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第六章 別離
二
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別荘に戻ると、天音は物置部屋に閉じ込められた。
そこに窓はなく、昼日中だとは思えないほど暗い。
部屋の空氣は黴臭く澱んでいて、身体中にまとわりついてくるようだった。
ずいぶん長い間、そこに閉じ込められたままだった。
たぶん丸一日は経ったと思う。
何度目かの浅い眠りを貪っていたとき、家丁が「もうすぐ、伯爵がお戻りになる」と、告げに来た。
伯爵は俺をどうするつもりだろう。
大事な娘を誘惑して、かどわかした大悪党だと思っているだろうから、随分酷い目に合わされるのだろうな。
天音は、まるで他人事のように考えていた。
自分でも不思議なほど、恐怖心は湧いてこなかった。
もとより、命がけの恋。
クスノキの下で桜子を抱きしめた瞬間から、いつかこういう日が来るだろうと覚悟はしていた。
だから、桜子と共に逃げ出したことを後悔する気持ちは一切ない。
桜子……
暴力への恐怖より、頭を占めていたのはおとといの夜の彼女のことだ。
どこもかしこも、愛おしかった。
恥じらいに染める頬も。
透けるような白い肌も。
漏らす吐息の甘さも。
彼女のすべてを知ることができただけでも本望だ。
急に明かりが差しこんできた。
光に慣れず目を細めてそちらを見ると、男が二人入ってきた。
逆光で表情は見えない。
「来い!」
この部屋に連れてこられたときと同様に、左右から両腕を掴まれた。
そして連れ出された中庭では、憤怒の形相をした伯爵が待っていた。
「お前にはさんざん目をかけてやっていたのに、恩を仇で返すとは」
伯爵は護衛に命じ、天音の両手首を庭木の枝に縛りつけさせた。
そして、自ら鞭を持って、彼の背中を数度、打ち据えた。
バシッという音が邸内に響きわたる。
天音は唇を噛みしめ、耐えた。
けれど、決して許しを乞おうとはしなかった。
頑な態度を見せる彼に、伯爵はますます頭に血を登らせた。
「将来は自分の片腕にと見込んでいたが、とんだ眼鏡違いだったな」
伯爵はさらに数回、天音を打ち据えた。
白いシャツに、血が滲みはじめた。
「おやめください! お父様!」
数名の女中の制止を振り切って、桜子が庭に駆けこんできた。
「天音は何も悪いことをしていません。すべてわたくしのせいです」
「うるさい、お前は部屋から出るなと言っただろうが」
伯爵は天音をかばって前に立つ桜子を押しのけ、そばにいた護衛に鞭を渡すと、私がいいと言うまで叩けと命じた。
「天音、お前のせいで、私が苦労を重ねてようやく取りつけた細谷侯爵家との縁談はご破産になってしまった。その報いも受けてもらわねばならん」
狭い町のこと。
桜子と天音の逃避行の噂はあっという間に市中に広がった。
また、目ざとい地元の新聞記者がかぎつけ、「華族令嬢の呆れた行状」との見出しで地元新聞に取り上げられ、さらに翌朝、東京の新聞もその記事を転載した。
なによりも体面を重んじる細谷家だ。
その記事が出たとたん、即刻、「結婚の話はなかったことに」と通達してきたそうだ。
打たれるたびに、天音の身体は苦しげにしなる。
苦痛に顔をゆがめ、強く咬んだ唇から一筋の血をたらしている天音を見て、桜子は声を限りに叫んだ。
「お願い! もう、やめてーーーーーーっ」
そして、頽れるようにその場に倒れた。
別荘に戻ると、天音は物置部屋に閉じ込められた。
そこに窓はなく、昼日中だとは思えないほど暗い。
部屋の空氣は黴臭く澱んでいて、身体中にまとわりついてくるようだった。
ずいぶん長い間、そこに閉じ込められたままだった。
たぶん丸一日は経ったと思う。
何度目かの浅い眠りを貪っていたとき、家丁が「もうすぐ、伯爵がお戻りになる」と、告げに来た。
伯爵は俺をどうするつもりだろう。
大事な娘を誘惑して、かどわかした大悪党だと思っているだろうから、随分酷い目に合わされるのだろうな。
天音は、まるで他人事のように考えていた。
自分でも不思議なほど、恐怖心は湧いてこなかった。
もとより、命がけの恋。
クスノキの下で桜子を抱きしめた瞬間から、いつかこういう日が来るだろうと覚悟はしていた。
だから、桜子と共に逃げ出したことを後悔する気持ちは一切ない。
桜子……
暴力への恐怖より、頭を占めていたのはおとといの夜の彼女のことだ。
どこもかしこも、愛おしかった。
恥じらいに染める頬も。
透けるような白い肌も。
漏らす吐息の甘さも。
彼女のすべてを知ることができただけでも本望だ。
急に明かりが差しこんできた。
光に慣れず目を細めてそちらを見ると、男が二人入ってきた。
逆光で表情は見えない。
「来い!」
この部屋に連れてこられたときと同様に、左右から両腕を掴まれた。
そして連れ出された中庭では、憤怒の形相をした伯爵が待っていた。
「お前にはさんざん目をかけてやっていたのに、恩を仇で返すとは」
伯爵は護衛に命じ、天音の両手首を庭木の枝に縛りつけさせた。
そして、自ら鞭を持って、彼の背中を数度、打ち据えた。
バシッという音が邸内に響きわたる。
天音は唇を噛みしめ、耐えた。
けれど、決して許しを乞おうとはしなかった。
頑な態度を見せる彼に、伯爵はますます頭に血を登らせた。
「将来は自分の片腕にと見込んでいたが、とんだ眼鏡違いだったな」
伯爵はさらに数回、天音を打ち据えた。
白いシャツに、血が滲みはじめた。
「おやめください! お父様!」
数名の女中の制止を振り切って、桜子が庭に駆けこんできた。
「天音は何も悪いことをしていません。すべてわたくしのせいです」
「うるさい、お前は部屋から出るなと言っただろうが」
伯爵は天音をかばって前に立つ桜子を押しのけ、そばにいた護衛に鞭を渡すと、私がいいと言うまで叩けと命じた。
「天音、お前のせいで、私が苦労を重ねてようやく取りつけた細谷侯爵家との縁談はご破産になってしまった。その報いも受けてもらわねばならん」
狭い町のこと。
桜子と天音の逃避行の噂はあっという間に市中に広がった。
また、目ざとい地元の新聞記者がかぎつけ、「華族令嬢の呆れた行状」との見出しで地元新聞に取り上げられ、さらに翌朝、東京の新聞もその記事を転載した。
なによりも体面を重んじる細谷家だ。
その記事が出たとたん、即刻、「結婚の話はなかったことに」と通達してきたそうだ。
打たれるたびに、天音の身体は苦しげにしなる。
苦痛に顔をゆがめ、強く咬んだ唇から一筋の血をたらしている天音を見て、桜子は声を限りに叫んだ。
「お願い! もう、やめてーーーーーーっ」
そして、頽れるようにその場に倒れた。
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