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第六章 別離
五
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天音は見知らぬ部屋の寝台の上で目覚めた。
木目の美しい板張りの天井が目に入ってくる。
寝返って横を向くと、大きな窓があり、そこから湖が見える。
清潔で居心地の良い部屋だ。
寝ぼけてぼんやりとしていた頭が、徐々にはっきりしてきた。
ここがどこだかわからないが、助かったということだけはわかる。
天音は安堵して、大きく息をはいた。
桜子とのことが露見し、さんざん鞭で打たれて、まるで犬か猫のように林のなかに置き去りにされた。
意識はあったが、身体の節々が痛み、なかなか起き上がることができず、ずいぶん長い間、そのまま地面に横たわっていた。
そのうち、辺りが暗くなってきた。
陽は傾き、草むらでは虫が鳴きだし、遠くから犬の遠吠えが聞こえてきた。
まずいな。
暗くなれば、血のにおいをかぎつけた野犬がやってくるだろう。
こんなに傷ついた身体で、そんな奴らに囲まれたらひとたまりもない。
起き上がらなければ。
こんな山の中で、人知れず犬の餌食になってくたばるなんてごめんだ。
天音は総身の力を振りしぼって立ちあがった。
頭ががんがん痛むが、さいわい脚は折れていない。
ちゃんと動く。
とにかく、湖までいこう。
そこまで行きつくことができれば、助けを求めることもできる。
途中、何度も転び、足を踏み外して危うく斜面から落ちそうにもなった。
それでもどうにか、林を抜け、湖畔の別荘地にたどり着いた。
そこまでは覚えているが、そのあとの記憶はなかった。
「お目覚めかな」
日本語ではなく、英語で問われた。
急に声をかけられたことに驚き、扉の方を振り向くと、紺の背広を着た外国人の紳士が立っていた。
「ここはいったい?」
起き上がろうとすると、激しく頭が痛んだ。
「起きないほうがいい。まだ熱も高いようだ」
その男性は天音を寝かせると、枕元に椅子を置き、そこに座った。
「昨晩、君はこの建物の前で倒れていたんだ。リンチを受けたようだね。医者には診てもらってある。すり傷や打撲はひどいが、どこも骨折はしていないようだ」
「ここはどこですか?」
天音は英語で尋ねた。
「英国大使館のカントリー・ハウスだよ。私は駐日大使の秘書官のチャールズだ。君の名前は?」
「天音です」
「アマネ……美しい響きだね」
「ありがとう」
「まだ顔色が悪い。しばらくゆっくり休むといい。元気になれば事情を聴かせてもらわなければならないが」
「はい、わかりました」
そう言って頷くと、天音はふたたび目を閉じた。
***
献身的な看病のおかげで、二、三日経つと、天音の体力は回復してきた。
もう床についている必要もなくなった。
往診に来た医師も、天音の快復の速さに舌を巻いた。
「アマネ」
診察を受けた応接室から部屋に戻ろうとしたところ、医師と入れ替わるように、チャールズと、英国人があと二人入ってきた。
チャールズは初老の紳士をサー・ハロルド・バークリー大使、もう一人は通訳だと紹介した。
大使は天音に握手を求め、それから穏やかな声で言った。
「さて。では、詳しいいきさつを話してくれるかな」
天音は頷くと、これまでのことを英語で説明しはじめた。
吉田伯爵家に家丁として仕えていたこと。
令嬢と恋仲になり、それがばれて、折檻を受け、追い出されたこと。
それらを包み隠さず話した。
天音の英語は、通訳の必要もないほど流暢で、三人は大いに驚きを示した。
「なるほど、では、もうその家には戻れないわけだな。しかし、暴行は行き過ぎだ。人道的見地から見過ごせない。訴える気があれば、手助けすることはできるが」
「いえ、できれば事を荒立てたくないです。同意があったとはいえ、俺が令嬢を外に連れ出したのは事実ですから」
「そうか」
大使は鷹揚に頷いた。
天音は見知らぬ部屋の寝台の上で目覚めた。
木目の美しい板張りの天井が目に入ってくる。
寝返って横を向くと、大きな窓があり、そこから湖が見える。
清潔で居心地の良い部屋だ。
寝ぼけてぼんやりとしていた頭が、徐々にはっきりしてきた。
ここがどこだかわからないが、助かったということだけはわかる。
天音は安堵して、大きく息をはいた。
桜子とのことが露見し、さんざん鞭で打たれて、まるで犬か猫のように林のなかに置き去りにされた。
意識はあったが、身体の節々が痛み、なかなか起き上がることができず、ずいぶん長い間、そのまま地面に横たわっていた。
そのうち、辺りが暗くなってきた。
陽は傾き、草むらでは虫が鳴きだし、遠くから犬の遠吠えが聞こえてきた。
まずいな。
暗くなれば、血のにおいをかぎつけた野犬がやってくるだろう。
こんなに傷ついた身体で、そんな奴らに囲まれたらひとたまりもない。
起き上がらなければ。
こんな山の中で、人知れず犬の餌食になってくたばるなんてごめんだ。
天音は総身の力を振りしぼって立ちあがった。
頭ががんがん痛むが、さいわい脚は折れていない。
ちゃんと動く。
とにかく、湖までいこう。
そこまで行きつくことができれば、助けを求めることもできる。
途中、何度も転び、足を踏み外して危うく斜面から落ちそうにもなった。
それでもどうにか、林を抜け、湖畔の別荘地にたどり着いた。
そこまでは覚えているが、そのあとの記憶はなかった。
「お目覚めかな」
日本語ではなく、英語で問われた。
急に声をかけられたことに驚き、扉の方を振り向くと、紺の背広を着た外国人の紳士が立っていた。
「ここはいったい?」
起き上がろうとすると、激しく頭が痛んだ。
「起きないほうがいい。まだ熱も高いようだ」
その男性は天音を寝かせると、枕元に椅子を置き、そこに座った。
「昨晩、君はこの建物の前で倒れていたんだ。リンチを受けたようだね。医者には診てもらってある。すり傷や打撲はひどいが、どこも骨折はしていないようだ」
「ここはどこですか?」
天音は英語で尋ねた。
「英国大使館のカントリー・ハウスだよ。私は駐日大使の秘書官のチャールズだ。君の名前は?」
「天音です」
「アマネ……美しい響きだね」
「ありがとう」
「まだ顔色が悪い。しばらくゆっくり休むといい。元気になれば事情を聴かせてもらわなければならないが」
「はい、わかりました」
そう言って頷くと、天音はふたたび目を閉じた。
***
献身的な看病のおかげで、二、三日経つと、天音の体力は回復してきた。
もう床についている必要もなくなった。
往診に来た医師も、天音の快復の速さに舌を巻いた。
「アマネ」
診察を受けた応接室から部屋に戻ろうとしたところ、医師と入れ替わるように、チャールズと、英国人があと二人入ってきた。
チャールズは初老の紳士をサー・ハロルド・バークリー大使、もう一人は通訳だと紹介した。
大使は天音に握手を求め、それから穏やかな声で言った。
「さて。では、詳しいいきさつを話してくれるかな」
天音は頷くと、これまでのことを英語で説明しはじめた。
吉田伯爵家に家丁として仕えていたこと。
令嬢と恋仲になり、それがばれて、折檻を受け、追い出されたこと。
それらを包み隠さず話した。
天音の英語は、通訳の必要もないほど流暢で、三人は大いに驚きを示した。
「なるほど、では、もうその家には戻れないわけだな。しかし、暴行は行き過ぎだ。人道的見地から見過ごせない。訴える気があれば、手助けすることはできるが」
「いえ、できれば事を荒立てたくないです。同意があったとはいえ、俺が令嬢を外に連れ出したのは事実ですから」
「そうか」
大使は鷹揚に頷いた。
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