物に向かって霜が広がる。ほぼ同時にレーヴィの杖から魔法が飛んだ。
 二人とも選んだのは温度を下げる魔法のようだ。周りに配慮して全力ではないようだが、魔法の効果は現れて魔物は動きを緩める。

「今だ!」

 ポチの動きを見て、準備していた甲斐があった。俺は足と腕に目いっぱい魔力を注ぎ、高速移動で魔物に近付くと、弱点と聞いていた目のうちのひとつに飛び込んで剣を突き刺した。
 確かな手ごたえを感じて剣を抜く。
 俺が飛び下がった後の甲板に、魔物が振り回した足が叩きつけられた。
 さすがに一撃では倒せなかったが、明らかに動きが弱まった魔物は、その後の全員の攻撃に徐々に手傷を負い、やがて完全に動きを止めた。

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