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終章
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二年後、江戸、西両国
両国橋界隈は、待望の川開きの時期を迎え、つねに変わらぬ賑わいを見せていた。
川沿いには茶屋や髪結い床などの床店【とこみせ】が軒をつらね、水菓子や麦湯、汁粉に寿司、二八そばなどを商う屋台も所せましと並び、あちこちから美味そうな匂いが漂っていた。
橋の上にも人、人、人。
夜空の花火を見上げ、大川を行きかう屋根船や屋形船、猪牙【ちょき】船を見下ろすのに忙しい。
ここ、両国は江戸で屈指の、活気あふれる繁華な場所だ。
橋の西詰に、芝居小屋や見世物小屋が並ぶ。その中に、江戸の町に彗星のごとく現れ、庶民の人気を瞬く間にさらった役者を擁する一座があった。
その役者、名は市河きつね。
性別不明、年齢不詳。
舞台を所狭しと駆けまわる、外連味たっぷりの演技に観客は熱狂した。評判が評判を呼び、連日押すな押すなの大盛況。
早変わりのあまりの鮮やかさに、本物の狐が化けているに違いないと言う者まで現れた。
また、容姿もことのほか麗しく、江戸中の女を虜にし、あでやかな若衆姿の浮世絵も出版され、店に出れば、瞬く間に売り切れた。
***
「今、この〝きつね〟という役者が、いま、えらい人気だそうだ」
江戸に商いに行っていた楓の知り合いが錦絵を買ってきた。
「手に入れるのに一苦労だったぞ」
これを見たひとりが言う。
「なんだか、庄屋のところの紫乃殿に面立ちが似てないか?」
「まさか、紫乃殿はおなごぞ。何で江戸の芝居なんぞに出ているんじゃ」
「それもそうだ」
「紫乃殿は今ごろ、どこにおるのかのぉ」
「狐に化かされてしもうたのかの。やはり」
だが、楓にはわかった。
いいえ、これはまさしく紫乃様。
「その絵をお譲りくださいませんか」
「ああ、ちゃんと金を払ってくれるんなら。ほれ、好きなのを選べ」
楓はその絵を懐かしい目をして眺めた。
紫乃様……
姿絵とはいえ、生き生きと輝いている紫乃を眺め、とても誇らしく思った。
楓は今でも、不思議に思うことがある。
紫乃を救い出した夜、幸右衛門の前で、差し金を使い、狐火を装って燐光を燃やしたのは楓だった。だが、燃やしたのはひとつだけ。
そのあと、あれよあれよという間に光は増えていった。あれはいったい……。
そして、狐の行列のしんがりで、眩い狐火に取り巻かれ、軽やかに躍る紫乃を見た。
お狐様が望まれたのだ。
紫乃様が躍動される姿を。
楓に応じるかのように、裏山で、一声、狐が鳴いた。
(了)
お読みいただき、ありがとうございましたm(_ _"m)
両国橋界隈は、待望の川開きの時期を迎え、つねに変わらぬ賑わいを見せていた。
川沿いには茶屋や髪結い床などの床店【とこみせ】が軒をつらね、水菓子や麦湯、汁粉に寿司、二八そばなどを商う屋台も所せましと並び、あちこちから美味そうな匂いが漂っていた。
橋の上にも人、人、人。
夜空の花火を見上げ、大川を行きかう屋根船や屋形船、猪牙【ちょき】船を見下ろすのに忙しい。
ここ、両国は江戸で屈指の、活気あふれる繁華な場所だ。
橋の西詰に、芝居小屋や見世物小屋が並ぶ。その中に、江戸の町に彗星のごとく現れ、庶民の人気を瞬く間にさらった役者を擁する一座があった。
その役者、名は市河きつね。
性別不明、年齢不詳。
舞台を所狭しと駆けまわる、外連味たっぷりの演技に観客は熱狂した。評判が評判を呼び、連日押すな押すなの大盛況。
早変わりのあまりの鮮やかさに、本物の狐が化けているに違いないと言う者まで現れた。
また、容姿もことのほか麗しく、江戸中の女を虜にし、あでやかな若衆姿の浮世絵も出版され、店に出れば、瞬く間に売り切れた。
***
「今、この〝きつね〟という役者が、いま、えらい人気だそうだ」
江戸に商いに行っていた楓の知り合いが錦絵を買ってきた。
「手に入れるのに一苦労だったぞ」
これを見たひとりが言う。
「なんだか、庄屋のところの紫乃殿に面立ちが似てないか?」
「まさか、紫乃殿はおなごぞ。何で江戸の芝居なんぞに出ているんじゃ」
「それもそうだ」
「紫乃殿は今ごろ、どこにおるのかのぉ」
「狐に化かされてしもうたのかの。やはり」
だが、楓にはわかった。
いいえ、これはまさしく紫乃様。
「その絵をお譲りくださいませんか」
「ああ、ちゃんと金を払ってくれるんなら。ほれ、好きなのを選べ」
楓はその絵を懐かしい目をして眺めた。
紫乃様……
姿絵とはいえ、生き生きと輝いている紫乃を眺め、とても誇らしく思った。
楓は今でも、不思議に思うことがある。
紫乃を救い出した夜、幸右衛門の前で、差し金を使い、狐火を装って燐光を燃やしたのは楓だった。だが、燃やしたのはひとつだけ。
そのあと、あれよあれよという間に光は増えていった。あれはいったい……。
そして、狐の行列のしんがりで、眩い狐火に取り巻かれ、軽やかに躍る紫乃を見た。
お狐様が望まれたのだ。
紫乃様が躍動される姿を。
楓に応じるかのように、裏山で、一声、狐が鳴いた。
(了)
お読みいただき、ありがとうございましたm(_ _"m)
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