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第六章 別離
四
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桜子付きの女中は一新していた。
高志と破談になったことで、敏子は桜子のお付きから外れ、母の担当に戻っていた。
そして、美津は桜子が別荘に連れ戻されたときには、もういなかった。
女中たちの話では、郷里に帰えされたらしい。
美津には、本当に悪いことをした。
謝ることもできず、お別れも言えなかった。
それだけは心残りだ。
桜子は大切にしていたルビーのネックレスを封筒に入れ、手紙をしたためた。
――このネックレスをどうぞ美津に渡してください。彼女へのせめてもの、罪滅ぼしです。わたくしの遺言として、どうぞ、この願いを叶えてください
「お嬢様、失礼いたします」
多江が数人の女中を従えて、部屋に入ってきた。
桜子は急いで封筒を引き出しにしまった。
***
皆が寝静まったころ、桜子はそっと寝台を抜け出した。
天音に気持ちを打ち明けたあの夜のように。
心をときめかせて、クスノキの下に急いだのが、もうずいぶん遠い出来事に思える。
桜子は天音が括りつけられていたアカシアの木の下に立った。
あの日のことを思い出すのがつらくて、ずっと中庭に来られなかった。
でも、彼のそばに行く方法が見つかったから、今はもう大丈夫だ。
桜子は袂から腰紐を取り出した。
昼に着つけてもらったとき、こっそり隠しておいたもの。
五本結んだら、充分な長さになった。
桜子は紐の一方に簪を縛りつけて錘にし、それを太い幹に抛った。
紐はうまく幹にかかった。
そして、その先を、もう一方の先としっかり結び、輪を作った。
それから、部屋から持ってきた踏み台をその下におき、登り、紐を頸に数回巻きつけた。
そして、心のなかで「天音、桜子はもうすぐ貴方のもとに参ります」と唱え、椅子から足を離そうとしたそのとき……
下から強い力で抱えられ、あっという間に頸から紐を取り去られた。
こういうこともあろうかと伯爵がひそかに見張らせていた護衛だった。
「嫌、離して。離してちょうだい」
暴れる桜子を、護衛は肩にかつぎあげると伯爵の寝室へ連れて行った。
護衛から報告を受け、伯爵は声を荒げた。
「桜子! いい加減に目を覚ませ」
「いいえ! お父様になんと言われても天音のそばに行きます。天音のいない人生なんて耐えられない!」
桜子はさっと身をひるがえし、紫檀の書き物机の引き出しから伯爵の護身用のピストルを取り出した。
「よさないか、おい!」
扉の外で控えていた二人の護衛が声を聞きつけ、桜子の手からピストルを奪いとった。
「死なせて。お願い」
寝室に連れていかれた桜子は、睡眠薬の入った白湯を飲まされ、無理やり眠らされた。
***
東京に帰ってからも、桜子は同じようなことを何度も繰り返した。
見かねた両親は、彼女を入院させることにした。
そして……
その病院で担当の医師から、桜子が子を宿していることを告げられた。
高志と破談になったことで、敏子は桜子のお付きから外れ、母の担当に戻っていた。
そして、美津は桜子が別荘に連れ戻されたときには、もういなかった。
女中たちの話では、郷里に帰えされたらしい。
美津には、本当に悪いことをした。
謝ることもできず、お別れも言えなかった。
それだけは心残りだ。
桜子は大切にしていたルビーのネックレスを封筒に入れ、手紙をしたためた。
――このネックレスをどうぞ美津に渡してください。彼女へのせめてもの、罪滅ぼしです。わたくしの遺言として、どうぞ、この願いを叶えてください
「お嬢様、失礼いたします」
多江が数人の女中を従えて、部屋に入ってきた。
桜子は急いで封筒を引き出しにしまった。
***
皆が寝静まったころ、桜子はそっと寝台を抜け出した。
天音に気持ちを打ち明けたあの夜のように。
心をときめかせて、クスノキの下に急いだのが、もうずいぶん遠い出来事に思える。
桜子は天音が括りつけられていたアカシアの木の下に立った。
あの日のことを思い出すのがつらくて、ずっと中庭に来られなかった。
でも、彼のそばに行く方法が見つかったから、今はもう大丈夫だ。
桜子は袂から腰紐を取り出した。
昼に着つけてもらったとき、こっそり隠しておいたもの。
五本結んだら、充分な長さになった。
桜子は紐の一方に簪を縛りつけて錘にし、それを太い幹に抛った。
紐はうまく幹にかかった。
そして、その先を、もう一方の先としっかり結び、輪を作った。
それから、部屋から持ってきた踏み台をその下におき、登り、紐を頸に数回巻きつけた。
そして、心のなかで「天音、桜子はもうすぐ貴方のもとに参ります」と唱え、椅子から足を離そうとしたそのとき……
下から強い力で抱えられ、あっという間に頸から紐を取り去られた。
こういうこともあろうかと伯爵がひそかに見張らせていた護衛だった。
「嫌、離して。離してちょうだい」
暴れる桜子を、護衛は肩にかつぎあげると伯爵の寝室へ連れて行った。
護衛から報告を受け、伯爵は声を荒げた。
「桜子! いい加減に目を覚ませ」
「いいえ! お父様になんと言われても天音のそばに行きます。天音のいない人生なんて耐えられない!」
桜子はさっと身をひるがえし、紫檀の書き物机の引き出しから伯爵の護身用のピストルを取り出した。
「よさないか、おい!」
扉の外で控えていた二人の護衛が声を聞きつけ、桜子の手からピストルを奪いとった。
「死なせて。お願い」
寝室に連れていかれた桜子は、睡眠薬の入った白湯を飲まされ、無理やり眠らされた。
***
東京に帰ってからも、桜子は同じようなことを何度も繰り返した。
見かねた両親は、彼女を入院させることにした。
そして……
その病院で担当の医師から、桜子が子を宿していることを告げられた。
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