25 / 59
第三章 溢れる想い、深まる苦悩
八
しおりを挟む
「お仕事の最中でしたのに。申し訳ありません」
「謝ることはない。妻の一大事に、おちおち仕事なんてしていられないよ」
一目散に梅子に駆け寄っていった忠明は、ようやく桜子がいることに気づき、決まりが悪そうに頭をかいた。
「いや、桜子さん、いらしたんだね。失敬。取り乱したところをお見せしてしまったね」
「いいえ、ご心配されるのが当然ですもの」
姉に秘密を打ち明けて、少し気が楽になったと思ったけれど。
姉夫婦の仲睦まじい様子を見て、自由に会うことすらままならない自分たちとの違いを嫌というほど感じて、いっそう気が塞いでくるのを、自分ではどうすることもできなかった。
「ねえ、忠明さん。英語のできる秘書を探しているとおっしゃっていたわよね」
「そうなんだよ。帝大の後輩に声をかけたりしているんだが、なかなか適任が見つからなくてね」
「吉田の家丁のひとりに、英語のよくできる人がいるそうなんだけど、ね」
姉はわたしの顔を見て、話すように促した。
「はい。父に付いている者なのですが、翻訳ができるほど英語に精通しているようなんです。それを知って、彼に家丁の仕事をさせておくのは、とてももったいない気がして」
「家丁に? 本当かい?」
忠明さんは疑わしげに眉を寄せた。
それから、桜子の顔を見て、申し訳なさそうに告げた。
「うーん。僕が探しているのは、海外とのシビアな取引に負けないほどの専門的知識を持つ人物なんだ。申し訳ないけど、大学で経済のことを学んでいないと難しいかな」
忠明はあからさまに気落ちした桜子の肩をぽんと叩いた。
「そのうち時間を取って、お義父上にその家丁のこと、訊いてみるよ」
気休めだとわかっていたけれど、桜子は「はい」と頭を下げた。
しばらくして母が戻ってきたので、桜子は三人に挨拶し病室を後にした。
帰りの馬車のなかで、桜子はずっと黙ったまま、車窓から街を眺めていた。
天音の語学の才は、桜子にとって絶望的なこの恋の、唯一の希望だった。
けれど、忠明は、天音が家丁だと聞くと、詳しい話を聞こうともしなかった。
忠明一人が悪いのではない。
わたくしたちの間に立ちはだかる身分差という問題は、それだけ根が深いものなのだ。
その現実を突きつけられ、桜子の悩みは深まる一方だった。
「謝ることはない。妻の一大事に、おちおち仕事なんてしていられないよ」
一目散に梅子に駆け寄っていった忠明は、ようやく桜子がいることに気づき、決まりが悪そうに頭をかいた。
「いや、桜子さん、いらしたんだね。失敬。取り乱したところをお見せしてしまったね」
「いいえ、ご心配されるのが当然ですもの」
姉に秘密を打ち明けて、少し気が楽になったと思ったけれど。
姉夫婦の仲睦まじい様子を見て、自由に会うことすらままならない自分たちとの違いを嫌というほど感じて、いっそう気が塞いでくるのを、自分ではどうすることもできなかった。
「ねえ、忠明さん。英語のできる秘書を探しているとおっしゃっていたわよね」
「そうなんだよ。帝大の後輩に声をかけたりしているんだが、なかなか適任が見つからなくてね」
「吉田の家丁のひとりに、英語のよくできる人がいるそうなんだけど、ね」
姉はわたしの顔を見て、話すように促した。
「はい。父に付いている者なのですが、翻訳ができるほど英語に精通しているようなんです。それを知って、彼に家丁の仕事をさせておくのは、とてももったいない気がして」
「家丁に? 本当かい?」
忠明さんは疑わしげに眉を寄せた。
それから、桜子の顔を見て、申し訳なさそうに告げた。
「うーん。僕が探しているのは、海外とのシビアな取引に負けないほどの専門的知識を持つ人物なんだ。申し訳ないけど、大学で経済のことを学んでいないと難しいかな」
忠明はあからさまに気落ちした桜子の肩をぽんと叩いた。
「そのうち時間を取って、お義父上にその家丁のこと、訊いてみるよ」
気休めだとわかっていたけれど、桜子は「はい」と頭を下げた。
しばらくして母が戻ってきたので、桜子は三人に挨拶し病室を後にした。
帰りの馬車のなかで、桜子はずっと黙ったまま、車窓から街を眺めていた。
天音の語学の才は、桜子にとって絶望的なこの恋の、唯一の希望だった。
けれど、忠明は、天音が家丁だと聞くと、詳しい話を聞こうともしなかった。
忠明一人が悪いのではない。
わたくしたちの間に立ちはだかる身分差という問題は、それだけ根が深いものなのだ。
その現実を突きつけられ、桜子の悩みは深まる一方だった。
0
お気に入りに追加
22
あなたにおすすめの小説
苺の誘惑 ~御曹司副社長の甘い計略~
泉南佳那
恋愛
来栖エリカ26歳✖️芹澤宗太27歳
売れないタレントのエリカのもとに
破格のギャラの依頼が……
ちょっと怪しげな黒の高級国産車に乗せられて
ついた先は、巷で話題のニュースポット
サニーヒルズビレッジ!
そこでエリカを待ちうけていたのは
極上イケメン御曹司の副社長。
彼からの依頼はなんと『偽装恋人』!
そして、これから2カ月あまり
サニーヒルズレジデンスの彼の家で
ルームシェアをしてほしいというものだった!
一緒に暮らすうちに、エリカは本気で彼に恋をしてしまい
とうとう苦しい胸の内を告げることに……
***
ラグジュアリーな再開発都市を舞台に繰り広げられる
御曹司と売れないタレントの恋
はたして、その結末は⁉︎
愛のかたち
凛子
恋愛
プライドが邪魔をして素直になれない夫(白藤翔)。しかし夫の気持ちはちゃんと妻(彩華)に伝わっていた。そんな夫婦に訪れた突然の別れ。
ある人物の粋な計らいによって再会を果たした二人は……
情けない男の不器用な愛。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
乙女ゲームに転生した華族令嬢は没落を回避し、サポートキャラを攻略したい!
仲室日月奈
恋愛
転生したのは、大正時代を舞台にした乙女ゲームの世界でした。ただし、ヒロインではなく、その友人役として。サブキャラだから、攻略はヒロインに任せて、私はゲーム案内役の彼を落としてもいいよね?
だけど、隠しキャラの謎解きルートを解放しなければ、自分は失踪。父親はショックで倒れて、華族の我が家は没落。それはさすがに困る。
こうなったら、ゲーム案内役の彼と協力して未来を回避し、ゲームクリアを目指します!
※この乙女ゲームでは、話し言葉は標準語、カタカナの表記は現代風という仕様です。
※小説家になろう、カクヨムでも掲載しています。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
イケメン御曹司、地味子へのストーカー始めました 〜マイナス余命1日〜
和泉杏咲
恋愛
表紙イラストは「帳カオル」様に描いていただきました……!眼福です(´ω`)
https://twitter.com/tobari_kaoru
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私は間も無く死ぬ。だから、彼に別れを告げたいのだ。それなのに……
なぜ、私だけがこんな目に遭うのか。
なぜ、私だけにこんなに執着するのか。
私は間も無く死んでしまう。
どうか、私のことは忘れて……。
だから私は、あえて言うの。
バイバイって。
死を覚悟した少女と、彼女を一途(?)に追いかけた少年の追いかけっこの終わりの始まりのお話。
<登場人物>
矢部雪穂:ガリ勉してエリート中学校に入学した努力少女。小説家志望
悠木 清:雪穂のクラスメイト。金持ち&ギフテッドと呼ばれるほどの天才奇人イケメン御曹司
山田:清に仕えるスーパー執事
伯爵令嬢の恋
アズやっこ
恋愛
落ち目の伯爵家の令嬢、それが私。
お兄様が伯爵家を継ぎ、私をどこかへ嫁がせようとお父様は必死になってる。
こんな落ち目伯爵家の令嬢を欲しがる家がどこにあるのよ!
お父様が持ってくる縁談は問題ありの人ばかり…。だから今迄婚約者もいないのよ?分かってる?
私は私で探すから他っておいて!
生意気従者とマグナム令嬢
ミドリ
恋愛
突然空から降ってきた黒竜に焼かれたムーンシュタイナー領。領主の娘マーリカ(16)が覚えたての水魔法を使い鎮火させたところ、黒竜に反応し魔力が暴走。領地は魔魚が泳ぎまくる湖へと変貌してしまった。
ただでさえ貧乏な領。このままでは年末に国に納税できず、領地を没収されてしまうかもしれない。領地や領民を愛すマーリカは、大量発生している魔魚を使った金策を考えることにする。
マーリカの研究につき合わされることになったのは、冷たい印象を与える銀髪の美青年で超優秀な謎の従者、キラだ。キラは口と態度は悪いが、マーリカは全面の信頼を寄せている。やがて二人は強力な魔弾【マグナム】を作り出すと、重要な資金源になっていく。
以前からマーリカを狙っている隣領の口ひげ令息がちょっかいを出してくるが、基本ムーンシュタイナー卿と従者のキラに妨害されていた。そこに隣国からきたサイファという褐色の肌の青年も加わり、領地は復興の道へ。
過去の出来事や各国の思惑が徐々に明らかになるにつれ、黒竜墜落の原因が次第に明らかになっていく。
領地復興と共に育まれる愛の行方や如何に。
※自転車操業で書きます。頑張って毎日上げていますので、何卒宜しくお願いします。
※なろう・カクヨムに遅れて転載中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる