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第五章 逃避行
一
しおりを挟む母の話に納得できるわけもなく、それから桜子は塞ぎがちになり、自室にこもることが多くなった。
「少しはお外を散策などなされてはいかがですか? 部屋にばかりいるから、気が滅入るんですよ」
「いいから、ほっておいてちょうだい」
敏子は相変わらず口うるさく桜子を諭す。
その口ぶりが癇に障り、桜子はより頑なに表に出ることを拒んだ。
そんなある日のこと。
級友の三橋鞠子が別荘を訪ねてきた。
三橋家の別荘もここ日光にあり、二人は毎年、互いの別荘を行き来していた。
鞠子の父親は明治以降、紡績業で名を馳せた実業家。
国に莫大な利益をもたらした功績により、男爵を叙爵した新興華族である。
爵位としては最も低い位だが、資産面では公家や武家出身の大半の旧華族を大きくうわまっていた。
「今日はお天気がとってもよろしくってよ。外に馬車を待たせてあるの。ちょっとお出かけいたしましょうよ」
鞠子に熱心に誘われ、桜子もようやく重い腰をあげた。
***
「実はね、桜子さんのお母様に頼まれたの。外に連れ出してちょうだいって」
「まあ、そうでしたの」
「わたくしもこちらに来てから毎日、退屈しきっておりましたから。で、お話を訊いてこれ幸いと、飛んでまいりましたのよ」
鞠子の明るい笑顔は桜子の心をほんの少し慰めた。
日光市内のホテルのティールームでアップルパイと紅茶をいただきながら、はじめはたわいもない話をしていた。
会話というか、鞠子の話に桜子はただ相槌を打っていただけだったけれど。
学校の友人の噂話がひと段落したとき、鞠子が桜子の顔をじっと眺め、そして言った。
「それで、桜子さん。どうしてそんなに落ち込んでいらっしゃるの?」
「ごめんなさい。そんなに元気がなさそうに見えるかしら」
「ええ、今にも倒れてしまいそうな風情よ」
「実は……」
桜子は、天音のことは伏せて、縁談が持ち上がって悩んでいる、と鞠子に告げた。
「だってわたくし、まだ結婚なんてしたくないの。学校だって中途でやめなければならなくなるし」
「そうよね。徳川様の御世でもあるまいし、まだ家庭に入って窮屈な生活を強いられる年齢ではないわね。確かにつらいことだわ」
と、桜子に同意しつつも、鞠子はまだ納得しきっていない様子だ。
抑えきれない好奇心に目を輝かせながら、さらに尋ねてくる。
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