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第六章 別離

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 天音の子を宿していることがわかってから、桜子は人が変わったように落ち着きを取り戻した。

 この子を守らなければならない。

 そのことが桜子の気持ちの支えとなった。

 食事もきちんととるようになり、身体に触らないほどの軽い運動や病院内の散歩もし、夜もよく眠るようになった。
 
 そして、入院の原因だった自殺願望もすっかり鳴りをひそめ、退院できるまでに快復した。

 そうなると、案じられるのは子供のことだ。

 現在、妊娠三カ月目。

 入院中は桜子を刺激しないように配慮したのか、父も母もそのことにあえて触れてこなかった。

 話すこと自体、医者に止められていたのかもしれない。

 けれど退院すれば、そうは言っていられない。

 桜子の気持ちは定まっている。
 もちろん、生んで育てる。
 それ以外の選択肢はありえない。

 両親にいさめられようとも、たとえ勘当されることになっても、ぜったいにこの子を守り通す。

 その決意はゆらぐようなものではなかった。
 けれど帰宅後、母に部屋に呼ばれたときは、やはり緊張で息がつまりそうになった。
 
 天音、どうか、わたくしを守って。

 心のなかで祈りながら、母の部屋の扉をノックした。

 「どうぞ」という声とともに、女中が扉を開けた。

 桜子は母の向かいの椅子に腰かけた。

 母は「元気になって、本当に良かった」と喜びに溢れた顔で桜子を見つめた。

「お父様、お母様が見守ってくださったおかげです。ありがとうございました」

 桜子の返答に微笑みを返した後、母は唐突な提案をしてきた。

「わたくし、桜子は京都の御祖母様のところで暮らすのが良いのではないかと思っているのだけれど」
 
「御祖母様のところ、ですか?」

 お腹の子の話をされるとばかり思って身構えていた桜子は、一瞬、気勢をそがれた。

「ええ。もう学校もやめたのだし、新聞沙汰になってしまったせいで、東京だと未だに世間がうるさいでしょう。御祖母様のいおりならば落ち着いて暮らせるのではないかと思って」

 京都は母の実家がある地で、祖母は数年前に出家して、小さな庵を結んでいた。

 それに、と母は顔をあげ、桜子の目を見た。

「子供を育てるのにも、あちらの方が環境がよろしいのではないかと思って」

 子供を……? 育てる?

「お母様……それでは」

 母はにこやかな顔で頷いた。

「お父様は『桜子はもう傷物だ。堕胎させて、爵位を欲しがっている商人にでも嫁がせろ』なんて、とんでもないことをおっしゃっていたけれど、わたくし、断固反対しましたのよ。そんな身売りのようなことを愛する娘にさせるわけにはいかないって。最後にはお父様もしぶしぶ了承されたわよ」

 母が父を説得?
 ますます信じられない話だった。

 これまで、母が父の言葉に逆らったところなんて、一度も見たことがなかったから。

「お母様、本当によろしいのですか?」

「それはこちらが聞くことよ。もう他のお嬢さん方のように、旦那様にお守りいただくことはできないし、世間の風当たりも強い。なにより父親のない子を育てるのだから、並大抵のことではおぼつきませんよ。本音を言えば、娘にそんな茨の道を歩ませたくはないけれど」

 母は未だかつて見たことのない、真剣な眼差しを桜子に向けた。

「貴女にその覚悟があるのなら、わたくしは応援するつもりよ」

「もちろん、覚悟はあります」
 桜子はきっぱり断言した。
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