明治ハイカラ恋愛事情 ~伯爵令嬢の恋~

泉南佳那

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第七章 桜降る春に

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***

 それから数カ月の後、桜子は天音とともに英国に向けて旅立った。

 前職を辞めていた天音は、忠明に請われ、中島商会の倫敦支店で働くこととなった。

 今回の英国行も忠明と、彼の秘書である坂上夫妻と一緒だった。

 外国航路の一等客船は海外の要人も乗ることから、絢爛豪華な造りとなっていた。
 
 食堂や娯楽室も充実しており、約一カ月半の長旅を、できるだけ快適に過ごせるような工夫が随所になされている。
 

 
 乗船して二週間ほど経ったある日、天音は桜子にある贈り物をした。

 満面に笑みを浮かべて船室に入ってきた彼は、抱えてきた薄い長方形の箱を寝台の上に置き、桜子を呼んだ。

「開けてごらん」
「なんですか?」
「いいから、早く」

 天音は片手で自身の顎を触りながら、桜子の反応をうかがっている。

 桜子が箱を開けると、入っていたのは美しいシルクのローブ・デコルテだった。

 色は桜色。

 彼女がはじめて着たドレスと同じ色だった。

「まあ……」
 桜子は豪奢なドレスを手にして、思わず感嘆の声をもらした。

「このようなもの、いったい、いつご用意なさっていたの? まったく気づかなかったわ」

 天音は得意げにニヤリと笑った。

「日本を出航する前に、香港の洋装店に頼んでおいたんだよ。停船した時に届けてもらった。夜会に着ていく服は持参していなかっただろう? これを着た桜子をエスコートして今晩の舞踏会に出たいと思ってね」

 船上では長旅の無聊ぶりょうをなぐさめるため、連夜、舞踏会が開かれていた。

 桜子もそのことは知っていたが、幼子を連れている自分は、夜会には参加できないものと思っていた。

「でも、春子がおりますから」

「今晩だけ、坂上さんの細君が預かってくれるそうだよ。桜子にも、たまには息抜きが必要だと言ってくれてね」

 
 そういえば、もうずいぶん、ドレスを着る機会もなかった。


「なあ、桜子。ぜひ俺のためにこのドレスを着てくれないか」
 
 桜子はかつての天音の言葉を思い出した。

 『美しく着飾った桜子を見られないのがつらい』と。
 
 そうだ。
 今のわたくしは、天音のためだけに美しく装うことができるのだ。

「ええ、わかりました」
 彼女が頷くと、天音は顔を綻ばせた。

「素敵な贈り物をありがとうございます」
「どういたしまして」
 天音は少しおどけて、胸に手をあて、礼をした。
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