明治ハイカラ恋愛事情 ~伯爵令嬢の恋~

泉南佳那

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第五章 逃避行

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「そろそろ参りましょうか」
 また暗い表情を見せはじめた桜子を気遣って、鞠子は店を出ようとうながした。

***

 それからホテルの近くにある土産物店などにより、別荘に戻ったときは夕方になっていた。
 どういう訳か、邸内はいつになく慌ただしい雰囲気に包まれていた。

「どうかしたの?」
 自室に戻り、美津に尋ねると「梅子様がご入院されたそうで、旦那様も奥様も東京に向かわれました」と言った。

「えっ?」
「お嬢様のお帰りを待っていらっしゃったのですが。ほとんど入れ違いでご出発なされました」

 お姉様がご入院?
 予定日よりだいぶ早いようだけれど、大丈夫なのかしら。
 難産で命を落とす方もあると、話に聞くし。

 事情のわからない桜子は、心配で居ても立ってもいられなくなった。



 東京の父から電話があったのは、夕食もすんだころだった。
 
「梅子も胎児も無事だ。心配はいらん」
「ああ、良かった……」
 それを聞いて、桜子はようやく人心地着くことができた。

 ただ臨月に差し掛かっているのにまだ逆子だということで、手術による分娩が行われることになったそうだ。

「手術って……危険ではないのですか?」
「つい先月、ドイツから帰国した最新の医術を身に着けた名医が執刀するそうだ」

 入院先は帝大付属病院。
 中島家の威光もあり、最高の医師が担当してくれるとのことだった。


「まあ、だが、とにかく梅子の出産が終わるまで、しばらく別荘は留守にするよ」

「お父様。わたくしも、明日にでもお姉様のおそばに行きたいです」

 桜子がそう言うと、父はその必要はないだろう、と言った。

「お前がそばにいたところでどうなるものでもない。それより、高志君に明日からしばらく、別荘に滞在してほしいとお願いしてある。桜子はそっちで高志君のお相手を務めなさい」

「え、高志さんが? なぜですか?」

「いや、それはだな、その……ああ、お前ひとりを別荘に残すのは不安だからな。なにかと物騒な世の中だし」

「でも、こちらから連隊にお通いになるのも大変でしょうし、それに使用人も大勢おりますから、わたくしへのご心配は無用では……」

「いや、しかし、もうお願いしてしまったことだし」

 その後も、父は決まったことだと繰り返して、最後には桜子の言葉をさえぎった。

「ま、とにかく、お前もそばに婚約者がいたほうが安心だろう。ではな。切るからな」

 そんな……まだ口約束だけの、正式に結納を交わした相手でもないのに……
 その方が、父母のいないこの別荘に?

 あっ……

 桜子はにわかにその意味に気づいた。
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