明治ハイカラ恋愛事情 ~伯爵令嬢の恋~

泉南佳那

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第六章 別離

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 早朝、二人は宿を発った。

 朝もやに煙る町を、無言のまま手をつなぎ、指を絡めあって歩いた。

 どうか、無事に汽車に乗れますように。

 桜子の頭はそのことでいっぱいだった。

 逃げ切れないのではないかという不安は、常につきまとっている。

 でも、東京まで行きつくことができれば、伝手つてを頼って身を潜めることができるかもしれない。

 その一筋の希望にかけることしか、今の桜子にできることはない。


 駅舎は閑散としていた。
 数組の客が、待合室で汽車の到来を待っている。

 追手らしい人影はない。
 
 ほっと息をついて、二人は東京までの切符を求め、人目につかない場所を選んで座った。

「よかった、まだ気づかれていないようで」

「いや、油断してはいけないよ」
 そう言って、天音は用心深く辺りを見回した。

 始発の発車まであと十五分。

 時間が経つのが、なぜ、こんなに遅いの。
 ほとんど一分おきに、桜子は時計に目をやり、膝の上で両手を合わせてひたすら祈りつづけた。

 ようやく、十分前になった。

 汽車がつき、待合室にいた人たちがホームに移動を始めた。


「行こうか」
 桜子が頷き、立ちあがりかけたちょうどそのときだった。
 数人の男たちの話し声が、駅の静寂を破った。

「いたぞ」
 そのうちの一人がそう叫んだ。

 またたく間に、天音は井上と、数人の家丁や護衛に取り囲まれた。
 
 桜子は腰が抜けたように、もう一度、椅子に座りこんでしまった。


 逃げるいとまは、まったくなかった。
 
 天音は体格の良い二人の護衛に左右から腕を掴まれた。

 覚悟を決めていたようで、彼は抵抗はしなかった。
 かといってひるんだ素振りも一切見せなかった。

「天音……お前、なにをしでかしたかわかっているのか。お嬢様を連れ出すなんて……」

 天音は何も言わず、ただ井上の顔を見ていた。

「この……」
 ビシっという音が屋根の高い駅舎に響いた。

 天音の不遜な態度に苛ついた井上が、彼の頬を打った音だった。

「連れていけ」
 井上の声を合図に、二人の護衛は引きずるように天音を表に連れ出した。

 そうされても、彼はうなだれる様子を見せなかった。
 だた、顔をあげ、唇をきつく結んでいた。

 本当にあっという間の出来事だった。

 桜子が、金縛りにあったようにその場から動くことができないうちに。

 これは夢だ。
 悪夢を見ているのだ。

 一刻も早く、目覚めたい。

 そして、彼の腕のなかで言いたい。
 「ねえ、怖い夢を見たの」と。

 天音は「大丈夫、ただの夢だよ」と答えて、優しい口づけをくれるはず。



 出発を告げる汽笛が駅舎に響き渡った。

 ただ呆けたように座っている桜子の前に井上が来て、言った。

「桜子様、行きましょう」

 その声で我に返った桜子は、両手で顔を覆い、泣き崩れた。
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